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教師  作者: あいる華音
18/33

18、別れ

「……あ……ゆみ……」

 佐伯は信じられない光景に驚いた。さっき真子たちを見送りに外へ出た時は、いなかったはずだ。だが、そこには間違いなく歩の姿がある。

 駆け寄りたい気持ちを抑え、佐伯は道路を隔てた静香の家の前から、歩を見つめて口を開く。

「歩。どうしてここにいるんだ?」

 佐伯が少し強い口調でそう言った。歩は悲しそうな目で、佐伯を見つめている。

「あの……どうしても、会いたくて……」

「……先生。私、帰るね……」

 静香は空気を察してそう言うと、背を向けようとする。そんな静香に、佐伯は歩を見つめたまま、口を開いた。

「いや、居てくれないか?」

「え、でも……」

 佐伯はそのまま、ゆっくりと歩に近づいていく。

「……またお母さんに黙って来たのか? 約束しただろう。しばらく会えないけど、頑張ろうって」

 佐伯の強い口調に、歩はゆっくりと口を開いた。

「ゆ、豊……私、確かめに来たの。豊、私に黙ってることあるよね……?」

 歩のその言葉に、佐伯は口を閉ざした。歩もまた、ゆっくりと佐伯に近づく。

「私、あの時、聞いてたんだよ? 豊がお母さんと話してるの。もう会わないって……私と会うつもりはないって。迷惑だって……」

 歩が、凍える唇でそう言った。

「……そうか。聞いてたのか……」

 佐伯は、静かにそう言った。

 もちろんあの時の言葉は、歩の母親に言わされたことであった。しかしそれは、佐伯の本心ではなかったものの、理想であったかもしれない。

 歩は、佐伯と歩の母親が、事前に話し合っていたこととは知る由もなく、ただ別れ際の言葉が、佐伯の本心であると感じていた。しかし、それを受け入れることは出来なかったのだ。

「本当に……私のこと嫌いになったの? 好きな人がいるの……?」

 歩は今にも倒れそうなか弱い声で、震えながらそう言った。佐伯は静かな目で歩を見つめている。

「……そうだよ」

 やがて、佐伯がそう言った。自分自身辛いものの、きっぱりとそう嘘をついた。歩の将来のためにも、今は離れておく必要がある。

 佐伯は言葉を続けた。

「聞いていたなら正直に言う。俺はもう、おまえのことをなんとも思ってないよ……俺は新しい場所で、新しい人生を歩もうと思う。だから……悪いけど、もうここへは来ないでほしい。はっきり言って……迷惑だ」

 続けた佐伯の言葉に、静香も驚いていた。佐伯の気持ちはわからなかったが、この状況が二人の別れを意味していることだけはわかる。

「……ごめんなさい。わ、私……」

 歩の目から思わず涙が流れた。そんな歩に近づいて、佐伯は歩の顔を覗きこむ。

「歩。泣いてないで、すぐに家に連絡するんだ。もうご両親にも心配かけるんじゃない。わかったな?」

「豊……もしかして、豊の新しい恋人って、静香さん?」

 突然、歩がそう言った。静香はその言葉にドキッとしたまま、二人の様子を見つめている。

「……」

 佐伯は、何も言わなかった。

「……そうなの?」

 歩の言葉に、佐伯は頷きもせず、ただ歩を見つめている。それは歩にとって、肯定したとしか取れなかった。

 その態度に驚きつつも、静香だけは佐伯が嘘をついていることがわかった。

「そ、そうなのね……」

 静香が見つめている中で、歩は放心状態だった。佐伯は小さく息を吐くと、歩に金を差し出す。

「これ、タクシー代。すぐに帰れ。それから、すぐに家に連絡するんだ。いいな?」

 それを聞いて、歩は金を握り締めるものの、その場から動こうとはしない。そんな歩の肩を叩くと、佐伯は静香を近くに呼び、歩に声をかける。

「……おまえも、いい人見つけろよ。おまえはまだこれからなんだから。そして幸せになってくれよ。俺も応援してるから……いいな? ちゃんとすぐに帰れよ。静香、行くぞ」

 佐伯は静香の手を取ると、動かない歩を横切って、自分の家へと入っていった。

 真っ暗な佐伯の家の玄関で、静香は佐伯を見つめた。佐伯はドアに寄りかかったまま、辛そうな顔を見せている。そして静香に背を向け、ドアの覗き窓から外を見つめた。佐伯の目には、傷ついたまま、まだ動こうとしない歩の背中が見える。

 歩はしばらくその場に立ちすくんでいた後、カバンから何かを出してうずくまった。そしてしばらくすると、歩がこちらに近づいてくるのが見えた。

 佐伯は息を殺して、その様子をじっと見つめる。歩は紙のようなものを畳むと、ドアにつけられたポストに、それを入れた。

 佐伯は自分の下にあるポストに、確実に何かが入ったことを感じつつ、今はまだそれが何なのかを確かめずに、必死に歩の姿を見つめている。

 そんな歩は、その後こちらにお辞儀を見せた後、静かにその場を後にした。


 完全に歩の気配が消えた後、佐伯は急いで、ポストに入れられた紙のようなものを取り出した。紙はメモ用紙で、折り畳まれた中には、佐伯がタクシー代として渡した金がそのまま包まれている。そしてメモ用紙には、歩の凍えた字が綴られていた。


