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教師  作者: あいる華音
16/33

16、静香の願い

 現在。

 佐伯は、新しく赴任した学校の数学準備室にいた。そこは佐伯以外に使用する教師はほとんどいない。

 佐伯は物思いに耽りながら、煙草をふかし続ける。そこに、静香がやってきた。

「先生」

「おう……なんだ、静香か」

「ノックしたんだけど」

「そうか。悪い……」

 静香は吸殻が山盛りになった灰皿を見つめると、一冊の本を差し出した。

「これ、さっきの授業で忘れてたよ」

「ああ、そうか。ありがとう」

 そう言う佐伯はいつものように微笑むものの、生気のない顔をしている。

「大丈夫? 顔色がよくないみたいだけど」

「そう? 大丈夫だよ」

「だいたいこの部屋、空気悪いよ。煙草吸い過ぎ。灰皿いっぱいじゃない」

 静香が、灰皿に手を触れる。

「いいよ。自分でやるから……」

 佐伯がそう言って立ち上がると、その拍子にズボンのポケットからパスケースが落ちた。いつか静香が拾ったものと同じだ。静香はすぐにパスケースを拾い上げる。

「大事な物なのに、よく落とすね。駄目じゃん」

「ああ……」

 佐伯の態度は、明らかにいつもと違った。静香のことはまるで見ておらず、上の空といった様子だ。

 そんな佐伯を心配して、静香が顔を覗きこむ。

「何かあったの?」

「え?」

「だから……」

「ああ、悪い……ちょっと考え事してて。一人にしてくれるかな……」

「あ、うん……」

 静香はいつもと違う佐伯に、少し戸惑いながらも、数学準備室を出ていった。

 残された佐伯は煙草の火を消すと、頭を抱えた。

(もう会えない……本当に、もう……)

 今の佐伯には、歩のことしか考えられなかった。別れた辛さはあるものの、歩の将来を思えば、やはり選んだ道は正しいのだと、思わずにはいられない。それでもやっぱり、辛かった。


 数日後。文化祭当日の放課後、佐伯はやるべきことを終えると、職員室を出ていった。いくつかの教室を横切った時、ざわついている教室があったので、顔を覗かせる。

「どうした?」

「あ、豊ちゃん。静香が……」

 床には静香が倒れている。佐伯は駆け寄った。

「どうした、静香。大丈夫か?」

「うん……」

 静香はゆっくりと起き上がり、返事をする。

「机に乗って文化祭の片付けをしていたら、急に静香が机から落ちて……」

 近くにいた真子が説明したので、佐伯は頷く。

「誰か、保健の先生呼んできて」

「大丈夫。ちょっと頭打っただけで……」

 静香は痛がるようにしているものの、しっかりとそう言う。そんな静香を支えながら、佐伯は静香の額に手を触れた。

「静香。おまえ、熱があるんじゃないか?」

「え、嘘……」

「馬鹿だな。これだけあるのに気がつかなかったのか? もたれていいから、じっとしてろ。ほら、野次馬もいらねえ」

 佐伯は静香を支えながら振り向き、周りの生徒を遠ざける。そこに、保健の先生がやってきた。

「どうしたんです?」

「熱でふらついて、机から落ちたみたいなんです。頭を打ったと言ってます」

 佐伯が説明すると、保健の教師が静香に触れた。静香は顔を赤くして、明らかに熱が出ているように見える。

「コブが出来てるわね。特に心配ないと思うけれど、熱の方が心配だわ。どちらにしても、帰ったら病院に行ったほうがいいわ」

「はい……」

 保健の先生の言葉に、静香は頷く。

「大丈夫? 保護者の方、呼びましょうか?」

「大丈夫です……」

「あ、俺が送ります。家が近所ですから……」

 佐伯が言った。

「そうですか? じゃあお願いします。佐伯先生、バイク通勤でしたよね? ゆっくりめに走ってあげてくださいね」

「ええ。ありがとうございました。静香、行くぞ。歩けるか?」

「うん……」

 静香は周囲の羨望の眼差しを受けながら、佐伯とバイクで帰っていった。


 静香の家。

「バイクだと早いね」

 バイクから降りながら、静香が言う。

「まあな。一応、俺も挨拶するから」

 そう言うと、佐伯は静香の家の呼び鈴を鳴らす。すると、中から静香の母親が出てきた。

「まあ、佐伯先生。静香がどうかしたんですか?」

「どうも。熱があるのでお送りしました。あと、文化祭の片付けをしていて、運悪く机の上から転落して、頭を打っているようです。一応、保健の先生には見てもらいましたが、熱もあることですし、病院へ連れて行ってあげてください」

