少女漫画はよそで頼む
意図的に神様を呼ぶなんてはじめてだったけど、呼べるものなんだなぁとちょっと感じ入ったそんな夜。これに慣れたら呼べなくなるんだろう。そして、女神様の願いを叶えられなくなる。
それは、やだなぁ。
神様を見送って、少し月を見上げた。
感動したことを、感謝を、その綺麗さを、忘れないでいたい。もし叶うなら、忘れない自分でいられますように。
何せもう腐った思考の女子になって半生以上過ごしてしまった後なんだ。
せめて、せめて、せめてもの!聖女といわれる要素を!持ち続けたい!心のそこからぁぁっ!
清らかさとはほど遠すぎる私のこんな叫びは絶対に神様に言わないけど、月と星に願いをかけてから私は部屋に戻っていった。
部屋には侍女さんが着替えと入浴のための準備を万端にして待ってくれていた。
「お待たせしました。」
にこりと、淑女教育の笑顔を浮かべて、私は可愛らしい侍女さん二人の顔をそれぞれ見た。
気づいたけど、淑女教育って、腐った自分を隠すのに最適なスキルつけられるやつやん?
かわいいお嬢さんたちにげへげへしたらやべぇって思って、制服とか髪型とかお顔とかガン見しないように意図的に避けてきた私だよ…まあ、拝まれたくないのと理由半々でしたが。
アレクシスさんすみません。
あなたの努力は、別の意味でもとても役にたちそうです。
月から太陽に時間が移り変わる少し前、私は久しぶりにこっそりと部屋を出てみた。
身に付けたのは簡素なワンピース。まだ暗い時間なので、朝焼けに染まり始める夜空のような暗く濃い紫色を選んだ。髪色が目立つことは重々承知しているので、こっそりストールを頭から被る。
ひっそりと屋敷内を移動して外へ、庭から林の歩道を辿る。
一晩経ってちょっと冷静になれたが、寂しいのなんて当たり前なんだよなぁ。前の私だって寂しかった。親とか、過去とか、そういうのがあっても、やっぱり寂しかった。
今回は…たまたまそれを唐突に思い出してしまって、動揺してしまった。それだけの事だ。
たぶん私は、生きてきた中で一番寂しくない時間をもらっていたんだ。それに気づかずにいたから、ビックリしたわけだ。
自分に起きたことを流れの順におっていけばなんてことはない。
甘えてたってことだ。
「もっとちゃんとしないと。」
そんな独り言を徐々に昇る朝焼けに投げ掛ける。
祈りだって、もっと早く突き詰めてれば条件に気づけてたはずだし、常識はまぁ必要だけど、収入を得るなら聖女としての力をもっときちんと考えて道を敷く努力もできたはずだ。
「この様な時間にお散歩とは、どちらの家の方かお伺いしてもよろしいだろうか?」
ゆっくりと歩いていた林の中、知らない声がして、私はビクリと肩を跳ねさせた。
「この林はディオールジュ家の敷地内とうかがっているが…」
こ、これは、絶対に、あれだろ。
騎士様。
この敷地内に今いる人の中で私を知らないのなんて、騎士様しかおらんやん。
近隣住民で私を知らない人なんて居ないってレベルの知名度誇ってる事くらいは自分でも知ってるんだわ。
震えそうになる手を胸の前でぎゅっと握りしめてからはっとする。今私は頭をすっぽりと布で覆っている。お陰で声の主には私の特徴が見えていない。
どうにか逃げ帰ろう。会話をしてはならない。
すごく爽やかで軽やかでずいぶんと誠実そうな話し方をされる素敵な声だけど、振り返ったら負けだ。
私は知っているだろ。この世で一番ド性癖な声が天然で存在してるのを!あの声を思い出せ。そして、振り払うのだ。
たとえジャンルは違えど、若さと爽やかさでぶんなぐってくるこの声に、興味本位で顔きになるーとかやってはいけないんや。ちくせう。声豚にはめっちゃつらい。
「あの?」
返事をしない私に怪訝な声がかかり始める。
あ~心配そうな色をにじませないで!声かっこいい!!
