閑話 彩色のない従者
ルドヴァ家は、代々ディオールジュ家に仕えてきた一族であり、貴族ではないが多くの文官や、名だたる学者、騎士も排出してきた一族である。
ディオールジュの一族は、一族直系の子供たちのみに限らず、歴代仕えている一族の子供たちにも教育の機会を与え、育ててきた。そうした恩恵とルドヴァ家が連綿と守ってきた体制があわさり、色彩は持たずともルドヴァ家は人々に知られるほどの一族になっていた。
フェルヴィド・ルドヴァはそうした環境の中で育ってきた。
フェルヴィドには兄弟も従兄弟も大勢おり、それぞれが自分に向いた形でディオールジュ家に仕えていた。それは、騎士であったり、従者であったり、場合によっては直接ディオールジュ家に仕える仕事ではないが、土地の為に必要であると農業や土木建築関係の道を選んだ者もいた。
そんな中にあってフェルヴィドは偶然にもカーライル・ディオールジュという同じ年の直系の子供がいたことで、自然と従者としての道を歩むこととなった。
彼がそれに不満を持ったことは一度もなかったが、他の兄弟や従兄弟たちは時折、それでよかったのか?と問うこともあった。
彼らは、ディオールジュ家の存在が自分たちの行動原理であることに否定的な感情は持ち合わせてはいないが、生き方を選び取る自由をフェルヴィドだけが与えられなかったと、そう感じていた。だからこその問であり、フェルヴィドへの思いやりであった。
しかし、当のフェルヴィドにとって、カーライルとの出会いは運命だった。
誰にもそれを明言したことは無いが、彼にとってその生き方以外考えられなかった。
カーライルは天才で、そして、土地を愛していた。
フェルヴィドは凡人だったが、ディオールジュ家の為に生きたいと思っていたし、そして、やはり土地を愛していた。
彼の傍で彼の為に働くことは、土地の為に働くことと同義であり、ディオールジュ家直系の子に仕えることは、ディオールジュ家に仕えることだった。
そうして幼い頃からカーライルに仕え続けた彼は、カーライルが大教会トーリのイディエに選ばれた際にもその傍らに侍っていた。
天の光が主に降り注ぐ。
か細い糸のようなものではない、人一人をすっぽりと覆うほどの光が。トーリの地では見る事ができなくなって久しい、大いなる光が。
死ぬまでに見ることなど叶わぬと思っていたそれが己の主のもとに降り注いだその光景を、彼は永遠に覚えていようと思った。
それから時は経ち、大教会の仕事とディオールジュ家の仕事のどちらもが当たり前のルーティンになっていった頃、フェルヴィドは人生二度目の光を見た。
これもまた、絶対に見る事は叶わぬだろうと思っていたトーリの地で。
光は屋敷にある部屋一つをすっぽりと覆ってしまうほどで、かつて見た光は足元にも及ばぬほどのものであった。
大教会に向かった主とは別に屋敷で仕事をしているフェルヴィドは、呆然と立ちすくむ同僚や部下には目もくれず、その光の下に向かうと真っ先に光呼ぶ存在へと膝をついた。
ほんの数日前に主が突然連れてきた不思議な色彩を持つ少女、アオの下に。
しかし、それは一生の悔いとして心に残る事となる行動であった。
フェルヴィドが膝をつくと、少女は大きく顔をゆがませたのだ。
凡人だと自身で思っているが、実際は優秀なフェルヴィドである。間近に見たその顔から瞬時に、彼女にとって望まない事をしてしまったのだという事を悟った。
少女はとても美しい人だった。大きく表情を変えることは無い人で、けれど、かすかに笑みを浮かべる様からとても控えめな性質なのだという事がわかる人だった。
そんな少女が大きく表情を変えるほどの事をしたのだ。
謝罪をと思ったが、フェルヴィドが次の行動に移る前に彼以外に部屋の近くにいた従者や侍女達が部屋の入口で陶然とした表情で膝をついていくのが視界の端に映った。
いけない。そう思ってからのフェルヴィドの行動は早かった。
カーテンを閉め、そこに集まった面々に仕事に戻るように言い、扉を閉め、硬い顔をした少女へと向き直った。
少女は何を言われるのかと肩や腕を強張らせて半ば逃げ腰になっていた。
「あまりの出来事に私含め、屋敷の者一同望まぬ事を致しました事、大変申し訳ございません。しばしの間、このお部屋は私が扉を守らせていただきます。」
緊張で張り付く喉で何とか言葉を紡ぎ、礼を取り続ける。
先ほどの表情から、拒絶されることも考えられる。その想像にじりじりとした感触が背中を上ってくる。それが決壊するよりも先に、さらりとした衣擦れの音がした。
「宜しくお願い致します。」
「…!」
