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教師  作者: あいる華音
27/33

27、再会

「やっぱり……記憶喪失なんですか?」

 しばらくして、医師にそう告げられた尾形が、落胆して言った。

「ええ。一時的なものだとは思いますが、それがどの程度なのかはわかりません……しかし、相当なショックを回避するための手段だと思われます。しばらく不安定な時期が続くと思われますので、目を離さずに安静にさせてください。安定剤も投与しますが、様子を見るためにも数日、入院させましょう」

「はい。お願いします……」

 尾形はどうしていいのかわからなかった。だが、歩を支えたいと思った。


 歩は眠ったり起きたりの生活を繰り返していた。起きても不安定さが残り、薬に頼る生活が続く。覚えていることといえば優のことくらいで、それ以外の記憶はすべてなくしてしまっていたが、尾形や山伏たちの暖かさに触れ、次第に今の状況を受け入れられるようになっていた。

 結局、一週間の入院生活を送った歩が、山伏家に戻った時には、唯一覚えている優の葬式も何もかもが終わり、残っているものは部屋に残された、優の描いた絵やぬいぐるみ、そして位牌だけであった。

 歩は退院後も、精神安定剤を飲みながら、普段の生活へと徐々に戻っていったが、記憶は戻らなかった。だが、片時も離れずに看病してくれる尾形にだけは心開いていく。優の父親や、自分の恋人としての自覚はなかったが、それも段々そう思うようになっていった。

 山伏夫妻は、尾形の吐いた嘘に疑問を持ちながらも、今の歩を支えてやれるのは尾形しかいないと踏み、何も言うことはなかった。


 数ヵ月後。世間は年末を迎え、活気づいていた。

 佐伯は冬休み早々に、夏休みに一度来たきりの、歩のいる町付近にやってきた。それは、夏休みに風邪と疲労で、この町を散策できなかったからである。

 しかし今回もまた佐伯は風邪を引いており、それ以上に、佐伯の焦りと不安は、疲労という形で重なっていた。

「ヤバイな、熱まで出てきたみたいだ……こんなところで倒れたら、シャレにならない」

 雪景色の町をフラフラになって歩きながら、佐伯は自分の額に手を当てる。咳が止まらず、気分も悪い。

「クソッ……」

 佐伯はめまいと共に、近くのガードレールに寄りかかると、咳こみながらその場にしゃがみこみ、空を見上げた。

「歩……」

 そこに、佐伯を覗きこむ女性の姿が飛びこんできた。佐伯はハッとして、目を見開く。

 そこには、歩がいる。

「あ……!」

「優!」

 佐伯が言うより前に、歩がそう叫んだ。佐伯は信じられないといった表情と、やっと会えたという安堵の笑みを浮かべて、歩に手を伸ばす。

「あ……ごめんなさい。そんなわけないのに……」

 歩は我に返ったように、表情を暗くして俯く。

 他人行儀なその言葉に、佐伯は言葉を失った。歩ではないのか……探るように、歩を見つめる。

「ごめんなさい。変なこと言って……」

「あ……の……」

 無理に笑ってそう言う歩に、佐伯はそれ以上何も言えずに、観察を続ける。

「大丈夫ですか? 具合が悪いんですか?」

 歩は佐伯が伸ばしていた手を握る。その手はとても暖かく、佐伯は知らず知らずのうちに、涙を流していた。歩はそれを見て、ポケットから出したハンカチで佐伯の涙を拭う。

「……熱があるみたいですね。立てますか? うち、すぐそこなんです。少し休んでいくといいですよ」

 佐伯を見ても何も思い出さなかったが、歩はなぜか声をかけずにはいられなかった。

 あまりに他人行儀な歩に、佐伯はゆっくりと口を開く。

「……君は……?」

「私は歩です。後藤歩」

 素直に歩がそう言った途端、立ち上がろうとした佐伯は、ガードレールに倒れるようにして座りこんだ。

「大丈夫ですか!」

「……俺がわからないのか?」

 二人の空気が止まる。

「えっ……?」

 歩の純粋な驚きに、佐伯はゆっくりと立ち上がった。歩は佐伯を見つめている。

「……私を知ってるの?」

「嘘だよ。あまりに君が……俺の知り合いにそっくりだったから……」

 様子を見ようと、佐伯が静かにそう言う。その言葉に、歩も微笑んだ。

「なんだ。それなら、私も思いました」

「……俺が、君の知り合いに似てるのかい?」

「ええ。知り合いっていうか……息子なんです。もう、死んじゃったけれど……」

「え……?」

 二人の間に沈黙が走った。佐伯は目を丸くしたまま、立ち止まる。

 佐伯の態度を気に留めず、歩は涙ぐみながら、それを堪えて微笑んだ。

「半年前に、病気で……あの子が生きてたら、きっとあなたみたいになるって思って、思わず声をかけていたんです……ごめんなさい。気を悪くしないでください。私、あの子がいなくなってからおかしくて、男の子を見る度にあの子だって勘違いしたりして……今回も多分、それと同じです……」

