氷原の貴人
あっと思ったときには、アレクシスさんの体が後ろに吹っ飛んでいったような形で離れていって、視界の端で銀糸が踊った。
「アレクシス、聖女様を害するならお前でも容赦はしない。」
こ…こわ…。
聞いたことがない冷たい声がした。
私は状況を確認しようと、パチパチとまばたきを何回かしてなんとか涙を散らして視界をクリアにさせる。その時には、私の前にカーライルさんの背があり、その向こうでアレクシスさんが裾の埃を払うような仕草をしていた。
状況から察するに、カーライルさんがアレクシスさんを後ろに引っ張り、私との間に立ちふさがってくれたのだろう。
「地が出ているぞ。」
いえ、先程から二人の会話になるとどちらも地が出てたかと思いますよ。ああ、でも、確かに、私の知っているカーライルさんは硬質ながらも暖かかったな。
そうか、冷たい方が地なのか。
髪の色といい、そういう性格(と仮定した場合)といい、こう、氷属性っぽい二つ名とか、つけられてそうだな。
氷原の貴人
みたいな?そう思うとなかなか面白い。
内心そんなことを思って楽しむ私よ、そろそろ現実に戻ろうぜって自分自身に声をかけた。
さて、どんな言葉をかけたらいいだろう?
そもそも、自分が目立つ立場になったり、議題の中心になったっことがないからな。
これだから人生モブキャラは…
と、自分を卑下し始めてしまう私の思考とは裏腹に、クゥゥ…と、体内の音が私に大事なことを訴えかけてきた。
曰く、空腹であると。
「あー…すみません。」
二人の視線が私に集まり、いたたまれなくなる。
ごまかすように笑うが、ごまかせはしない。既に音はコロコロと部屋に転がってしまった後である。
「アオ様の事はある程度こちらも把握できた事ですから、一旦昼食にし、それから私どもの話を聞いていただいてはどうです?」
「言われなくとも。」
かすかにカーライルさんのムッとしたような声から年下みを感じて、これが29才と31才…!と、少しにやにやした。
まーなんというか、実年齢から思えば、二人は年下なんだよな。うん。正直に言おう、大変かわいくていいと思います。
「真剣な話の最中にすみません。」
私はもう一回謝っておいた。
もうお仕事モードと上からモードを被る事は出来なかった。チーン…
「わたくしも丁度空腹を感じていたところです。」
「ちょうどお昼時だ。食事をこちらへ持ってくるよう伝えてこよう。カーライル、鍵を。」
フォローが優し過ぎてまたいたたまれない…。
でも、お心遣いには感謝だ。
カーライルさんが鍵をあけ、アレクシスさんが部屋から出ていくと、また鍵をかける。
「あのぉ…なんで、部屋に鍵を?」
そんなに厳重にしなくとも…と、思ったが、カーライルさんは振り返ってゆっくりと首を横に振った。
「目の前の奇跡が大きすぎて、皆が興奮してしまっているのです。ご不快に思われたら申し訳ありません。」
顔が引きつったのが自分でも分かった。
うおお…私のせいか。でも、祈りを届けるの無意識なんだよね。
女神様なんて、女神さまの美しさと素晴らしさとあと、感動を回想していたに過ぎないわけで。
話しながらソファーへ戻ってきたカーライルさんは、一度かすかに私に微笑みを向け、またソファーへ腰を落ち着けた。
「皆さんの目には、えっと、どのように見えたんですか?」
「一人一人の事まではわかりかねますが、わたくしの目には、ステンドグラスの頂きより真っすぐに強い光が降り、聖女様を照らされておりました。聖女様の御髪が緩やかに波打つように広がって光の中輝き、まるで、天なる方の様で…」
私が神の様な言われ方でひええ…と思う。
「光の中、お姿は拝見できませんでしたが、聖女様の御髪とは別に、波打つ髪が祈りの間へ広がる様なそんな光も見えましたので、恐らくその光の始まりに彼の御方がいらっしゃったのだろうと思います。」
「いつもの神様と違いはありました?」
まぁ、全然違うと私は思うけど。
でも、そもそも神様の姿が見えてないんじゃ、ほぼ一緒に見えている可能性は高い。
「何もかもが違っておりました。」
意外。その一言に尽きる。私はじっとカーライルさんを見つめた。
「光の輝きも、その力強さも、存在も、圧倒的な奇跡でした。民が我を失うのも致し方ないとはいえ…」
あ、また反省モードに入ろうとしている。
どうどう。カーライルさん、どうどう。
「そこの話は、アレクシスさんが戻ったらにしましょう。」
「そうですね。申し訳ありません。」
謝られるのは慣れてないので困るから、そこに行く前に遮っていかねばと、今後の課題を胸に抱く。
「そういえば、聖女様、至上の御方より賜りましたそちらの石は、どうされますか?」
「どう…?」
「宜しければ常に身につけられる様、装飾品に埋め込ませますよ。そのままでは、持ち歩くのも難しいのではと。」
おぉ…さすがカーライルさん。言われてみれば、小指の爪程の小ささ、なくさない自信はない。
「ぜひ、お願いしたいです。」
「かしこまりました。屋敷に戻りましたら、詳しい者を呼びましょう。今は何か入れる物があった方がよろしいですね。」
「…」
席を立ち、執務机の方へ向かう背中を見つめながら、ふと、物慣れた物言いにこの人聖職者というより貴族だったりして?という気持ちが浮かび上がった。
カーライルさんは机の引き出しから何やらとてもきれいな巾着的な袋を取り出して、宜しければお使いくださいと差し出してくれた。私はハンカチに石を包み込み、袋の中にしまいながら考える。
っていうか、普通、この石を装飾品に埋め込んで一点物を作らせるとか、考えないよね。せいぜい自力で何かに縫い付ける程度では…?
