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約束の結び


 一人きりになったサロンで、私はそっと部屋の中を見渡した。

 太陽は傾き、庭を赤く染めている。

 光の射さなくなった部屋の中は外と比べてずいぶんと暗い。

 お茶会は、皆さんに楽しんでもらえた様で本当に良かった。

 内心、とても不安だったのだ。

 他の誰もが、うまく行くと信じている。という風情で当たり前のように手を貸してくれたけれど、私なんて、この世界に来てからずっとただお世話になるばかりで、このお屋敷の中で安穏と過ごさせてもらっているだけの身なのだから。

 それが、たくさんの人の力で、こうしてちゃんと形になったものを皆さんに提供できた。私の手柄ではないけど、楽しんでくれた人がいるなら、この一歩を踏み出した事を正解だと思える。

 ただ…本当に、ここの人達はとても優しくてたまに怖くなる。

 この優しい夢が覚めるのが怖い。


「だめだめ。そういうのは。勝手に不安になってちゃダメ。」


 ペチペチと自分の頬を叩いて、急速に不安に傾いていく自分の心に活を入れる。

 人の気持ちを勝手に推測して不安になるなんて、失礼にもほどがある。わかってはいるけどなおせない自分の悪い癖。

 頬に当てていた手をはずすと、私は部屋の中をゆっくりと歩き始めた。

 試食のために並べたたくさんのケーキを乗せていた大きなお皿の綺麗な模様が、主役のケーキがきれいになくなった今よく見える。

 必要になるはずと、壁際に設置した冷やした紅茶と、レモン水。

 目立たないところに休憩用の椅子も設置しておいた。

 用意してもらったきれいなテーブルクロスには飾り紐やいくつもの石。

 壁にかけた布も、カーテンも、きれいなドレープを作り、空間を彩っている。

 窓際にたどり着き、ただ、胸に溢れる感謝を素直に浮かべると、部屋の中に光が射し、明るくなった。

 神様への祈りが何であるか、何となくわかってからは、今は気持ちを押さえておこう。と、高揚する心を留める事が増えていた。

 それが良いことかはわからないけど、今はそれを押さえる必要は無いだろう。


「今晩は。神様」


 私は、このお屋敷で教わったこの世界の淑女の礼を、最大限美しく見えるよう指の先、爪先までも気を付けながら神様へと捧げた。

 顔を上げ、更に心の底からの笑顔も、感謝と共に捧げる。

 神様への祈りの作法とかが、他にあるのかもしれないけれど、この世界で覚えた、この世界の所作だからいいのだ。と、私が決めたそう決めた。

 この世界に来て、神様と出会って、こんなことをするのは初めての事。

 けれども、私は、この感謝と共にこの世界で私が手にしたものを、教わったものを、神様へと捧げたいと思ったのだ。

 その気持ちが伝わったのか、目が合うと、珍しくも神様も楽しげに笑ってくださったのだ。微笑んだのではなく、笑ったのだ。それは、感情の発露としての笑み。

 それが嬉しくて、眩しくて、私は目を細めた。

 どくんと鼓動が強くなる感覚が心地よい。

 ゆっくりと、神様の手が、私の頭にぽふりと落ちてきた。

 神様の手は、とても大きくてしっかりした手だった。

 安心感に、体の奥からポカポカしてくるようだ。


「珍しいものをくれるものだ」


 私の礼の意味を、神様は正確にわかってくれたらしい。

 頭の上の大きな手に少しくしゃくしゃと髪を乱されながら、私はふふふと笑って口を開く。


「この世界で得たものを神様に見せれたらと思ったので。」


 ふわりと手が離れていったので、私はまた上を見上げた。

 その先にあったのは、私を見守り包み込むような輝きとどこまでも続く深い瞳。

 あぁ、この相手は神様なんだなと、心底思った。不思議な心地だ。

 私には、特別な力も、聖なる力なんてものもない。

 ましてや、この”祈り”なんて、私のものとは言いがたい。

 今日こうしてお茶会が成功した様に、この祈りだけじゃなく、私が今こうして生きていること全てが、お屋敷にいる一人一人の、カーライルさんの、アレクシスさんのお陰で在るのだ。

 そうして生かされているこの世界への感謝が、生きるこの世界への賛美が、神への祈りであるなら、この感謝がこの土地の人に還っていくものであるなら、私はなんて幸福な生を女神様に頂いたのだろうか。そして、同時に心が痛む。

