13、秘密の関係
次の日から、二人にとって今まで通り、変化のない生活が始まったが、心のどこかで繋がっていると信じ、二人は生きていた。
十二月。数学準備室に、歩がやってきた。
「歩」
「あの、集めたプリント持ってきました」
「ありがとう。古屋は?」
「少ないから、一人で持ってきたの」
「そうか。ご苦労さん」
あまりに淡々としている佐伯に、歩は不安になった。
あの文化祭の日から、これといって二人で会うような時間もない。こうして時々、この数学準備室で会話を交わす程度で、キスさえ交わしていない。歩にとっては、本当に夢のように思えてしまう。
「……」
「……どうした?」
歩は熱い瞳で佐伯を見つめた。佐伯はそんな歩の想いを知りながら、苦笑する。
「そんな顔すんなよ。学校じゃ我慢しなさい」
佐伯が歩の鼻をつまんで言った。
「そんなこと言ったって、学校以外じゃ会わないじゃない……」
「まあな……」
この時、佐伯は歩と両思いになったからこそ、慎重な態度を取っていた。だが歩には、まだ佐伯の苦悩が本当にはわかっていない。
「……失礼しました」
歩は少し怒って、背を向けた。
「待てよ。おまえ、スキー教室には行くのか?」
突然、佐伯がそう尋ねた。話題を変えられ、歩は我に返って首を振る。
「え? ううん……」
「そうか」
「スキー教室って、冬休みの自由参加のイベントでしょう?」
歩が言う。冬休みに学校ぐるみで行くスキー教室があるが、参加は自由である。
「ああ。冬休み入ってすぐに一泊だけど、俺も行かなきゃならなくてさ。そうか、おまえは来ないのか」
「行きたいけど、お母さんが許してくれないの。いいなあ。北海道まで行くなんて、本格的なのに」
「まあ、仕方ないよ」
「嫌だ。先生が行くなら行きたいよ!」
「そんなこと言ったって、無理なんだろう?」
「そうだけど……」
「……じゃあ、いつか二人で行けたらいいな」
あまりに落ちこむ歩を見て、佐伯がそう言う。歩は驚きながらも、目を輝かせた。
「ほ、本当に?」
「ああ。いつになるかは約束出来ないけど。いつか必ず二人で行こう、北海道」
「うん、嬉しい! 約束だよ」
「ああ」
二人は指切りをした。その時、チャイムが鳴る。
「予鈴だ。行かなくちゃ……」
歩はそう言って、小さな溜息をつく。佐伯も立ち上がると、微笑みながら歩を見つめる。
「歩。終業式の日、少し時間取れるか?」
「え?」
「約束したろ? 誕生祝い」
「うん、大丈夫! みんなで会うって言えば、何時だって……」
「じゃあ、空けとけよ」
「うん。じゃあ、失礼します!」
歩は嬉しそうに出ていった。そんな歩に、佐伯の心も軽くなるのだった。
終業式の日。
「あ、ユタちゃーん」
数人の女生徒が、佐伯に駆け寄る。
「冬休み、会えないの寂しいよ」
「なに言ってんだ。おまえら、スキー教室来るんだろう? もう二日会えるじゃん」
廊下で立ち止まり、佐伯が返事をする。
「直々に手解きしてくれる? スキー」
「手解きするのは、向こうのインストラクターだよ」
「なによ、つまんない」
「俺だって、冬休みになってまで、おまえらのお守りは嫌だよ」
「ひっどーい」
「ハハハハ」
そんな会話をしているところに、歩が通りかかった。しかし、歩は佐伯と目を合わそうとはせず、去っていく。それは、今日会う約束をしているはずだが、佐伯が一向に歩と連絡を取らなかったことが原因だった。
放課後。歩は数学準備室を訪れた。自分から行動しなければ、佐伯とは会えないと思ったからだ。しかし部屋には鍵がかかっており、中に人影はない。職員室にも佐伯の姿はないので、歩は諦めて昇降口へと向かった。
その時、下駄箱にある靴の中に、一枚のメモ用紙が入っていることに気がついた。
『家で待ってます。Y』
歩はメモを握り締めると、急いで佐伯の家へと向かっていった。
佐伯のマンションで、歩は息を整え、呼び鈴を鳴らした。すると、中から佐伯の顔が覗く。
「先生……」