「……本当に……死んでしまったの?」

 信じられない様子で、佐伯が尋ねる。それと同時に、どうしようもない悲しみがこみ上げてきた。

「ええ。私がついていながら……とにかく家に行きましょう。もう決めたんです。私の前で、人は死なせないんだから」

「……」

 佐伯は、歩の後をゆっくりとついていく。歩に違いなかったが、記憶を失っているのにはすぐに気がついた。そしてそのまま、少し歩いたところにある一軒家へと案内された。


「……ここが家?」

「はい、パチンコ屋のご夫婦と一緒に。ずっとお世話になっているんです。どうぞ」

 歩は自分の部屋に佐伯を通すと、すぐにストーブへと火をつける。

「男の人を連れこんだなんて知ったら、きっと尾形さんが怒るだろうな……でも、あなたは特別です。優に似てるんだもの。ちょっと待っててくださいね。お茶、持ってきます」

 歩はそう言うと、部屋を出ていった。佐伯は重い身体をベッドに寄りかからせ、辺りを見回す。やりきれない思いでいっぱいだった。

 生まれたはずの息子はすでに亡くなっており、やっと見つけた歩も記憶を失っているという事実に、落胆の色を隠せない。

 その時、ふと棚に置かれたオルゴールが目についた。それは佐伯も同じ物を持っている、二人にとって思い出の品である。

「持っていたのか……」

 佐伯が視線を逸らすと、近くに並んだ数枚の母子の写真が目についた。

 それを見て、佐伯はハッとした。

「この子は……」

 佐伯は、忘れてはいなかった。半年前にこの町へ来た時、病院で出会った男の子である。

 そこに歩が、お茶を持って戻ってきた。

「ちゃんと横になってなきゃ駄目ですよ」

「ああ、あの、この写真……」

「ああ……私と息子です」

 それを聞いて、佐伯は写真をまじまじと見つめる。

「……この子が……」

「おかしいけど、あなたにどことなく雰囲気が似ていませんか? あの子、生まれた時から心臓が弱くて、でも、わがままなんて言ったこともないし、手のかからないいい子だったんですよ……」

 佐伯は写真立てを握り締めたまま、言葉にならずに涙を流した。悔しくて、自分が許せない。

「……どうして泣いているんですか? 同情してくれているんですか?」

「いや……」

 見知らぬ佐伯の涙を見て、歩もつられて泣けてきた。

「なんだか、初めて会った気がしないな。変な人……」

 歩がそう言うと、佐伯は思わず歩を抱きしめた。

「ごめん、少しだけ……少しだけ……」

 佐伯は止まらない涙を、歩と共に流した。

 そしてしばらくすると、歩から離れて涙を拭う。

「ごめん。急に……」

 佐伯が言った。その顔は、真剣でいて辛そうにしている。

 歩にとっては見知らぬ男に抱きしめられたことになるが、嫌な感触はなかった。

「……いえ。さあ、お茶を飲んだら一眠りしてください。やっぱり熱があるみたい。薬切らしているので、すぐに買ってきます。後でおかゆでも作りますね」

 歩はそう言うと、立ち上がった。佐伯はまだ現実を受け入れられずにいたが、ゆっくりと口を開く。

「……俺のことを知らないのに、どうしてここまでしてくれるんだい?」

「……わからない。でもあなたは、安全な男の人だと思ったから……信用してるんですから、お願いします」

「ああ」

 歩の言葉に、佐伯は何度も頷く。

「じゃあ、どうぞ一眠りしてください。おやすみなさい」

「ありがとう……」

 歩は部屋を出ていった。

 記憶を失っているはずの歩だが、佐伯には警戒心など感じなかった。その不思議は、歩自身も感じていた。それは、かつて二人が恋人同士だったことが、深く支えていたからなのかもしれない。

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