大清水 垂水之助
「おしっこざむらい 垂水ノ介」
小学一年生のかれんちゃんのおなかには<おしっこざむらい>が住んでいます。おしっこざむらいは、言わば妖精です。その名も「大清水 垂水ノ介」といい、しっそな深い青色の着物を着て灰色の袴をはき、腰には大小二つの刀をさしています。いかにも頑丈そうな体つきで、口をいつもぎゅっとつぐんで見るからに強そうなのです。
この垂水ノ介は、かれんちゃんが起きている時はおなかの中で布団にはいって寝ていることが多いのですが、かれんちゃんが寝てしまうとゆっくりと起き上がり、背筋を正し、きちんと正座をしてじっと何かがくるのを緊張した顔で待っています。そしてそのある時がくると目を大きく見開いて、バッと素早く立ち上がり、
「つあーっっ。」
と大きな声をだし目の前の小さなボタンをカチリっと押すのです。すると垂水ノ介の立っている下の方から小川のせせらぎのような、はたまたおばあちゃんが丁寧にお茶を注ぐような音が聞こえてくるのです。幸せそうな顔をしてじっと聞き耳たてていた垂水ノ介は2,3回頷くと、洗面所で顔を洗ってさっぱりとした顔つきで布団に入るのでした。
時々、かれんちゃんのパパとおねえちゃんのももちゃんは、かれんちゃんのおへそに口をあてて垂水ノ介に話かけます。
「あしたは雨です、ボタンを押さないでください。」とか
「今日はママの機嫌が非常に悪いです、誰のせいでしょうか?」とか
「もしもしもしもしもしもしもしもしもし・・・。」などなど。
かれんちゃんはくすぐったくてあばれて笑っています。一方、垂水ノ介はかれんちゃんのお腹の中で耳を両手で押さえながらしかめっつらをして寝ています。
困ったかれんちゃんのママとパパは話あっています。ママは、
「かれんちゃんの気持ちがもう少し大人になるまでしかたがないわ」
と言いました。
だからといって毎日布団をネッシーが出てきそうなくらいの大きな湖のようにされては困ってしまいます。ママとパパは夜、かれんちゃんが寝てしばらくした後にトイレに行かせることにしました。かれんちゃんは寝たまま抱っこされてトイレに行き、寝たまま勢いよくおしっこをして、寝たままシズシズとパンツをはき、寝たままパチャパチャ手を洗って、また寝ます。
さて垂水ノ介はどうしたのでしょうか?
その日もいつものようにきちんと背筋をのばして座って時がくるのを待っておりましたが、モソモソかれんちゃんが起きてきて勢いよく一滴残らずおしっこをしてしまったので大きい目をさらにまん丸く見開いて、しばらくぼうっとしていました。しかし、垂水ノ介もおさむらいさんのはしくれ。深呼吸をひとつして落ち着きを取り戻すと、顔を洗って何もなかったように布団に入ってしまいました。次の日も次の日もかれんちゃんは寝たままトイレに連れられておしっこをしました。例のあの音が聞けない日が何日も続いたものですから、垂水ノ介は見るからにだんだんおかしくなってきました。座ったままモゾモゾモゾモゾおしりを動かし続けてみたり、急に冷や汗をぽたりぽたりと垂らしたり、夢にうなされたり、かれんちゃんが起きているのに無意味にボタンをカチカチカチカチ押してみたりと、かわいそうなくらいです・・・。
一週間もたった頃でしょうか、すっかり元気をなくした垂水ノ介はとうとう大きな風呂敷をひろげ、そこに布団をきちんとたたみ、その上に座布団と三冊の本をのせて包みあげました。そして首にてぬぐいをまいて立ち上がると、風呂敷を背負いかれんちゃんのおへそからずりずりとは這い出してきました。這い出た垂水ノ介は着物の埃を丁寧にはらうと身だしなみをきちんとし、背筋を正すとかれんちゃんのおへそにゆっくりと一礼をしました。そしてかれんちゃんの寝ている布団から出てくると、きびきびとした動きで窓に向ってジャンプし、窓枠にかっこよく飛び移るのかと思いましたが、勢いあまって窓にゴオンと顔面をうちつけてしまいました。かなり痛そうな音がしましたが大丈夫でしょうか?垂水ノ介は鼻を押さえながら窓を少し開け、外に飛び出していきました。窓のすき間から静かにソヨソヨと夜の風が入ってきます。
そうそうこれは垂水ノ介の弟、「大清水 湧丸」から聞いた秘密の話なのですが、例のあのボタンを押すタイミングは・・・・・・・・・・・・・・・・・・、子供達が一番楽しい夢をみている瞬間だそうです。なんでも一番幸せないい音がするそうですよ。
「垂水ノ介、家に帰る」
かれんちゃんのおへそを飛び出した垂水ノ介は、お父さんのところへ帰る事にしました。お父さんの家はかれんちゃんの家から少し離れた所にある神社の神主さんの家の庭です。そこには噴水があり、しょんべん小僧さんが立っていて、その小僧さんのおへその中にお父さんは住んでいます。お父さんは髪の毛をいつもボサボサにしています。鼻の下まで伸びた髪で、顔がよく見えません。人に会う時だけ髪を頭のてっぺんで結びます。顔は垂水ノ介によく似ていますが、茶色のすすけた着物を着ていてまるで原始人のようです。小奇麗にしている垂水ノ介とはえらい違いです。お母さんも一緒に住んでいます。お母さんは白蛇妖精です。夢にでてくるとお金持ちになるといわれているあの白蛇です。いつも紫色の着物を着ていて、女の人でさえ見とれてしまうほど色の白い美人さんの妖精ですが、怒ると白蛇に変身してすぐに噛みつきます。この日も夫婦げんかをしたのか、お父さんは後ろ頭にお母さんをぶらさげて出てきました。
垂水ノ介は荷物を置くと、きちんと正座をしてお父さんの前に座り、かれんちゃんのおねしょが止まった事を報告しました。お父さんはそれを聞いて厳しい顔つきになり、「そうか。」と小さく言うとしばらく目を閉じ考えておりましたが、ゆっくりとまぶたを開けて垂水ノ介に優しい瞳で語りかけました。
「お主にお祝い蝶は訪ねてきたのか?」
「は?お・祝い・蝶・・・でありますか?」
「うむ、きれいな大きな蝶じゃ。」
注意深く記憶をたどってから「いいえ。」と垂水ノ介が答えると。
「うむ・・そうか。・・・その子はまだじゃろう。」
とお父さんは言いました。
ようやくお母さんがお父さんの頭から口を離し、元のきれいな姿に戻りました。
「よいか、おねしょをしなくなるという事は人間として何かの力を得た時なのだ。その何か力をその子が得た時、お祝い蝶がお主を訪ねてくる。その時こそ、お主がその子のおなかから旅立たなければならぬときなのじゃ。」
お父さんは目を閉じて上を向いて何かを思い出しているようです。
垂水ノ介はお父さんの言っている事がよくわかりませんでしたが、かれんちゃんのおなかに戻れる事は大体わかりました。
「では、かれん殿はまだ・・・。」
垂水ノ介の顔に笑顔が戻りました。
「未熟物でした。すぐに戻ります。」
と言って垂水ノ介は元気よく立ち上がりました。
するといつもは無口なお母さんが垂水ノ介を呼び止めました。
「垂水ノ介、弟に会っていかないのですか、湧丸はたいそう会いたがっておりましたよ。」と言うと、
「湧丸、湧丸。」
と大きな声で呼びました。
お母さんは特に今日は機嫌が悪いらしく、なかなか出てこない息子にイライラしたのか、またもや白蛇に変身してしまい、ものすごいスピードで隣にいたお父さんの顔に何故かガブリと噛みつきました。その凄まじさに垂水ノ介は青い顔で後ずさりしながら
「どこかでまた悪さでもしているのでしょう、また今度ゆっくり・・」
と言って一礼すると、荷物を持ってそそくさとしょんべん小僧さんのおへそから出ていきました。お父さんは顔にお母さんをつけたまま、垂水ノ介に手を振っています。
お父さんの家を出てすぐに垂水ノ介の後ろから「兄上!!」と元気な声がしました。
後ろを振り向くとそこには、垂水ノ介をそのまま小さくしたような子供の妖精が立っていました。これが湧丸です。垂水ノ介と少し違うのは眉毛が細く斜めにきりっと上がっているところです。
「お久しぶりでございます。」
湧丸は静かにゆっくりと頭を下げました。
「元気そうじゃな・・・、なんだ、また何かたくらんでおるのか?」
顔をあげた湧丸をみて垂水ノ介が言いました。なぜ垂水ノ介がこのような事を言うのかというと、湧丸はいたずらをかくしていたり、よからぬ事を考えている時に、ヘビのような目になり口からは二股のベロをチロチロ出すのです。おかあさんに似たのでしょう。湧丸は冷や汗をかいています。その様子を見た垂水ノ介はため息を一つつくと
「これか。」
と言って、湧丸の腰に素早く手を伸ばし水筒を握りました。
「あぁ、それは・・・。」
湧丸はあたふたしております。
「実は、とてもおもしろい人間の飲み物をみつけたのです。それは、(たんさんいんりょう)というもので、とても甘い飲み物ですが、口に入れるとしゅわしゅわになるのです。」
と湧丸が言うと、垂水ノ介は眉と眉の間にしわをよせた顔をして水筒を耳に当ててみました。確かに中からシュワシュワ音がします。
「本当に飲み物なのか?・・・しゅわしゅわになる?・・・」
と目を細めて聞きました。湧丸が小さくうなずくのを見届けると、垂水ノ介は水筒の栓を抜き、一気にぐいっと口に流し込みました。水筒を傾けたポーズのまま垂水ノ介の動きが止まりました・・・。垂水ノ介は口の中を冷静に伺っています。
(こ、これは!気が遠くなる程、甘く美味い!しかし、喉が焼けるように熱いぞ・・・)
そして、垂水ノ介の顔がブルブル細かく震えだしたかと思うと、
「ブフオッ。」
と口と鼻から勢いよく紫色の液体を噴水の様に吹き出してしまいました。この炭酸飲料はグレープ味だったようです。
「ゴフッ、ゴフッ、ゴフッ・・・」
膝まづき、苦しそうにむせておりましたので、湧丸が急いでかけよって背中をさすってあげております。
「らいじょうぶ・・・ゴフッ、だいじょうぶだ・・ゴフッゴフッ・・・。」
垂水ノ介は、湧丸の手をさえぎりながら立ち上がると、驚いた顔でまじまじと水筒を眺め、炭酸飲料で濡れてしまった口や鼻の下を肘で拭きました。
「なかなか面白い飲み物ではないか・・・。本当にしゅわしゅわだったぞ・・・。」
と顔を赤らめながら偉そうに言いました。
(おやおや、垂水ノ介の口元から煙の様な湯気の様な物がでています。よほど美味しかったのでしょう、ほころんだ口から小さい可愛らしい天使の形をした煙が、微笑みを浮かべて出ております。美味しいものを食べ、満足した気分になるとこの煙が出てしまうようです。)
「しかし人間の世界でのいたずらもほどほどにせんとな。」
と湧丸の肩に手を置いて言うと、水筒を渡して元の真面目な顔で帰っていきました。
垂水ノ介がかれんちゃんの家に帰ると、もう夜中でした。家に入るとかれんちゃんのパパがテレビの前で肩ひじをついて寝ていました。テレビを見ながら寝てしまったのでしょう、テレビがつけっぱなしです。かれんちゃんのおなかに戻ろうとパパの横をそうっと通りすぎようとした時、パパが寝ている横にあったグラスに目がとまりました。ストローがささったグラスからシュワシュワと音がしているではありませんか。
「あ、あれは、たんさんいんりょう!」
目を丸くして垂水ノ介はゴクリと唾を飲み込みました。しかし首をぶんぶんと横に振ると大きな汗を一つたらし、くるりと後ろを振り返り歩き始めました。真面目な顔をして歩いていきますが、すぐに真面目な顔のまま勢いよくビヨンッと後ろ向きのままジャンプし宙返りすると、差してあったストローに飛びつき、ゴクリゴクリとおいしそうに飲み始めてしまいました。時々、炭酸のためなのか顔がふくれ目が半分飛び出します。グラスの半分位飲んでしまったでしょうか、ストローから降りた垂水ノ介はパンパンにふくらんだおなかをなでながら満足した顔でドスンと後ろに座りこんでしまいました。天使の形をした煙が垂水ノ介の口から、血色のよい柔らかい表情で揺らいでおります。
しばらくおなかがいっぱいで動けなかった垂水ノ介はようやく立ち上がろうとするのですが、どうしたことでしょう体がいうことを聞きません。クラクラしてまっすぐ歩けないのです。あっちにフラフラ、こっちにクラクラ。
そうです。パパのグラスにはなんと、ただの甘い炭酸飲料だけではなくお酒が入っていたのです。垂水ノ介は目をまわしながらもヨロヨロとおぼつかない動作で側にあった誰かのおなかによじのぼり入っていきました。
あれあれ?少しおへそが大きいようですが・・・。
お分かりでしょうか?垂水ノ介は間違えてパパのおへそに入っていってしまったのです。大人の人間のおへそに入って大丈夫なのでしょうか?
