初めての決断
「共和国軍、だと? どういうことだ、いったい奴らが魔王領に何の意図で……」
「行動自体は侵略以外の何物でもないわ。察知出来なかったのはこちらのミスだけど 事前の通告はもちろん、協和国内での物資集積などの予兆もなかったの」
「ということはまさか、輜重兵を伴っていない?」
「水や糧秣は、兵や馬が自分で背負った分だけ」
「それで魔王領の高山地帯に入るなど……ほとんど自殺行為だぞ」
「おまけに大きな投石砲を引いてるから、どう考えても片道しか考えてないわ」
「勝てば略奪で物資補給、負ければ死か。頭がおかしいとしか思えん」
バーンズ曹長とイグノ工廠長が魔珠通信で緊迫した会話を続けるなか、アタシはふと首を傾げる。
「……ねえ、それ以前に、素朴な疑問なんだけど。なんでまた、どいつもこいつも魔王城に攻め込んでくるわけ?」
「……は? ええと、それは恐らく、魔族に対する差別や偏見が、悪意や敵意へと繋がって……」
「それだけ? お隣の王族は魔族の呪いで女王陛下を殺されたって誤解があったみたいだけど、話し合ったらわかってくれたし、その後メレイアに来る王国の人なんか見る限り偏見があるようにも見えないのよ。そもそも、いま攻めるなら最も栄えた町じゃないの? いっちゃ何だけど魔王城っつったって、あんまり立派でもなければ便利でもないし、領民の避難さえ済めば壊されたからって、新生魔王領はさほど困らないというか、向こうにしてみれば奪ったところで利益があるとは思えないのよね」
「そんなことは……ないと思いますが。魔王城、大事じゃないですか」
「愛着だけでいえばそうだけど、戦略的価値とか、象徴的価値とか、宗教的価値とか、文化的価値とか、そういうの、ある?」
「それは……」
「そもそも魔族軍にとっては出陣用の簡易砦みたいなものだって聞いたけど。王国でいうと、王城というより王国南部領の国境城砦に近い物なんじゃない?」
「いわれてみれば自分も、“戦は城を攻めるもの”、というくらいにしか考えてなかったですね」
バーンズちゃんも深く考えたことがなかったのか、アタシと一緒に首を捻る。
イグノちゃんに話を振ろうと魔珠、避難民の誘導に協力しますかなんかいってそそくさとフェードアウトしようとしているところだった。
……なんか、怪しい。
「イ・グ・ノ、ちゃーん?」
「はわわわ……すすすみませんッ!」
「「「工廠長?」」」
「え、なんで土下座!?」
魔珠の向こうでガタゴト音がして、カナンちゃんとタッケレルの獣人娘たちが驚く声が聞こえた。売り子から商品開発に昇格した彼女たちは、メレイアよりも魔王城にいることが多い。それはともかく、通信で見えないのにいきなり土下座って、今度はいったい何をやらかしたの、イグノちゃん!?
「もしかして、あいつらの目的はイグノちゃん?」
無数の最新機材や最強兵器を大量生産している“魔王領のひとり軍需産業”、あんな異才は欲しくなるのも理解出来る、けど。だったら叛乱軍も、最初から連れてくわよね。
「いえ、たぶん……というか、きっと……というよりもほぼ確実に、あの子が原因ですうッ!」
「え」
――誰?
