19、知らされた真実
「後藤さん……」
「佐伯さん! あの子は……」
「先ほどここへ来ましたが、帰るように言ってきかせました……何事です。何があったというのですか?」
佐伯は逸る気持ちを抑えきれず、次の言葉を求める。
「あ、あの子からの手紙です……」
放心状態の母親が、そう言って数枚の便箋を佐伯に差し出した。その身体は震えていて、今にも倒れそうである。
“お父さん、お母さんへ。
いつも心配ばかりかけてごめんなさい。この間、佐伯先生の家から帰る時、先生の本心を知りました。嘘だって信じたいけど、私は先生に迷惑ばかりかけていたし、離れてしまったことで、先生の気持ちが変わってしまったのかもしれません。それでも、私は今でも先生のことが好きです。でも、お母さんたちは一生許してくれないのかな? でもね、あの頃だって、本当に真剣につき合ってきたし、これからも私は先生が好きだと思います。他の人なんて知りたくないの。
一つだけ、お母さんたちに言わなければならないことがあります。私のおなかには、先生との赤ちゃんがいるの……ごめんなさい。許してもらえないと思うけど、私は絶対に産みたいです。でもお母さんたちといると、きっと反対されるから、私はこの家を出ます。親不孝な私を許してください。私を許せなくても、赤ちゃんだけは許してください。そして、決して先生を責めないでください。悪いのは全部私です。
もう一度、先生のところへ行って、私の気持ちを伝えたいと思います。それでも先生が、前と違う気持ちを持っていたら、私は先生のことを忘れるつもりです。でも、お母さんたちとはもういられないので、どこか知らないところへ行きます。
心配しないでください。私はきっと幸せになります。私は一人じゃないから。赤ちゃんがいるから、二人で幸せになります。だから、本当にお母さんたちには謝り切れないけど、いつまでも元気で、幸せに暮らしてください。
今まで私を大事に育ててくれてありがとう。最後まで親不孝な娘だったけど、私は私で頑張ります。本当にごめんなさい。さようなら……”
数枚の便箋にしたためられた歩の文字は、佐伯の胸を締めつけた。歩が妊娠したという、初めて知る真実に、顔面蒼白になる。
「子供が……いるんですか……?」
「佐伯さん! あなた、私の言いつけを破ったんですね? どうしてあの子を苦しめるようなことをしたんです。あの子を傷物にして……あの子を返してください。あなたは、あの子の一生を奪ったんです。あの子を返してください! 返してよ……!」
歩の母親は、急に怒鳴り出したかと思うと、その場に泣き崩れた。
「申し訳、ありません……」
佐伯がやっとそう言うと、母親は泣きながら、佐伯の服を握り締めた。
「なんてことを……!」
「……彼女を捜しましょう。今はその方が先決です。今ならまだ、そう遠くへは行っていないはずです」
佐伯は口を結ぶと、そう言った。今は歩を捜すことが先決である。
「佐伯さん……」
歩の母親は今にも倒れそうで、か弱い一面を見せている。そんな母親を支えながら、佐伯は俯く。
「後藤さん。本当に……なんと言ったらいいのか、今は何も思い浮かびません。本当に申し訳ありません……今後のことは、彼女が見つかった後で話し合いましょう。今は手分けして捜すことが第一です。静香も悪いけど、出来たら……」
「うん。一緒に捜すよ」
静香はすぐに頷いて、三人は手分けして歩を捜しに出た。
歩は信じていた佐伯を失い、気力をなくしたまま歩いていた。そして、ちょうど停まっていたバスに乗りこむと、佐伯の家の最寄駅ではなく、少し離れた繁華街の方の駅へと向かっていった。そしてそのまま、夜行列車に乗りこんだ。
一時間後、佐伯の家に集合した三人は、収穫のなさに愕然とした。
「静香、今日はありがとう。変なことにつき合わせたな。本当にごめん。誕生日なのに……」
歩捜しにつき合ってくれた静香を気遣い、佐伯が言う。静香は首を振った。
「いいの。もう少し捜せるよ」
「いや、いいんだ……本当にありがとうな」
「ううん。じゃあ、いつでもいいから、私も手伝えることがあったら言ってね……」
「ありがとう……」
「じゃあ、さよなら……」
