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第2話 柊一の過去

 それからの私たちは、各地を転々としながら商売を続けていた。


 始めの頃は、毎日毎日が新しいことだらけで、自分の世界がいかにちっぽけであったのか思い知らされた。


 どこまでも続く道、違う世界に迷い込んだかのような町、顔のそっくりなおじさん、とっても小さくて可愛らしい犬、不思議な壺、どれもが私が今まで知らなかったものだった。


 そんな旅を続けていたある日の村でのこと、


『吉乃もだいぶ商売上手になったんじゃないか』

『柊一が下手すぎます。

あんな無愛想な顔してたら誰もいらっしゃいません』

『良いものを売っていれば、人はそれを分かるものさ。俺が持ってきたものを大事に使ってくれればそれで良い』

『もう!お金が無くなったら食べていけないんですからね!』


 柊一は、行商人をやってはいるが、儲けようという意識が低いようであった。

 嫌な思い出があるのかあまり昔のことを多くは語らないし、私も踏みこむつもりが無いため、3ヶ月ほど一緒に過ごした今でも分からないことはたくさんある。


『よお~。柊一でねぇか。またこっち来てたんだな~』


 柊一は本当に顔が広い。

 こんな小さな村でも知られているのだ。畑の中からこちらに手を振っている男に向かって柊一が答える。


『権三さん、こんにちは。相変わらず畑仕事に精が出ますね』

『この時期は忙しくてな~。どうだ、今年も手伝ってくれんか』

『ちょうど今日は店仕舞いしようと思っていたんです。お手伝いします』

『すまねぇな~』

『お構いなく。畑仕事は好きなんです』

『ところで、横にいる子は柊一の奥方かい?』

『吉乃は商売仲間だ。3ヶ月前から一緒にやってるんです』


 柊一は、私の頭をわしゃわしゃしながらそう答えた。


『まあお前さんのことだ。

何か事情があるんだろう。

女子にはちと辛い仕事だ。あっちの軒下で休んでると良い』


 そう言われた私は、軒下で延々と続く大根の収穫を見ていた。

 柊一のやつ。

 陸奥を旅している途中で妙に急いでいると思ったら、どうやらここへ来るためだったようだ。

 嬉しそうに汗を流す柊一を見ながら私はそんなことを思った。


 日が暮れ始めた頃、2人は仕事を終えた。


『毎年ありがとな~。

ウチには子供がおらんでな。

こうしてお前さんが手伝ってくれると、息子がいるようで・・・。

あぁ、すまんすまん。

老人の小言だと思って聞き流してくれ。

それよりも、どうだ。

今年も俺の大根を食べていくんだろ?』

『権三さんの大根はいつも最高ですからね。

毎年楽しみにしているんですよ。

ご馳走になります』

『お~い。お百合~。この2人の分のご飯も作ってくれ~』


 そう権三が言うと、家の台所で女性が答えた。


『はいはい。

もう皆さんの分を作っていますよ。

居間でもうしばらく待っていてくださいね』

『そういうわけで、まだ少しご飯ができるまで時間があるから、自由にくつろいでいてくれ』

『ありがとうございます』

『あ、ありがとう、ございます』


 食事を終えた後、私たちは軒下で並んで空を見ていた。


『吉乃。丸い満月は好きか』


 ふと、柊一がそんなことを言った。


『そんなこと考えたこともありませんでした。

まあ、どちらかといえば好きです』

『月は、満ち欠けを見れば、今がいつなのか分かる便利なものだ。このまま四角にならなければいいな』

『月が四角に、ですか。確かにそうですね。

欠け方と暦がどうなるか分かりませんし、どこかに角ができる姿は穏やかでなく美しくないので嫌です』

『じゃあ吉乃は四角より丸いのが好きか』

『そうなります』

『物を売ることにも役立つことだが、1つ、忘れてはならないことがある』

『なんでしょうか』

『季節の移ろいと女の心変わりは早い』

『なんですか。それは』

『満月に見えている月も刻一刻と形を変えている。でも、今日が満月だと思った人は、その日一日中月を満月という言葉で片付ける。

変化しているのに固定的な価値観で物を見てしまっているんだ。

気付いた時には、四角になっているかも知れないのに』

『柊一はたまによく分からないことを言いますね』


 2人で話していると、後ろから声がした。


『柊一さん。

いつも権三を手伝っていただいてありがとうございます。お団子を作ったので、どうぞお食べになってください』

『ありがとうございます。

どうして月と団子ってこんなに良く合うんだろうな。

もしかすると、お互い丸いもの同士仲が良いのかもな』


 風が気持ちいい。

