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教師  作者: あいる華音
10/33

10、ゴトーの日

 現代。

 佐伯は数学準備室から動かないまま、一人、黙々と煙草を吸っていた。そこに授業終了のチャイムが鳴る。佐伯は、部屋に貼られた授業表を見つめた。

「次は静香たちのクラスか」

 佐伯は煙草の火を消すと、職員室へと向かっていった。

「佐伯先生。新しいチョークがほしいって言ってましたよね? 机に置いておきましたから」

 同僚の女性教師が、佐伯に言った。

「あ、すみません。俺、筆圧すごくて、すぐ折っちゃうんですよね……」

 佐伯は、苦笑しながらそう言う。その言葉に、女性教師も苦笑した。

「私は薄くて、生徒たちに怒られてます」

「どちらもいけませんね」

「本当」

 二人は笑った。そして佐伯は、自分の机の上で、授業の支度を始める。

「佐伯先生って、意外と綺麗にしてますよね」

 女性教師が、机を覗きこむようにしてそう言った。佐伯は吹き出すように口を開く。

「どういう意味ですか?」

「あらごめんなさい。でも、そんなにさっぱりしている先生っていないから……」

「はあ。前の学校でも、あんまり職員室にいなかったんですよ。俺、どうも職員室って苦手で……」

「あら。昔、怒られたりしたクチですか?」

「まあ……ここの学校、あんまり準備室に入り浸る先生いないから、おかげで数学準備室は、自分の城になってますよ。そっちは散らかってるから、片付けないと」

「うふふ。おかしな人ですね、佐伯先生って」

「そうですかね……」

 佐伯は、頭をかいて苦笑した。


  * * * * * * * * * *


 一年前。帝都学園数学準備室。

 そこでも佐伯は、一人で煙草を吸っていた。そこに、ドアがノックされる。

「はい」

「一年二組です」

「はい、どうぞ」

 ドアのところには、歩ともう一人の数学係の少女が立っていた。

「次はうちのクラスですけど、何か仕事はありますか?」

「ああ。そこの提出用のドリルを持っていって、配ってくれる?」

「わかりました」

「でも、もう始まるな。俺も一緒に行くよ」

 佐伯は歩たちと共に、教室へと向かっていった。この間の放課後から、佐伯と歩が放課後に音楽室で会うことはなくなっていた。それどころか、こういう場でも目さえ合わない。佐伯は、そんな歩の態度を気にしていた。