しかし足音はしない。むやみやたらと距離を詰めようとはしない辺り、ちゃんと紳士なんだろう。
「も、申し訳ありません、知らない男性とお話するのはわたくし…」
必死に出した声は、緊張で震えてしまう。うぅ…情けない。口調だけは淑女頑張りましたよ。先生。心の中で家庭教師に褒めてくれと呼びかける。
パキン
と、小枝が折れる音がして、一歩近づかれたとわかり、私の全身に緊張が一気に突き抜ける。
「ご、ごめんなさい失礼します!」
瞬間、何も繕う言葉が出てこず、私は即座に自分の出せる最速で勝手知ったる林の中を突っ切った。
スカートはやっぱりだいぶ走りにくい。
できれば頭のストールは落ちてほしくないから、そっちを押さえるので私の両手は精一杯だ。
残された騎士様が何を思ったのかはわからないが、とにかく会話だけは回避できた。最善策等わからない。でも、三十六計逃げるにしかず。である。
屋敷にたどり着き、できる限りの全速力で玄関ホールへ飛び込むと、ボフンと、なにか…ではなく、誰かにぶつかり、反動で後ろに重心が傾いだけれど両肩を支えられ事無きを得た。
「ひゃっ」
「っ!」
思いきり飛び込んだせいで顔面…特に、鼻がちょっと痛い。視界は誰かの胸辺りの布しか見えない状態だけど、焦る思考にふんわりと以前に嗅いだことのある香りが入ってきた。
水のような爽やかな香り。
すこし消毒液っぽさもある印象のそれは、だいぶ前の事だけれど、私への気遣いと一緒に全身を包んでくれたものだ。
そろりと半歩離れて見上げると、ぽかんとしている青い瞳とまっすぐ視線がかち合う。予想通り、カーライルさんであった。
「聖女…様…?」
「か、カーライルさんすみませんっお怪我はありませんか?」
思いきり突っ込んでしまったから、手とか引っ掻いたりしていないだろうか。顔面をぶつけた胴体は、痛んだりしていないだろうか。
「それはこちらの言葉ですよ。どこか痛めたりされていませんか?鼻の頭がすこし赤くなっています。」
心配そうに上半身を屈ませながら私の顔を覗き込んでくるカーライルさん。あわわわわわ。チカイチカイ。カオチカイ。
「大丈夫です。ここここここれから教会ですよね!?遅くなってしまいますから、行ってください!」
私は顔を隠し、するりとその背に回り込んで背中をトンと、押した。小さくて細い体万歳。小回りすいすいじゃーん。
あまり強く押したつもりはないけれど、カーライルさんの体は素直にその力に従ってすっと移動してくれた。
「では、一度教会へいって参りますので、また朝食の席で。」
「はい。いってらっしゃいませ。」
扉を開き、上半身だけで振り返るその人へ、私は小さく手を振り見送った。
パタリと閉まる扉。それを合図に、また私は急いで部屋へと戻った。いつあの騎士様が来てしまうかもわからない。
淑女教育をかなぐり捨てた私のダッシュに、屋敷中の皆様はさっと両脇へ体を避けて道を譲ってくれた。なんとありがたい。
部屋に飛び込み、扉に体を預ける。さすがにすこし息が上がっていた。
「ふぅ~とりあえずは、会話することにならなくて良かったぁ。」
緊張から解放され、よろよろとソファーへ座り込む。
そこへふっと鼻孔に香りが甦る。
水のような香り。カーライルさんの…香り。
かぁっと顔が熱くなる。
あれ、私、玄関であの香りに包まれたっていうのは、それは…。
相手の胸の辺りに思いっきり突っ込んで、そういえば、両肩に手が置かれていたような気がするよ?私は相手の脇の下辺りに手が行っていた気がする。
あれ?あれぇ?
ドッドッドッドッ
耳の奥ですごい音がしている気がする。
ひ…ひえぇぇ…
だ、だから、こんな、少女漫画みたいな展開は、自分じゃなくていいんだって!最初にかけていただいた上着でもう、ほんと、十分過ぎる程頂いたので、なので、神様お願いですから、私に、少女漫画展開は、お恵み下さらなくて大丈夫です!
は、はずかしぬぅ…。