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教師  作者: あいる華音
25/33

25、我が子……

 数ヵ月後、夏――。

 産婦人科病院に、尾形と山伏夫人の姿がある。そこには、元気のいい産声と共に、母親の顔となった歩の姿があった。佐伯の子供は無事生まれ、男の子である。

 たった一人で生きていくという不安に負けそうになりながらも、歩は優しい人たちの中で前を見つめ、今日まできていた。

「歩、大丈夫やったか?」

 尾形が駆け寄って言う。まるで子供の父親のように、嬉しそうな顔の尾形がいる。

「ありがとう、尾形さん。大丈夫……」

 ホッとした様子で、微笑みながら歩が言った。その手に抱かれた我が子が、愛おしくてたまらない。

「歩ちゃん、おめでとう。男の子だってね」

 山伏夫人も、安堵の顔を見せて言った。

「ありがとうございます、奥さん。すみません、ご心配をかけて……」

「なに言ってるのよ。私も孫が出来たみたいで嬉しいわ」

 山伏の言葉に、歩は我が子を抱いて頷いた。

「あ、そうや。写真取ろうや、写真」

 尾形が、持っていたカメラを取り出す。

「まあ尾形さん。いつも持ち歩いてたの?」

「もちろんですわ。歩のベストショットを収めなあかんので。はい、笑って」

 尾形は、歩と赤ん坊に向けてシャッターを切る。一同は笑顔に包まれていた。


 函館。

「佐伯ちゃん!」

 駅のホームで、一人の少年が走り寄ってきた。呼ばれた佐伯は、それに気づいて手を振る。少年は、佐伯の教える男子高校の生徒である。

「おう、どこ行くんだ?」

「隣の駅だよ。親戚んちにちょっとね。佐伯ちゃんは? 大きな荷物だけど、旅行かよ。夏休みだからっていけないなあ」

「ちょっとな」

 その時、電車がやってきた。

「あれ、東京戻るんじゃないんだ?」

 男子生徒は、佐伯の乗る電車の方向を見て言った。

「ああ」

「さては、女だな?」

「ハハハ。まあ、そんなところかな。おまえも気をつけて行けよ」

「うん」

 佐伯は電車に乗ると、生徒に手を振って去って行った。

 歩が消えて半年が過ぎていたが、佐伯は北海道から離れずに、かすかな望みにかけていた。どうしても、歩を捜し出さねばならないと思った。

 週末や休みになると、北海道中を捜している。時に青森に渡ったり、東京に戻って捜したりもしたが、何の情報もないままでは、歩を埋もれさせているに過ぎない。それでも佐伯は、諦めきれなかった。


