問いの庭
「歓迎頂き感謝いたします。私はアオと申します。どうぞよろしくお願いいたします。ゼローソ先生」
楚々と返礼するとゼローソ先生は感動している!と全身で表現するように天を仰ぎ、それからこちらをみた。
いや、別にそんな大げさな反応をいちいち入れなくてもいいのだけれど、と思う程度には先生の反応であっという間にお腹いっぱいになる。
「奇跡を呼び続けるお方の名を許されるとは、なんと幸せな事でしょう。伝承の一節でしか見た事のないような出来事を起こされる方と同じ時間を生きている事だけれも信じられないような事だというのに。」
あ、はぁ…としか声が出ないが、相手はそんなことお構いなしな様なので、無理に返事をする必要もないのかもしれない。
「その上、お姿の輝きの素晴らしさときたら…!」
目の前の人はずらずらずらーっと怒涛のように私を褒め始める。あ、はい。わかります。わかってます。
この姿は女神様の奇跡なので美しいのはわかってます大丈夫です。
あまりにも情緒たっぷりに褒め続けるものだから、語彙力に感心はするけれど、嬉しいとか感動するとかそういうものが何も生まれない。
ちなみに、言葉も右から左へ流れ出て、もう記憶にない。
「あ、あの、ゼローソ殿、もうその辺で」
スンという顔で称賛を浴び続けている私の横から、リンフォール先生が静止をかけてくれる。ナイスガッツ!先生!と、心の底から拍手を送りたい。
だがしかし、朗々と語り続けていたゼローソ先生はむっと眉間に皺を寄せた。
「なぜ止めるのだリンフォール殿。美しいものに美しいと惜しみない言葉を贈る事は、貴族として大切だと昔から何度も教えてきたはずだが、貴殿はちゃんとアオ様に言葉を贈ったのだろうな?」
「え、えっと…それは」
リンフォール先生はしまったという顔で視線をそらした。
怒涛の攻撃がやんでやっとゼローソ先生の出で立ちに意識を向けられるようになったが、皺もなくきれいな肌をしているが、なるほど、どこか年を重ねた重厚感があるような気もする。
口ぶりからして、確実にリンフォール先生より年上のゼローソ先生は、もしかしたらリンフォール先生の先生でもあったのかもしれない。
二人が向き合ってやっと身長差が見て取れたが、年上らしいゼローソ先生の方がリンフォール先生より身長が低い。低い場所からグイっと覗き込み、目を見てくるゼローソ先生にたじたじのリンフォール先生を見ていると、背の低さもまた武器になるのだなぁと、感じてしまった。
下から覗き込まれると視線を避ける術が無くなるというのはなかなかしんどそうだ。
「これほどまでに、天なる方の奇跡をより集めた色と輝きを持つお方を称えないとは、天への侮辱だぞ。」
お叱りの言葉の内容もまたずいぶんと大仰である。
それにしても、美人とかそういう事よりなにより、色と輝きを称える事が第一とは…この国、本当に色に対して敏感だな。
貴族が頑張って色を保持しようとしているという知識だけはあるが、実感がない私はただただ感心するばかりである。
「全く、君ときたら、何年経とうともそこについては進歩が見られないな。」
腕を組んで憤慨しているが、私としてはリンフォール先生くらい何も言わない人の方が楽だな。
「さて、長々と立ち話をするものではないな。お待たせしており申し訳ございません。アオ様、どうぞこちらへ」
どう考えても長々時間を取っていたのはゼローソ先生なのだが、そんな意識は全くないらしい。
完璧な貴族の笑顔で私を誘うと、先ほど先生が座っていた椅子とは机を挟んで対面にある椅子をそっと引いてくれた。
ゼローソ先生のエスコートは完璧である。ゆっくりと腰を落とすと完璧なタイミングで椅子を押してくれた。
長々と貴族たる者としてを語るだけの事はある。
腰を落ち着けると、机はとても勉強のしやすい高さなのがうかがえる。
リンフォール先生とゼローソ先生が反対側の椅子に落ち着くと、ゼローソ先生が口を開いた。
どうやらリンフォール先生はただのお迎えだったようだ。年若いという事は、どこでも雑用を押し付けられやすいという事だなぁと納得する。
世界が変わっても、王城の一角であっても、人の性質というのはあまり変わらないのかもしれない。
「さて、アオ様はディオールジュ家のご出身と伺っておりますが、お間違いはございませんか?」
「いいえ。私の出身はディオールジュ家ではございませんので、そちらの情報は誤りでございます。」
まずは手始めに…といった雰囲気で確認を始めたゼローソ先生と、その横で何か書類を出し、確認をしようとしている風のリンフォール先生はどちらも、え?という顔を私に向けた。
「私は、ディオールジュ家本家より後ろ盾をいただきましたが、残念ながら、出身はそちらではないのです。」
