小さな星たち
お久しぶりとなってしまいました。
期間が開いた上、前回のお話しとは視点となる登場人物が全く異なるため読みづらさがあるかもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです。
新しい登場人物たちを受け入れていただければ幸いです。
「兄上はいかないんですか?」
読みかけの本を閉じるのもなんとなくはばかられ、先ほどから読み進んでいないながらも手元の本から視線だけをそろりとあげ、少年はソファーに深く身を沈めて本を読む相手の様子を伺った。
柔らかい布の張られた深緑のソファーに沈み込むのは、兄と口にした通り、彼より少し年上の少年。
少々行儀の悪い体勢だが、周囲に人が居ないのがわかっているからこその姿勢であった。
先ほど、窓の外に光の柱が天地を繋ぐのを彼らは目にした。その光の意味をこの世界で知らないものなど1人もいない。
即ち、天なる方を呼ぶ程の祈りの証であり、天地が結ばれた証である。
その光のまばゆさに惹かれるように部屋を後にする者達の動きを見送り、少年はソファーに深く座り直すに至ったのだ。
そんな年上の少年に対して、年下の少年が座っているのは木でできた長机と椅子の方である。大人数が座れるように出来ている長机の位置と1人用のソファーの位置は、微妙な距離を開けて置かれている。
その距離がもどかしく、兄へ話しかける少年は少しもぞもぞとした。
「行きませんよ。この地でまみえる天なる恵みなど、トーリの地には関係ないのですから。」
無関心さを隠すことない口調と、どこか厳しさの滲む声音が返されるも、その視線は本から離れる事は無い。手に持っているのは、農耕に関する書物だ。
きっと領地外の農耕に関することを調べているんだろうなぁと、弟はその背表紙や兄の指先を見る。
「でも、あの騒ぎ様は噂の奇跡の方かもしれないし」
「それで?」
そわそわと相手が色よい反応をしてくれるのではと期待に満ちた目をする弟の言葉を、兄はばさりと切って捨てた。
興味がないどころか、その事柄のどこがそんなにいいのか?と聞かれているように感じる返答に、弟は本に視線を移すように装いながらうつむいた。
ただ一緒にわくわくしてくれればそれでいいだけなのに。うつむきながら少年は、ぐずる様な胸のわだかまりに泣きたくなる。
そんな弟の様子がなんとなく煩わしくて、兄はちらりと様子を見てから、本の影に口元を隠して大きく息を吐きだしてしまう。
歳は上でも彼もまだ子供なのである。
「行きたいのなら、1人で行けばいいでしょうに。」
「それは…!…でも…」
一度ばっと顔を上げるも、年下の少年はまた顔を下げてしまった。
少年たちがいるのは鶸宮の一角。王城に収めきれない資料を収納している資料棟である。
最新の施策に関する物はないが、古い施策の資料はまとまっているし、歴代残されてきている貴重な書物や伝承といった類のものも数多くあり、学ぶには十分過ぎる蔵書がある。
ここの本は、棟から持ち出さなければ自由に閲覧も許されている。
本を読んでいる2人の少年は、はっきりと血縁を感じさせる面差しをしていた。
とりわけよく似ている目元はスッキリと涼やかで、色合いも良く似通っている。ただ、その色の質感は少々異なっていた。
少年たちの瞳はどちらも紺色を宿し、兄は全体的に色合いの違いがなく油絵具を乗せたような瞳を、弟は深い水底に光が揺らめく様な濃淡のある瞳をしている。
よく似た兄弟は、それぞれに違う表情を浮かべながらも、互いをチラチラと気にしている。
これ以上言ってもまた、それで?と言われるのは目に見えている。年下の少年は、ため息が聞こえない様に気を付けながらも、零れる重たい吐息は抑えられなかった。
会話を重ねる事が難しい状況に、今日も心折れてしまう。少しでも気分を変えようと本を閉じ、椅子から立ち上がる。
本当は兄と一緒に読書しながら和気あいあいと過ごしたいだけなのだが、大きくなるごとにそれが叶う事は、悲しい事に少なくなってきている。
兄は、しょんぼりと立ち去る小さな背中をちらりと見送りながら、弟に声をかけられてから実は1ページも読み進んでいない本をそっと膝の上に置いた。
「自分の事なんだから、自信を持ってしたい事をすればいいんだ。」
零れた言葉は、小さな背中に対する苛立ちだけではなく、こうであったらいいのにという希望が含まれており、それは、子供らしい一方的な保護者意識によるものであった。
突き放す事で年下の少年が強くなる事を望んでいるそのやり方は、悲しいかな、少年の自己肯定感を低下させているだけで欠片とて望んだ通りには機能していないのだが、その様な事は子供である少年にはわかり様もない。
そうして望みと乖離する現実から、年上の少年の中にはただ苛立ちが募ることとなり、時には八つ当たり気味に少年に強い言葉をぶつけてしまう事も増えている。
「お前の方がよほど…なのだから」
兄の考えなど知るはずもなく、弟はとぼとぼと本を持って本棚の間を縫っていく。
資料棟は広く、利用者は少ないため、多少情けない様子であっても人に見られる心配はない。先ほどの奇跡が人を引き寄せて、ここに残っている様な人間はほとんどいないのだから。
行く当てのない足取りはあちらへふらふらこちらへふらふら、複数設置された階段を何度か昇ったり降りたりも繰り返し、何カ所も通路を抜け、どこかの階の窓際の通路に出た。
この建物は、窓側に一つ通路がぐるりと通っており、それに沿って休憩スペースが設けられている。
通路には日がさんさんと差し込んでおり、少し眩しい。
本を抱えたまま一番近くのソファーにボスリと座り込んだところで、ああ、途中で本を返して来ればよかったと、それを傍らに置こうとして、少年は目を見開いた。
ゆるりと視線を動かした先に人が居たのだ。
「あ…」
「わわっ」
最初に視界に映ったのは地味目な色のスカートだった。
そこから視線を上げると、驚きに開かれた瞳が少年を見ていた。
薄く開かれた唇からはとっさに出てしまったというような、声とも言えない音が零れ出た。
人が居ると思っていなかった少年は大きくのけぞり、ソファーのひじ掛けに腰がぶつかりそのままバランスを崩し後ろへ転げていく。
「坊ちゃまっ」
「あ、あぶなっ…!」
焦る視界には、少年を助けようとするように伸ばされる華奢な手。
耳に飛び込む音は、どこかで聞き覚えのある声だった気がした。
「…」
痛みを覚悟する暇もなく起きた事故は、早鐘を打つ心臓以外は体に異変もなく、少年は茫然と脱力した。
「大丈夫ですか?」
「え…あ、はい…」
また、聞きなれた声が少年の耳を打つ。
気が付けば、背中を大人の男性の手が支えている。
視界に映った華奢な手は、片方は少年の腕を掴み、もう片方は少年の手から落ちそうな本を支えていた。
驚きで脱力したまま、少年はのろりと首を動かした。
「あれ…フェルヴィドがなんで…?」
「お知り合いですか?」
少年の腕からするりと手が離れていく。知らない声は、ずいぶんと耳に余韻を残す声をしている。
「坊ちゃま、まずは起き上がっていただけますとありがたく。」
フェルヴィドはそう苦笑交じりに少年に言った。