垂水ノ介がパパのおへそへ入ってから2・3時間もたったでしょうか、あたりが少し明るくなってきました。
すると、フラフラ、ヨロヨロだった垂水ノ介がキビキビした動きでパパのおへそから出てきました。何があったのでしょうか?顔つきもピシッと引き締まり輝いていてまぶしいくらいです。
理由はのちほどに・・・・。
「かんしゃく町人 かんさんしゃくさん」
かれんちゃんのおなかにある堪忍袋の中には<かんしゃく町人>のかんさんと、しゃくさんが住んでいます。この二人は頭に小さなマゲを結い、小粋に赤とピンクの派手な着物を着ています。赤がかんさん、ピンクがしゃくさんです。二人は堪忍袋の中でいつもゴロゴロ居眠りをしたり、相撲をとったり、将棋なんかもしています。この二人は物を投げるのが大好き。特にかんしゃく玉を投げるのが大好きなのです。(かんしゃく玉というのは火薬が入っているちいさい玉の事で、踏んづけたり、壁に当てたり、衝撃をくわえると大きな音をたてはじける玉のことです。)
この日も二人は寝転んであくびをしたり、おならをしあって笑っていました。すると突然あたりが暗くなり、赤いランプが点滅し始めました。壁の上にあるスピーカーからテンポのよい音楽が流れてきます。
「チェッチェッコリ、チェッコリー・・・」
二人の目は輝き、飛び起きて着物のすそを直します。そして調子の良いリズムに合わせて腰に手を当て、腰を勢いよく横に揺らし、ノリノリのやる気まんまんで踊り始めました。口元は自信ありげに笑っています。すると、壁の下にある小さな扉が開き二人の足元に、色とりどりのかんしゃく玉がコロコロ転がってきました。二人はブイブイ踊っておりましたが上から流れていた音楽が突然ピタリと止むと・・・、かがんでムンズとかんしゃく玉をつかみ
「そりゃあっー。」
と天井にある袋の結び目めがけてかんしゃく玉を投げ始めるのです。ドカン、ドカンとかんしゃく玉が結び目に当たります。すると袋を縛っているヒモがしゅるしゅるとゆるんでゆくのです。
堪忍袋の緒が切れるとはこの事です。
そうするとそこから大きなテレビが出てくるのですが、そこにはかれんちゃんが今見ているものが映し出されるので、かれんちゃんが何に対して怒っているのかがかんさん、しゃくさんにも大体わかります。かんさん、しゃくさんはこのテレビを見るのが大好き。二人で、写っている物からいろいろ想像して楽しんでいます。今日のテレビにはかれんちゃんのお姉ちゃんのももちゃんが写っています。憎たらしく細い目をしてかれんちゃんを指さしてニヤニヤしています。
「おぉ、ももちゃんだ。」とかんさん。
「いやぁ、笑っちゃうほど憎らしい顔だね。」としゃくさん。
二人とも映画でも見ているかのように拍手しながら見ています。かれんちゃんがももちゃんに突進しました。かんさん、しゃくさんは拳をにぎりしめて見ています。すると横から額に青筋をたてたママが登場。ももちゃんをしかり始めました。袋の口がしゅるしゅると閉じていきます。
「あぁっ・・・。」
二人ともため息をつき物足りなそうです。そしてまたウダウダ、ダラダラし始めました。すると1分もたつかたたないかのうちにランプが点滅し始め、あの曲が鳴り始めました。
「チェッチェッコリ、チェッコリー・・・」
二人は大喜びで飛び起きて踊り始めます。かんしゃく玉が足元に転がってきました。音楽が止まり、二人がかんしゃく玉を思い切りなげつけると、今度はいとも簡単に袋の口が開きました。二人とも、今度は何が写るのかワクワクしていました。そしてテレビがつくとそこには、またもやももちゃんのどアップが写っていました。ほっぺたを両手で引っ張り舌を出して、ひどい顔をしています。かんさん、しゃくさんは大笑いです。かれんちゃんはジャンプしてももちゃんにおそいかかります。かんさん、しゃくさんも大興奮。すると画面の横の方からスーッと音もなく、顔中に青筋を何本もたてた幽霊のような鬼のような人が横切っていきました。ももちゃんが真面目な真っ青な顔で逃げていきます。そこで袋の口が閉じてしまいました。かんさん、しゃくさんは唖然としてテレビのあった方を見て
「いやぁ、最後はすごいのがでてきたなぁ。」と感心していました。
そんな楽しい毎日が過ぎていましたが、ある時から赤いランプが点滅しなくなってしまいました。かんさん、しゃくさんは「つまらない、つまらない。」と転がっていました。しかし、まったく点滅しないのです。やがて二人は転がる元気もなくなり痩せ細った顔で静かに横になっていました。
なぜランプがつかなくなったかというと・・・。
かれんちゃんはお熱が出ていたのでした。はぁはぁと大きな息をして苦しそうです。ママが氷枕をしてあげています。ももちゃんも頭に冷たいシートを貼ってあげたり、飲む水をもってきたりしてママのお手伝いをしています。熱は3日3晩続きましたが、ようやく下がってきました。もう安心です。一方、かんさん、しゃくさんはというと・・・、死んだ魚のようなうつろな目をして倒れていました。しゃくさんがかんさんに力無く言います。
「そろそろ出ようや、かんさん・・・。」
それを聞いた、かんさんはしばらく黙っていましたが、
「そう・しようか・・・。」
と蚊の鳴くような声で答えました。二人はヨロヨロと立ち上がり歩き始めましたが、かんさんは一人で歩けそうにありません。しゃくさんが横から支えながら、おへそからようやくはいだしました。スヤスヤ寝ているかれんちゃんを横目に二人は力なく笑い
「おめでとう。」
とポツリと言うと、フラフラと歩きだしました。
「お代官 苦茶ノ介」
かれんちゃんのパパのおへそに間違えて入ってしまった垂水ノ介は、上機嫌で阿波踊りを踊っています。「やっとせー、やっとせー。」どこかのお祭りを見ておぼえたのです。かれんちゃんのおなかの中に戻れたと思っているのでしょうか、とても嬉しそうです。なにせ大きさはちがうものの、おなかの中の色も居心地もまったくいっしょなものですから。垂水ノ介は荷物を下ろすと鼻歌を歌いながらゴロリと床に仰向けになりました。すると壁の上の方に小さな穴が空いているのが見えました。
「むっ。」
垂水ノ介は起き上がって穴を近くでよく見てみますと、穴は上の方にむかって伸びているようです。不思議に思った垂水ノ介はジャンプして穴に両手をかけると、下にビヨ〜ンと引っ張り、よいしょと穴に入りこみました。遠くの方に小さく明かりが見えています。垂水ノ介は何かに引っ張られるかのように、迷うことなく四つ這いでズリズリと上に登っていきました。
明かりがだんだん大きくなるにつれて、人の話し声がするのが聞こえてきました。垂水ノ介はまぶしい光に目を細めながらそうっと穴から顔を出し、あたりを覗いてみると・・・そこは大きな美しい野原が広がっていました。ちょろちょろと透き通った水の流れる小川、柔らかい風にゆれる木々、青々と育った芝生に様々な花が彩りを添えています。遠くには木の茂った山々も見えます。なんとも気持ちの良い暖かさで、心地の良い場所なのです。そこに二人の男の人が寝転んでいました。あれあれ、一人はかれんちゃんのパパのようです。片手にビールの缶を持って肩肘をついて寝転んでいます。そしてその横に立派な着物を着た白髪交じりの初老のお侍さんがこれまたビールの缶をもって同じように寝転んでいました。
「そろそろ、かんしゃく町人の二人にお祝い蝶を届けてあげてはどうであろうか?」
立派な着物を着たお侍が笑って言うと、パパはそれを聞いて
「まだ無理だと思うよ。」
と照れくさそうに笑っています。垂水ノ介には何がなんだか、チンプンカンプンです。口を開けたまま立ちつくしている垂水ノ介に二人は気づきました。立派な着物を着たお侍さんが
「おおっ、これは、これは、おしっこ侍殿ではありませんか。」
と言いながら裾をはたきながら起き上がりました。垂水ノ介はこのお侍さんが自分を知っている事にびっくりしました。そしてどこで会ったのかを必死に思い出してみるのですが思い出せません。とまどいながらも、失礼のないようにと頭を下げました。
「私はお代官を務めまする、<無茶ノ上 苦茶ノ介>と申すもの。そしてこちらはかれんちゃんのパパ殿でござる。ここはパパ殿の夢の中・・・。」
垂水ノ介はここがパパの中という事がまだわからないでいようです。頭の上に?マークがいっぱい浮いております。
「ちょっとした会をしておるところでありまするが・・・そろそろお開きですかな・・・。」
苦茶ノ介がパパの方を見ながら言いました。パパは起き上がると缶を側にあったごみ箱に捨て、少し離れた所にある奇妙な形の手洗い場に歩いていき蛇口をひねりました。その手洗い場は一見、ごつごつとした石を集めて出来ているように見えていましたが、よく見ると何かの形をしているようです。その手洗い場に近づいてよく見てみると、それは立派な彫刻の手洗い場でした。真ん中の一番太いところは蛇のように長い体のイグアナがとぐろをまいた様な格好をしていて、その長いイグアナに小さいイグアナが何匹もからみついているという、名のある芸術家が作ったような素晴らしい彫刻の手洗い場なのです。長いイグアナの頭に蛇口がついていて、ひねると水が出ます。パパは手を洗うと垂水ノ介の方を向きながら蛇口を閉め、
「今でもイグアナは苦手なんだよ。」
とパパは恥ずかしそうに苦笑いしながら言いました。垂水ノ介は戸惑った表情で
「はぁ・・・。」
とわかったような、わからないような返事をしました。するとパパは音もなくパっと消えてしまいました。パパが消えると今まで垂水ノ介がいた大きな原っぱは消えてしまい、いつのまにか垂水ノ介は薄いピンク色の部屋の中に立っていました。床や壁がモコモコと波打っています。垂水ノ介はどうやら間違えてパパのおなかの中に入ってしまった事にようやく気づきました。すると後ろから
「ここは私の仕事場、そして後ろにいる者達は私の飛脚妖精達です。」
