人のための柱たる家
道の上を車輪が回る。
カーライルさんが言っていた通り、確かに馬車はさっきまで使っていたものよりも揺れながら私を運んでいく。
なるほどこれが技術を詰め込んだ馬車と普通…いや、貴族用馬車の違いなのだなと、自分用に準備してもらった馬車と比較する。
職人さんに無茶をさせてはいないだろうかとどきどきしてしまうくらい、私の乗っていた馬車は相当揺れが軽減されていたことがわかる。お金の流れが怖い。
今乗っている馬車はと言えば、揺れるとはいっても椅子はいい塩梅に柔らかく衝撃を和らげてくれているし、心地よいくらいだ。さすがは貴族の馬車。
私もこのくらいで全然かまわないように思える。
なんたってこの体は女神様が作りたもうた聖女の体だし、三半規管も強いんじゃないかなって勝手に思ってる。だって、女神様が作ってくれたんだし。大事な事なので二度言いました。
心配そうな視線を向けてくるカーライルさんに、大丈夫そうですよ。と笑いかければ、ほっと安堵の吐息が聞こえた。
「さて、馬車の乗り心地よりも本題に入りましょう。」
私たちのやり取りを見送ったアレクシスさんはさっくりと本題へと移っていく。
「先ほどの使者は服装でわかるかと思いますが、ディオールジュ家の者です。」
と、わかってると思いますがって前置きされて言われる家名。
ディオールジュって…あれ…
一瞬で乾いた笑みが浮かんでしまう。
そんな私の顔を見やるアレクシスさんは、表情を変えることなく瞬きを繰り返し、口を開きました。
「お気づきではなかったのですか?」
教えましたよね?と、言外に言われてる。言われてるよぉ。
いや、まって、どこで気づけと?
私にはさっぱりわからない。
「星銀灰色と、明けなる青蘭と、お教えしたように記憶していますが。」
「それは教わっていてわかるんですが、星銀灰色がどんな灰色で、明けなる青蘭がどんな青なのかはわからず…」
首をかしげると、アレクシスさんからもカーライルさんからも、失念していたというような空気が流れてきた。
「言われてみれば…色の名前と実際の色が結びついているはずがございませんでしたね。」
「今度全ての色を確認するために、布を注文しておきましょう。」
物覚えが良いからそこまで気づきませんでしたと言われて、ちょっと、いや、とても嬉しくなる。
アレクシスさんに褒められちゃったよ!物覚えが良いって!!
浮きたつ心を必死に抑えるけど口元がどうしても上がってしまう。いかんいかん。淑女の顔をしなくては。と、自力で気を引き締めるよりも先に、またしてもカーライルさんが私を金で殴ってくるので正気に戻る。
そろそろ一度釘を指しておくべきではなかろうか。
「カーライルさん、これ以上は…大丈夫ですから。」
「しかし、ものがなければ把握も難しいと存じます。」
「直接お目にかかる機会があれば、その都度覚えていきましょう。ほら、私自身もっといろいろ学ぶこともありますし。」
と、何とか押し込め押し込めて、何とか頷いていただいた。
他に勉強するべき事柄がたくさんあるのは確かだし。
アレクシスさんにお勉強を教わって3ヶ月とかでしょ。この世界の人間としてはあまりにもペーペー過ぎますから。うん。
ふー恐ろしい。
こんなお金の使い方されても私も委縮してしまう。できればアレクシスさんにも積極的に止めていただきたいんだけど、なぜかお金の使い方についてアレクシスさんがカーライルさんを止めることってないんだよね。
裏側では止めたりしているのだろうか?いや、お茶会の時の様子を思うに、それはないな。
ていうか、おねだりした方が喜ばれるとか言われたばかりだ。だめだ。
もうめちゃくちゃ貢がれていますので十分です。むしろお引き取りください。
どっちもハイソサエティの出身と思われる二人。庶民の私とは違うんだろうけど、できれば止めてほしいと思ってしまう。
内心でっかいため息が出てしまう。
「先ほどアオ様もご覧になった色が星銀灰色と、明けなる青蘭です。どちらも他に二つとない色ですので、そのままの色を覚えてください。」
家庭教師であるアレクシスさんの言葉に大人しく首肯を返す。
星銀灰色の布はちょっときらきらとしたものが角度によって見える灰色だった。そのきらきらが夜空の星の様できれいだった。全体の色の濃さはどこを基準にすればいいかわからない色をしていた。濃い灰色のようにも見えたけど、光の当たり具合では白っぽい灰色にも見えた。そういうところも含めて特殊な色なんだろう。
明けなる青蘭は、普通に濃いめの青だった。ちょっと発色が良さそうな感じもありつつ、藍色にも通じるような青。星銀灰色と比べると特別な色には見えなかったけど、もしかしたら近くで見たら何かあるのかもしれない。