こうして軒下で2人でいると、自分たちがとてもちっぽけで、それでいて何か暖かいものに包まれているような、そんな気がした。



 伊勢から近江に向かう道中で、馬を押しながら前を歩いていた柊一が突然消えた。

 一瞬何が起きたのか分からなかったが、足元に目を下ろしすぐに分かった。倒れたのだ。


『柊一!』


 私は突然のことに動揺し、叫んだ。


『だ、大丈夫だ。ちょっと、目眩がした、だけ。すぐに、起き、あがる』


 苦しそうな顔で起き上がろうとしたが、その足はぎこちなく、またすぐに倒れ込んでしまった。額を触ると高熱が出ていた。

 すごい熱だ。早くなんとかしないと。でもどうしたら。


『柊一、ここで待っててください。今、水を汲んできますから』

『いや、この、先に、小さな、村がある。そこに、行こう』

『この先ですね。承知しましたから柊一はおとなしくしててください』


 こんな柊一は見たことが無い。不安な気持ちを抑えながら、私は馬に柊一を乗せると、急いで村に向かって走った。


 しばらくして村に着くと同時に村に響き渡るような声で叫んだ。


『すみません!お医者さんはいませんか!病人がいるんです!助けてください!』


 1番大きな家から出てきた人が手招きして言った。


『病人を連れて入れ』

『お願いします』


 布団に横になった柊一は意識が朦朧としているようだった。

 診察されている間、私は気が気でなかった。

 今まで誰かのことがこんなにも心配と思ったことは無かった。


 自分の心臓がドクドク脈を打つのが分かる。


 神様、私はどうなっても構いません。だからどうかお願いします。柊一を治してください。


***


 ーーー消え入りそうな意識の中で、必死にこちらを見ている少女がいるのが分かった。


『すぐに良くなるさ。そんな悲しそうな顔をするな。吉乃は、笑顔が可愛いんだから』


 そうして言葉に出そうとした時には、目の前が真っ白になっていた。



『柊一。遊びましょ』

『花奈か。どうしたんだよ急に』

『私が急に誘ったらいけないの?

それよりも早く町に行きましょう。

さっき大道芸人が町に来てるって聞いたのよ』

『待て待て、そう引っ張るな。支度をしたら行くからさ』


『ーーー待たせたな』

『ほへー、なんか柊一かっこよくなった?

こないだの元服の儀の時から私の知ってる柊一が急に大人になったような気がするよ』

『仕方あるまい。

花奈も13歳で我と一緒ではあるが、その所作はまるで子どものようであるからな』

『ふふ、何その話し方。変だよ』

『笑うなよ。

しかし成人って何なんだろうな。

俺自身が何か変わった訳でも無いのに、みんなが俺を成人扱いする。

なんで成人なのにしっかりしていないんだ、なんで成人なのにこんなこともできないんだってさ』

『珍しいねー、ほのぼの生きている柊一くんがそんなことを言うなんて。

そりゃ成人になったら急にしっかりできる訳ではないよ。大きく変わっていないんだから。

成人になる前日の1日と今日1日で成長できる量は一緒。

でも成人をきっかけに自分を見直したり、成長の糧にできれば、それは大きな一歩だし、人から見れば変わったように思われるかもしれないね。

私はこの年になって急に自分よりも他人のことを気にかけるようになって、ちょっと良いところ見せなきゃなって思うようになったよ』

『………。』

『どうしたのよ、そんな固まっちゃって』

『いや、花奈がそんなこと考えてるなんてな。急に大人びて見えるよ』

『ふっふっふ、季節の移ろいと女の心変わりは早いのよ。

だからさ…柊一、早く私をもらってくれないとどっかに行っちゃうかもしれないんだからね』

『はいはい、そうだな』

『はあ………。あっ。見て。人が集まってる。きっとあそこよ』


 ………小さい頃の夢。

 花奈、あの時見せた暗い表情が頭から離れない。

 俺が少し手を伸ばせば、なにか変えられたんじゃないか。

 そんなことを考えても、どうにもならないことは分かっている。


 ただ、今となっては、素っ気ないような態度を取ったことを後悔している。

 それが信頼するからこその態度であったとしても、時に人は思い違いをする。



***


『………ち。……いち。柊一!』


 俺を呼ぶ声が聞こえる。

 この声は、吉乃か。

 こんなに大声出して何事だ。


『いったいどうしたんだよ。そんなに叫んで』


 俺がそう言うと、吉乃は豆鉄砲でも食らったかのように目を丸くしてこちらを見ていた。


『えっ…柊一!!!良かった。本当に良かった………。目が覚めたんですね。とっても心配したんですよ。今ご飯を作りますね。いや、その前にお水ですか。ああ、お医者様を呼んで来なくちゃいけませんね』