と苦茶ノ介は言いました。苦茶ノ介の後ろに小さい人影があります。1・2・3・4・5人いるようです。飛脚妖精は垂水ノ介の半分もない位の大きさで、飛脚の格好をしています。(飛脚というのは、昔の荷物や手紙を配達する人達です。)一人だけ赤いはっぴを着て金髪で目が青く、だんご鼻の飛脚がいます。名前はドミトフスキーと言い、飛脚妖精達のリーダーのようです。
「私はこの者達を使って、様々な仕事をいたします。もちろんおしっこ侍殿のお仕事にも関係する仕事もしております。」
とニコリとして苦茶ノ介が言いました。
「先ほどかれんちゃんのパパ殿が手を洗っておられたのをご覧になられましたか?・・・あれは夢から覚める時に子供から大人まで誰でも必ずやらねばならぬ事になっております。そして蛇口を閉めるのも忘れてはなりません。これは小さな事のように思われますが、とてもとても大事な約束事なのです。しかし、中には手を洗わない子供達がいるのです・・・。なぜか・・・それは、この手洗い場は夢の片隅のどこかに必ずあるものですが、幼くて気づかない子供達もいます。また、夢が楽しくて手を洗う約束事など忘れてしまっている子供達もいます。ですが、ここにある手洗い場は、その子供の苦手な物で出来ているのです。パパ殿の場合は爬虫類がそうです。あの蛇口のついたイグアナはもともと生きておりました。生きている間は蛇口を閉めない限り水が絶えず出るという仕組みになっております。何度も何度も蛇口を閉めているとあのイグアナもそうでありますが、水も止まり、だんだん動かなくなり石に変わるのです。パパ殿も最初は閉められずにおられた・・・。水を止めずに夢から覚める・・・おわかりですかな。その時こそあなたの・・・。」
ボタンを押す仕草を苦茶ノ介がしました。垂水ノ介は目を大きく見開いています。
「そしてもう一つ・・・本来、私どもとおしっこ侍殿が顔をあわすことはめったにないことです。あなた方の仕事場と私どもの仕事場はつながってはいないからです。しかし、あなたがここへ来られた時に使った穴・・・、あれはお祝い蝶の通り道。妖精達にお役目が終わった事を知らせる蝶が通る道なのです。そして、お祝い蝶が通った後にあなたの父上が、私に会いに登ってこられた道でもあります。」
苦茶ノ介は微笑みました。
「父上はパパ殿の中におられたのですか!」
垂水ノ介は口を大きく開けおどろいています。
「左様・・・よく似ておられる。しかし、どうしてあなたがパパ殿の中に?」
苦茶ノ介は聞きました。垂水ノ介はかれんちゃんのおねしょが止まってしまった事やおへそを出て家にかえった事など、事の次第をすべて苦茶ノ介に話しました。
「左様でしたか、では私の話は少しお役にたった事でしょう。さあ、そろそろパパ殿が目をさましますぞ・・・。」
苦茶ノ介は垂水ノ介をせかしました。垂水ノ介はお礼を言って一礼すると急いで来た道を滑り下り、おへそからはいでていきました。
「やる木番妖精 D・I・Yネコル」
かれんちゃんのお姉ちゃんのももちゃんはいつもボーっとしている女の子です。しかし、疲れすぎていたり、心が弱くなっていたりしていると、ちょっとした事で暴れまわる嵐の様な予想もつかない子供になってしまいます。それはももちゃんの体の中・・・ちょうどおへその後ろの腰骨の前からにょきにょき生えている<やる木>という木が関係しているのです・・・。
ももちゃんは小学5年生です。普通は5年生位になると、この<やる木>の根っこもかなり成長して幹も太く葉もよく茂っております。しかし、ももちゃんの木は細いままなのです。なぜなら、ももちゃんは疲れすぎたり、ショックな事があるとその都度この木を枯らし始めてしまうからなのです。
ももちゃんのやる木の元気がなくなってくると、この木の近くにテントを張って、やる木の世話をしている<やる木番妖精 D・I・Yネコル>という妖精があたふたし始めます。とても優しい妖精で、やる木に水や肥料をあげる時にはいつも優しく励ましの言葉や、お褒め言葉も一緒に浴びせてあげるのです。D・I・Yネコルはかっぷくがよく、くちひげをはやし、金髪のマゲを結い、熊の毛皮のはんてんを着ています。
この日も、ももちゃんはためていた学校の宿題をやっとこ終わらせると、明日の学校の用意をトボトボと始めました。すると先生に提出しなければならない大事なプリントがなくなっていることに気がつきました。どこを探してもありません。ももちゃんの眉毛が垂れさがってゆきます。するとだんだんとお腹にある例のやる木が元気をなくしていくではありませんか・・・。木の幹はだんだんと不健康そうな緑色になっていき、うちわの様な葉っぱがひらりひらりと落ちてきました。ネコルが慌ててテントから飛び出してきました。ネコルは急いで木に肥料や水をあげたり、包帯を巻いてみたり、さすったり、抱きついたり、キスをしたりします。10回に1回位は効き目があるのですが・・・、しかし今回は効き目がまったくありません。どんどんぱらぱらと葉っぱが落ち、木が水気を失い枯れていきます。ネコルは今にも泣きだしそうな悲しげな表情をしております。しかし何をおもったのか急に怒った顔になり、着ていた毛皮のはんてんを地面に投げつけたのです。そして真っ赤な鬼のような顔つきで大股でテントに戻ると、テントの隅っこで体育座りをしてブツクサブツクサ吐き捨てるように独り言を言い始めました。しばらくブツクサ言っておりましたが、突如、夢からさめたかのように体をびくつかせ顔をあげました。そしてチラリとテントからやる木を覗くのですが、やる木は引き続き葉をヒラヒラト落としております。ひきつったひげづら顔にタラリと汗が一つ流れてゆきます。ネコルは急いでひいおじいさんが書いたという<やる木日記>を机の引き出しから引っ張り出しページをめくります。しかし、特に新しい事が書いてあるわけではありません。どんどん木が枯れていきます。
ここで一つ大事な事が・・・。それは、このやる木が枯れてしまうと<枯らしたなウィルス>という強力なウィルスが発生してしまうのです。このウィルスは妖精にしか感染しません。感染してしまったら、さあ、大変!妖精達は熱が高くなり、ボーっとしてしまって何がなんだかわからなくなってしまいます。そして大事なお仕事をいい加減にしてしまうのです。
ネコルは頭をガサガサと力強くかきむしると、小さな笛をリュックサックから取り出し口にくわえました。覚悟の決まった顔つきで息を吸い込むと、口先に力を込めて吹きました。
「ピーヒョロロ〜・・・」
笛の音が響きわたります。そして、今度はリュックからマスクを取り出しサッと素早くつけました。このネコルが吹いた笛は緊急事態を知らせるものです。これは頭の中にいるお代官にしか聞こえません。
笛の音を聞いたももちゃんのお代官の眉毛がピクリとしました。
ももちゃんのお代官は若いくせにあごひげをはやし、少し太っちょの落ち着いた雰囲気の妖精です。名前を<佐野上 植松>といいます。植松はすぐに側にいた飛脚妖精に応援にいくよういいつけました。ももちゃんの飛脚妖精のリーダーは<さだお>という男の飛脚です。女の人のように細い体で、髪の毛も長くぼさぼさ頭なので顔がよく見えません。さだおはいつもヨロヨロ奇妙な動きをしていますが、ものすごく速く動けます。さだお達は毒ガスマスクをつけてやる木まですぐに駆けつけてきましたが、すでにやる木は葉っぱが全て落ちてしまっていて枯れていました。木に貼り紙がしてあります。そこには一言{ごめんなさい}と書いてあります。最後の「い」の字がナヨナヨしています。ネコルが力をふりしぼり書いてはったのでしょう。あたりをウィルスが大量に漂っています。
「ちっ。」
さだおは舌打ちをして、あたりを見渡しました。ネコルがマスクをしたまま倒れています。さだおは青い顔をして倒れているネコルに近づいてゆくと優しくいたわり、そうっと抱き起こしました。そして、マスクをゆっくりと外してあげると・・・、力いっぱい往復ビンタをしました。ネコルはその痛みで驚いて目を開けました。そして、ゆっくりヨロヨロ起き上がると、うつろな目のままフラフラと木に向かって歩いて行くのです。何をするつもりなのでしょうか・・・。すると、ゴソゴソとポケットからマジックを取り出し貼り紙に{私がやりました}と書き加えると、また後ろに倒れてしまいました。言い忘れましたがこのウィルスにはマスクはまったく効果がないのです。困った事に妖精達の誰も知りません。
さだおは急いでお代官のところに戻り、木が枯れてしまった事を報告しました。
「そうか。」
植松はそう言うと、自分も万が一の為に毒ガスマスクを装着しました。そして、さだおに指示を出す為にさだおに向き直ると、そこにいるはずのさだおが見当たらないのです。植松は驚いて辺りをみまわしますと、少し離れた所で青い顔をして髪を振り乱しすごい勢いで、カックン、カックン、カックン、・・・とロボットダンスを踊っている飛脚妖精がいるではありませんか。どうやら、それはさだおのようなのです。さだおも感染していたのです・・・。
「しまった!」
気づいた時はすでに遅かったようです・・・。植松の頭はクラクラし始め、自分のお仕事の事も、ましてや自分がだれであるかもわからなくなっていきました・・・。
「涙止め力士 もやし海」
ももちゃんの目と目の間のおでこの中には穴が二つ空いていて、その中には海の水の様な塩辛い水が入っています。そうです、その水は涙です。二つの穴の上には木でできたマンホールの様な蓋がしてありますが、時々蓋をその水が押し上げあふれ出してしまうのです。溢れそうになった時、みなさんはどうしますか?まだ小さい時は仕様がありませんが、ももちゃん位大きくなってきますと、とりあえず恥ずかしいので泣くのをこらえようとしませんか?・・・そのこらえようとした時に活躍してくれるのが、涙止め力士なのです。ももちゃんは赤ちゃんの頃からよく泣きました。でもお姉さんになってからもよく泣いてしまいます。年を重ねてくるにつれて、グッと目と目の間に力を入れて涙をこらえられると思いますが・・・涙止め力士がいるのにおかしいですね。