「なんと、そうでしたか。鶸宮への出入りには情報の登録が必要なのです。訂正情報をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
驚きはしたが何でもない事のようにすぐに持ち直したのはゼローソ先生だった。リンフォール先生はどこか解せないという顔をしたまま、ゼローソ先生の対応に耳を傾け、書類へ訂正を記載する姿勢をとる。
「断る理由はございません。ただ…」
「ただ?」
「私自身、以前いた場所がどこであるかを把握していないため、ご説明申し上げるのが難しい状況なのです。」
困りました。と、指先を頬に当てて見せる。
美少女の伏し目は憂いを帯びるものであると相場が決まっているので、せっかくなのでやってみる。効果の程はどうだろうか。
チラリと二人を見ると、そろってどこか痛ましいものを見るような目をしている。
具体的な事は何も話していないけれど、どうやら勝手に悲しい物語を妄想してくれたようだ。憂い顔美少女の効果は抜群だ。
「その、ディオールジュ家の方でも把握はされておられないのですか?」
控えめにリンフォール先生がフェルヴィドさんへと視線を投げかける。頭の回転が速くていらっしゃる。
だが、残念ながらフェルヴィドさんに情報が回っているわけがないのだよなぁと、私はそっと斜め後ろに視線を送った。
フェルヴィドさんは私の視線に頷きを返すと、半歩前へ出た。
「従者の身で発言する事をお許しください。」
「あぁ、許そう。」
「ありがとうございます。ゼローソ様」
質問をしたのはリンフォール先生だが、場の決定権はゼローソ先生にあるのだなぁと、胸の中に気を付ける事としてメモをした。
「ディオールジュ家でも独自に調べさせていただきましたが、聖女様の以前いらした場所についての情報はつかめないままでございます。聖女様ご自身も、我が主にあるがまま語ってくださったと伺っております。全ては、我々地を這うものには理解できない天の采配が動いたのだと説明を頂いております。」
最後の一言はいらなかったなぁ~と、胸の中で唇をかみしめる。
天の采配って、まぁ、女神様のお力なのは間違いないんですけども。
だが、そこを掘り下げられても私も困る。にっこりと二人に笑って小首を傾げた。
「少々大げさな表現がされているようですが、5か月程前にカーライル・ディオールジュ様にお会いする前の事は、私にもよくわからないのです。自分の育ってきた環境や場所の記憶はございますが、どのようにしてあの大教会へ現れたのか、人の身では知りようのない事でございまして。」
女神様の所業など人に理解できるはずがないから、まぁ、おおよそ間違ったことは言っていない。だいたい本当で、一部わかってる事を言っていないだけである。
死んだ後に女神様に連れてこられたこととか、記憶や意識はそのままに女神さまからもらったこの体で突然教会に現れただとか。
「以前の生活でお話しできることと言えば、平民であった事くらいでしょうか。」
「どのような生活を送られていたのでしょう?」
「どのような…普通ですよ。朝起きて、仕事に行き、帰って夕食を取り、お風呂に入って寝る生活ですから。他に特筆するべき点とすれば…平民ですから、日々の生活は全て自身で身の回りの事は行っていたというくらいの事でしょうか。」
あまり参考にならず申し訳ございません。と、できればこれ以上突っ込んでほしくない私は、困った笑みになるように頑張って表情を作る。
2人がどのように感じたか迄はわからないが、引き続き心を痛めている様子が見受けられる。
どうやらうまく困った笑みになったようだ。…と、思ったのもつかの間、どうやら私の思惑とは全く別の所に彼らの感想は着地していたらしい。
「鮮やかな夜明けのごとき色を持つお方が、平民として生活していたなどと…なんと、おいたわしい。」
「そのお年で労働を当たり前のものとして受け止めていらっしゃるなんて」
私はぽかんとして2人の言葉を脳内で反芻する。思っていた反応と違うのが返ってきましたね?なぜだ。
「ディオールジュ家のご出身ではない事、家名などはお持ちではない事は承知いたしました。」
私が戸惑っている間に、どうやらゼローソ先生はこれ以上深く掘り下げない事に決めたようだ。ありがたいが、そんなにかわいそうな話しだっただろうか?
よくわからない。
「お見受けする限り、立ち振る舞いは素晴らしくていらっしゃいます。よく勉強されているようですね。鶸宮では、最初に各家で何をどの程度教育されていらっしゃるか確認してからそれぞれに合った教育を行っているのです。本日よりしばらくはアオ様にも同様に各担当より確認を行わせていただく予定となっております。」
「かしこまりました。」
ゼローソ先生の説明に私は大人しく頷く。
私はしばらく試験続きになるらしい。それはそれで気が重いな。笑顔の裏でげんなりした。