「ユタ先生」

 一年生の廊下で、数人の少女が佐伯に駆け寄ってくる。

「ユッコたちか。なに?」

「はい、これ」

 少女たちが佐伯に差し出したのは、透明の袋に入ったクッキーだった。

「クッキー?」

「そう。昨日ユッコの家で、みんなで作ったんだ。先生の誕生日、明日でしょう? 明日は日曜で会えないから、今日持ってきたんだ」

「そりゃあ、わざわざありがとう。じゃ、遠慮なくいただきます」

「うん。それより先生。この間、五組の遠藤さんが先生に告白したって本当?」

 少女たちの言葉に、佐伯は苦笑する。

「なに言ってんだ」

「噂だもん」

「本当、噂なんて当てにならねえな。そんなこと、あるわけないだろ。それにな、俺は誰にもモテるんだよ」

「キャハハ。バッカ。でも、私たちだって先生に惚れてんだからね」

 少女たちは、あっけらかんと佐伯にそう言った。佐伯は慣れているように笑う。

「そりゃどうも。いいから行け。授業始まるぞ」

「はーい。クッキー、ちゃんと食べてよね」

「ああ、サンキュー」

 少女たちが去っていき、三人はまた歩き始めた。

「モテモテですね、先生。生徒に告白されたって本当ですか?」

 歩と同じ係の、古屋が尋ねる。

「まさか……そうだ、歩。おまえには、ゴトーの日の記念品やるっていう約束だったよな」

 話題を避けて、佐伯が歩に言う。佐伯の誕生日の語呂と歩の苗字をかけて、生徒全員の前でプレゼントをあげる約束をしていた。

 笑ってそう言う佐伯に、歩は佐伯を睨みつける。

「そんな物、いりません」

 そう言った歩は、明らかに佐伯を拒んでいた。

「でも、せっかく……」

「私、そういうの嫌なんです」

 歩の言葉に、佐伯は笑って頷いた。

「そうか。ごめんな……」

 少し重苦しい雰囲気の中で、三人は教室へと歩いていった。


 次の日。佐伯は、自分の誕生日でもある休日を、一人で過ごしていた。そこに電話が鳴る。

『佐伯? 俺、大友だけど』

 電話の相手は、大学の同級生だ。

「大友か。久しぶりだな」

『ああ。それより今日おまえ、誕生日だろ?』

「そうだけど……なんでだよ」

『ゴトーの日だろ、覚えてるよ。それより、どうせ彼女いなくて暇なんだろ? たまにはおごってやるから出て来いよ。飲もうぜ』

「昼間っから、酒かよ」

 佐伯は呆れながらも、笑って答える。

『いいだろ。近くの日本料理屋にいるんだ。とにかく来いよ。待ってるから』

「わかった」

 佐伯は電話を切ると、指定された店へと向かっていった。


「来た来た。佐伯」

 佐伯が店に行くと、店には大友という男性と、一人の女性が待っていた。

「おお、美香子。久しぶりだな」

 佐伯はそう言って、女性の隣へ座る。美香子という、大友の妻である。二人共、佐伯の大学時代の同級生だった。

「おい、佐伯。人の女房に手を出すなよ。俺とも久しぶりだろうが」

 美香子の横から顔を出して、大友が言う。佐伯は懐かしい友人に、ほっとしたように笑う。

「誰が手を出すか。おまえとは美香子より会ってる」

「そうかい。実を言うとさ、美香子がおまえの誕生日、覚えてたんだよ」

 そのまま大友が、佐伯に向かって言う。

「へえ。そうだったんだ」

「本当に久しぶりね、佐伯君」

 佐伯と大友は、何度か飲み会をして会っているが、美香子とは数年ぶりである。

 佐伯は美香子に向かって、口を開く。

「ああ。こいつとは、うまくいってる?」

「まあまあってとこね」

「ハハ。そっか」

「佐伯君はどうなの? 高校の先生は」

「こっちもまあまあってところかな。二年目だけど、まだまだわからないことだらけだし」

「おいおい。なんで二人して話すんだよ。俺も仲間に入れろよ」

 仲良く話している佐伯と美香子に向かって、大友が口を挟む。そんな大友に、佐伯は苦笑した。

「悪い悪い。美香子のほうが久々だからさ」

「おまえも早く結婚しろよ。そしたら俺、嫉妬しなくて済むだろう」

「へえ、意外だな。おまえはそういう考えなんだ」

「茶化すなって。ほらほら、酒が来たぞ。乾杯しよう」

 一同はグラスを交わし、酒に口をつける。その後、一番初めに口を開いたのは、美香子であった。

「でも佐伯君、昔から結構、硬派なところあったよね。今、本当に彼女いないの?」

「いませんよ。それどころじゃないって。ガキばっか相手にしてるんだから」

 佐伯は苦笑して答えた。そんな佐伯に、大友が身を乗り出す。

「そりゃあ大変だ。それに佐伯は硬派じゃなくて、ガリ勉なんだよ。大学時代から」

「確かに」

「それで? そのガキには告白とかされちゃったりするわけ?」

「いつの時代も、生徒にとって教師は憧れの存在なの。そういうやつもいるだろう」

「へえ、告白されるんだ」

「おまえはどうなんだよ」

 今度は佐伯が大友に尋ねる。大友もまた、高校の教師である。

「俺は男子校だぞ」

「ハハハ。そうだった」

 三人は数時間、そのまま一緒に食事をすると、それぞれ家へと帰っていった。


 その頃、佐伯の自宅マンションには、歩の姿があった。手には職員名簿で調べた住所のメモが握られている。

 学校では素直になれなかったものの、今日は佐伯の誕生日だ。歩は今までの行動を謝るためにも、どうしても今日、会いたい……そして、誕生日プレゼントを渡したいと考えていた。