ここはももちゃんのおでこの中です。一人のお相撲さんが浴衣を着て横になりテレビを見て笑っています。手も足もヒョロヒョロのとても細っぽなお相撲さんです。これが<もやし海>。ももちゃんの涙止め力士です。今日は何も仕事がなく夜になりました。「そろそろ休めるかなぁ」ともやし海はあくびをしながら思っていました。するとどうでしょう、あの穴の中からゴトゴト音がし始めました。もやし海の耳がピクリと動きます。そしてめんどうくさそうに立ち上がり浴衣を脱ぐと、両方の蓋に片足ずつのせ、そして腰を落とし真っ赤な顔をして踏ん張ります。すると蓋がボコンボコンと下から激しく持ち上がってきました。もやし海は蓋が浮き上がらないように頑張って踏ん張っています。膝がガクガクします、どんどん顔が赤くなっていきます。ももちゃんの涙がなんとかあふれ出さないように頑張っています、頑張っています。しかし・・・、
あ−っと、もやし海が空高くほうりあげられてしまいました。
穴からは水が吹き出してきます。もやし海は水浸しになってしまった床にベチャッとうつ伏せで打ちつけられてしまいました。蓋がはずれた穴から涙がどんどんと噴き出してきます。もやし海はそのまましばらく倒れていましたが、ゆっくりと水浸しの床に座りなおし、穴から水が噴き出すのを眺めていました。壁の下から水がドンドン外へ流れていきます。今日はいつもより多い涙が噴き出しているようです。ももちゃんはよっぽど悲しい事があったのでしょう。もやし海はしばらくボーっと吹き出す水を眺めておりましたが、水が溢れてこなくなるのをみとどけると、モップを手に取り床をきれいにし始めました。水がきれいになくなってしまうと蓋を丁寧に閉じると、何も無かったかのようにまたテレビを見て笑っています。
う〜ん、悔しくないのでしょうか?人さし指を鼻に入れ、鼻くそなんかほじっていますから、悔しくないのでしょう・・・。
(ここで一つ・・・妖精がいつから人の中にいるのかお話しておきましょう。妖精達はその子がお母さんのおなかの中にいる時からいるのです。ちょうどその子が生まれる少し前にお母さんのおへそから長い道を通って赤ちゃんのおなかの中にそれぞれ入っていきます。お母さんのおへそと赤ちゃんのおへそはつながっています。お母さんのおへそは赤ちゃんへ栄養を届けたり、いらなくなった物を運んだりする大事なところなので、傷をつけないように妖精達はものすごく気をつけて、時間をかけその細い道を、冷汗をボタボタたらしながら一生懸命に這いつくばり進みます。そしてなんとか自分の仕事場に辿り着いた時にはボロボロに疲れはててしまい、そのまま1,2年眠りについてしまうのです。あまりに長い間眠ってしまったので妖精達は目を覚ますと、大事な事以外を大体忘れてしまいます。しかし、何度も何度も仕事を繰り返しているとだんだんと昔の事を忘れないようになってくるのです。時々、小さいのに落ち着いていて、きりっとした顔をした子供がいますよね?あれはそんなベテランさんの妖精のせいなのです。我慢強いお子さん、聞き分けがとてもよいお子さん、うらやましいですね・・・。記憶がほとんど残っていると垂水ノ介のお父さんの様に伝説の妖精になれるのです。)
涙止め力士は仕事をしているうちにドンドン足が太くなり強くなっていきます。失敗すると悔しくて<四股>を踏んでトレーニングをするからです。<四股>とはお相撲さんが脚を交互に横にあげ、足腰を強くするトレーニングの事です。これをやると足腰の力がつき、強く踏ん張れるようになるのです。しかし、もやし海は悔しくないらしいので、四股を踏みません。四股を踏まなければ、強くなれませんよね。もやし海は、「ももちゃんがすぐに泣かないように、気持ちが強くなれば楽になるのになぁ。」と思っています。しかし、子供は涙を止められるようになり、自分で目の前の問題を解決してゆく事で少しづつ大人になってゆくものですから。少し手伝ってあげて下さい、もや海・・・。
もやし海は今日もテレビの前で笑っています。
「毒言葉家元 桜さん」
みなさんは、奇麗な言葉を使っていますか?奇麗な言葉というのは単にお行儀のよい言葉だけではなく、みんなを楽しくさせたり、勇気づけたりする言葉です。
ここはももちゃんの首の後ろ側。ここには<毒言葉家元 桜さん>という妖精が住んでいます。<家元というのは、芸術や物事を深く理解でき、はるか昔からその家に代々伝わる伝統的な物事や芸術の技やテクニックを上手に使い、それらをみなさんに教えてあげられる、しっかりとした偉い人のことです。>桜さんはとても奇麗な顔立ちをしている若い小娘さんです。薄い緑色の着物に素晴らしい桜吹雪が刺繍されている着物を着ています。いつもきっちりと結っている髪には品の良い花があしらわれているかんざしが差しております。そして背筋をピシッと伸ばし、落ち着いて正坐をしております。この妖精さんは姿形に似合わず毒言葉が大好きです。毒言葉というのは、みなさんが言ってはいけないとご両親から言われている言葉のことです。
さてさて、ももちゃんの首の後ろの中を見てみましょう・・・ももちゃんが今まさに言おうとしている言葉が一旦頭で作られると、その言葉は首の後ろに下がっていって桜さんのいる部屋の中に入ります。奇麗な言葉やなんでもない普通の言葉が部屋の中に入ってくると、桜さんはその言葉をじっくりと鑑賞もせずにポイポイ窓からほうり投げてしまうだけですが、聞くに堪えないどくどくしい言葉が入ってくると桜さんはニンマリ・・・。それを手にとり目を大きく広げ眺めまわし、その言葉の一番美しいと思われる形がイメージできると、側においてある電気のこぎりでギュンギュンと鋭く美しく削り、それから全体をザックリと削り整えます。出来上がりのバランスの良さ、美しさ、まさに芸術品、怪しく光っております。その時間0.0001秒の早技です。そしてそれを両手ではさみ、フリスビーのように大きく身体をねじって部屋の外にビュンッと投げるのです。するとその言葉達はももちゃんの口から飛び出してゆくのですが、切れ味の鋭くなったその言葉達は危ないったら仕方がありません。
ももちゃんは今日はかれんちゃんと人形で遊んでいます。ももちゃんは、かれんちゃんがなかなか思う通りに人形を動かしてくれないのでイライラしてきました。ももちゃんの後ろ首の中では桜さんが部屋の中で正坐をして仕事を待っています。すると、さくらさんの部屋に言葉が次々と飛び込んできました。
「ちょっと」
「そうじゃないでしょ、何してんの!」
桜さんは、これらの言葉には興味を示さず、すぐに外に放り出してしまいました。次に入ってきた言葉は
「このぐず、おたんこなす!」・・・。
桜さんは驚いた顔でその言葉をむんずとつかみ引き寄せると、ひっくり返したり、のぞき込んだりしてじっくりと鑑賞していました。しばらく眺めまわした後、桜さんはゆっくりと下を向きました。背中が小刻みに揺れています。感動で泣いているのです。すると、小さな声で
「素晴らしいっ!一見微笑ましく可愛らしいこの言葉の中には、相手に対するイライラしさと<あなたを小ばかにしています>といういやみな毒毒しさもふくまれている。なんとも奥深く素晴らしい・・・。」
と泣いています。そして、震える手で電気のこぎりをつかむとギュンギュンギャリギャリと削りだしました。あっという間に桜さんは削り終え、電気のこぎりを静かに置きました。その言葉の美しい出来栄え、鋭さといったら・・・。桜さんはその言葉を両手ではさむと、ビュンッと部屋の外に飛ばしました。すると、ももちゃんの口を出たその言葉は、かれんちゃんの胸の中にある心にサクッとささりました。胸を痛めたかれんちゃん。今にも泣きだしそうです。
さあ、心を痛め泣き出しそうなかれんちゃんの体の中では・・・、かれんちゃんの目と目の間からゴトゴト音がし始めました。すると、かれんちゃんのおでこに住んでいる涙止め力士がノッシノッシと立ちあがり、蓋の上に片足づつのせて、腰を落としました。りりしい顔をした力士です。名前は<納豆海>。体は小さいのですが、粘り強さ十分です。さあ、ゴットンゴットン蓋がせり上がってきました。納豆海は真っ赤な顔をして頑張って踏ん張っています。のこった、のこった、さあどうでしょうか?納豆海の体が大きく前後左右に揺れていますが、真っ赤な顔をさらに赤くして頑張っています。どうでしょう、どうでしょうか?すると蓋がだんだんと静かになってきました。どうやらあふれささずに済んだようです。さすが納豆海!ニヤリと自信満々に笑って腰を深々と落とし、カッコいいポーズをきめています。
今日はママの機嫌がすこぶる悪いのです。ももちゃんがグズグズしていてバレエのレッスンに遅刻してしまったからです。ももちゃんはママのご機嫌をとる必要があります。こういう時、ももちゃんはとりあえずママの事を褒めまくるという必殺技をもっています。
「ママって美人だよね。かわいいよね。」
「どうしてそんなに綺麗なの?バラの花みたい。」
桜さんはつまらなそうに、その言葉をポイポイ外へ放り投げています。
「腐っても、鯛とはママの事だよ。」
桜さんは「んっ。」と不思議そうにその言葉を手にとり眺めています。しばらく眺めていた桜さんはプププッと口を押さえながら笑いだしました。しばらく肩を揺らして涙目で笑っていましたが、おもむろに立ち上がり真剣な顔になりました。そして、むんずと握った電気のこぎりでギュンギュンギャリンと削りました。これまた素晴らしい出来栄え、どこかに飾っておきたいくらいです。そして両手でその作品をはさむと、ももちゃんの口からビュイーンッと放り投げました。ビュンビュン音をたてながら回っていたその言葉は、ママの心にグサッと音をたててささりました・・・。すると、今まで何の音もしなかったママのおなかの中から和風の少しのんびりとした音がしてきました。
「チェッ・チェッ・コリ、チェッ・コリー・・・」
ママの顔がだんだん青ざめ、手がプルプルと震えています。
