扉の誘い人
鶸宮は王城の中でも、出入りする人がある程度制限されている区画なのだと説明を受けた。あちらから呼ばれたとはいえ私も部外者。指導役の方が迎えに来てくれることになっている。
その人が一緒じゃないと入れないなら、もう入れなくていいんだけどな。
ぴんっと背筋を伸ばしたまま部屋の中を見回す。
床に敷かれた絨毯は暗い青。廊下と同じ絨毯の色をしている。教会の絨毯はぬけるような空の色をしていた。
絨毯の縁にあるのは刺繍かな。紋様が教会と王城で一緒である。
「聖女様、あまり肩に力を入れておりますと、すぐにお疲れになってしまわれるかと。」
「そうですね…わかるのですが、緊張してしまいます。」
相当がちがちになっているのが端から見ていてもわかるらしく、フェルヴィドさんが声をかけてくれるが、うまく肩の力を抜くことができない。
「何か聞かれてお困りになりましたら、私共を頼っていただいてよろしいのですよ。」
「頼る…?」
「僭越ながら、私も10歳から18歳までの期間鶸宮にて過ごされておりましたカーライル様の従者として、共にこちらで過ごしておりました。中の事は他の者に比べれば多少存じております。」
「鶸宮で育ったんですか?」
驚きの事実に私はついお嬢様言葉を忘れてしまった。
しかし、今ここにそれを指摘してくれる人はいないので、はたり…と、自分の手で自分の口を押え、失礼。と、咳払いしてごまかすしかない。
ぎりぎり敬語を使ったところだけは自分を評価してあげたい。
「その頃は、年の近かったアレクシス様もおられましたよ。」
「カーライル様は、アレクシス様と10歳の頃からのお付き合いがあったのですね。」
10歳からって、かなり昔馴染みというか、幼馴染ともいえるのでは?いや、幼馴染って何歳からが幼馴染なんだろう。というか、フェルヴィドさん、もしかしてカーライルさんと同い年なのでは。
ちょっとびっくりな新事が次々舞い込むために興味がわいてそわっとしてしまう。
二人がどんな子供だったのか、すごく気になる。フェルヴィドさんからみた光景を是非教えて欲しいところだ。
けれど、今ここで根掘り葉掘り聞くのは淑女としてあるまじき発言なのではなかろうか。
静まれー静まり給えー。欲望の箱よ閉じるのだー。
己の欲望を抑えながら、最近の二人の事に思考を向ける。
何となく、昔からの付き合いって感じの雑さは感じていたけれど、学び舎を共にした…というには、私が知っているような距離感とちょっと違うんだよなぁ。
これが、貴族の距離感というやつなのだろうか。
「ですから、中の事でわからない事がございましたら、都度お答えできる事柄もあるかと。」
中の事を知っている人がいる。その安心感に、ほぅ…と肩の力が抜けた。
きっとそういう事もわかった上で、カーライルさんはフェルヴィドさんをつけてくれたのだろう。流石です。やはり能力の高い方は違う。
「それに、もし会話の途中でお困りになりましたら、こちらへ視線を向けていただければ、それを合図にお助け致します。そのためにお傍についておりますので。」
「あ、あの、私も、離れずお傍におります。」
手伝えることがあるかはわかりませんが…と、そっと加わってくれたシアさんが消え入りそうな声でしょんぼりするが、私よりもずっと背の高いシアさんのそんな様子が可愛くて、更に気が緩んだ。
まだお互いちょっと気まずさはあるものの、私も、シアさんとはもう一度話しておきたいと思っていたのだ。
もしかしたら、以前のあの失態を何とか挽回できるかもしれない。
思い出すと恥ずかしさに穴に埋まりたくなるけど、ここは一つ頑張らねば。
気合を入れてから、二人に順番に視線を送る。
「お二人とも、ありがとう存じます。」
私はニコリと笑った。
それからまたしばらく待っているとノックの音が部屋に響いた。
返事をしようかと思ったら、すっとシアさんが私の後ろから移動し、扉の前で声をかけた。向こう側からも返答があり、シアさんが私の方へもどって来る。そして、鶸宮の方がいらっしゃいました。と告げる。
あぁ、私、身近に人を置いてた事なんてないから知らなかったけど、普通のお嬢様の取次ってこうなのか。
ぎこちなく頷くと、シアさんはまた扉へと歩いていき、それを開いた。
シアさんが来てくれてよかった!心の底から拍手喝采する。シアさんの動きが一歩遅ければ、絶対私、いつもみたいに誰何してたよ。
扉の向こうから現れたのは、アレクシスさんのよく着ている服装とも、教会の人たちが着ている服装ともどこか違う意匠の服を着た男性だった。
少し目を伏せがちに入ってきたその人は部屋に入りきってからゆっくりと視線を上げ、目が合うより前に少し肩を揺らしたと思ったらまた目を伏せてしまった。
いやいや、初対面なのだからちゃんと目を合わせようよと思ったが、私も彼の着ている衣装に意識が吸い寄せられていたのでちょうどいいという事にした。
目が合わないのだから、その佇まいを観察させてもらう。
袖はばさばさと広がっており、やはり醤油を倒しそうだ。この国では上位者は袖が広がっているのがマストな文化なのかもしれない。
金持ちが自分で雑用をする必要がない事を示す意味があるとかなんとか、そんな意味合いが含まれる文化があったよね。確か。
と、過去読んだ読み物の知識を引っ張り出す。
細かいところまでは覚えていないが、恐らくは、この世界でも似たような意味があるのだろう。