この世界の産業水準はよくわからないけど、星銀灰色の布を思い出すと考えずにはいられない。どうやってあんな色が出来上がるんだろうか?と。不思議なものだ。
貴族に属する者は、その家の色の制服を身にまとっているとアレクシスさんに教わっている。
側仕えも、護衛も、侍従も、それぞれの役割に応じたデザインの服をその家で作っているのが普通だという話だ。そして、その制服は必ず家の色のみで作られている。
家の色は2色で構成されていて、同じ色の組み合わせの家は一つとしてないのだそうだ。そのような理由から一般的な私服は単色または3色以上で作られる。絶対に2色では作られない。
ちなみに、公式の場で着飾る場合、家の色をまとえるのは家長の許しがあったものだけらしい。そこに宝飾品などで別の彩を添えるのだとか。
着ることを許されない色というと、高貴なる色を思い浮かべるけど、この世界にはこの世界のルールがあって面白い。
カーライルさんのお屋敷は、貴族としての物ではなく、大教会の管理者としての物なので、そうしたルールが適用されていなかったのだというのもこの時知った。
教会は貴族とはまた一線を画しており、基本的に政治に参加はしない。国を支える一つのシステムではあるが…という表向きの言い方からして、まぁ、密接に政治とかかわっており、派閥もそれらと関係がありそうだという事は簡単に想像がついた。
と、そんな授業のおさらいはさておき、口を開くのをためらっているようにも見えるカーライルさんが、いつもの申し訳なさそうな顔を私に向ける。
出会ってそこまでたっていないはずなのに、よくよく考えるといつもお見掛けする表情の分類に入ってしまうのがその顔というのは…なんだか私も申し訳なくなる。
「先ほどの者たちは、本家からの遣いなのです。」
改めて、カーライルさんから出る言葉にほうほう。と、頷きを返しながら耳を傾ける。
ディオールジュのご本家。
ディオールジュ家というのは少々特殊なおうちなのだと、アレクシスさんの授業で習っている。
「本家の遣いという事は、ご当主様がまさかいらしてるなんてことない…ですよね?」
ほんと、まさかね?という気持ちでしかない。
なぜなら、ディオールジュ本家のご当主様というのはとんでもない方なのだ。
貴族は、基本的に長子が家督を継ぐことが多く、その下の子供たちはそのまま家を支える役回りにつくか、結婚して他家へ嫁ぐ。その辺りはいろんな物語の中でもよくある話だから特に理解に苦しむことはない。
そして、家が大きくなったり、家督を継ぐ者以外がなんらかの功績を上げ、土地を下賜される等して分家が生まれる。分家は本家に連なる。
本家は分家を庇護することもあるし、分家が本家を支えることもある。
そこは時代ごとに財力や発言力が異なるので、それぞれの家の立場について情報を集めることが肝要ですよと言われたけど、そんなこと私に言われても、それを活用しないといけなくなるのってどういう時なんだろうとぼんやり聞いていた。
まぁ、力関係がどうであろうと、どこの筋の貴族かというのは、その家にとって大切なものらしい。
私が思い浮かべるような血筋がどうのという意識と違っていたのはこの先だった。
この世界でいう血筋とは、この世界の始まりの方のどなたの血が一番色濃いか。という意味だという。
この段階に来て途端に私の理解の範疇から外れ始める常識。突拍子もない話を前に、お勉強中私は必死に話をつなぎ合わせる作業をしていた。
そもそも、私はあまり自分の世界の神話を本気にせず生きてきた。内容は大好きだったので様々な神話を読み漁りはしたけれど。
祖国の大多数に根強かったのは、科学に裏付けられた世界のあり方を正とする考えの方だったからだ。
何もない原子の世界で、水と嵐と電流が単細胞生物を生み、環境適応や他物質の取り込み、世代交代により進化の道をたどり、やがて人類となったという説を真だと思っていた。実際、あらゆる生物が現在進行形で世代交代とともに環境適応できる形に変化していたから、疑う余地もなかった。
だから、海外のとある宗教に属する多くの人にとって、神に作られた男性の肋骨から女性が作られそれが人の始まりであるという認識が正しく、進化論を知らずに生きているのが普通。という生き方は謎でしかなかったのだ。
しかし、この世界はそんな私の当たり前とは隔絶された『当たり前』が横たわっていた。
まぁ、女神様が実際に存在し、この地へ降りていらっしゃるのだから、私のいた場所とは当たり前が違って当然なのだけれど。
この世界のすべての生き物には、始まりの存在。『原初なる方』が存在するのだそうだ。