 歩が佐伯の部屋を訪れると、その前には数人の女子たちが座りこんでいた。

「なによ、あんた。豊ちゃんになにか用?」

 女子たちは上級生のようで、威圧感たっぷりに歩を睨みつけている。

「あんた一年ね? ガキは帰んな。豊ちゃんが、あんたなんか相手にするわけないんだから。ウチら三年はもうすぐ卒業で、ガキじゃないからいいけどね」

 歩は押し黙った。しかし、ここまで来て帰るのも空しい。歩は勇気を振り絞って、口を開いた。

「せ、先生はいないんですか?」

「うるさいな。とっとと帰んな!」

 女子たちの剣幕に、歩は驚いて後ずさりすると、肩を落としてマンションを出ていった。

「歩?」

 その時、ちょうど帰ってきた佐伯が、歩を呼び止めた。

「先生……」

「どうした? こんなところで……」

「あの。名簿を見て……誕生日プレゼント……」

 人付き合いの苦手な歩が、しどろもどろでそう言いながら、小さな箱型のプレゼントを差し出す。

「ああ、そっか。わざわざありがとう……俺もおまえに渡すもんがあったんだ。ちょっと待ってて」

 佐伯の言葉に、歩は佐伯の腕を掴み、首を振った。

「へ、部屋の前に、三年生がいる……」

 怯えたようにしている歩の顔を、佐伯は覗きこんだ。

「追い返されたのか?」

「うん……」

「そうか。じゃあ明日、学校に持っていくよ。おまえはいらないって言ってたけど」

「……ゴトーの日のプレゼント?」

 歩が笑って尋ねる。

「当たり。俺も安月給だから、大したもんはあげられないけど」

「ううん」

「……よかった。もう、口きいてくれないのかと思った」

 歩の笑顔に笑いながら、佐伯が言った。

「え?」

「俺……おまえ、傷つけちゃったもんな」

 佐伯の言葉に、歩は佐伯を見つめる。

「先生……私、決めて来たの」

「何を?」

「私、先生のことが……」

「ストップ」

 歩の言葉に、佐伯は突然そう言って、歩の話を止めた。

「先生?」

「悪いな、歩……俺、生徒をどうこうする気ないんだ。だから誰が何を言っても、答えは同じだ。もうおまえのこと傷つけたくないし、わかってほしいんだけど……」

「……わかった……」

 歩は佐伯が気になっていた。学校でかまってもらえたのが嬉しく感じる。話をする機会もない日は苦しくて仕方がない。

 そんな胸いっぱいの想いを抱え、歩は佐伯の誕生日を機に、一生分の勇気を使い果たしても、告白しようと思っていた。だがその寸前で、歩はすべてを否定され、断られてしまった。

「……ごめん」

 佐伯にとって、生徒から告白されたことは、歩が初めてではなかった。それゆえに、生徒である歩が何を言おうとしているのかがわかってしまう。傷つけたくはなかったが、教師としてきっぱり言わなければならないこともある。

 歩は肩を落としながらも、無理に笑って首を振った。

「ううん。じゃあ……さよなら」

 歩はそう言うと、その場から去っていった。佐伯は小さく溜息をつくと、マンションへと入っていった。

 佐伯が部屋に向かうと、歩が言った通り、部屋の前には数人の女生徒たちがいる。

「あ、豊ちゃん! 遅いよ、ずっと待ってたんだよ。誕生日おめでとう」

 佐伯の帰りに盛り上がりながら、女生徒たちはラッピングされた袋を差し出す。しかし、佐伯の顔は晴れておらず、女生徒たちを見つめている。

「ああ。ありがとう……」

「ねえ、中入れてよ。寒かったんだよ」

「悪いけど、もうここには来ないでくれ」

 溜息をつきながら、きっぱりと佐伯がそう言った。そこに学校で見るような佐伯はいない。

 女生徒たちは、戸惑いながら口を開く。

「え、なんで?」

「なんでも。俺にもプライベートってもんがあるし、こんなところに集団でいられたら、マンションにも迷惑だ。おまえたちならわかるだろう?」

「……なによ。せっかくわざわざ来てやったのに」

「悪い」

「自惚れないでよ。もう知らない!」

 女生徒たちは腹を立てて立ち上がると、去っていった。

 佐伯は溜息をつきながら、部屋へと入っていった。そしてソファに腰を下ろすと、ふと気になって、歩からの誕生日プレゼントの包みを開ける。中には、カントリーロードのオルゴールが入っていた。

 佐伯はそれを見て少し驚いた後、部屋の棚に置いてあった小さな包みを持って、マンションを出ていった。


 佐伯はそのまま、バイクで駅へと向かっていた。しばらく走ると、駅の近くの商店街で、歩がとぼとぼと歩いているのが見える。

「歩!」

 佐伯はそう言って、歩の前にバイクを止める。

「先生……」

「間に合ってよかった」

 笑いかける佐伯に、歩は首を傾げる。

「ど、どうしたの?」

「これ、ゴトーの日のプレゼントだ。やっぱり今日、渡したくなった」

 佐伯はそう言って、ポケットに突っこんでいた小さな包みを差し出す。

「ありがとう……」

「開けてみな」

「うん」

 歩は嬉しそうに包みを開けると、そこにはカントリーロードのオルゴールが入っている。

「先生。これ……」

「同じ物、買ってたんだな」

 二人は微笑んだ。そして歩は、笑っている佐伯を見つめる。

「先生、やっぱり言わせて。私、先生のことが好きだよ」

 歩の言葉に、佐伯の目が揺れる。

「歩……」

「だからと言って、先生にどうこうしてもらいたいわけじゃない。ただ……言っておきたかったの。私が勇気持って告白したの、忘れないで……」

「……ありがとう……」

 二人は優しく微笑むと、その場で分かれて帰っていった。

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