首元に見えるのは真っ白なブラウス生地の首の詰まったもの。かっちりとしているような印象になりそうな形だが、わざとギャザーを寄せる事で華やかな印象も併せ持たせている。
その上に着ているのは、襟がなく、襟ぐりを横に広く取った丈の長いもの。柑子色の硬い素材で、きっちりと前が閉まっている。左右の身頃の合わせに広く取られた赤銅色の刺繍の模様が上から下まで入っているため、柑子色の衣装に落ち着いた印象を持たせている。
ひざ下まである上着だが、ウェストで太めのベルトが留められているので、布が多いもののすっきり感がある。
ふと、あわせと同様刺繍の入った袖から見える手を見ると、下に着ているブラウス的な生地が目に留まる。
手首に合わせたきゅっとした作りと丸いボタン、手の甲にかぶるように作られている袖が私の性癖に突き刺さ…ごほん。とても素敵である。
先生方の制服なのだとしたら、これを考えた人はとてもグッジョブです。
ありがとう。制服のデザイン立案者。
どこの誰だか知らない人に感謝を捧げている間に、あちらはゆっくりと私の前まで歩を進めていた。
私はあわてている事をなるべく気づかせないようにゆっくりと椅子から立ち上がり、その正面に立つ。
「ようこそおいでくださいました。私は鶸宮にて皆様に地学についての知識をお伝えしております、リンフォール・ツアトと申します。」
先に挨拶してくれたその人は、特徴のない短髪をしていた。短すぎず、長すぎず、耳が見える長さである。
彩度の低い髪色は、オリーブ色を薄めて少し黄色っぽくしたような、青朽葉のような色。瞳も彩度が低く、くすんだ色をしていると感じた。髪色に近いカラーリングである。
いつも身近にいる人たちがやたらと彩度も高ければコントラストも高いような人ばっかだったので、この特徴らしい特徴もなく、茫洋とした感じは新しい。しかし、元々黒髪黒目の多い民族出身だった私からすると、彩度の低さに安心感を感じる。
年は20代後半か30代くらいだろうか。
「ご挨拶いただきありがとうございます。私はアオと申します。突然の事で、何か失礼をするかもしれませんが、その際にはどうぞご指導いただければ幸いにございます。ツアト先生」
挨拶をし返すと、先生はそわそわと落ち着きなく両の手の指を絡めた。
「き、奇跡を起こされるお方に名を頂くことになるとは思いませんでした。」
そんなに動揺しなくても、何もしませんよ。と、心の中で語りかける。
私って実は危険物なのでは?と、月の神様とお会いしてから考えたりするので、怯えられるのも致し方ない気もするが。
本当に、何もしないんだからね?
「私共は子供たちに知識を与えてはおりますが、基本的には自身の研究のためにこちらにおります。家名ではなく、どうぞ名でお呼びください。」
「承知致しました。では、リンフォール先生と、お呼びさせていただきます。」
「えぇ、他の者も、名乗った相手であれば同様に名を呼ばれる事をお勧めいたします。ほとんどの者は、自身の探求のためにここにおります故。」
わかりやすくこちらへ親密に見える笑みを作ってくれる先生の言葉に、なるほどと私は頷いた。
教師でありつつ、研究が本分という事らしい。
全員尖ったものを持っていそうだ。研究者という存在に、勝手ながらそんな印象を持ってしまう。
「では、中へご案内いたしましょう。」
こちらへ。と、先導する先生の後を追って王城を移動していく。
控室から出てすぐの場所にあからさまに大きな扉が一つある。
恐らく、これが鶸宮への入口なのだろう。
「こちらから先は、許可のない者は入ることが叶いません。基本的にこの中で生活しているのは、我々研究者と子供たち、それから、子供たちが連れてきている従者ですね。」
「入口はここだけなのでしょうか?」
「まさか。ある程度出入りを制限された区画とはいえ、入り口はここだけではありません。子供たちも、この中だけで学びを得るわけではございませんので。騎士団の鍛錬所へ続く扉や、王城の文官たちの居る区画へ続く扉などもございますよ。」
「なるほど。」
私はここを国の教育機関としてとらえていたが、ちょっと見方を変える必要があるかもしれない。
ここは、頭の出来の良い子息を集めて、国の中心に取り込むために作られた場所という面の方が強いのかもしれない。
教育を施されると同時に、実際の仕事も覚えさせ、面通しさせていく。中枢に近い場所に座る確率が高い子たちを幼いうちから染めておこうと、そんな意図を感じさせる。
「それに、今は殿下方もいらっしゃるため、毎日お渡りになられておりますね。」
「でんかがた…」
殿下方?
また何か聞きたくない様な単語が聞こえましたね?
私は不穏な単語をオウム返ししながら、殿下って王族って事ですか?何番目のどんな人なんですか?というか、顔を合わせる可能性とかないですよね?とか、そんな言葉を頭の中でぐるぐるさせるけど、どれも口に出来ずにてほてほと先生の後ろをついていく。
何があっても関わってはいけない。
それだけが確かである。
王城の子供を集めた一角に呼ばれて、殿下方と交流が始まるとか…どんな乙女ゲームの世界なの。私にロマンスは必要ないよ。
開かれた扉が、何かのオープニングのように重々しい雰囲気を醸し出すのがまた複雑な気持ちにさせられる。
早くも私は、帰りたい。心の底からそう思った。