姿勢を戻しぴんと背筋を伸ばして少女を見れば、見たことのない姿勢で顔は伏せられていた。
腰から上をすっとおろされたそれは、知らないものではあるもののしっかりと身についた礼儀に基づいたものであると分かる洗練された所作であった。
先ほどはあんなにも顔をゆがめていたというのに、そんな風に礼を尽くしてくれるとは思わず、また、あれほどまでに拒絶を露わにした表情だったというのに、きちんと言葉を聞き届けてもらえるとは…理性的かつ成熟した精神を持った方であると感じ入った。
「お任せください。」
だからこそ、平静を装い、普通のお客様と同様に扱わなくてはと心に留め置く。
今更ながら、主が少女を手厚く遇する理由はこういう事だったのだとフェルヴィドは理解した。それとともに、この方の負担にならぬよう、自分はこの方の近くへ行ってはならないのだと考えた。
しかし、時に運命とは皮肉なもので、様々な偶然が重なってそれから数ヶ月後、フェルヴィドは少女…アオの従者として王城へともに行く役目をいただくこととなった。
実を言えば、アオの視界に入ればあの日の事を思い出し拒絶される可能性も大いにあると考えていた時期もあった。そのため、普段ならアオの視界に入るような役割は他の者に回していたのだが、中央神殿で万全を期すには、自身がアオやカーライルの一番近くにいる必要性が出てきた。
フレンとの面会の際も、内心こわごわとお茶やお菓子をサーブしていたのだが、アオはちらりとフェルヴィドの存在を認めるなりにこにこと上機嫌に笑ったのだ。
その瞬間の気持ちをどう表していいのか、フェルヴィドには全く分からなかった。
ただ、お茶を淹れる間震えそうになる手をどうにか抑え、無事に役目を全うできた事が嬉しかった。
「…受け入れて…いただけた…」
茶器を全て片付け、退室し、扉を閉めたところで、震えた声が喉からこぼれ出てしまった。
ワゴンの取っ手を握る手は震えていて、深呼吸をして何とか鎮めねば収まらなかった。
それから王城で何度も何度もそんな出来事を重ね、その度にこれ以上の感情が胸に溢れるようなことなどありはしないだろうと思うのに悉く裏切られ、震える手や声を悟られない様必死に繕った。
自分の言葉や存在に安心を感じてもらえ、頼りにされ、味方と目される。主に仕える充足感とは明らかに異なるものが押し寄せる。
そして、鶸宮で光の柱に包まれるという経験に、膝を着き祈りを捧げたくなったがそうした感情もすべて何とか押し込めてフェルヴィドはアオが望むであろう場所を何とか記憶から掘り起こし、資料棟へと赴いた。
「王城内だけでは置ききれないために、古い資料はこちらへ移され、保管されているのです。」
「鶸宮にわざわざ移しているのですか?王城に専用の場所を置く方が場所が分散しなくていいのでは?」
まだ十代半ばと思しき少女は、およそその年ごろの少女とは思えない考えや視点で質問を返してくる。
「よく使う資料や、新しい政策に関する物であれば王城内にございますので文官が働く分には問題はございません。こちらに資料を集めている理由の1つには、子供たちを鶸宮に集めた際に提供できる利点というのがございますね。」
「なるほど。いち貴族では集められない量の資料…この蔵書量を見れば、利点として納得です。」
幼いころからカーライルとともにあったフェルヴィドにとっては、それはとても覚えのある情景で、言葉を交わす度にアオに対して好ましさばかりが募っていく。
それとともに、やはり原色を持つ方は普通の人間とは違うのだろうと、そんな事も考える。
フェルヴィドが仕える主のように。
「毎日この中の本を読み放題だと思うと、わくわくしますね。」
だというのに、彼女は突然驚くほど純粋に、弾んだ声でそんなことを口にするのだ。
突然の事にフェルヴィドは溢れそうになる何かを抑えるようにその存在から顔をそらし、それでも何かが出そうになり、目頭をぐっと圧迫し、抑え込んだ。
「大丈夫ですか?」
「えっ、えぇ、はい。失礼いたしました。」
楽し気に資料棟を見ていたはずのアオがいつの間にかフェルヴィドを見ていた。
まさか彼女がわざわざフェルヴィドを振り返るとは思っておらず、ひゅっと息を吸い込む音が聞こえやしないかとひやりとしながらも、いつも通りの顔を取り繕った。
「喜んでいただけて何よりでございます。」
心の底からの言葉は、自分でも驚くほど柔らかい声で形作られた。
今までカーライル様の変化を微笑ましく見ていたはずの自分までこんな音を紡ぐようになってしまうとは。
何と言ったらいいのか…もうずっと、言葉にしがたいものが降り積もっていることを強く自覚させられた日となった。