静香はそのまま、家へと帰っていった。
不思議なことに静香は、佐伯の本命である歩がいなくなって嬉しいとは、少しも感じなかった。ただ、佐伯のために何かしたいと思う。それが歩を捜すことであり、その後に二人が寄りを戻すことになったとしても、それでいいとも思った。
二人きりになった佐伯と歩の母親は、互いに切羽詰った表情をしている。
「後藤さん。僕はもう一度捜してきます。後藤さんは、ここでご主人をお待ちください。一時間後に、もう一度戻ります」
佐伯はそう言い残すと、もう一度、夜の街へと消えていった。歩が乗りこんだ駅にも行ってみたものの、歩を覚えている人はなく、歩の情報は一つも得られなかった。
更に一時間後。佐伯が家へ戻ると、駆けつけた歩の父親も家に来ていた。
「歩は……」
「……申し訳ありません」
すると、父親が佐伯の胸倉を掴み、何度も顔を殴りつける。
「私は、自分がこれほど無力に思ったのは初めてだ。大事な娘をおまえみたいな男に取られて、しかもまだ高校生の分際で妊娠などと……おまえを殺してやりたいくらいだ!」
父親は佐伯の顔を見て、更に興奮したようで、殴り続けるのをやめない。佐伯は自分自身をも許せず、ただ父親に身を任せる。
「……申し訳ありません……」
やがて、父親が佐伯を解放した。
「今は歩を捜すことが、先決だったな」
父親はそう言うと、どかりとソファに座る。佐伯はその場に立ったまま、歩のことを考えた。
「……警察には連絡して、捜索願を出した。しかし、あの子は何をしでかすかわからない。まさか、悲観して思い詰めたりは……」
父親の言葉を聞いて、今度は母親が佐伯を見つめる。
「佐伯さん。心当たりはないですか? 我々の心当たりはすべて捜しましたが、無駄でした……今のあの子は、何を考えているかわかりません。あの子はあなたのことしか考えられないようですから……何か心当たりはないのですか?」
顔すら見たくない佐伯にすがるほど、母親の神経は参っていた。事実、歩の両親に出来ることは、これ以上はもうなかった。
佐伯は必死に心当たりを考える。ろくに外へは出かけられなかった二人だが、思い出の場所はある。しかし、歩がそんなところにいるとは思えなかった。
「思い出の場所はいくつかあります。海や神社、学校……ただ、そういった場所に行くとは……」
「では、どういう場所へ行くと思うのですか? 少しでも心当たりがあるなら、行く価値が……」
「……北海道」
その時、佐伯がぽつりと思い出して言った。
「え?」
「そうだ、北海道かもしれません! いつか、二人で行けたらいいと言っていたことがあります。深い接点はありませんが、そこなら……」
佐伯が言った。なぜか、そこが一番有力だと思ってならない。
「馬鹿馬鹿しい。深い接点もないなら、捜す必要はない。それに、ただ漠然と北海道だなんて、どれだけの地域を捜すおつもりですか?」
「でも、そんな気がします。それに少しでも接点があるなら、行く価値があるとおっしゃったのは後藤さんです。北海道といっても、漠然としているのは確かですが、少しは心当たりもあります。今はちょうど冬休みですし、明日にでも行きます」
確信したように佐伯が言った。そんな佐伯に、両親は互いに顔を見合わせる。
「本当に、北海道まで行くというのですか?」
「行く価値はあると思います……見つけたら、すぐにお知らせします」
佐伯の言葉に頷いて、両親たちは立ち上がった。
「私たちは家に帰ります。くれぐれも、よろしくお願いしますよ」
後藤夫妻はそう言うと、佐伯の家を出ていった。
佐伯が北海道だと思ったのは、かつて佐伯がスキー教室に行く時に、歩といつか行こうと約束したことにあった。
確証は何もないが、なぜか佐伯は、北海道に歩が行くような気がしてならなかった。
残された佐伯は一人になり、歩のことを思っていた。すべてに対して後悔せざるを得ない。最後に見た歩の姿を思い出し、佐伯の目からは涙が溢れ出る。
(悲しそうに、雪の中に立ってた……俺に別れを告げられて、どんな気持ちだっただろう……妊娠したことも俺に告げられないまま、歩はどんな思いで……)
佐伯はその夜、一睡も出来ずにいた。