17、彼女の誕生日
十二月のとある日曜日。佐伯の家の呼び鈴が鳴った。
「はい……」
佐伯がドアを開けると、そこには静香と真子の姿がある。佐伯は苦々しく笑う。
「……どちらさま?」
「かわいいかわいい生徒です。お邪魔します!」
二人はそう言うと、どかどかと中へと入っていく。
「ったく、朝っぱらからなんなんだよ」
佐伯はまだ寝起きといった様子で、後から奥へと向かう。
「勉強教えてって、前に約束したでしょう?」
静香が言ったので、佐伯は頭をかきながらソファに座る。
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「でも、これって問題なんじゃねえの?」
「あら。先生は、もっと問題起こしたんじゃないの?」
冗談のつもりだったが、真子のその言葉に、静香は慌てた。
「そうでしたね……」
しかし、佐伯は気に止めた様子もなく、立ち上がってお湯を沸かし始める。
「やだ。イニシャル入りのクッション? 豊ちゃんって、意外とかわいい趣味あるんだね」
歩のプレゼントの一つだが、それを知る由もなく、真子が抱きかかえて言う。
「まあな……あんまり触るなよ。それより、どこがわかんないって?」
佐伯がノートを覗きこんで言う。
「ここ全部。もう数学って、全然駄目」
「ったく、しょうがねえな。おまえら授業中に寝てるから悪いんだよ」
「寝てないって」
「とにかく、こういうことはバレたらまずいんだよ。とっとと帰れ」
「バレない、バレない。バレても二人きりじゃないし、生徒に慕われてる先生なんて、素敵じゃないですかー」
「おまえらなあ……」
元気の良い静香と真子に苦笑しながらも、佐伯はそのまま軽く勉強を見てやった。
「あ、もう昼だ。豊ちゃん、お昼は何?」
しばらくして、真子が言った。
「まだいる気かよ」
「当たり前でしょ。まだ全然わかんないもん」
「いいけど……夕方前には帰れよ」
「どこか出かけるの?」
時間を気にした様子の佐伯に、静香が尋ねる。
「ああ、ちょっとな」
「わかった。じゃあとりあえず、出前でも取ろうよ」
静香と真子は、手慣れた様子でピザの出前を取り始めた。
夕方。結局、この時間まで居座っていた静香と真子を帰すと、佐伯はバイクに乗り、繁華街にあるデパートへと向かっていく。
「いらっしゃいませ」
佐伯はデパート内にある宝石店へと入り、財布から予約の引換券を出した。
「頼んでた物、取りに来たんですけど……」
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
引換券を受け取って、店員は奥へと入っていく。その間、佐伯は何気なく、目の前のショーケースを見つめた。そこには、指輪やペンダントのトップ部分が飾られている。
「お待たせいたしました、佐伯様」
そこに、店員が戻ってきた。
「あ、はい……」
その場の雰囲気に少し照れながら、佐伯は店員が差し出す小箱をじっと見つめる。
店員が見せたのは、シンプルな指輪だが、指輪には文字が掘りこまれている。“to AYUMI”……。
佐伯は数日前にここを訪れ、この指輪を選んで文字を掘ってもらっていたのだった。もう歩には会わないと決めつつも、この指輪を買わずにはいられなかった。それは去年、二人が幸せだった頃に交わした約束のためである。
「来年の誕生日には、指輪がほしい。婚約指輪みたいに、肌身離さず持ってるの」
そう言った、歩の笑顔が浮かぶ。
またどこかで会えるかもしれない。会えなくても約束だからと、佐伯はこの指輪を買ったのである。
数日後。学校が冬休みに入った早朝、佐伯はバイクに乗ると、静かに街を消えていった。
十二月二十四日、クリスマスイブの昼。佐伯は東京にある、とある住宅街に辿り着いた。そこには、歩の家がある。
もう二度とこの街には戻らないと誓った佐伯だったが、今日だけは別だった。なによりも、気持ちの高ぶりが抑えられず、佐伯は夢遊病者のようにこの場所へ来ていた。
閑静な住宅街は、あまり人通りもない。佐伯は人目を気にしながらも、歩の家を見上げた。何をしようというのでもなかったが、せめてこの日だけは近くにいたいと思う。ジャンパーのポケットには、歩へのプレゼントである指輪が無造作にねじこまれて入っているものの、それを渡せるわけでもない。
「……歩。誕生日おめでとう」
しばらくして、佐伯は何をするでもなく、その場を去っていった。切なさで胸が張り裂けそうだったが、身を切るような冷たい風が、思考を正常に保とうとしている。
佐伯はそのまま、バイクを走らせた。
佐伯が自宅に戻ったのは、夕方のことだった。静香との約束の時間が迫っており、佐伯はすぐに静香の家を訪れる。
「あ、豊ちゃんだ」
静香の家に入るなり声をかけたのは、真子と広太である。
「おまえら、もう来てたのか」
いつもの笑顔で、佐伯が笑う。
「もう時間だもん」
「ギリギリセーフか。お邪魔します」
「豊ちゃん来たよ。ほら、今日の主役!」
リビングに入ると、静香が嬉しそうに駆け寄る。
「よかった。さっき真子と二人で家に行ったんだけど、いなかったみたいだから心配してたんだ」
「ああ。ちょっと出かけてて……約束は守るよ。誕生日おめでとう。これ、一応プレゼント」
佐伯はそう言うと、ラッピングされた袋を差し出した。静香は嬉しそうに受け取った。
「ありがとう。よかったのに」
早速包みを開けると、中にはキャラクターものの文具が入っている。
「かわいい!」
「でも、夢ないな」
広太が口を挟むものの、何をもらっても静香は嬉しかった。
「一応、教師なので。他に思いつかなくてさ……」
照れながら言う佐伯に、静香は首を振る。
「ううん、ありがとう。早速、授業で使うね。今日はお父さんが仕事でいないんだ。弟も遊びに行ってるし、本当に内輪って感じだけど、気を使わなくていいでしょ? 料理はいつも通り、お母さんの手作りだよ」
静香の誕生日パーティーは、三時間ほど続いた。ゲームなどもやり、一同は楽しんでいた。
十時過ぎ。未成年の真子と広太を先に帰して、佐伯は静香の家の後片付けを手伝い、静香の家を出ていく。
「先生。外まで送るよ」
静香の言葉に頷いて、二人は外へと出ていった。
「寒いな……」
「今日はありがとう、先生」
静香がそう言ったので、佐伯は笑って応えると、そのまま静香の家の門を目指す。
「こちらこそ。俺も結構、楽しんで……」
その時、二人の目に、佐伯の家の前に佇む歩の姿が映った。