“豊へ。

 豊の気持ちも考えず、今まで勝手なことをしてきて本当にごめんなさい。でも私は、今でも豊のことが好きです。出来れば豊にも、ずっと好きでいてもらいたかった……でももう駄目なんだね。相手が静香さんなら、仕方がないのかな。

 今は悲しくて仕方ないけど、きっと乗り越えていけます。豊が今まで私にしてくれた優しさは、本物だって思えるから。私は豊を好きなまま、ちゃんと幸せになるって約束します。豊は静香さんと幸せになってね。

 だから安心してください。もう豊には会いません。迷惑もかけません。だから、ムシがいいかもしれないけど、今まで迷惑かけてきたことは、全部忘れてね。もう会えないけど、私はいつでも豊の幸せを願ってます。今までありがとう。元気でね。さようなら”


 前向きに綴られた歩の文字だが、歩がそんなにきっぱりと割り切れるはずがない。

 佐伯は辛くて仕方がなかったが、歩が新しい人生に踏み切れるのだと思うと、これでよかったのだと思わずにはいられない。

 しかし、これが本当の別れで、もう二度と会えないということを、佐伯は悲しまずにはいられなかった。

「……先生……」

 静香の心配そうな声に、佐伯は我に返った。

「静香……」

「大丈夫?」

「ああ、ごめん。おまえにも辛い目に合わせた……本当にごめん」

 佐伯は静香が自分を思っているのを知りながらも、歩と別れるためにとっさに恋人同士だと否定しなかった嘘で、静香を傷つけたことを謝った。

 しかし静香は、微笑みながら首を振る。

「ううん、いいの……でも先生は、あれでいいの?」

「……ああ。いいんだ」

 暗い表情の佐伯に、静香は詰め寄るように口を開く。佐伯が歩と別れることは嬉しいものの、辛そうな佐伯は見たくない。

「でもまだ歩さんのこと、好きなんでしょう? どうしてあんなこと……本当にそれでいいの?  後悔しないの?」

 静香に言葉に、佐伯は顔を逸らす。

「好きだから突っ走るなんて、ガキみたいなこと出来ねえよ」

「……なに言ってるのよ。好きだから突っ走るのが、恋なんじゃないの?」

 強がっているような佐伯に対して、静香が怒鳴って言った。佐伯が歩をどれほど好きだったかはわかっている。だから妥協してほしくはないと思った。

 そんな静香に、佐伯は目を伏せる。

「……あいつの将来を考えたら、これが一番の方法なんだ。いくら互いに好き合っても……それがあいつの人生を潰すことには変わりないんだよ!」

 佐伯の言葉に、静香は驚いた。佐伯はいつになく複雑な表情のままで、とても自分が支えになれるとは思えない。

「……わからないよ。潰すって?」

「あいつは俺への依存心が強い……両親も何もかも、俺のためなら捨てるという。まだ高校生のあいつに、俺がしてやれることなんて、たかが知れてるだろう? 恋も知らずに、夢も持たずに、あいつは一生俺に縛られるっていうのか?」

「わからないけど、それでも……歩さんにとっての幸せは、先生といることなんじゃないの?」

 静香はそう言いながら、佐伯の本心を知り、とても歩には敵わないと思っていた。自分も佐伯のことが好きではいるが、それほどまでに強い意志で愛するなど、自分には出来ないと思う。

「……本当に悪かったな。誕生日なのに」

「ううん。いいの……」

 二人が落ち着いたようにそう言った時、電話のベルが鳴ったので、静香はドアノブに手をかける。

「じゃあ、私はこれで」

「ああ……本当にごめんな」

「いいってば。早く電話に出なよ」

「ああ。悪い……」

 佐伯は家へ上がると、電話に出た。

『よかった! やっと通じて……後藤です』

 電話の相手は、歩の父親である。佐伯は、両親が歩を捜しているのだと悟った。

「はい。歩さんなら、さっき会いました。話をして帰しました。そろそろそちらに連絡が……」

『ああ、遅かったか……!』

 電話口で、父親が落胆の声を上げた。

「え……どういうことですか? 何かあったんですか?」

「先生!」

 ただならぬ雰囲気に、佐伯の顔色が変わる。その時、玄関の方から静香の声が響いた。

「先生。歩さんのお母さんが……」

 静香のその声に、佐伯は受話器を持ち直した。

「後藤さん。今、奥様が見えたようです」

『では、話は家内から聞いてください。私も警察などに行かなければなりませんから』

 最後の言葉が気になったものの、電話はそこで切られたので、佐伯は玄関へと向かった。玄関には、静香と歩の母親がいる。

「後藤さん……」

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