 二年後――。

 病院の小児病棟に、歩が訪れた。

「ママ!」

 歩に走り寄ってきた男の子の名は、優。「優」と書いて「ゆたか」と読んだ。二歳になったばかりの、歩と佐伯の息子である。

 そんな優は生まれつき心臓が弱く、月一度の診察を義務づけられ、運動することも走ることさえも許されていない。先日、発作が起きてからは、入院をしている。

「優、いい子にしてた?」

 すっかり母親の顔つきで、歩が尋ねる。優は母親の姿に目を輝かせて、大きく頷いた。

「うん。苦いお薬も、ちゃんと飲んだよ」

「偉いね」

「ママ、僕のお誕生日、入院しちゃったでしょう? ここでお祝いしてくれたけど、退院したらまたお祝いしてくれる? ケーキが食べたいの」

 優の言葉に、歩は笑って頷く。

「うん、約束する。大きなケーキを食べさせてあげる」

「本当!」

 優は喜ぶと同時に、咳きこんだ。

「大丈夫? ほら、落ち着いて」

 歩の対応も、もはや落ち着いたものだった。内心はいつどうなるかビクビクしているものの、そこは母親の強さが備わっている。背中をさすっていると、すぐに優は咳を止めた。

「大丈夫ね?」

「うん……」

「そうだ。今日は何の絵を描いたのかな?」

 気を紛らわせようと、歩は話題を変えて尋ねる。

「見せてあげる」

 そう言って、優は近くにあった画用紙をめくった。その中には、いろいろな絵が描かれている。

 優は絵を描くのが好きで、いつも画用紙とクレヨンを手放さなかった。

「これが先生でね、これがひなちゃんと大地君。こっちが婦長さんだよ」

 優が指を差して説明する。まだ人物画としては乏しいが、それでも同じ年の子供の比べれば、格段に上手い。

 歩は絵を覗きこんで、指を差す。

「わかった。みんなでご本を読んでいるのね?」

「うん、そう!」

「あ、もうすぐ画用紙なくなっちゃうね。明日、買ってくるね」

「うん」

 その時、尾形がやってきた。

「こんばんわ」

「お兄ちゃん」

 尾形の姿を見て、優は手を振る。

「おお、優。元気そうやな。土産やで」

 尾形はそう言うと、数冊の画用紙帳を差し出す。

「ありがとう! 今ね、明日買ってくるって言ってたの」

「そうか。優は絵を描くのが好きやからな。またすぐなくなってしまうと思って、買ってきたんや」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

「ええよ」

 尾形は優の頭を撫でる。尾形の存在は優にとって、父親代わり同然となっていた。


 しばらくして、面会時間の終わりと共に、歩と尾形が病院を去っていく。

 別れ際には、いつもは手のかからない優もぐずるのだが、二人はそれを泣く泣く放し、家へと帰るのであった。

「いつもすみません、尾形さん……」

 すまなそうに、歩が言う。

「なに言うとるんや。優はみんなの子供同然やからな。奥さんなんて、孫みたいに溺愛してるやろ? 優には甘いんやからなあ」

「ありがとう……」

「ええって。それより、退院決まったんか?」

「うん。週末にもって……」

「よし。今年は誕生日もろくに祝えんで、可哀想やったからな。退院したら、ドカンと盛大にやろうな」

「ありがとう、尾形さん」

 毎日を不安の中で過ごす歩は、そんな尾形の優しさで救われていた。


 次の日。優が入院する病院の病棟では、一人の男が辺りを見回していた。佐伯だった。

 佐伯は小児病棟に差しかかると、フリースペースで遊ぶ子供たちを見て、無意識に微笑む。すると、佐伯の方に小さなボールが転がってきた。その後を、小さな女の子が駆け寄る。

「はい」

 佐伯がボールを差し出すと、女の子が笑って受け取った。

「ありがとう」

 女の子はそう言うと、そのまま去っていった。

 不意に歩のことを思い出す。子供が無事に生まれていれば、もう二歳になっているはずだ。男の子か女の子かもわからないが、佐伯は子供たちを見て、自分の子供と重ねていた。

「返してよ!」

 その時、そんな声が聞こえて、佐伯は我に返った。窓際では、一人の男の子がもう一人の男の子のクレヨンを取っている。

 奪った男の子が佐伯の方に走ってきたので、佐伯はその男の子を静止した。

「返して!」

「優君、走っちゃ駄目よ!」

 看護師が、クレヨンを取られた男の子の方に駆け寄り、止める。止められた男の子は、まさしく佐伯の息子、優だった。しかし佐伯は、そんなことを知る由もない。

 佐伯は、一瞬聞こえた「ゆたか」という名前に反応したものの、すぐに抱き止めた男の子の方を見つめた。

「駄目だよ。ちゃんと返さないとね」

 佐伯の言葉に、掴まれた男の子は俯いている。

「だって優君、絵ばっかり描いてつまんなかったんだもん……」

「でも、そんなことをしたらいけないだろう?」

「……うん」

「ちゃんと謝るんだよ」

「……ごめんね」

 男の子は佐伯の言葉に頷くと、優に向かって謝った。優は首を振る。

「ううん。病気が治ったら、いっぱい遊ぼうね」

 優の言葉に、男の子は嬉しそうに頷くと、優と手を繋いで歩き出す。

「あ、ぼうや。これ……」

 佐伯は、取り返したクレヨンを優に差し出す。

「ありがとう!」

 優の笑顔に、佐伯は一瞬、ドキッとした。優はそのまま、さっきの男の子と一緒に、窓際で絵を描き始めた。

「どうもすみません」

 佐伯に向かって、先ほど優を止めた看護師が言った。

「あ、いえ……」

「ご面会ですか?」

「いえ、ちょっと迷ってしまって……一般の受付はどっちですか?」

 佐伯が苦笑しながら尋ねる。

「このまままっすぐ行ったところですよ。ここは少し入り組んでいて、迷う方が多いんですよ。もう少し行けば、わかるはずですから」

「そうですか。ありがとうございます」

 佐伯はそう言うと、そのまま歩き出そうとした。その時、優が手を振っているのが見えたので、佐伯は優に手を振り返し、そのまま去っていった。

 初めての、親子の対面であった。

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