 のんべんだらりと過ごしたり、優しく守られる事への後ろめたさを感じたり、只人でしかない自分へかけられる期待というプレッシャーに逃げ出したくなったりもした。

 そういう事をぐるりと一巡りして、自分に何かあるんじゃないかと思いたくなったりして、それでもこの祈りは、”私の力”ではないのだと知る。

 だってほら、天の扉が開き、光が柔らかく私に降り注ぐ時、私は世界に生かされてここにいるのだと実感する。

 体の芯が熱くなっていく感覚に高揚する。


「地から天の扉が開く様を見る日が来ようとはな…」


 光の貴公子の驚きの混じった声は、珍しく私ではなく天を見つめながら紡がれる。

 神様でも驚くことがあるのだなと、そんな事に驚くも、降り注ぐ光に高揚していき、どんどん心が塗り変わっていく。

 何故なら私たちの目の前には、女神様の光が降り注ぎ、その麗しいお姿がゆっくりと光と共に降り立たれたのだ。


「この様な光景は、初めて見た。」

「あたくしもよ。本当に、あなたはあたくしの聖女なのねぇ。」


 地上に翻る光の束のような髪が金の草原を思わせ、天に後光のように広がる髪の揺らめきが雲の海原の様。

 いつかどこかのアニメや漫画で見たような美しい光景だが、見たことのあるどんなものより美しい。

 うふふと笑う麗しいお姿、美しいお声。

 目を眇め、口角を持ち上げ、女神様は柔らかな手でご自身の頬を包み嬉しげに私を見てくださる。


「お久しぶりでございます。」


 光の貴公子は、恭しく目を伏せつつも、女神様へと気負わぬ言葉をかける。

 大仰な所作ではないが、小さな動き一つすら美しく、その神々しさは神話の一ページ。

 光の貴公子は頭こそ下げないものの、女神様を自分の上に立つお方として絶対の確固たる思いをその胸に抱いているのだと分かる色をにじませている。


「えぇ、久しぶりねぇ、頑固者。あたくしの言葉の意味を、あたくしの聖女がその身でもって伝えた事、よぉく刻んでおきなさい。」

「重々承知してございます。」

「…私が?」


 お二方の会話に、恐れ多過ぎるので慎ましやかに言葉は挟むまいと思っていたはずの口が、つい、ゆるっと、言葉を突き出してしまった。しかし、あんまりにも驚かざるを得ない言葉だったものだから…。

 反射的にしでかしてしまったと言葉を発した直後に思い、緊張で頭が真っ白になった。

 瞬きもできず見つめる事しかできず、視線の先におられる神なるお二方は、揃って私を見下ろし、ゆるりと包み込むように笑った。

 そして、先に唇を開かれたのは神様だった。


「これからも人の子であるなら、知らないがよい。」


 深い瞳は、空のように、海のように、果てしない。

 飲み込まれそうだと、足元が歪みかけた時、その瞳がゆっくりと、一度閉じられ、また私を見た。


「あたくしの聖女、”神も人も互いを忘れてはならない。”その事だけ、この世界で忘れずにいてちょうだいね。」


 女神様のその言葉が何を指すのか、そんなの、決まっている。

 カーライルさんに教えて貰った人と神の繋がり。

 でも、この世界の人々は、私の世界と違って神様が居るのが普通で、疑う余地もない存在として知っているというのに、なぜ?

 わからないが、その方がいいのかもしれない。

 私は人で、お二方は神様。

 からからに干上がった口の中。

 それでも、無理矢理に集めた唾をごくりと飲み込み、すぅっと息を吸い込む。


「女神様にお会いしてから、忘れた事なんてありません。忘れられません。こんなに麗しい存在を、讚美せずにいられるはずもないのですから。」


 女神様はうふふ。と、嬉しそうに笑ってくださり、光の貴公子は静かにこくりとただひとつ首肯をくださった。


「あたくしの聖女。あなたの言葉はいつでもあたくしに真っ直ぐ届くわ。あなたの心のままの讚美だと、あたくしにも分かる言葉。だからこの頑固者にも届いたのね。真っ直ぐでとてもよく分かる。」


 届く言葉が、こんなに嬉しい。

 心が暖かくなる。

 その暖かさに押されて、私はもう一度口を開いた。


「あの、女神様。」

「なぁに?あたくしに願いたい事があるのかしら?」

「いえ、そうではなくて…私、以前に神様としていたお約束がありまして。」


 そう、約束がある。

 一方的に結んだ約束。

 この世界で私から、神様へ見せられるものは少ないけれど、それでも、これが、女神様や神様に生かされている私にできる今見せられる精一杯だから。

 どうか、受け取ってもらえたら嬉しいと、心の底から思うのだ。



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