プロローグ1 最弱の冒険者
定期的に表現等見直しますが、大筋は変えないので読み返していただかなくとも大丈夫です。
※いま各話のタイトルを変更中です。タイトルがおかしいのは気にしないでください。
背後から感じる甘い吐息。
だが俺は、動けない。
がっちりと固定された体は、どれだけ力を込めても指一本動かないのだ。
――ああ、はやくしてくれ。
目の前に倒れ伏した男女が僅かに身じろぎする。
そして、ゆっくりとその顔を持ち上げた。
顔立ちは整っている。冒険者組合でも評判の美男美女だった。
だが、焦点の合わない黄ばんだ目は、明らかに生きた人間のそれではなかった。
――はやく、はやくしてくれ。
――間に合わなくなる前に、
――あいつらに生きたまま食われる前に、
――はやく俺を殺してくれ!!!
ふと、背後の気配が戸惑う。
なんだ? 何をぐずぐずしている?
あいつらと目が合った。ゆるゆると起き上がりはじめている。腐臭の混じった息がもう届いている気さえする。
お願いだ。急いでくれ。そんな死に方だけはしたくない。
早く、早く、早く……っ!
必死に祈る俺に、鈴の鳴るような声がかけられた。
「……まさかとは思ったけど、あなた、もしかして……」
一拍おいて近づいた気配が再びわずかに離れた次の瞬間、
――嘲りを含んだ哄笑がダンジョンに響き渡ったのだった。
◆◆◆
その前日
「よう、カイ! またエロ本漁りか?」
身長より高い本棚を物色する男に、禿げ散らかしたおっさんが声をかけた。
頬張ったサンドイッチのクズが唾液とともに飛び散るが、気にするそぶりもない。
二人がいるのは、ジャイド王国第二の都市『デルッタ』の街の住宅街にいくつかある書店の一つだ。
飲食禁止である。
「飯食いながら喋んな。死ね。」
『カイ』と呼ばれた男は手を止めて軽口で応える。
二人は軽くコツンと拳を合わせた。冒険者がよくやる挨拶だ。
彼らは旧知の友人だった。気の置けない仲と言って良い。
「しゃーねーだろ。妻のツナサンドはホントに美味いんだぜ。お前も一個食うか?」
垢じみた制服をだらしなく着崩したおっさん――ケント・リンデンバウム・セステルティウスは注意されても食いながら喋るのはやめない。
実際カイも何度か食ったことはあるが、サティアさんが作るふわふわの食パンに、あっさり目のマヨネーズで味付けした鮪と、ジューシーであまり自己主張しないトマトを挟んだだけのシンプルなツナサンドは絶品だった。
でも、しゃーなくはないだろ。店員さんが睨んでるぞ。
相変わらずのケントに、カイはクスリと笑う。
ケントも昔は男前でならしたものだが、今ではただのデブでハゲで下品なおっさんだった。
ただし、嫁にデレデレのせいか、冒険者組合の女性職員からの受けは良い。
カイ――カイス・シウス・ジュライは、鍛え抜かれた小柄な体こそ年齢より若く見えるが、今年42歳。
経験30年近いベテラン冒険者だ。
ちなみに、冒険者のクラスは大きくA級、B級、C級の三つに分けられる。
A級が一流、B級が一人前、C級が駆け出し、もしくは落ちこぼれである。
A級のさらに上にS級と呼ばれる連中もいるが、わずか12人しかいない超一流だ。
カイはC級冒険者だった。――30年間ずっとだ。
カイとケントは幼馴染で、一時期パーティを組んでいたこともある。
尤も、ケントはすぐB級に昇格し、綺麗な奥さんを迎えたのを契機に引退して冒険者ギルドの職員になっていた。15年ほど昔の話である。
もちろんいい奴なのだが、綺麗な奥さんと可愛い娘を2人授かり、ギルドでも程々の地位で安定した生活をしているケントと、いつまでもC級冒険者でエロ本を物色している独り身の自分を比べると、カイは少なからず惨めな気分になる。
婚活も30連敗から先は数えていない。
陰では『甲斐性無しのカイ』なる二つ名を持っているほどだ。
ちなみにこの国では少子化対策の一環として、未婚の成人は相続権を制限されるため、よほどのハズレ物件以外は大概結婚できる。とされている。らしい。
だからほんの少しトゲのある口調になるのは仕方ない事だろう。
「で、何の用だよ。わざわざ探しに来たんだろ?」
人間の世界は四方を四人の魔王の領土に囲まれた緩衝地帯として生きながらえていた。中央には帝国があり、その周囲に大小様々な国々が犇めいている。
ジャイド王国はその極東に位置する小さな王国である。
冒険者ギルドがなければ国防すらままならないほどであった。
デルッタはその第二の都市だ。
当然、冒険者もギルドも多忙である。
昼日中からギルド職員が制服のまま用もなく街中に繰り出すのは考えられなかった。
ましてカイがいるのは本屋二階のエロ本コーナーである。
リア充が偶々立ち寄る場所ではない。
ちなみにエロ本と言っても、木版印刷――つまり二次元である。
王都の貴族様は念写スキルを用いた高価な一点ものをお持ちらしいが、そんなものは庶民に手が出る値段ではない。
「ん? ああ。」
ケントは珍しく少し言い淀むと、小声になった。
「おまえら、本気であの依頼受けるつもりか?」
◆
予想外の問いに、カイは内心舌を巻く。
ケントの言う『あの依頼』を受注したのはついさっきなのだ。
ギルド職員とはいえ、全ての依頼を把握しているわけではない。
普通は、自分が斡旋した依頼だけだ。勿論この依頼はケントから紹介されたものではない。
つまり、担当者以外にまで注目されている依頼ということだ。
カイは万年C級冒険者だが、彼の所属している冒険者チームは期待の注目株だった。
カイは素知らぬ顔で問い返した。
「なんだよ? 心配してくれてるのか?」
「そういうわけじゃねえけどよ。分かってんだろ? ガキの無茶を止めんのも大人の仕事だぞ?」
「勝算はあるし、引き際を間違えるつもりもないさ。それに、他に可能性のあるチームはないだろ?」
「まあ、確かにそうなんだけどよ……」
――事の起こりは1ヶ月前。
行方不明者の調査依頼が張り出された。
それだけならよくある話だったが、依頼を受けた冒険者チームの1人が遺体で発見されたとなれば話は別だ。
それに、時期が悪かった。