「垂水ノ介とかんさん、しゃくさん」
かれんちゃんのおへそから元気をなくし出てきたかんさん、しゃくさんはヨロヨロ歩きながら一度お互いの家に帰ろうとボソボソと話し合っています。すると、向こうからかれんちゃんのパパのおへそから出てきた垂水ノ介が輝いた顔をして歩いてきました。垂水ノ介はかんさん、しゃくさんに気が付きました。
「あれは・・・。」
痩せほそった青い顔でフラフラしている二人を見て、垂水ノ介は心配になり駆け寄り声をかけました。
「拙者はかれん殿のおしっこ侍の大清水垂水ノ介と申すもの。かんしゃく町人とお見受けいたすが、いかがなされましたか?」
それを聞いた二人は力なく顔をあげました。
「どうしたも、こうしたも・・・。」
しゃくさんは垂水ノ介を初めて見るというのに、さほど驚きもせず訴えかけるように言いました。
「かれんちゃんが急に落着いた大人になっちまって・・・、お払い箱ってわけさ。」
しゃくさんが尻下がりにボソッと力無く言うと、かんさんは今まで寄りかかっていたしゃくさんの肩からズルズルと滑り落ち、座り込んでしまいました。「うぅっ・・・。」かんさんは鼻をすすって泣いているようです。しばらく悲しんでいる二人を見て(このお二人もかれんちゃんの体の中に・・・、おそらく例の物をまだ見ていないのだろう・・・。)そう思った垂水ノ介は
「もし・・・、部屋から出てこられる前に大きな蝶をご覧になられましたか?」
と二人に聞きました。
「大きな蝶?なんだい、それは・・・」
二人は眉をひそめ聞き直しました。
「それは・・・」
垂水ノ介が説明しようとした時、今まで寝息をたてていたかれんちゃんがモソモソと目をこすりながら起き上がってしまいました。
「しまった。」
驚いた三人。外を見ると、もうすっかり明るくなっているではありませんか。垂水ノ介はぐったりと座っているかんさんを急いで背中に背負い、
「さぁ、こちらへ・・・。」
としゃくさんに小さな声で言うと、そそくさと押入れの隙間へ入っていきました。かれんちゃんは寝ぼけた顔で周りをキョロキョロ見渡しています。ママを探しているようです。隣にママが寝ているのを確認すると、安心してママのおなかに両手で抱きつき、そのまま寝てしまいました。ママにピッタリと抱きついているおかげで、かれんちゃんのおへそが隠れてしまいました・・・。垂水ノ介達は、今日はもうかれんちゃんのおへそへは帰れないと考え、人目につかないよう押入れの屋根裏にのぼることにしました。どうにか三人とも登り終えると、かんさんは一息つく間もなくせっかちに、
「さっきの大きい蝶とは何だい?」
と身を乗り出し、垂水ノ介に聞きました。
「それは、拙者もまだ見たことがありません。なんでも人間がある力を得た時、我々のお役目の終わりを告げに来る蝶だそうです。お祝い蝶と言うそうで、とても奇麗な蝶と聞いておりますが・・・。」
「へぇ、それじゃあその蝶がくるまで、かれんちゃんはまだかんしゃくをおこすって事かい?・・・そうかい、そうかい、まだお役目御免ってわけではないんだな。」
かんさんはうれしそうに言うと、
「どうするしゃくさん?信じてみるかい、この話。」
しゃくさんに向き直って聞きました。しゃくさんは横になったまま黙っていましたが
「ちょっと・・・後で考えるよ・・・」
と途切れ途切れに力無く答えて、それからスヤスヤ寝むってしまいました。
「あんたの話を聞いて安心したんだろうよ、不安で俺たちしばらく寝られてなかったからなぁ・・・。」
とかんさんはゆっくりとした優しい口調で言った後に、仰向けにポテッとひっくり返りあっという間に寝てしまいました。かんさんしゃくさんの何とも幸せそうな寝顔を見て垂水ノ介は
「みんなかれんちゃんのおなかの中が好きなんだなぁ・・・。」
とポツリと言うと、お祝い蝶とは一体どんな蝶なのだろうと想像してみました。そして、色々な蝶を頭の中にはばたかせている間に、垂水之助もいつしか眠りについてしまいました・・・。
今日は日曜日です。お熱が冷めて元気になったかれんちゃん。おしっこ侍とかんしゃく町人がいなくなったかれんちゃんはどのような調子でしょうか・・・。
かれんちゃんは布団から出ると、いつもの通り顔を洗い、パジャマを着替えて、髪をとかして頭の後ろで一つに結わえます。そして、用意してもらったパンをムシャムシャ食べ始めました。ここまでは普段といっしょ、特に変わりはない様子でした・・・しかし、あれあれっ、顔の様子が少し・・・・・・、かれんちゃんの目はいつもの通り子供っぽくランランとしているのですが、目の上にある平和的な屈託のない眉毛が見る見るうちに吊り上がり、少年漫画の主人公のようなりりしい意志のある眉毛になってしまいました。そして、かれんちゃんは何を思ったのか、当たり前のようにゆっくりとした手つきでパパのコーヒーカップに手を伸ばし、そして当たり前のように取手を指で引っかけたかと思うとグビリグビリとコーヒーを飲み始めたではありませんか。かれんちゃんは今まで一度もコーヒーを飲んだ事はありません。驚いて見ていたパパは
「あのぅ、砂糖もミルクも入っていませんけど・・・。」
と顔をひきつらせて言いました。するとかれんちゃんはゆっくりとパパにりりしい眉毛の顔を向け不敵にニヤリと笑うと、パパの読んでいた新聞を素早い動きで奪い、そして新聞をバサバサと広げ、難しい顔で何やらブツブツと小言をつぶやきながら読み始めたのです。パパもママもももちゃんも、頭の上に大きな?マークがポカンと浮かんでいます。それからもかれんちゃんの異常行動は続きます。大人のような難しい言葉を使い、電話でじいじやばあばと人生とは何たるかを語り、ワサビ入りのお寿司をムシャムシャと頬張り、ももちゃんがからかっても静かな湖の湖面のように落ち着いているのです。家族みんな首をかしげています。そのくせ、鼻をかんだティシュはそこらじゅうに投げ捨て、トイレは流さない、洗った手は人の服で拭き、ももちゃんとしていたオセロで負けそうになると、顔色一つ変えずオセロ板をひっくり返すは、もうめちゃくちゃです。
夜になって、お風呂から出てきたかれんちゃんは、髪をドライヤーで乾かしていました。家族のみんなは少し離れた場所でかれんちゃんを横目でチラリ、チラリと観察しています。かれんちゃんは、乾かし終えてボサボサになった髪をくしでとかしていました。慣れない手つきで一生懸命にとかしておりましたが、その力強く動かしていた手がパタリッといきなり止まりました。おやっと、ママが顔をのぞいて見ますと、いつもはランランとしているかれんちゃんの目が、どこを見ているのか焦点があっていません。そして、何かにとりつかれたようにポツポツブツブツと独り言をつぶやき始めたのです。それに気づいたママがソロリソロリと近寄り眉間にしわを寄せながら耳を傾けます・・・。ママの顔がみるみる引きつりはじめました。それを見たパパも、ももちゃんもタカタタッとかれんちゃんに近寄り聞き耳をたててみますと・・・
「我が名はお代官 <無鉄砲 雑丸>・・・、持ち場を確認せよ、持ち場を確認せよ。繰り返す。我が名は・・・」と言っています。
「無鉄砲 雑丸?・・・」
パパとママは顔を見合わせて首をかしげています。ももちゃんがかれんちゃんのおでこに手を当ててみると、どうやらものすごく熱いのです。
「あつっ。」
ももちゃんはそう言って手を引っ込めました。すぐに、布団と氷枕が用意され、かれんちゃんは寝かされました。かれんちゃんはうつろな目をしてブツブツと呪文のように「持ち場を確認せよ」と、となえています。
その様子を押入れの隙間からのぞいていたかんさん、しゃくさんは冷や汗をたらしています。
「うちらのお代官は<無鉄砲 雑丸>と言うのかい。・・・すごい名前だな。」
「持ち場を確認せよ・・・だってさ。」
「かれんちゃんは、まだ大人の人間として大切な力を手に入れていないはずです。だから頭がオーバーヒートをおこしてしまったのでしょう。」
垂水ノ介が言いました。
「かれんちゃんが眠りについたらすぐに戻りましょう。」
かれんちゃんはしばらくブツブツつぶやいておりましたが、いつのまにかスースー寝息をたて始めました。垂水ノ介達は耳をすまし、かれんちゃんの側に誰もいない事をたしかめると、すぐさま押入れから出てかれんちゃんのおへそに這い上がりました。しかし、かんさんは力があまり入らないらしくなかなか這い上がれません。二人に引っ張ってもらい、ようやく登ることができました。
「それじゃあな、垂水ノ介さん。色々世話になったな、ありがとうよ。」
しゃくさんは垂水ノ介の手をとりそう言うと、おへそに一番に入っていきました。かんさんも「はぁはぁ」と荒い息をしながら垂水ノ介の手を力強く握り
「お互いしっかりやろうや・・・達者でな。」
と垂水ノ介の目をしっかりと見つめて言いました。
「お祝い蝶が来る日が楽しみですな。またどこかで・・・。」
垂水ノ介は笑顔で手を握り返しました。
「お代官 感染する」
ももちゃんのやる木が枯れてしまい、<枯らせたなウィルス>が発生しました。そのウィルスはとうとうお代官の植松にうつってしまったのです・・・。
植松の瞳はグルングルン回っています。植松の周りにいる飛脚妖精達も全て感染してしまい、見るからに普通ではない動きをしています。ヨロヨロになってしまった植松は、よせばいいのにプルプルと手を震わせながら筆で紙に緊急事態である事を書き、ガクガクと手を激しく揺らしながらそれぞれ飛脚妖精に手渡そうとしていますが、お互い手が揺れ過ぎてなかなか上手く手渡す事が出来ません。飛脚妖精達はそれぞれ他の妖精達の部屋にこの手紙を届けにいきます。しかし、なにせみんなウィルスに感染しているのでまともに真っ直ぐ歩けません。あっちにヨロヨロ、こっちでガクガク。気持ちの悪いお芝居の舞台を見ているかのようです。部屋を出て行った飛脚妖精達は、なんとか妖精の部屋にたどり着き部屋のすき間に手紙をおしいれます。すると、皆さんどうなると思いますか・・・?