「そうでしたか。わざわざすみません、先生」

「いいえ。では、お大事に」

 佐伯は静香を送り届けると、自分の家へと帰っていった。


 次の日。佐伯が家の前でバイクにまたがると、目の前の家から静香が出てきた。佐伯はヘルメットを取って、静香に声をかける。

「おはよう」

「先生。おはようございます」

「具合は?」

「バッチリ」

「そうか。でも無理すんなよ」

 静香は一晩休んですっかり元気になったようで、元のように笑っている。

「うん。ねえ、またバイクに乗せてよ」

「ダーメ」

 軽く言った静香の申し出に、佐伯が笑って拒否する。

「ケチ。でも先生。お礼に、誕生日パーティーに招待してあげる」

「誕生日パーティー?」

「大分先だけど、空けておいてよ。十二月二十四日」

「え? おまえ、イブが誕生日なの?」

 佐伯が驚いて尋ねる。忘れられないその日は、歩の誕生日でもある。だが、そう思ったことをかき消して、佐伯は静香に笑いかける。

「そうよ。いいでしょう。唯一、自慢出来ることなの」

「なんだそりゃ。食事のご招待なら、近い日のがいいけどな」

「そう思ったけど、近い日なんて何もないもん」

「だからってイブの誘いにしちゃ、早過ぎるんじゃないか? まだ九月だぞ」

「だってイブよ? 先生、予定入れちゃいそうじゃない。ねえ、いいでしょう? お願い、先生!」

 必死な様子で、静香が言う。

「なんだよ。いやに積極的だな」

「だって……」

 静香は友達から、自分の誕生日が歩と同じだと聞いていたため、不安でたまらなかった。誕生日には佐伯に会いたい、そして祝ってもらいたいと願う。

 必死な目で見つめる静香に、佐伯は優しく微笑んだ。

「わかったよ。イブだな? 忘れたって押しかけられそうだからな」

「本当? 絶対だからね」

「ああ、わかったよ」

「プレゼントはいらないけど、今度勉強、見てよね」

「ハイハイ……じゃあな。先行くぞ」

 佐伯はそう返事をすると、バイクで走っていった。

 静香は佐伯との約束に微笑むと、歩き出した。あれから佐伯と歩に何があったのかは聞けなかったが、歩を見習って、少しは素直になろうと思っていた。

 人あたりのよさもあって、佐伯の人気は静香の学校でもすごかった。静香にとっても、いつの間にか佐伯は特別な存在で、教師という枠組みを越えて、気になる存在となっていた。

「静香」

 いつもの待ち合わせの場所には、真子が待っていた。

「おはよう、真子」

「おはよう。どう? 具合は」

「うん。もうすっかり」

「さすが、静香」

 二人は笑いながら、学校へと歩き出す。

「どうだった? 豊ちゃんのバイクの乗り心地は。みんな羨んでたよ。豊ちゃんのバイクに乗るなんて、生徒の間じゃ夢に近いんだから」

 それを聞いて、静香は少し照れ笑いをする。

「そっか。でも熱で朦朧としてて、あんまり覚えてないんだよね……」

「もったいない。それより知ってた? 豊ちゃん、彼女と別れたらしいよ」

「え!」

 突然の真子の言葉に、静香は驚きの声を上げた。

「声大きいよ、静香」

「だって……なんで? なんで知ってんの?」

「ほら、美紀の従兄弟が、先生が前にいた学校に通ってるって言ってたじゃない? その子からの情報だって。ハッキリしたわけじゃないみたいだけど、その彼女だったって子、また登校拒否気味になってるらしいし、本格的に別れたって噂が流れてるみたい」

 新しい噂話に、真子が目を輝かせて言う。しかし静香は、二人がどうなったのかは知らなかったが、軽々しくその話はしたくないと思った。

「そ、そんなのデマじゃないの? ハッキリ聞いたわけじゃないんでしょう?」

「そうだけど……静香だって、豊ちゃんファンじゃないの? 喜ばないの?」

 予想外の静香の態度に、真子が首を傾げている。

「大変だったんだろうなって思って……」

「まあ、普段チャラチャラしてる分、豊ちゃんって、恋愛は真面目そうだよね。浮いた噂は他には聞かないし」

「うん……いつか私も、そういう恋してみたいな」

「静香ったら、なに言ってんのよ」

「だって……」

 静香はいつの間に、佐伯のことはもちろん、歩にも憧れを抱いていた。佐伯を応援したい気持ちがありながらも、佐伯の深い愛情が、自分だけに向けられればいいとも思う。静香の中で佐伯の存在は、確実に大きく膨らんでいた。

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