22、新しい出会い
歩は富良野に一泊すると、次の日には幕別にいた。しかし気力も体力も限界で、行く場所もなく、歩は遂に立ち止まってしまった。
歩は小さな公園のベンチに腰を落ち着かせるが、この先どうしていいのかわからない。不安と悲しみでいっぱいだが、自分の腹をそっと撫でると、勇気が湧いてくるような気がする。
「私は一人じゃない……」
歩はそう言うと、少しでも気を落ち着かせようとした。しかし、もう身体を支えることも出来ず、その場から動けない。
そのまま歩は、しばらく公園のベンチに座っていた。食事をすることさえする気にならず、吹きさらしの公園で、寒さに意識まで遠のいていく。だがここで倒れれば、また病院へ送られ、行方を知らされてしまうと思い、必死に意識を保とうとした。
しかし、歩の身体はすでに限界に達しており、また慣れない寒さにさらされ、身体は氷のように冷たくなっていくのを感じる。
「おい、あんた。大丈夫か?」
歩が意識を失いそうになったその時、一人の男性が声をかけた。二十代半ばくらいの男性は、歩を心配そうに見つめ、関西なまりで話しかける。
「どないしたん? 病院行くか」
男性がそう言うと、歩は大きく首を振った。
「大丈夫です。病院には連れて行かないで……」
「そやかて、辛そうやんか」
「お願いです。大丈夫だから……」
歩は興奮して立ち上がろうとする。しかし、足が震えて立てなかった。
「おい!」
男性が、そんな歩を支える。
「わかった。病院には連れて行かへんから。でも、どないしようか……」
「大丈夫ですから……」
「そんなこと言ったって、真っ青やん。あ、うちでよければ来るか? 一人暮らしちゃうから、安心やで。女もいるから……」
歩はそこで気を失った。遠のく意識の中、男性の声はもはや聞こえなかった。
「だから、連れこんだんちゃうて。貴美子」
そんな声が聞こえる暖かな部屋で、歩はそっと目を覚ました。
「そんなことはわかっとるわ。私が言っとんのんは、なんでもっと早く見つけんかったかって……」
「そやかて……」
「あ、目覚ました!」
歩は小さな部屋で、さっきの男性と知らない若い女性がいるのに気がついた。
「気いついたんね。ここは私とこいつの部屋やわ。遠慮せんと休んどるんよ」
女性はそう言って微笑む。その笑顔に、歩は少しほっとしたように口を開く。
「……あなたは?」
「私は、平井貴美子いうねん。こいつは、尾形龍太郎。こいつがあんたのこと連れて来たんよ。ここは安全だから、ゆっくりしいや」
その時、部屋に中年女性が入ってきた。
「貴美ちゃん。様子はどう?」
「奥さん。今、気いついたんよ」
「じゃあ、後は私に任せて、仕事行きなさいな。尾形さんはちょっと残って。この子、家に移すから」
中年女性が言った。
「わかりました。じゃあ私、先に行っとるわ」
貴美子という女性は、部屋を出ていった。
「大丈夫? まだ顔色悪いけど、大分暖まったみたいね。よかった」
中年女性が歩に声をかける。
「私……」
「公園で気を失ってね。ここは彼の部屋で、私は彼の上司みたいなもの。山伏といいます。ここは狭いし二人の部屋だから、家に移ってもらうわね」
「でも……」
「ああ、遠慮はしないで。こういうのには慣れてるから。この人たちも、拾ってきた子犬みたいなものよ」
「奥さん。犬は酷いんちゃう?」
尾形が冗談交じりで、山伏という中年女性に食いかかる。
「まあまあ、それで、あなた立てる?」
「はい……」
歩はゆっくりと立ち上がった。しかし、まだ足元が覚束ない様子に、尾形が背を向ける。
「負ぶさった方がええやろ。ほら」
「じゃあ、行きましょうか。ここから割とすぐだけど、外は寒いから覚悟して」
歩は尾形に負ぶさり、山伏と共にアパートから出ていった。そして一同は、近くの一軒家へと入っていった。
「ここは娘の部屋なんだけど、今は嫁いで帰ってこないから、自由に使ってちょうだい」
山伏が、一軒家の中の一つの部屋に通して言った。
「ありがとうございます……」
歩はまだ状況が把握出来ていないものの、その人たちの優しさに触れ、素直に礼を言う。
「じゃあ俺、仕事向かいますわ」
尾形はそう言うと、家を出ていった。
「起きられるわね? おかゆ作っておいたから、食べてね」
「……すみません」
山伏は歩におかゆを差し出し、前に座る。
「あなた、一人旅?」
「……はい」
「何かあったの? まだ未成年に見えるけど……それに尾形さんに、病院には行きたくないって言ったんですって?」
山伏の質問に、歩は俯いた。そしてしばらく考えると、ゆっくりと口を開く。
「……私、家には帰れないんです。病院に入ったら、知らされてしまうと思って……」
正直な歩に言葉に、山伏は優しく微笑んでいる。
「わかったわ。今はゆっくり食べて、その後、私になんでも話してちょうだい。私は警察でもなんでもないから、あなたのしたいようにすればいいわ。私は、すぐそこのパチンコ屋を経営しているの。あなたの名前は?」
「……後藤歩です……」
歩は正直にそう言った。なんとなく信頼出来る人だと思った。何より、嘘をつくことに慣れていない。
「歩さんね?」
山伏は親身になって接し、歩はゆっくりと経緯について語り始めた。そしてすっかりすべてを話すと、山伏は優しく微笑む。
「事情はわかったわ。未成年をかくまうのはどうかと思うけど、あなたの意思がそんなにまで強いなら、ずっとここにいるといいわ」
山伏の言葉に、歩が初めて安堵の顔を見せる。
「ありがとうございます……」
「ここはパチンコ屋で、そういう人もたくさんいるから大丈夫よ。さっきの尾形さんと貴美子ちゃんだってね、駆け落ちしてここに辿り着いたのよ。あなたにとって、どれが一番いい道なのかはわからないけど、このまま帰っても、確かに赤ちゃんの安全は保障出来ないわね。あなたがそこまで産みたいと思うなら、ここにいなさい。ここにいる限り、あなたは安全よ。決して警察にも実家にも知らせないわ。じっくり考えて、それから実家に連絡してもいいじゃない」
山伏がそう約束をしてくれたことで、歩は深々とお辞儀をする。
「ありがとうございます、山伏さん……」
「さあ、事情はわかったから、今は体力を取り戻すことに専念しなきゃね。たくさん食べなきゃ、赤ちゃんだって育たないわよ」
「はい……」
「そして、少し体力が戻ったら、うちの手伝いとかをしてもらうと嬉しいわ。私も店が忙しくて、なかなか家のことまで回らないの。でも無茶はさせないから安心して」
「いえ。出来る限り、なんでもさせてください」
歩が言った。世話になる以上、恩返しはしたい。
「ありがとう。じゃあ、安心してゆっくり休みなさい。私は店に行ってくるわ。後で顔出すから。家の中は、好きに使っていいからね」
「はい。ありがとうございます……」
歩は山伏の優しさに触れ、久々に笑顔が戻っていた。