そう、その時に一緒にウィルスも入ってしまうのです・・・。
ここはももちゃんのおなかの中、かんしゃく町人の部屋です。ももちゃんのかんしゃく町人はオコさんとリンボさんという肌の色が黒い町人で、とても明るく、とてもフレンドリーな町人です。部屋の中からは先程から陽気なチェッコリーが聞こえてきているのですが・・・。
どうしたのでしょうか・・・、部屋の中では赤いランプが点滅して音楽が流れているというのに、音楽がなかなか止まらず、かんしゃく玉もでてきません。オコさんとリンボさんはハイテンションで長いこと踊っていたのでノリノリに振っていた腰がしんどくなってきたようです。二人とも顔から汗がタラタラとしたたり落ち、太陽のような満面の笑みもどこかに行ってしまったようです。すると、上からヒラヒラと植松の例の手紙が落ちてきました。不思議そうにオコさんが腰を振ったままその手紙を手に取り、開こうとしました。すると、手紙を開く前にたちまちオコさんの顔は青くなり目がグルングルンと回りだしヨロヨロになってしまいました。そんなヨロヨロになっているオコさんに
「オイッ、ドウシタンダヨウ。」
とリンボさんが腰を振ったまま心配そうな顔をして近づいてきました。リンボさんはオコさんの顔をのぞき込みますと、これまたすぐに感染してしまい、そのまま白目をむいてお尻を突出し前のめりに倒れてしまいました。倒れてしばらくするとリンボさんは、その倒れた格好のまま尺取虫のように身体を縮めたり伸ばしたりして辺りを這いずりまわり始めました。軽快な音楽が二人の奇妙な動きをより不気味にさせています。すると、ピタッと音楽が止まりました。さすがですね、本能なのでしょう。オコさんとリンボさんは白目をむいたままスクッと立ち上がり、かんしゃく玉をウロウロと探しだしました。その姿といったら、まるで獲物を求めさまようゾンビのようです。キョロキョロ、フラフラと辺りを探せど、探せどかんしゃく玉はありません。すると、ゴトゴトと足元のちいさな扉があき始めました。二人の動きが止まり、二人は小さな扉の方にゆっくりと顔を向けました。小さな扉からかんしゃく玉が一つだけコロコロ転がってきます。しかし、どうやらいつもとは様子が違うかんしゃく玉なのです。感染した飛脚妖精が間違えて出してしまったのでしょうか。そのかんしゃく玉には(×10)と書いてあります。二人はウィルスでおかしくなっていてその事に気づきません。一個しか転がってこなかったものですから、二人はそのかんしゃく玉の奪い合いを始めました。取って取られてを激しく繰り返すうちに、とうとうオコさんがリンボさんの顔をひっかいてしまいました。一瞬時間が止まりました。その静けさの中、リンボさんは顔をみるみる赤くさせると、白目をむいたまま地団太を何度か踏みました。それでも怒りがおさまらないのか、今度は体の全てをふるわせて怒りを表にしたかとおもうと、あろうことかかんしゃく玉を頭上に振り上げました。そして、床に思いっきり投げつけてしまったのです。
ドッカーンッ。大爆発です。
(×10)とは火薬の量が10倍という事のようです。二人は気持ちの良い位に天井まで吹き飛ばされ、びっくりする位天井にうちつけられてしまいました。その衝撃で堪忍袋の緒がしゅるしゅるとほどけ、あの大きなテレビがでてきました。そこには、涙で潤んだような映像が映っています。
「なんでだよぅ、なんでないんだよぅ。」
ももちゃんのとても大きなしゃがれた涙声も聞こえてきます。ももちゃんは大事なプリントを探しているようですが、見つからないのです。机の上や机の下の本やおもちゃを乱暴にかき分けて探している様子が映っております。
「うるさいなぁ、ももちゃんがしっかりとしまっておかないからでしょ、黙ってさっさと探しなよ。」
かれんちゃんがそう冷たく言い放つと、それを聞いたももちゃんの動きが動力のきれたターミネーターのように力無く止まりました。しばらくジッと動力切れの状態が続いていましたが、だんだんとももちゃんの中で膨れ上がった怒りパワーが動力をよみがえらせたのか、少しづつワナワナと体が震えだし、怒ったキングコングのようにオーバーアクションで手当たり次第に物をいたるところにところに投げつけ暴れだしました。
オコさんとリンボさんはしばらく床に倒れていましたが、ようやく顔をあげてフラりフラりと立ちあがりました。しかし、どこを見ているのかボーツとしています。爆発の為に着物はすすけ、黒い顔もよけい黒くなっています。天井のテレビからはももちゃんの叫び声とももちゃんのオーバーアクションにおののくかれんちゃんが映っています。すると、放心状態のオコさんとリンボさんの足元にゴロゴロと転がってくるものが・・・。かんしゃく玉です。しかも(×30)と書いてあります。オコさんとリンボさんはまだウィルスに感染しており白目をむいたままですが、先程の記憶から無条件にそこにある物がより危険な物であると察知したのでしょう。かんしゃく玉をみるなり顔が茄子の様に紫色になってしまいました。それから二人ともズリズリと後ずさりを始めましたが、その危険なかんしゃく玉から遠くにいち早く離れたかったのでしょう、オコさんだけ体の向きをクルリと180度変えたかとおもうと、短距離ランナーのようなロケットダッシュをしてしまいました。すぐ後ろは堪忍袋の壁があるというのに・・・。オコさんは堪忍袋の壁に0.5秒で猛烈にぶつかり、その衝撃で気おつけの姿勢のまま後ろ向きに吹き飛び、転がっている(×30)のかんしゃく玉に一直線に向かって飛んでいってしまいました。オコさんの後頭部が絵に描いたようにかんしゃく玉に・・・・・・・・・・・
ジャストミート!
ボッカーン、ボッカーン、ボッカーン。
大、大、大爆発です。かんしゃく玉にはあろうことに花火が一緒にしこまれていたらしく、その爆発は今までで一番激しく、そして明るく美しいものでした。奇麗な花火の輝きでオコさんとリンボさんが床に打ちつけられたり、天井にぶつかっている様が影絵のように見えています。
ここはももちゃんの首の後ろ、ももちゃんがかれんちゃんに言わんとする毒言葉がドンドンと毒言葉家元の桜さんの部屋に入ってきます。桜さんは忙しそうに作品を作っています。そこへお代官の植松からの手紙がヒラリと舞い落ちてきました。それに気づいた桜さんは不機嫌そうな顔をして電気のこぎりを床に置きました。そして、めんどくさそうに、ハシッと空中で手紙を素早くつかんだその途端、やはり感染してしまいました。ウィルスの仕業で、桜さんの美しく白い顔は頭のてっぺんから下へ血の気が失せていきます。おでこから鼻の方へ、鼻から口の方へと青くなっていきました。しかし、気の強い桜さんは
「うぬぬっ。何を、これしきっ・・・。」
と言って歯をくいしばり、力み始めました。すると真っ青になりかけていた顔があごのほうから血の気が頭の方へ戻っていくのです。しかし、ウィルスも負けてはいません。すぐに青さが勢いよく下がってきてしまうので、桜さんは切羽詰まった物凄い顔で力を入れ、また頭の方まで押し上げます。何回か押し上げたり下がったりを繰り返しておりましたが・・・、とうとう桜さんの頑張りもむなしく、顔が真っ青になってしまいました。ウィルスに負けてしまった桜さんは力無く頭をガックリと下げ、両膝もガックリと地に落としました。桜さんは気絶してしまったのでしょうか、そのままの格好でジッとしています。しばらくそのままピクリとも動きませんでしたが・・・、突然何の前触れもなく「ドンッ」と力強く片足を前へ踏みだしたかとおもうと・・・、震えながらゆっくりと顔をもちあげたのです。どれだけ気持ちの悪い青い顔をしているのでしょうか・・・。目を覆いたくなるような瞬間です。しかし、目を覆いたくなるであろうその顔は、青色発光ダイオードのように青白くひかり輝き、目はおかめの様に垂れ下がり、口元は何故かほのかに微笑んでいるのです。今にも元気に阿波踊りでも踊りだしそうなおめでたい顔をしています。ですが、立ち上がり、歩き出すその仕草はまるで病み上がりの老婆のようです。腰を曲げ、ヨロヨロと電気のこぎりのところまで戻ってくると、プルプルとおぼつかない震える手で電気のこぎりを握りしめました。そんな体で、そんな震える手でお仕事をするつもりなのでしょうか、怪我でもしたら大変です。すると一瞬、桜さんのそのおかめの様な顔がスペシャルスイッチでも入ったかのようにピカリと激しく光ると、いきなり恐怖映画の主人公のジェイソンのように荒々しく電気のこぎりを振り上げ、ギャリーン、ガリガリッと力強く作品を作り始めたではありませんか。その作品を削っている桜さんの目は、目尻は無防備に垂れ下がっておりますが、目の奥をのぞき見ると失神するほど怖いのです。その桜さんの作った作品は部屋に入ってきた言葉とかなり違う言葉になっており、毒気がパワーアップしております。桜さんは作品が出来上がると作品に素早く顔を近づけました。作品の出来栄えを見る為なのでしょう、顔を近づけ念入りに作品をなめるように眺めまわしていると思いきや、いきなり「ペッ」と唾を作品に吐きかけたではありませんか。それから素早いモーションで振りかぶり力いっぱい外に投げつけたのです。桜さんは、ももちゃんが言わんとして部屋に入ってくる毒言葉から、強烈な作品を狂ったようにどんどんと鋭く作りあげました。そして唾をはきかけ、時々部屋の隅のほこりをなすり付けたりして投げつけています。刺さってしまったらさぞダメージも大きいことでしょう。気をつけて、かれんちゃん!