ゴクリ…と、相手にわからない様唾を飲み込む私を、探るようにカーライルさんが見ていることに気づいた。
「どうか…しましたか?」
カーライルさんはカーライルさんで美形なのでそんな風にこちらを見ないでほしい。
「聖女様の額…ですが」
「額…?」
女神様がキスをしてくれた場所…やっぱり意識すると照れるなぁ。前髪をさわさわしながら、ひ、額がどうかしましたか?と、どもりながら話を促す。
「至上の御方より賜れた祝福の御印がついていることには…お気づきでしょうか?」
「みしるし?」
「はい、神々が地上のものに直接触れることは稀な事でございます。その上、口づけをされる事など、神話に刻まれた物語がいくつか残っている程度ですが、神々の口づけにて祝福された場所には、その方の神の御印が刻まれるのです。」
なんと…なんということでしょう!?
女神様が触ってくれる事すら本来なら稀な事で、キスなんて神話レベルだと…!?
私の幸運、すべて使い果たしたのでは??え、大丈夫?明日死なない???
「…っ」
あまりの衝撃に口をパクパクさせる私…
コンコンコン
そこにノックの音が鳴り響いた。
「わっ…」
「アレクシスでしょう。聖女様、少々お待ちください。」
私は驚いて小さく声を上げてしまうが、カーライルさんは落ち着き払った様子で立上り、扉の前で外に声をかける。
くぐもっていて返答が何だったかわからないけど、アレクシスさんだったのだろう。カシャンと、鍵の音がして、扉が開いた。
アレクシスさんが入室し、その後ろには恐らく教会の方だろうと思われる服装の女性3名と、1台のワゴンが入ってくる。
しずしずとテーブルの上のティーセットやお菓子が片づけられ、綺麗に拭き清められ、そして、すごくおいしそうなお料理が並ぶ。
スープにサラダに鶏肉のソテー。バスケットにはこんもりとパンが入っていてパン特有の甘く香ばしく優しい香りが立ち上る。
三人分の食事が並べられると、女性はワゴンの上にお茶を作り置きして去って行った。
これでお茶がいくらでもおかわりできるなと、食い意地のはったことを考える私は…だから堕肉が付くんだぞ。って思ったけど、聖女様の体はほっそりしている。女神様にそう言ったもんね。小さくて細いって確かつけてたはずだわ。
パタンと、扉が閉まると、また鍵が閉められ、カーライルさんのため息が漏れた。
「もう少し教会内でも教育を行き届かせねばいけないな。」
頭の痛い…といった風情に、首を傾げた。
さっきの女性はしずしずとお料理を並べてしずしずと去って行ったように思うが。途中お料理がおいしそうでそっちにくぎ付けだったけど。
「アオ様、お待たせしました。」
「いえ、早かったですね。」
「既に昼食の準備には取り掛かっていたので、ここはカーライルが厳しいですから、機転の利く者が多いのです。」
やっぱり優秀なんだ。すごいなぁ。
そう思って戻ってきたカーライルさんを見ると呆れたように首を振った。
「まだまだ、足りない様です。先ほどもチラチラと聖女様を見て…全く、なっていませんね。」
そう…だっただろうか?いやでも、すごい奇跡を見てそれはもうみんな大興奮したその日のお昼でしょ?仕方ないのでは。と、思う私が甘いのだろうか?
「全然気づきませんでした。」
「ご不快では…なかったですか?」
「それよりお料理がおいしそうで。」
食いしん坊万歳。私は心地よく香るパンを早く食べたいです。
「アオ様はカーライル程厳しくない様だぞ。」
喉の奥で笑う声が…かすれ気味ですごい色気を放ってくる。ひえぇ…
もうだいぶアレクシスさんの成分は致死量まで摂取したので、これ以上は供給過多です。無理です。明日にはわけわからなくてよく覚えてないかもしれない!
笑うかすれた音まで私を刺して来るって、もう一体どういうことなの。
「うるさいぞ。アレクシス。では、昼食に致しましょうか。」
軽やかに地を出すようになってきたカーライルさんとアレクシスさんに、段々私も親しみを持ち始めている気がする。2か月も一緒にご飯を食べてきたけど、この食卓が今までで一番楽しく感じられた。
何より、この二人が、お互いに砕けた口調で相手に話すものだから…そこに入る事はできないけど、そういう面も持っているんだなと分かって、一般市民としては心安くいられるというものだ。
一通りのメニューを平らげ、どれもおいしいおいしいと食べた後、またアレクシスさんが紅茶を淹れてくれ、お皿も片づけて頂いてしまった。
手伝いたかったけど、固く、座っててください。と、アレクシスさんに言われてしまったので私は仕方なくお茶を飲んで座っていた。
私、一般市民なんだってば。
心が痛い。