◇ ◇
話が見えないのでアタシはバーンズちゃんたちにメレイアを任せ、一時城に戻ることにした。ほぼ空荷の車輪式貨物トラックで新街道を全速力で吹っ飛ばすこと小一時間後、魔王城の城門前でレイチェルちゃんが迎えてくれた。
「お待たせ~。レイチェルちゃん、みんな無事?」
「はい、怪我人・体調不良者ともにありません。現在は工廠から地下に拡張した“しぇるたー”に収容しているところです」
「シェルターって……イグノちゃん、こんなときのことも想定してたのね」
戦時の備えなど資金と食料の他にはまったくもって考えていなかったあたり、アタシはたぶん魔王の資質がほぼ皆無だったのだと痛感する。優秀な部下たちがいてくれなかったら、いまごろ魔王領はとっくに陥落していただろう。
魔王城は食糧生産拠点なので非常食料の備蓄は問題ない。メレイアから乗ってきたトラックには、必要なら避難民の人たちに配ろうと思って荷台に王国からの輸入品である衣類や毛布を積んであった。荷降ろしするスタッフの横で、初老の人狼族男性が頭を下げる。
「魔王陛下、ロコ村の村長コールバークでございます。おかげさまで、村民の避難が無事に完了しました。南東4村の皆に代わってお礼申し上げます」
「ご苦労さま。困ったことがあったらアタシか城の者に何でもいってちょうだい」
「はい」
レイチェルちゃんを始めとする魔王城のスタッフたちがテキパキと采配しているせいか、批難誘導は目立った混乱もなく進んでいる。まだ徴用された村の男性たちが戻らないせいで不安そうな顔をして入るが、パニックになったり泣いたりといった人は見当たらない。
このまま無事に済むと良いんだけど。
「避難民の収容は順調、最低限の家財道具も運べました。家と収穫前の作物は無理でしたが、野豚と野鶏を中心とした家畜も過半数は確保して、いまは使われていない魔王城裏山の養鶏場で預かっています。防犯装置も給餌装置も生きてますから、2週間くらいは健康状態を維持出来るそうです」
「徴用された男性たちは」
「解放されるまでパットが監視して、こちらに誘導します。護衛には虚心兵を5体、領民に被害が出るような状況なら武力行使も許可しました」
「それでいいわ、ありがと」
報告を終えたレイチェルちゃんの陰から、タッケレルの獣人娘たちがオズオズと顔を出す。
「……あの、陛下。メレイアは?」
「向こうは大丈夫よ、新生魔王領の最精鋭バーンズ曹長の重装歩兵チームと虚心兵たちが守ってくれてるから。非公式にだけど、帝国軍の侵攻があった場合には王国も南部領軍が支援を約束してくれてるし。まあ、名目上も実際も、王国民間人の避難支援だけど、いまのところはそれで十分。イグノちゃん、状況は……って、イグノちゃん?」
獣人娘たちの不安そうな視線を辿ると、イグノちゃんはエントランスで平伏していた。いわゆる土下座状態で、周囲には心配そうな顔をした城のスタッフたちが遠巻きにしている。
アタシがいじめてるみたいな画ヅラになるので勘弁してほしいのだけど。
「ちょっとイグノちゃん、そういうのいいから説明して」
「は、はいッ!」
「さっきいってた重要人物って、誰なの」
「この子です」
イグノちゃんが指差すところを見てアタシも周りもポカンと口を開ける。何故か本人も不思議そうな顔をしているんだけど。
「え? ……レイチェルちゃん? 彼女が目当てであちこちから侵略受けてるの? なんで?」
「彼女は、“認証魔導印”としての力を持つ者なのです」
「……ごめん、わかんない。というか初耳なんだけど、レイチェルちゃん、何なのそれ」
「私も、わかりません」
本人なのに知らんのかい。
イグノちゃんが悩みながら周囲を視線を走らす。人払いが要るようなら城のスタッフは別室に行っててもらおうかと思ったけど、城内も撤収作業に追われているらしく、獣人娘たちはいわれるまでもなく厨房に戻っていった。
「それで、敵がレイチェルちゃんを手に入れたら何が出来るわけ?」
「魔王領の実権掌握です」
「……え?」
「魔王陛下の地位を担保するのは領民や軍や家臣ではなく、この世界の“理と呼ばれるひとつのシステムなのです。いわば、人間でいう“神”のようなものでしょうか。そして、“認証魔導印”はそれを裏付ける保証のような存在。つまり彼女の承認がなければ誰が何を主張しようと魔王は魔王でなく、魔王城も魔王城ではなくなります」
……それってつまり、国璽、みたいなもの?
