運命の乙女の物語
「主様は運命の乙女の物語をご存じですか?」
東屋の椅子に改めて座りなおすと、エレイフも東屋へと上がってきた。
しかし、いつもの事ながら傍らに佇むだけで、椅子に座ろうとはしない。そうした所が騎士然としているんだよね。
そんな彼の口から出てきた言葉を私はしばし反芻した後で、思いっきり吹き出した。
「うっうんっめいっ!」
「あっ、ちょっと、余計な事を今思い出してますね!」
「だって、うんめいって!!」
運命って言葉とエレイフの取り合わせなんて、私の爆笑ポイントにクリティカルヒットに決まっているじゃないか。
ひーひー言いながら笑っていると、俺の事は置いといてください!と、エレイフが怒るがこの笑いはどうしようもない。
ペチペチと長椅子をひとしきり叩いて落ち着いたので、私は居住まいをただした。
「で、物語って?」
「もういいです。」
しかし、涙が出る程笑った後なのでエレイフは完全にすねている。さっきとは立場が逆になっている。
ぷいっと顔を逸らす横顔がずいぶんと幼くてかわいい。
「ごめんって。運命の乙女の物語ってなに?知らないんだけど。」
「…」
顔をそむけたままのエレイフがチラリとこちらを見たので、よし勝ったと内心ガッツポーズをする。
また私から目をそらした後、たっぷり2秒黙った末にエレイフは軽く息を吐いてからやっともう一度こちらを見た。
「主様は、あのお二方をあまり信頼し過ぎない方が良いですよ。」
「?」
突然の話題転換についていけず、眉間にしわを寄せる。
コミュ障、そういうの困るから、やめて欲しいお?話題転換ついてけないお?
「物語に何の関係があるの?」
「この国で運命の乙女の物語と言えば、幼い子供でも知っている。知っているのが当たり前の物語ですよ。」
んんっ
今度は会心の一撃が私を襲う。
待ってよ。思いっきり知らないと豪語した後なんですけど。豪語した後の情報リーク辛いよ。
突然のピンチに必死に言葉を探すも、何も出てこない。
「あの人らは普通と違うのでそんなことは気にしないと思いますけど、普通の人はたいてい知っているので、こういう話題は気を付けた方が良いですよ。」
「え?」
「特に、騎士は程度はどうあれ、運命の乙女の物語に憧れている奴が多いんで、本当に、気を付けてくださいよ。」
「う、うん。」
色々な事を聞かれるのだと思ってぎゅっと身を固くしたというのに、そんな事は無く、なぜかすごく念を押して気を付けるようにと重ねられる。
何に気を付けたらいいのかよくわかっていない上、エレイフの考えがわからず混乱に陥り、頭がぐらぐらしてきた。混乱しながらも重ねて言われる強い念押しに、私は思わず頷いた。
私が頷くと満足気にエレイフは笑み、説明を始める。
「運命の乙女の物語っていうのは、騎士が森の中で自分の運命に出会う話なんですよ。」
そう始まったお話に私は黙って耳を傾ける。
さわやかな声は耳通りがよく、するりと話が入ってくる。
「緑深い森の中、出会う美しい乙女は騎士の運命。全ての愛と、全ての忠誠を誓うにふさわしい明星。しかし、乙女は吹き抜ける風のごとく、一瞬の通り雨のごとく、どこへともなく消えてしまう儚き存在。出会ったならばすぐ手を伸ばさねば、もう二度と結ばれる事は無い。」
朗々と語られるそれは、目の前の光景も相まって、とても美しく輝いている。
騎士と運命の乙女なんて、ときめきの塊だ。ぜひ文章で読みたいところだ。
「つまり、運命は一度切り。迷わず躊躇わず決断しなければ勝利することはできないぞ。という騎士の心得も含まれている物語なんですよ。」
私はおぉーと、拍手をエレイフに送った。
「だから騎士は運命の乙女の物語に思い入れのある者が多いんです。成功の象徴でもありますし。」
「そうなの?」
「運命の乙女は明星。明星っていうのは、広い意味で言うなら、人を高みへと導く存在なんですが…こういう感じで言ってわかります?」
私の知る、ミューズとか、ディーバとかそういう存在と近しい解釈をする。バルキリーは…ちょっと違うか。勝利をもたらすのはちょっと違うな。
どの世界でも、男性を支え、高みへと連れていくのは女性というのは興味深い話だなと思う。
わざわざわかるように説明してくれるエレイフに、私はにっこりと笑って頷いた。
「すごくよく分かったわ。」
「それは何より。運命の乙女の物語に限らず、教会内の者にとって当たり前の物語はたくさんあるんですが、主の後ろにいる方々はそういう当たり前を知らない様なお育ちでしょうから、ちょっと心配ですよ。」
そ、そういう事か…!
