不器用者たちの会話-後編-
「それで、昨日はいかがでしたか?」
アレクシスさんによりそっと切り替わった話題に、私は心の中でカエルがつぶれたような悲鳴を上げた。
「ききき、昨日ですかっ?」
「ディオールジュ家からきた料理人は社交性もあり腕もいいとは聞いておりますが、いかがでしたか?」
「あ、あ、そうですね!確かにそうですね。とても誠実で真面目な方でしたよ。」
「そうですか。」
そういえば、私、お願いしたいことがあるとか何とかそんな様な事を話したな。思ってた話題と違って無難な話題だったとわかって、恥ずかしいやら、肩の力が抜けやらで早口になってしまう。
恐らくは、そんな私の様子が手に取るようにわかっているのだろう。
アレクシスさんはそっと庭に歩を進める様に誘導してくれる。私は何とかとっ散らかりそうな脳内を昨日の無難な出来事にシフトさせながら、ゆっくりとそれについていく。
穏やかな朝の風景の中、静かなアレクシスさんの声が続きを促す。
「私の世界の簡単な家庭料理で、卵焼きっていう料理を作って欲しくて作り方をお伝えしたんですが、やっぱり口だけで説明するのは難しいですね。」
「私は料理をしたことがないですが、確かに、何事も実地で見せてやらせるのが一番の近道ですね。」
「練習すると言ってたんですけど、近いうちに出してもらえたら嬉しいなぁって期待してるんですよ。」
「楽しみが増えたようで何よりです。」
「そういえば、厨房に居た他の料理人さんはアレクシスさんの所の方ですか?」
「ええ、そうですよ。」
「ここの料理人さん達も、向上心の強い方たちばかりで、とてもいい方ばかりでしたよ。最後に一緒に試食会をしたんです。」
心臓が相変わらずうるさいですよと、自分自身にしかりつけつつ、何でもない会話を延々しながらたどり着いたのはこの間の湖。
今日も右手の手汗が心配でならない。むしろ、いつも以上に心配だし、顔も赤くないかとても心配だ。心配事だらけである。
「そういえば、昨日エレイフに会いましたよ。」
「昨日?」
ここに至って、報告をしていなかったことを思い出す。
昨日はすっかりと物語の事で頭がいっぱいになっていたらしいね。
念のため、一応伝えておこうと口を開いたのだけれど…。
「ここで日の出を待ってた時に」
「…」
無言になられてしまった。
その辺で友達見かけたよ位の気軽さで口にしてしまっていたが、だめだっただろうか。でももう口に出してしまった。
どうしよう。
チラリとアレクシスさんを見上げると、小さな眉間の皺が見えたが、それ以外に表情の変化はない。いつも通りのその整ったお顔から何を考えているかはわかるはずもなく、何度もチラチラと様子を伺ってしまう。
「アレクシスさん?あの、えっと…」
言葉が見つからない。
「…いえ、すみません。なんと言ったら良いか少し悩みました。」
その一言に目をむいた。
アレクシスさんが悩むの?え?言葉が見つからなくて悩むとかあるの?
「アオ様の言う、『ここで会った』というのが政治的なものを含まないというのはわかっているのですが、つい、気を付ける様にと言ってしまいそうになるので、言葉に詰まりますね。」
それは考えなかったなぁ。と、大反省会が引き起こされる。
なるほどな。場合によっては密会だね?
でも、そういう疑いは持っていないと言ってくれているという事だよね。けれども、お小言を言いそうになるからそれを留めようと苦心した。そういう事だろうか。
前にも自分に見当違いな苦言を呈するものがいたという話をしてくれたことがあった。
同じにはなりたくないという気持ちと、つい、心配して言葉が出てしまいそうになるという気持ち。この二つの葛藤があるのだろうか。
葛藤…およそアレクシスさんからは連想できなかった言葉だ。
言葉が出なくなるというのもそうだけど。
「アレクシスさんでも、悩むんですね。」
「私を一体何だと思っていらっしゃるので?」
「あっ…!」
しまった、ぺろりと口からこぼれてしまっていたらしい。
いくら何でも失礼な事を言ってしまった。
とっさに口を抑えるも、これもまた既に口から出てしまった後である。
あぁ、でも、悪い意味じゃないんです。悪い意味では。
「うぅ…すみません。つい。アレクシスさんって冷静沈着で、いつでもよく何でも見ていらっしゃって、先回りして物事を考えたり、私のしたい事とか見ててくれるしあんまりにもぽんこつな自分とは違うので、迷ったり葛藤したりっていうイメージがないといいますか。」
これは言い訳になっているのだろうか。
しどろもどろになりながら紡ぐも、わからない。正解がわからない。わからないからたどり着けない。
たどり着けなさ過ぎて涙目ですよ。ぴえんっ
「…ふっ」
そこに、耳をかすめる様に小さな吐息が聞こえた。
それはちょっと楽しそうに転がり落ちて、朝日に溶ける。
見上げれば、アレクシスさんは私の手を取っているのとは逆の手でそっと口元を抑えていた。
唇にかかる人差し指と、口の端にかかる中指の間からは、珍しく笑みを作る唇がのぞく。
とたん、昨日から仕事しすぎの心臓がまた私の中で過重労働を始めてしまう。
まってまって。静まろうよ。これ以上仕事したら、寿命分の鼓動を使い果たすよ。待って待ってやめよう。心臓の上を抑えながら、私は何とかその唇から視線を引っぺがす。
「アオ様からそんな風に見ていただけていたとは、光栄の極み。」
私の心臓が壊れそうなことなんて知らないのだろう。アレクシスさんの声は朝日のように輝いて、弾んでいて、そんな大層なものでもないはずなのに、私の言葉が大きな仕事をしたような気になってしまうではないか。
「ですが…やはり一つだけ、注意させていただきますよ。朝のお散歩を止めることはございませんが、重々お気を付けください。」
「あ、えーっと、はい。そうですね。とりあえず、エレイフ以外の人に遭遇したら全力で逃げますね。」
「…それはそれで、何かおかしなことになりそうですが…」
「大丈夫です。足には自信があります。」
女神様にいただいたこの体の脚力は立証済みだ。まぁ、この世界の人達と比べて早い方なのかはよくわかっていないけど、持久力もあるし、反射も良さげだから行けると思う。
女神様を思い浮かべたら途端に静まった心臓に安堵しつつ、私は自信満々にアレクシスさんを見上げたのだけれど、アレクシスさんにはちょっと反応に困られてしまった。
「えーっと、東屋がありますし、ちょっと休憩していきます?」
またしても、うまいフォローが浮かぶはずのないコミュ障なので、とりあえず話題を変えようと、東屋を指さしてみるのだった。
今のどこがかみ合わなかったのか誰か教えて欲しいです。心の底からそんな願いを唱えながら。