奇跡が呼ぶのは暴風の様-前編-(王都の人々)
新しい聖女様が天と結ばれた。
その噂はまことしやかに囁かれていた。
それはとても密やかに。
本来であればとても喜ばしく、誰もが祝い事として迎え入れる様な話であるのに、この時ばかりは国中に走る噂は、声高にしていいものなのかわからない戸惑いを含んだものであった。
それは、噂の土地が、『神なき地』と呼ばれるトーリの大教会であった為である。
「トーリと言えば、3代前のイディエの頃から小さな祈りすら届いていない土地だろう?」
「そうよね。そんな土地に聖女様なんて」
そう、誰もが知っている。トーリの地と言えば、3代前のイディエ――管理者の代より天地の結びが得られていない。その原因はようとして知れず、代が重なる毎に、彼の地は、国の中でも倦厭される地となった。
「あんな、祈りなき地」
「天なる方を真に想う人間はいないというじゃない。」
『神なき地』または、『祈りなき地』。
侮辱以外の何物でもない密やかな呼び名を、悪意や見下しでもって口にするものは少なくない。
そんな土地に聖女が結びを行うなどという奇跡が起きたなどと…。
「どうせ祈りを見た事のない奴らが、小さい祈りを勘違いしたんだろうさ。
適当な言いがかりだが、そんな嘲りがそこここで行き交う事も珍しくなかった。
どうせこんな噂は、何かの勘違いか、彼の地の最後のあがきで流された流言であろうと考えるものさえいた。
けれど、その噂は時が経つにつれどんどんと大きくなっていった。
「聖女が現れた。」
そんな噂はよくあるものだった。そして、どうせすぐに消えるであろうと考えるものは少なくなかった。
しばらくした頃、とある商隊が王都へ戻るや、信じられないものを見た。と、メンバー全員が家族や周囲へ厳かに語った。
「噂の聖女様の祈りはか細い糸とは比べ物にならなかった。」
「あのような光がこの世には存在するのだと、思い出すだけでも今でも震えるんだ。見てくれ…」
「トーリの大教会の程近くで、大いなる祈りを何度となく目にした。こんな奇跡を目にして、私は近いうちに夜に迎えられるのかもしれない。」
重ねて祈りを届かせる程稀有な存在。その衝撃は、語る者の目を見れば明らかであった。
次第に加速し、もたらされる情報を、人々は今か今かと待つようになる。
中央教会が認めねば、『聖女』と呼ぶ事ははばかられる。
次第に広まるのは『奇跡』という言葉。
それはあまりにもその存在にふさわしいものであるのだと、続きもたらされた話により、人々は熱を持ち始める。
「奇跡の方は己以外の存在すら、天と縁を結ばれる。」
まるで、学のある方より聞かせられる伝承の様な話。現実にあり得るものかと普通では笑い飛ばすような内容が、誰かの口にのぼっては、密かに咎められるようになった。
そして、国中が思い知った。
至上なる御方はこの世界に在り。
遥かなる高みより降臨せし時、その輝きにより真昼も夜と見まごう程に、他に瞳に映るものなし。
と…
誰の目にも疑い様は無かった。大いなる光が天より台地をつり上げたのだから。
聖女の噂が大きくなっていく毎に、中央教会では別の問題が起き、その混乱は膨れ上がっていた。
聖女の話が大きくなればなるほどに、その件は致命的な案件になっていったともいえる。
それは、聖女を聖女たると断ずることのできる存在の不在。
「巷で聖女が現れたと噂が出回っているようだな。」
「は。トーリの地にて、その様な話が始まったようでございます。」
「今しばらくは様子を見なくてはなりませんが、噂の真偽をお調べしましょう。」
中央教会上位階の議長を務めるフラウタンドは今後の方針を決めるため、中央教会が擁する騎士団を統括する第1大隊長ベルカントとその副隊長を呼び出していた。
ベルカントもぬかりなく、事の発端を調べ始めている様で、フラウタンドは満足そうに頷いた。
「ふむ。彼の地で…というのが気になるところではあるが、まずは簡単に噂を集めてくれ。」
「かしこまりました。第6大隊へ指示を出しておきましょう。現地への視察が必要な際には、また別の隊を動かしましょう。」
長年の経験から蓄積された信頼故、すぐに話はまとまり、彼らは退室する。
噂の出どころと、その信憑性を確認した後の事を思い、フラウタンドは側に控えていた部下に指示を出した。
「赤玉のお方に、面会の申し入れを。」
「かしこまりました。」
その時は、さすがのフラウタンドも部下が真っ青な顔で戻ってくることになるとは思いもしなかった。
また、部下も部下ですぐ終わるつかいであるはずが、中央教会中の思いつく限りを巡り、更に他の者まで使って探した挙句、どこにも目的の方の足跡を見つけることができずに戻ることになろうとは…。あまりの事に、茫然と上司へと情けない報告をする羽目になった事を彼は恨み言としてその胸に積もらせることとなった。
「例の方が…教会内のどこにもおられないのです。」
「なに?」
「本来であれば、外にお出になるはずもないのですが、どこにもお姿が無く。今密かに他の者にも調べさせておりますが…」
フラウタンドは目をむいた。
今このタイミングでそのような事があろうとは、異常事態であり、非常事態である。絶対にあってはならず、そして、王城に知られてはならない事件だった。
「…このことを知る者は最低限にせよ。」
「承知しております。」
「絶対に、王城に伝わってはならないぞ。」
「もちろんでございます。」