やっとさっきまでのエレイフの発言の流れに得心がいった。
確かに、アレクシスさんも、カーライルさんも、昔から頭がよくて人間離れしてたんじゃないかと思うところが多い。
「今後騎士からのアプローチがあるかもしれませんが、運命の乙女の物語になぞらえて言葉をかけられることが予想されますから念頭に置いておいてくださいよ。」
「例えばどんな?」
物語について概要を知っても、どんな口説き文句が来るのかわからないと対応もできないよ。と、エレイフを見上げると、とても嫌そうな顔をされる。
「俺に言わせるんですか?」
「例文を教えてもらわないとわからないじゃない。」
「…わかりました。例えば、ですからね。」
いやそうな顔をするのに、こうして折れてくれる優しさ。さすがエレイフ。できる子-!と、私は拍手する。
コホンと、咳払いを一つすると、まじめな顔をこちらに向け、唇を開く。
流れる様な動きで、右手を胸の上に添え、いつもは明るく輝く瞳が少し伏せられる。
「『貴女こそ、私の出会うべき明星。どうか、その輝きに手を伸ばす事をお許しいただけないだろうか。』」
普段はよく通る声が抑え目に紡がれ、左手をゆるりと差し出される。
試しに。と、言った自分の愚かさに全力で罵倒したくなるくらい、顔に熱が集まるのがわかった。
重々わかっているつもりだった。アレクシスさんやカーライルさんの様な人間離れしたものではないにしても、エレイフだって顔面偏差値の高い騎士だという事は、わかっているつもりだったのだ。
けれども一度だってエレイフにキュンとするような事などなかったから油断をしていたのだ。侮ってもいた。
突然襲った照れと焦り。それと、告白への恥ずかしさ。
二の句が告げられず固まる私に、エレイフは目を見開いた後、私同様赤くなる。
「な、何で照れるんですか。」
「いや、なんか、予想してない位の破壊力で…ごめん。」
「主から言ったくせになんですかそれは。」
お互い顔を背け、はぁ、とため息とともに心を落ち着ける。
「ほんとにごめん。びっくりした。やっぱりエレイフって顔が良いんだなぁ。」
「すごい雑な褒め言葉に俺がびっくりですよ。」
「いやいや、ほんとに心の底から褒めてるんだよ。」
めっちゃ称賛しているのだけど、エレイフは疑いの眼差しで私を見やるばかり。
なんでだ。推しを称賛するとき言うだろ。顔がいいって。
っていうか、むしろ、顔が良すぎて他の事が何も入ってこないレベルの時の褒め言葉だろ。顔が良いって。
「で、わかりましたかね?例文は」
「あ、うん。とりあえず、明星っていうのがポイントだっていうのはわかった。」
「情緒がない…」
「例文はいいけど、他の言い回しってあるの?」
「後は、森の乙女とか、運命とか、そういう言葉も気を付けてください。」
「わかった。」
完全にただの情報としての取り込みを始める私に、主の乙女心はどうなってるんです?とエレイフがぶつぶつ言い始める。
失礼な。乙女心は十分持ち合わせている…はずだ。
ただ、詩的表現の知識に興味津々なだけで。
「さて、そろそろ戻った方が良いんじゃないですかね?」
「そうだね。朝食の前に戻らないと。」
「途中まで送ります。」
エレイフの言葉に頷いて、私は足早に部屋へと戻って行ったのだった。
日の昇った後の森は、葉を透かして落ちる光が綺麗で日の出前とはまた違った清々しさがある。
森の中でも整えられた道をたどりながら、エレイフと他愛もない話をして部屋へと戻ったのだった。
運命の乙女の物語。まさか、エレイフと出会った時の『運命』がそんなところからきてるとは思わなかった。
夢見がちなタイプには見えないのに意外だ。けど、言い換えるなら、エレイフがそうなる程度には、騎士たちにとって重要で意味ある存在として根付いているという事だ。
そういう物語があるのだという忠告を、真剣に聞いておかねばならないけれど、ここで壁にぶち当たる。
コミュニティに根付く思想というのは、コミュニティに属していなくては育たないものだ。
コミュニティ…知らない子ですね?
悲しいかな、人生で一番縁のなかったやつですわ。
もうこのまま引きこもらせてくれないだろうか。