歩は気を緩めて涙を流し、佐伯に抱きついた。
「いい連絡手段が見つからなくて、悪かったな」
「会えないかと思った……」
「ほら、泣くのはこれからだ。入れよ」
歩は中へ通されると、部屋のテーブルには、豪華な料理が並んでいる。
「……これ」
「いくつか買ってきたものもあるけど、一応手作りだよ」
それを見て、歩の目からまた涙が溢れ出す。
「また泣く」
「だって……だって嬉しいんだもん」
「あんまり時間はないんだろう? 食べよう」
「うん」
二人は食事を始めた。
しばらくして、一通り食事を終えると、佐伯は歩に小さな箱を差し出す。
「はい、プレゼント。安物だけど……誕生日、おめでとう」
「ありがとう……」
感無量で、歩が小さな箱を開けると、中には銀のイルカのネックレスが入っている。
「かわいい。綺麗……」
「ネックレスなら、してるやついっぱいいるし、目立たないだろうと思って」
佐伯はそう言って、歩の首につけてやる。歩は涙ぐむ目を擦り、佐伯を見つめた。
「ありがとう。嬉しい。本当に嬉しい……」
「そんなに喜ばれるなら、やり甲斐があるな」
「ありがとう、先生」
「ああ」
歩は首に下がったネックレスを見つめ、佐伯に寄りかかった。佐伯は静かに歩の肩を抱くと、そのまま二人は吸い寄せられるように抱き合い、キスをした。
「先生。もう離れたくないよ……」
「歩……」
二人はそのまま、互いにすべてを委ね、すべての立場を捨てていた。もう離れらない。誰にも止められなかった。
しばらくして、二人は安らぎの時間にいた。
「俺、教師として自信なくすな……」
歩を抱きしめながら、佐伯は少し後悔してそう言った。
「どうして? 私はこんなに幸せなのに……」
そう言う歩は、佐伯の腕の中で、幸せそうに微笑んでいる。そんな歩に安らぎを感じながら、佐伯も微笑んだ。
「……ちょっとね」
佐伯は正直にそう言って、歩の髪を撫でる。覚悟は決めたが、今後はもっと慎重にならねばならない。
難しい顔の佐伯に、歩の顔が曇る。
「先生は悪くないよ。私が……」
歩の言葉に、佐伯は首を振って微笑む。
「選んだのは俺だから……おまえは悪くない。俺は大丈夫だよ」
「先生……」
「……でもこれからは、二人の時は先生じゃなくて、名前で呼んでくれるか? ちょっと……罪悪感に駆られる」
佐伯が、少し照れながら言った。
「……豊」
「ああ……」
歩は微笑みながら、佐伯の腕に顔をうずめる。
「私、何も怖くないよ」
「そうか? 俺は怖いよ」
「どうして?」
「でも、おまえを傷つけないように頑張るって、決めたから……」
二人は抱き合った。
「うん……でも、しばらく会えないのは寂しいな」
「俺はいつでも空いてるよ。年が明けたら、初詣に行こうか」
「本当?」
「あ、でも出られないか」
厳しい両親と聞いているため、察して佐伯が言った。しかし、歩は必死に首を振る。
「ううん。なんとかする」
「大丈夫か?」
「うん」
「じゃあ……元旦の昼に、神社で」
「わかった」
「……そろそろ行かないとな」
佐伯の言葉に、歩が時計を見つめる。もう帰らなければならない時間だ。
「うん……北海道、気をつけてね」
「ああ。土産買ってくるよ」
「うん。今日はありがとう。わざわざ誕生祝いしてくれて」
「いいんだよ」
「ゆ、豊……来年の誕生日の催促してもいい?」
突然、歩がそう言った。その言葉に、佐伯が笑う。
「いいけど、気が早いな」
「だって……あのね、今度は指輪がいいな」
「指輪?」
「うん。婚約指輪みたいに、ずっとつけるの。でも大っぴらには出来ないから、今年くれたネックレスに通すの。決めたの」
嬉しそうにそう言う歩は、いつもの引っこみ思案な少女ではない。佐伯も頷いた。
「わかったよ。じゃあ、来年は指輪な」
「うん!」
二人は、恋人と呼べるように通じ合っていた。
歩は名残惜しそうに帰っていくと、佐伯は一人きりになって、いろいろなことを考えた。だが心に決めた以上、歩を守ろうと思った。