青玉の誓い(カーライル視点)
カーライル・ディオールジュ
それが彼の名前だった。
家名があるのは、代々の貴族位を継ぐ血族か、王より名を賜ったその代限りの貴族か、神の元で尽くすことを神より許された者だけ。
カーライルは、貴族に生まれ、19歳という若さで神より教会の一つを託された。彼はそれを光栄に思うも、何故。という気持ちをぬぐうことができなかった。
貴族は、汚い。汚い足の引っ張りあいを繰り返すし、そういう世界を知っている。また、生きるためには身を守る術を知らなければならない。それもまた、汚い所業だ。そんな自分が何故。と…
それでも、神より賜った役割を放棄する気も、手を抜くつもりも毛頭なかった。
教会を預かるということは、周辺の土地に住まう民の安寧にも責任を持つこととなる。
カーライルは、貴族としてではなく、神職として民を守れる事は喜ばしい事だと心底思った。
貴族は、汚い。
神職にあっても、人の汚さと無縁ではいられないだろうが、それでも、神という絶対的で神聖な存在がいる分、貴族程の汚泥を抱える事はない。
そうして、神より賜った教会の管理をして10年。
彼は、奇跡と出会った。
いつものように朝早く教会へ赴き、扉の鍵を開ける。
人々が祈りにやって来るまでに窓の鍵を開けて回るのが日課だった。
掃除や庭の手入れなどは他の者の仕事だったが、教会に異変がないかを見て回るためにも大切な仕事だという考えからのことだ。
そんなカーライルのやり方が正しかったのだと、その日、神に言われたように彼は感じた。
扉を開けると、異変が一つ。
昨日の帰り際には、教会内に誰も残っていないことを確認してあった。
だというのにだ。カーライルが開いた扉の先、まっすぐのびた通路の更に先、三段の段差を上がった位置に、こんもりとした布の塊が見えた。それはゆるりと動き、美しい薄水色の髪がすとんと落ち、つむじが見えた。形の良い頭、すらりとした背中。降り落ちる光を一身に浴びるように天を見上げている。そして、ゆっくりとした動作で教会の中を確かめるように、振り返る。
すべらかな横顔に震えるまつげの影が落ちている。
その目は、美しく瑞々しい朝露をまとった菫。
驚いたように少し震えた小さな唇。
ゆっくりと立ち上がったのは小さく美しい少女。立ち上がるのと同時に、燦々と彼女に落ちていた光が更に強くなり、天使の梯子が降りてきた。
その表情はわからなかったが、薄い髪が光を透かし、銀色の輪郭となって少女を縁取り、ただひたすら神々しいものだった。なんという神聖な存在。
カーライルは、これほどまでに驚いたことは人生で一度も無かった。
驚きすぎて、思考も何もかも止まってしまった。
けれど、目の前の少女は一歩、カーライルへと足を踏み出した。
とてもゆっくりとゆっくりと、階段を降りてくる。あまりにもゆっくりで、その爪先を凝視してしまった。
白いドレスの足元は、裸足。
その爪先は、震えていた。震えながらも三段、高い場所から降りてきたのだ。
心が、震えた。
カーライルもしっかりと一歩、踏み出して、入り口から祭壇までの距離のだいたい半分の距離まで来た。
目の前に立つと、思った以上に少女は小さく儚かった。
「聖女様、尊き御身、わたくしが必ずお守りいたします。」
とても自然に、膝を折り、頭を垂れた。
それからカーライルは聖女を屋敷へと連れ帰った。少女はとても物静かで多くを語りはしなかった。
けれど、隠し事や嘘は無かったと、カーライルには思えた。
「なぜ、この教会へ?」
と、問えば
「私にはわかりません。」
首を降った後に、でも…と、言葉を続けた。
「女神様が、送り出してくださってあの場所にいました。それだけは、わかります。」
困ったような憂い顔。
そっとお腹の前で軽く重ねた両の手。
知らない世界の、洗練された姿勢は綺麗だった。
少女は言葉を選びながら、女神に会い、聖女が不足した世界へ行って欲しいと乞われた事を語ってくれた。
「何故私なのか、私もわかりません。聖女と言われても…本当にそうなのかも…」
言い澱む言葉の先はすぐ察することができた。
だから、カーライルはすぐにその続きを否定した。
「あなた様は確かに、聖女様でいらっしゃいます。すぐ、あなた様自身でもわかりましょう。」
出会ってすぐ、天使の梯子が降りてきた。
神へと祈りが届いた証だ。
それを異界から来たばかりのうら若き少女にすぐ理解しろとは酷な話。
この世界の事をゆっくり知り、聖女というものを理解し、神への祈りを紡げるようなっていけば良い。カーライルはそう思った。
だから、その日はまず部屋で休むよう勧め、侍女たちに身の回りの事を任せ、今一度教会へと赴き、仕事をして戻った。
夜、様子を見に行った際にハプニングがあり動揺したが、2日ほど…緩やかな日常を過ごしていたが、仕事をしていたら、屋敷の方向に光が一条降りていくのが見えた。
何かの見間違いか?と、思ったが違うと首を振り、カーライルは急ぎ屋敷へ戻った。
屋敷の中は今まで感じたことのない緊張感に支配されており、全員一様に同じ方向へ向かい祈りを捧げる姿勢をとっている。
そんな彼らをまずは置いて、足早にたどり着いたのはサロンだった。
慌てず騒がずノックをすると、ビックリしながらも上げられる声が返ったので扉を開けた。
開けた瞬間、まばゆい光が見えた気がした。
部屋の中には、聖女――アオと仮に呼んで下さいと言ってくれた少女と、神が、降り立っていた。
「あ…少し待ってください。」
カーライルに声をかけたアオは、神へと視線を戻し、勢いよく頭を下げた。今までとずいぶん違う勢いのある行動に、カーライルは少し驚いた。
「先ほどもお伝えした通り、その、何かあって呼んだ訳じゃないんです。本当にすみません。私はまだ、この世界の事、よくわかってなくて。」
それに対し、神が何事かを話された様子があり、そのお姿は天へと戻られた。きらきらとした光が消え、アオはカーライルへとまた顔を向けた。
「お待たせして申し訳ありません。」
綺麗な角度で手をお腹の前で重ね合わせ、ゆっくりと頭を下げ上げる。
少し、困った顔をしているものだから、カーライルは緩やかに微笑みを浮かべて首を振った。
「何も謝らないでくださいませ。アオ様はやはり聖女様であられましたね。今のお方は居られる神々のお一人でございます。」
カーライルの言葉にアオは何度もぱちぱちと目を瞬かせた。
若くして教会を預かる事となったことを今でも何故と思わずにいられなかったカーライルだったが、この場所を与えられたのはこの方のためであったと、確信をその胸に抱いた。
続く貴族の一族であったことも、貴族の中でしか知り得ないたくさんの身の守り方も、教会を早々に預り実績を重ねてきた年月も、全ては、聖女様を守るためのものとなるのだと。
必ず、お守りするのだと、彼は初めてアオと出会った時にした誓いを再度刻んだ。