ここはももちゃんのおでこの中です。涙止め力士のもやし海はどうなっているでしょう。おでこの中はまるで嵐の海のようになっていました。勢いよく穴から涙が溢れだし、行き場を失った涙が壁にぶつかり大きな波を作って荒れ模様です。どこからかゴロゴロと雷が鳴り、時々稲妻が光ります。もやし海はどこでしょうか?もやし海ももちろん感染しているはずなのですが・・・。
いました!やはり真っ青な顔をして・・・、いや、すでに身体全体が真っ青になっています!うつろな顔をしておりますが、荒れ狂う水面に丸い蓋を浮かべ片足で見事に立ちあがり、バレエのアラベスクをきめ、波乗りを楽しんでいるではありませんか。なんとも上手いものです。上手に波に運ばれ壁に近づいてゆき、壁にぶつかりそうになると、慣れた仕草で荒れた涙に飛び込み衝突をのがれます。そして、再び蓋に乗り込み向きを変え、そしてパドリングをして次の波に向かいます。楽しそうにしておりますが調子がやはり悪いのでしょう、時折パドリングの途中に頭を下げて苦しそうにしております。しかし、見たこともない真剣な顔つきで何度も何度も繰り返し練習をしていて、アラベスクの足の上げる角度なんかも神経質に細かく気にしています。このくらいいつも熱心に四股も踏めばもっと強くなり、ももちゃんの涙も止められるようになると思うのですが・・・。
ももちゃんはいまだ暴れていましたが、それに見かねたママが額に青筋を何本もたてながらももちゃんの用意していた持ち物をひとつずつ確認していきます。
「チェッチェッコリー、チェッコリー・・・」
と小さくママの体の中からチェッコリーが聞こえてきます。聞こえてきたのは少し変わったテンポのチェッコリーですが・・・。ママがももちゃんのランドセルの中に入っている物を全部出している後ろで
「さっき、ちゃんと見たよう・・・。あるわけないよう・・・。」
ももちゃんは泣き、暴れるのを止めません。ママがノートや教科書をランドセルの横に、順番に荒々しく積み重ねていく手がピタリと止まりました。遠巻きにママの探している後ろ姿を見ていたかれんちゃんが、何かを感じとったのか
「ひっ。」
と小さく叫びました。ママの周りの空気が黒っぽくぼやけて見えるのです。ユラリとママが立ち上がりました。
「ちゃんと探せと言っただろう。」
地の底から聞こえてきそうな、人間の声とは思えない太い声が聞こえてきました。ゆっくりと振り返るその姿・・・幽霊のような鬼のようなママが、風に吹かれる柳の葉のように左右に揺れながらももちゃんに近づいていきます。その手にはももちゃんが探していた例のプリントがくしゃくしゃに握られていました。
<ここでママの堪忍袋にいるかんしゃく町人についての情報を一つご紹介しておきましょう。ママのおなかのかんしゃく町人は、伝説の中の伝説といわれているかんしゃく町人らしいのです。名前を<デスとロイヤー>と言うらしいのですが・・・。いったいどんなに凄い町人なのでしょうか、名前からして怖そうですね。後ほど登場いたします。>
ももちゃんのやる木の前では、DIYネコルがまだ倒れています。少し回復してきたのでしょうか、顔色が少々赤味をおびてきました。どこからか風が吹いてきて、やる木の枯れ葉がカサカサと音をたててDIYネコルの足元を通り過ぎていきます。そんな寒々しい乾いた音が聞こえている中で、枯れてしまったやる木の中からキシキシと、何やら生命やら希望やらが弾けて出てきそうな、そんな音がしてきたのです。すると、枯れた木に次々にビシリビシリとひびが入り始め、ひび割れたその間からまぶしい光が溢れ出しました。そして、枯れたやる木の表面がどんどんはがれていきます。やる木が新しく生まれ変わっているようです。どうやら、ママに手厳しく怒られたももちゃんは、今度からちゃんとしようと頑張る決意をしたのでしょう。新しく生まれ変わったばかりのやる木はおとぎ話にでてくる宝石のように美しく輝いていて、その光に照らされるDIYネコルの顔も美しいとは言えませんが輝いています。
しばらくして、ネコルは目をゆっくりまぶしそうに開きました。ネコルはまだウィルスが抜け切れていないので、うつろな顔をしておりますが、生まれ変わったその木を見る目はとても優しく暖かいものでした。
「かれんちゃん、旅行に行く」
かれんちゃんの家族は旅行にみんなで行くことになりました。もちろん垂水ノ介を含め家族の中にいる妖精達も一緒です。車の後部座席で、かれんちゃんはももちゃんと大はしゃぎしています。渋滞もなく快適な旅のようです。
車の中で、かれんちゃんのパパとママがしゃべっています。
「オムツ持ってきたよね?」と顔をひきつらせてパパが言います。
「もちろん。」と顔をこわばらせてママが言います。
かれんちゃんは全然聞いていないようですが、垂水ノ介はかれんちゃんのおなかの中でその話を聞きながら、素知らぬ顔でお茶をすすっております。垂水ノ介は、最近のかれんちゃんの<おねしょやりたい放題>に大満足しているのです。垂水ノ介は会心の音を聞き放題ですが、後始末をするママは痛恨のストレス三昧であります。
ここで、かれんちゃんの<おねしょ必殺技>を紹介しましょう。
一つは<ローリングおねしょ>・・・これは転がりながらおねしょをするという技です。被害が広範囲に及び、ママを大変がっかりさせます。
もう一つは<境界線おねしょ>・・・かれんちゃんは同じ部屋でももちゃんと布団を並べて寝ておりますが、この技はももちゃんの布団とかれんちゃんの布団のちょうど間でおねしょをするというものです。二枚とも濡れてしまうので、二枚とも洗濯、及び布団干しをしなければなりません。ママを骨抜きにしてしまいます。
最後は<二度寝の恐怖>という技ですが、これはまさしく二度寝でおねしょをするというものです。一度起きて服を着替えたにも関わらずママのお気に入りの絨毯や愛用しているマッサージチェアの上で二度寝をしてしまい、そこで大放流してしまうという、聞くだけでも寝込んでしまいそうな恐ろしい技です。
これらのかれんちゃんの必殺技はママを「明日のジョー」の矢吹の最後のように真っ白な灰にしてしまうのです。
かれんちゃん達は、宿に着く途中に有名なお寺を観光することになっていました。車を留めて、両脇にお土産屋さんがズラリと並んだ道を歩いていきます。結構なにぎわいです。いい匂いのするお土産屋さんや、特産品が並ぶ店達にママを含め子供達は雄叫びをあげながらあっちにフラフラ、こっちでモグモグと大いに満喫しております。しかし、そのお店達には決まって、あぐらをかいて座っている黒塗りの仏像様の小さい置物が売られているのです。穏やかな顔つきのお顔は品があり、神々しくもあります。あるお店でパパがその仏像様を手に取り眺めていると、お店のおばあちゃんがどこからでてきたのか、音もなく後ろから近づいてきました。
「それは、このお寺にまつられている仏像様でなぁ、その仏像様の体を触ったところがすこぶるよくなるという言い伝えなのじゃよ。病気が治ったりな・・・。」
パパの耳元で、おばあちゃんはそうつぶやきました。突然後ろから話しかけられ、驚いて真っ白になっているパパに、おばあちゃんはお寺の歴史や仏像様の言い伝えなどを容赦なく浴びせかけるのでした。それを聞いていたのか聞いていなかったのか、おばあちゃんが話すのを終え静かになったところで我に帰ったパパは、おばあちゃんにオロオロとお礼を言うと
「じゃ、じゃぁ、行ってみようよ。」
とワイワイ騒ぐ皆に声をかけました。
かれんちゃんのおなかの中ではその頃、垂水ノ介は上半身裸になり刀で素振りをしていました。するとどうしたのでしょう、突然、刀を振り上げたその背中に冷たいものを感じた垂水ノ介。
「おおぅっ。」
肩をすくめ身震いをしました。何か嫌な予感でもしたのでしょうか?
お寺に続く長い階段をようやく上りきると、そこから見る眺めはとても素晴らしいものでした。天気もよく遠くまで景色が見渡せます。パパとママはしばらく気持ちよさそうにその景色を眺めておりましたが、二人の娘達がいなくなっている事に気が付きました。
「あれっ、あの子達どこいった?」
「あれっ、おーい。」
二人はキョロキョロと娘達を探しながらお寺の本堂の方へと向かいました。
その頃、ももちゃんとかれんちゃんはふざけ合いながら、一足先に本堂に入っていました。靴を脱ぎ、人をかき分けドタドタバタバタと本堂の奥に入っていくと、あの店先で売られていた仏像様が薄暗い中に、堂々とした出で立ちで座っておりました。
「あっ、あれじゃない!」
かれんちゃんが大きな声で言いました。
「そうだよ、そうだよ、ソースだよ。うまいなんとか、ソースだよん・・・。」
とももちゃんが腰をクネクネした変な踊りを踊りながら仏像様に近づいて行きます。かれんちゃんは笑いながら、ももちゃんのまねをして後を追いかけていくのでした。
「いないわねぇ。」
とママがあちこち見回して心配しています。歩き回っているうちにパパとママは本堂の前まできてしまいました。
「先に中に入っているのかもしれん。」
とパパが言うと、ママもそう思ったのか二人は靴を脱ぎ本堂に入っていきました。すると、クスクスと人混みから笑い声が聞こえてきました。パパとママは子供達の姿を探しながら横目でチラリと笑い声のする方を見ました。あの仏像様が座っているのが見えます。その仏像様に二人の子供らしき影がへばりついているのが見えました。
「んっ?」とパパは立ち止まりました。
その子供の一人は仏像様の顔を片手で握りしめ、もう一人は仏像様のお股をわしづかみしています。
「仏像様に何をイタズラしているのだ、あの子供達は・・・。親の顔が見てみたい・・・。」
と心の中で思った瞬間パパとママは心臓の中心に、まさにゴーンッとお寺の鐘を突かれたような衝撃を受けました。そのへばりついている子供達はまさしく、ももちゃんとかれんちゃんでした。
ももちゃんは仏像様の顔を、歯を食いしばり力一杯握りしめています。
「顔が良くなりますように・・・、外人さんの様に鼻が高くなりますように・・・」
一方のかれんちゃんは、真剣な眼差しで仏像様のおまたをしっかりと握りしめています。
「おねしょが止まりますように・・・、おねしょが止まりますように・・・」
と心で唱えております。
垂水ノ介は素振りの稽古が終わり、床に仰向けになって目を閉じ、ハァハァと荒い息をしておりました。かなり一生懸命に稽古したのでしょう、かなり疲れているようです。すると、どこからともなくグヲングヲンと洗濯機が回るような大きな音がしてきました。垂水ノ介が驚いて目を開けると、目の前にある空気がグルグルと渦を巻いているのです。
「何事だ!」
垂水ノ介は驚き、急いで起き上がろうと体に力を入れるのですが全く体が動きません。それでも動こうともがいておりますと、その目の前の空気の渦がどんどん人の顔の形になっていきました。よく見てみますと、どうやらあの仏像様の顔のようなのですが、少し顔が不細工にみえます。誰かに顔を握りしめられているように歪んでいるのです。その仏像様はその困った歪んだ顔で、口を開きました。
「おねしょが止まりますように、・・・おねしょが止まりますように、おねしょが止まりますように・・・」
その仏像様の口から発せられる声はかれんちゃんのものでした。その声の大きさときたら、耳の奥でドラをグオングオンと鳴らされている様な衝撃なのです。垂水ノ介は苦しそうに目をきつく閉じ、耳を押さえもがいております。垂水ノ介は苦しみながら
「おねしょが止まりますように・・・おねしょが止まりますように・・・」
とかれんちゃんが唱えている言葉の間に時々小さな声で、かれんちゃんが何か違う事をいっているのに気付きました。