人もしかりで、全部で何人いるかはわからないらしい。
質問したら、他国の『原初なる方』の事まで知るはずもないと、けげんな顔をされた。うっ…知りたい病と何でも数字にしたがるもとの世界の社会的な癖で、アレクシスさんからそんな視線を向けられてしまった。
あの瞬間の突き刺さるような空気を思い出して古傷が痛むぜ。
この国にも複数人存在する『原初なる方』。その中のどなたの筋が一番色濃いかというのは一族のあり方に強く影響しているし、原初を同じくする他家とは仲良くする傾向があるらしい。
同族意識ってやつだね。と、勝手に納得しかけたが、続く話はそういうものだけではないと語られた。
『原初なる方』の血をより色濃く残そうと思うと、一族外の同じ流れを汲む方と婚姻を結ぶのが一番良いのだと。一族のなかだけで婚姻を続けると奇形の子供が生まれやすくなる事がわかっている。と…
この世界でも、それは同じなんだなと少し不思議な気持ちになる。
私は近親相姦系はノーな人なので、ある意味安心した。
さて、そんな感じで貴族というのは本家と分家間の繋がりが縦で存在し。関係ない家同士でも、原初の方が近いと比較的仲がよく横のつながりが太い傾向にある。そして、貴族の格というのがあり、それが発言力の強弱に関係する。というのが基本の貴族のあり方なのだそうだ。
それを踏まえてディオールジュ家の話がされたのを思い出す。
ディオールジュ家は、カーライルさんの生家でありご当主様はお兄様だという。
知ったときにはこの人はどこまで属性を盛れば気が済むんだろうと遠い目をしそうになったよね。私とは生きてる世界が違いすぎる。
ディオールジュ家の領地はカーライルさんの管理している大教会の影響下にある土地の一番西側の端にあり、山と大きな川と肥沃な平地を持つ大領地だった。びっくりするくらい土地が広く、重要な意味を持つ土地だった。食料的な意味で。
そりゃ国で10指に入るわけですよ。と思ったら、領地以外の理由で力を持っているおうちだった。
カーライルさんの管理する大教会と、それに属する地方教会は神なき地とまで言われるほど長い年月を、祈りの届かないままに過ごしてきた。その間、人々の努力は他の土地とは比べ物にならないもので、そして、どこの家も自身だけの力で領地を守ることは不可能だったという。
そう、それぞれの家だけでは。
祈りが届かなくなり年月を重ねるごとに、多くの家が自分たちを率いてくれる家を必要だと考え始めた。これは、1つの領地だけで起きている問題ではなく、大教会周辺の広い地域の問題であったからだ。
そんな中、それに応えたのがディオールジュ家であったのだという。
途方もない話にくらくらしてくる。
血のつながりも、『原初の方』の繋がりも関係なく、大教会周辺地域の貴族の実に6~7割がディオールジュの傘下に属しているという。そして、土地と民を守るためにディオールジュは技術の向上・情報の共有・教育の充実とそれら全てを傘下の貴族へと惜しみなく与えたという。
え、神様かな。
むしろ、カーライルさんの一族が神様みたいなものじゃないかな?
私なんか崇め奉ってる場合じゃないよ。カーライルさん
目を覚ましてくれ。カーライルさん
あなたの一族の方がよほど素晴らしいじゃないか。
勉強しながら絶叫したくなったけど思い止まったことを褒めてほしい。
さて、多くの貴族を一門の傘下においているディオールジュ家の当主は、総領をも務めているという。今、私を呼び出している方こそ、そのご当主様であり、総領様なのだ。
ナニソレコワイ
そんなディオールジュのご当主様がだよ?
絶対に忙しい人に決まっている方がだよ?
自分の人生に関わってくることなんて、あると思う?
だから、『まさか』と口に出るのは致し方ないことだと思う。
しかしそんな私の『違いますよね?そうですよね?』という気持ちはゆっくりと横に振られる首の動きに否定される。
「そのまさかなのです。」
話を聞きながら、帰っちゃダメですか?って言わないように自重するので精一杯だった。
そんな私の気持ちなんて置き去りに、馬車は駆け足で目的地へと向かっている。
道は1つで万一にも迷うことはない。
そもそも、このハイソサエティの中でもきっとべらぼうにできがいいだろう方々が道に迷うような愚を犯すなんてありえないだろうしね。
あぁ…
後見人の本家で、多くの貴族と土地を守り支える人のための柱たる家のご当主様がこの先で待っているなんて、どういう試練だろうか。
何を話したらいいか全くなにもわからないよ。
もうどうにでもなーれ☆
瞬間的に抱いたのはそんな気持ちだった。