レイチェルちゃんも自覚はないらしくアタシと並んで首を傾げている。
「工廠長、私が魔王陛下をお迎えに上がったのも、その……」
「あなたのなかの“認証魔導印”が先代魔王陛下の退位を察知して、次の魔王陛下を選び出したの。見つけ出すのには苦労したかもしれないけど、誰が魔王陛下か迷ったりはしなかったでしょう?」
「お会いして、すぐわかりました。もしかして、私が不死者になったのも?」
「それは、“認証魔導印”を守るために与えられた能力なのか、それとも生得能力が役割に向いていたから選ばれたのかはわかってないんだけど、不死がなければ大変なことになっていたのは事実ね。だって、レイチェルを殺せば魔族は自分たちを統べるものが何かわからなくなるんだもの」
それを望む者もいるということだ。いや、魔王領の内外には、実際そうなるべきだと思っている者ばかりなのだろう。
「用心するに越したことはありません。敵軍はまだ誰が“認証魔導印”所持者か把握していません。叛乱軍も、どうやら私だと誤解していたような節があります。その頃には私がレイチェルを逃がして、陛下のいた世界に“派遣”していたので」
お陰で助かったわけね。アタシもレイチェルちゃんも。
いや、彼女にとって……魔王領のみんなにとって、それが良い選択だったかどうかはアタシの出す結果次第ってことになるんだろうけど。
「さて。イグノちゃん、前に話した計画って、どこまで進んでる?」
「いつでも動かせます。問題があるとしたら、避難民が想定の上限近いことくらいでしょうか」
「計画は前倒しすることになるわね。残った領民を収用次第、起動してちょうだい」
「御意」
「陛下!」
振り返ると、いつもの獣人娘たちが並んでいた。厨房機材やら試作素材やら、それぞれ山のように抱えていた荷物を下ろし、アタシに詰め寄る。
「私たちも、戦います。武器を、武器をください!」
「え? どうしたのよ急に」
明るく元気で、ちょっとそそっかしい人虎族のタイネちゃんに、おっとり癒し系(巨乳)だけ芯の強い人牛族のコルシュちゃん、物静かだけど真面目で頑張り屋な人猪族のヨックちゃん。それを取りまとめるお姉さん役が人狼族のカナンちゃん。それぞれが違った個性がひとつになって、何度も素晴らしい成果を出してくれてた。
そんな彼女たちが、いまは悲壮な表情で涙を浮かべている。
こういう姿を見たくないから、アタシたちは出来る限りのことをやろうと思っているのだ。
「あなたたちの武器は頭と腕と、可愛い笑顔よ。戦うっていうなら、ずっと最前線で戦ってきてくれたじゃないの。あなたたちの頑張りが、どれだけ新生魔王領の支えになったか」
チームのリーダーであるカナンちゃんが思いつめた顔で首を振る。
「そういうことじゃないんです。このままじゃ、お城が敵に囲まれちゃうって聞いて、それで……!」
「そうね。人気者は辛いわ。レイチェルちゃん、それにカナンちゃんたちもね。他にも手の空いてる人たちに頼んで、城門を開放させて。城内の扉や窓も全部ね。風通しを良くしてもらいたいの。固定できないのは外しちゃってもいから」
「御意」
「「「「……え? えッ???」」」」
アタシはイグノちゃんから城内放送用の小型魔珠を受け取って、残った城のスタッフと“シェルター”の避難民たちに語りかける。
「魔王ハーンから、みなさんにお知らせします。撤収の用意が済んだ人から地下シェルターに移ってちょうだい。急がなくても良いから、安全第一でお願いね。村の男性陣を収用次第、アタシたちは……」
魔王として、穏やかに笑う。大丈夫、きっと上手くいくわ。
「……魔王城を放棄します」