「おねしょが止まりますように・・・、でも垂水ノ介がいなくなるのは嫌だなぁ、おねしょが止まりますように・・・、でも垂水ノ介がいなくなるとさみしいな・・・、」
「か、かれん殿・・・」
呻く垂水ノ介はうれしいやら、苦しいやらでしたが、いよいよ我慢も限界になってきたようです。目に力が入らなくなり気が遠くなってきました。すると、外から
「コラァ!止めんかぁ!」
と声がしました。ママの恥ずかしさと怒りを押し殺したような声です。すると、仏像様はホッとしたような表情をみせ、テレビを消すように垂水之助の目の前からプチュンと音をたて消えてしまいました。垂水ノ介は汗をびっちょりとかき、荒い息をして大の字に倒れたままです。
「危ないところだった・・・。」
垂水ノ介はいまだ大きな息をして、辛そうにそうつぶくのでした。
難を逃れた垂水ノ介はその夜も、何食わぬ顔でいつものようにボタンの前に座り、いつものように気を静め、最高の瞬間にボタンを押したのでした。今日も良い音が聞こえているようです。
「かんしゃく町人 サブさん マリンちゃん」
今日は日曜日、かれんちゃんとももちゃんはパパと一緒に、ある喫茶店へお昼ご飯を食べにやってきました。パパが子供の頃からあるレンガ造りの喫茶店で店の中の机や椅子、小物類なども気が利いていて、そこに座っているだけで御洒落さんになったような気分になれる、そんな喫茶店なのです。パパのお財布に余裕がある時にだけ連れていってもらえますので、三人ともウキウキして喫茶店に入っていきました。
「うわっ、今日は混んでるなぁ。」
パパの顔に迷いが走りました。ですが、この喫茶店で人気のある窓際の4人掛けの席がちょうど良い具合に空き、待つ事なく座る事ができたものですから、かれんちゃんとももちゃんは上機嫌で窓際にそそくさと座りました。窓から薄い緑色に彩られた春の風景が見えます。
「随分待つと思ったけど、ラッキーだったね。」
パパも一安心しています。ウェイトレスのお姉さんが注文をとりにきたので、ももちゃんはナポリタンを、かれんちゃんはオムライス、パパはハンバーグをそれぞれ飲み物と一緒に注文しました。奥ではちょび髭マスターがアタフタとあっちにいったり、こっちにいったり忙しそうです。
この喫茶店に来る前に、三人は公園でたくさん遊んできたので三人ともお腹がぺこぺこです。しばらくももちゃんとかれんちゃんは、それぞれの小学校にいる面白い変わったお友達の話をパパに教えてあげて三人で笑って盛り上がっておりましたが、飲み物さえでてくる気配がありません。色々な話を沢山してしまったので話す事も少なくなり、会話が途切れ途切れになってくると三人とも落着きがなくなってきました。かれんちゃんは席を立ち歩き、壁に飾っている小物をいじりまわっています。ももちゃんは、お腹がへり過ぎて青い顔になり、おでこを机にぐりぐりとおしつけています。パパは、そんな子供達に注意をはらいながら外を眺めたり、メニューを眺めたり、天井を眺めたりしています。ついにももちゃんがブーブー、フニフニと弱音を吐き始めました。きっと、お腹の中ではやる木がハラハラと葉っぱをちらし始め、DIYネコルが冷や汗を垂らしている頃でしょう。パパが空励ましをします。
「ほらっ、オムライスが来るぞ!かれんのじゃないか?」
スルーッと通り過ぎて行きます。
「おおっ、今度はハンバーグが・・・。」
シレーッと通り過ぎて行きました。
「あれ、ナポリタンじゃない?もものじゃないか?」
イエーイッと後ろの席の男の子が喜びます。
ももちゃんが灰色にすすけた小言をモクモクと吐き始めました。
「だから嫌だったんだよう、誰が来ようっていったんだよう、家でお昼を食べれば良かったよう、でもうどんは嫌だよう・・・」
それを聞いていたかれんちゃんのお腹から、あの「チェッコリー」が聞こえてきました。かんさんしゃくさんは喜んで踊っていることでしょう。かれんちゃんはイライラしながら、小言を吐き続けているももちゃんの頭に向かって紙ナプキンをちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返しています。
「コラッ。もう連れて来ないぞ。」
パパが声を押さえつけて言いました。いつのまにかももちゃんの髪の毛はちぎれた紙ナプキンでいっぱいになってしまいました。
「もう、止めてよう。」
ももちゃんも面白がってナプキンの切れ端をかれんちゃんに向かって投げ始めたものですから、パパのおなかの中からとうとう物凄いテンポの早い「チェッコリー」が聞こえてきました。それは、ロックンロールバージョンのチェッコリーでした・・・。
ここはパパのお腹の中、大きい影と小さい影がロックンロールチェッコリーに合わせ飛ぶように踊っております。大きい方がサブさん、海のように青い着物をきていて丸いレンズのメガネをかけています。小さい影はマリンちゃん、花柄の濃いピンク色の着物をきている女の子です。マリンちゃんはサブさんの娘さんです。親子でかんしゃく町人をしております。サブさんは背がスラッと高く男前です。マリンちゃんもパパそっくりな顔をしています。
この親子の町人は、かれんちゃんのパパのお腹の中で、赤いランプがつかない時は二人で洋菓子作りをしている事が多いようです。二人とも、洋菓子が大好き。今日もミルクレープなるものを作っておりました。サブさんはミルクレープに使う生クリームを意味もなく調子にのって勢いよく泡立てたものですから、ヘロヘロになっておりました。しかし、かれんちゃんのパパが怒り出し赤いランプが点滅してロックンロールチェッコリーが鳴りだすと、眼鏡の奥で目をきらつかせました。スクッと立ち上がり、着物の裾をゆっくりと直し、不敵な笑いを浮かべております。側でクレープの生地をかき混ぜていたマリンちゃんも、赤いランプが点滅するのを見て喜んで飛び上り、パパが踊りだすより早くピョッコンピョッコン踊り始めました。二人伴、弾けるポップコーンのように弾んで踊っております。音楽が止まり、足元の小さい扉が開きました。かんしゃく玉が転がってきます。サブさんは踊るのを止め落ち着いた仕草でかんしゃく玉を拾い上げると、変わった動きをし始めました。腰を必要以上にかがませ、かんしゃく玉を持っている右腕を上半身を捻りながら真上に高々と上げます。そして、腰をグッとねじって力を入れたかと思うと、思い切り堪忍袋の緒へめがけてかんしゃく玉を投げたのです。見事にど真ん中のストライク!そうです、これはサブマリン投法という変わった投げ方なのです。ドカベンの里中君、阪急ブレーブスの山田投手が使っていた投げ方で、球威はあまりありませんが、コントロールは抜群なのです。一方、マリンちゃんは・・・マリンちゃんもパパと同じサブマリン投法ではありませんか。球威はパパよりも落ちますが、これまた素晴らしいコントロールで堪忍袋の緒へ一直線・・・「ストライークッ!」もし、この投球をアンパイヤが見ていたら、くるりと横向きになり人差し指をビシッとさし示し、ストライクの雄叫びをあげる事でしょう。
見事なものです。サブさん、マリンちゃんは淡々と投げ続けています。
ももかれちゃんは、だんだんこのいたずらが面白くなってきてしまったのか、パパの目をすり抜けてはチョイチョイちぎったナプキンを投げ合っています。しばらくしてかれんちゃんは他に面白い事を思いついたらしく、口に怪しい笑みを浮かべながら氷の入ったコップを口にもっていきました。そして、小さい氷を口に一つ含むと、ももちゃんめがけて口をとがらせてプっと吐き出そうとしたのです・・・それを見つけたパパの細い目が大魔神のようにグワッーと開きました。
サブさんとマリンちゃんはストライクを連発で投げ続けております。堪忍袋の緒がもうすぐ開きそうです。サブさんはそれを見ると、眼鏡を中指で押し上げ、いきむ事無く振りかぶりました。そして腰を曲げ、腕を振り上げ勢いよく腰を捻ると・・・・
グキッ
鈍い音がしました。サブさんが倒れています。どうやらぎっくり腰をおこしたようです。サブさんは「やってしまった!」というような顔をして投球モーションのまま横向きに倒れピクピクしています。それを見たマリンちゃんは、助けにもいかずパパの倒れている格好を真似して、口をパクパクさせながら笑っています。
「マ、マリン、頼、頼む。」
サブさんは絞り出すようにそう言うと、
「しょうがないなぁ・・・。」
マリンちゃんは笑うのを止め、転がっていたかんしゃく玉を拾いあげました。そして腰を曲げ投球モーションにはいると、堪忍袋の緒ではなくサブさんめがけてかんしゃく玉を投げたのです。しかし、玉の軌道は倒れているサブさんより少し高いようです。どこをめがけて投げているのでしょう、検討がつきません。玉はサブさんの上を通りすぎてしまうかと思いきや、突然球威がストンと落ち右斜め下に落ちていったのです。シンカー(無回転で斜め下に落ちる変化球)だったようです。シンカーを投げられるとは、マリンちゃんはたいしたものです。かんしゃく玉は、サブさんのちょうど痛めた腰めがけて落ちていきます。
ボオーン
サブさんの腰の、一番曲がって痛そうなところにズドンと落ちました。
「ナイスボール!」
マリンちゃんはガッツポーズ。
当てられたサブさんは、それはそれは痛かったのでしょう。
「ぐわーっ。」
と叫びながら、悪者にやられてしまった仮面ライダーのようにふき飛ばされ、ゴロゴロと床を転がっていきました。堪忍袋の壁の近くで転がるスピードがだんだん遅くなり、ようやくパタリと止まりました。サブさんは死んでしまったかのように身動きせず、横たわっております。そんなサブさんを心配したのか、マリンちゃんは走ってサブさんに近づいていきました。そして震える両手で、火薬ですすけてしまったサブさんの顔を持ち上げると、手拭いで優しく顔を拭いてあげるのかと思いきや、サブさんの鼻と口を手拭いで力いっぱい塞ぎました。サブさんはしばらく耐えておりましたが、耐えられなかったのでしょう、すごい顔をして飛び起きました。
「死んでしまうぞ!」
ゼイゼイ荒い息をしながら、マリンちゃんを怒りました。どうやら腰は大丈夫になったようです。元気に動いております。
「堪忍袋が閉じてしまったじゃないの。」
マリンちゃんは怒った顔をして、天井を指さしました。すると、もうちょっとで完全に開きかけていた堪忍袋の緒が、シュルシュルと音をたてて、閉じてしまいました。サブさんは怒っているマリンちゃんに向かって笑みを浮かべて、
「ド・ン・ト・マインド。」
とゆっくりと言うと、マリンちゃんの肩を陽気にたたきました。
「さあ、ミルクレープ作りにいそしもうではないか。」
とマリンちゃんの顔をのぞき込みました。マリンちゃんは不服そうな顔をして怒っています。
「怒るな、怒るな。チョコレートホイップにするか?・・・それともマロンクリームにするか?」
などと悪びれもせず、恥ずかしがりもせず、無責任な態度で歩いていくのでした。
堪忍袋の緒がもう少しでほどけてしまいそうな時に、サブさんが腰を痛めてしまったものですから、パパの動きは止まり、目が魚のようになってしまいました。パパはしばらく目をパチクリさせていましたが、徐々に堪忍袋の緒が閉まっていったのでしょう。二人を怒る為に半分浮かしていた腰をおろし、
「それはやっては駄目だろう・・・お前達・・・。」
と爽やかに落ち着いて言いました。ももちゃんとかれんちゃんはこっぴどく怒られてしまうと身構えていたものですから、パパの変わりように顔を見合わせホッと肩をおろしました。すると、タイミング良くウェイトレスさんが料理を運んできてくれました。すると三人の機嫌も良くなり、何事もなかったようにワイワイガヤガヤと楽しくご飯を食べました。