 ああ…俺は何をしていたんだっけ。

 吉乃と近江に向かう途中に気分が悪くなって、えーっと…上手く思い出せない。

 考えていると、吉乃が言った。


『柊一が急に倒れたんですよ。

それでこの村に駆け込んでお医者様に診ていただいたのです。3日間眠ったままだったんですから。今呼んできますから、お医者さんが来るまで安静になさってくださいよ』


 そうか。俺は倒れたのか。


『吉乃がここまで運んでくれたのか。すまない。迷惑かけちまったな』


 そう言うと、吉乃は首を振った。


『迷惑なんかではありません。

柊一は私を数千里、いえ、もっと遠いところまで私を運んでくれたのです。

もし、あの時に柊一が私を連れ出してくれなければ、今の私はいないのですから。

こんな時に言うのは照れくさいですが、私はあなたにとても感謝していますよ。柊一』


 吉乃は本当に照れくさかったのだろう。

 少し顔を赤らめながらにそう言った。


『別に俺は何もしていないよ。

吉乃を誘ったのだって花………。』


 おっと、いけねえ。

 さっき見た夢のせいか。

 あいつのことは、もう忘れようと決めたのに。


『柊一?か?何ですか?』

『あー、あれだ。稼ぐには看板娘が必要だからな。実際1人で売ってた時より売れてるよ。ありがとうな』

『何かごまかされた気がしますが、どういたしまして。どのような理由であれ、柊一が恩人であることに変わりはありません』


 そう言うと、吉乃は外へ出て行った。


 恩人、か。

 花奈にとって俺はどんな存在だったのだろう。

 親友か。他人か。恩人か。悪人か。

 

 あー…眠いな。


***


『柊一は、大人になったら何をするの?』

『俺の家は花奈の家のように名の知れた家でも無いからな、親父のように商売して暮らしていくよ』

『それで柊一は楽しいの?』

『花奈には分からないかもしれないけど、楽しいか楽しくないかっていう話じゃないんだ。

今まで剣術に覚えは無いし、お金にも余裕が無い。そんな状況じゃ選択肢なんて限られてるんだよ』

『私はそうだとは思わないよ。

美濃の斎藤家や堺の小西の噂を知ってる?

詳しいことは分からないんだけど、世の中には貧しい物売りだった人が守護代になったり、大名になったりしている人がいるんだって。

自分の境遇に甘んじてる人間は、自ら道を閉ざしているんだって、よく父上が言ってる。

もし、柊一の環境が変われば私が…ううん、とにかく柊一には色んな道が広がっているって私は思うよ』

『花奈の言うことも正しいかもな。

ただ、自分の境遇に甘んじている人間の人生が必ずしもつまらない訳じゃないしな。

俺は俺なりにやっていくよ。』

『それじゃあダメなの!』

『え。いったいどうしたんだよ?いつも変だけど今日の花奈はより変だぞ』

『なんでもない!』


***


 吉乃が医者を連れて戻ると、柊一は布団に横たわったままだった。


『柊一。今お医者さんを連れて来ましたよ。起きてください』


『待てよ!』


 柊一が急に叫んだのを見て、目をぱちくりしながら吉乃は言った。


『大丈夫ですか。そういえば、先ほど起きる前も少しうなされていたようでしたが、悪い夢でも見ていらしたんですか』


 今の状況に柊一は気づいて言った。


『あ…ああ、昔の事をちょっとな。なんでもない、もう関係のないことだ』


 今まで柊一が取り乱したところを見たことが無かった吉乃は、なんでもないはずが無いとは考え、問い正そうとしたが、やめた。

 人には聞いて欲しく無い事がある。


『そうですか。それなら良いのですが』


 吉乃がそう言うと、今度は隣にいた医者が言った。


『見たところもう大丈夫であろう。3日間眠っていたことで身体が鈍っているかもしれないが、すぐにそれも良くなる。あまり無理をしないことだ』


 そう言うと、医者は出て行った。

 その後、2人の間でどこか気まずい雰囲気があって、沈黙が続いていたが、少しして柊一が話を切り出した。


『さて、また権三さん家に行こう。俺が倒れたのはきっとあの思わず顔がほころぶ大根が不足していたからだろうさ』


 そう言った柊一はいつもの柊一のようで、でもどこか悲しみを抑え込むように力を振り絞っているような、そんな風に思えた。



 そうして、柊一とまた権三さんの家にやって来たのだったーーーーーー。

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