日常
それから十一年の時が経ち、二十七歳になった篠原は、自転車に乗って近所のコンビニに向かっている。
漫然とタカシのことを考えながら、漫然と自転車のペダルをこいでいる。
時刻は午後十時の少し前。季節は冬の初めの十二月。別に、夜食を買いに行くのではない。篠原は、そこでアルバイトをしているのだ。勤務時間は夜の十時から朝の六時、全八時間の深夜勤務だ。
いつものように店の裏手に自転車を停め、煌々と明かりが灯った店内に足を踏み入れると、すでにユニフォームに着替えて売り場に出ていた同僚の村井が、「ギリギリだよ、篠原くん!」と、笑いながら壁の時計を指差してみせた。
「あ、本当ですね」と篠原も時計に目をやって、笑顔で言葉を返しつつ、小走りになってバックヤードのほうへと向かう。
スウィングドアを片手で押そうとした瞬間、中から、私服姿の渡辺が出てきた。
篠原より六つ年上の三十三歳で、この店の雇われ店長だ。色が白くて背が高い、若い頃はだいぶ馬鹿やってました、という感じの雰囲気の人だ。
篠原は慌てて右手を引っ込めると、彼に向かって挨拶をした。
「あ、お早うございます!」
すると、渡辺店長は笑みを浮かべ、「ギリギリだよ、篠原くん!」と、村井と全く同じセリフを言ったかと思うと、ポンポンと篠原の肩を叩いてみせた。そして、「俺もう帰るから、あとよろしくね」と軽い口調で付け加えると、足早にレジのほうへと向かって行った。
篠原はもう一度壁の時計を見上げてみた。確かに、遅刻ギリギリの時間だった。
スイングドアを改めて押し、滑り込ませるようにそこから体を中に入れると、篠原は再びの小走りで、奥のほうへと向かって行った。
中は、長方形の狭いスペースだ。うなぎの寝床、といった感じの空間だ。カップ麺やお菓子などの在庫が並んだスチール棚、ウォークインの冷蔵庫へと繋がっているクリーム色の厚い扉、小さな椅子と机が置かれた従業員用の休憩スペース、全身が写せる大きな鏡と、男女別の細長いロッカー。どこのコンビニでも共通であろう、そんなものが並んでいる。
それらの間を足早に抜け、ずんずんと奥のほうへと足を進めて行く篠原。パソコンや電話などが置かれた一番奥の大きなデスクの前で行き、『篠原圭一』と書かれたタイムカードを壁のラックから引っ張り出すと、素早い手つきでその横の箱型の機械に押し込んだ。
ガチャリと小さな音がして、タイムカードが押し上げられる。
恐る恐る見てみると、印字された出勤時間は、午後九時五十九分。
……ギリギリセーフだ。
ユニフォームに手早く着替え、ささっと髪を整えると、接客五大用語の読み上げはいつものようにスルーして、篠原はすぐに売り場のほうへと出て行った。