解放
「起きろ、化け物」
砕けた骨が軋む音。悲鳴を上げてわたしは目覚める。
気付けば暗がりのなか、子供の腕ほどもある鉄の格子で囲まれた、狭い檻のなかに転がされていた。
目の前には黒い重甲冑を身に纏った巨躯の女。わたしを仕留めた帝国の兵士だろう。上背は目測で6尺(180cm)以上あり、わたしよりも頭ひとつ分は大きい。
手にしているのは身の丈ほどもある巨大な黒い戦槌。片側が槌頭で、打撃面が尖った凹凸状に溝が刻まれている。
それはちょうど、新魔王陛下が厨房で使うために工廠長に作らせた“肉叩き”に似ていた。まあ、用途も多分同じだ。違いは叩き尽した後で、喰うか打ち捨てるかだけ。
槌頭の反対側は大きく尖った鳥の嘴のような形をしている。それはそれで用途があるのだろうが、あまり知りたくはなかった。
起き上がろうとするが、左腕に力が入らない。動かそうとしても、ぷらんと垂れたまま何の反応もなかった。指先が歪み、肘から下がいくつも折れ曲がっておかしな方向に向いている。
咄嗟に身を守ろうとしたせいか、あの戦槌をまともに食らったのだろう。片腕を潰されはしたが、そのおかげで命を拾ったのだ。痛みを感じるのは生きている証拠。
少なくとも、いまはまだ。
「ふん」
鉄格子の隙間から、女が柄を突き入れてくる。目覚めるきっかけになった激痛もそれによるものなのだろう。わたしは動く方の右手で石突きを弾き、女を睨みつける。
女の兜は外され、癖の強い長い黒髪が露わになっている。縦横に疵が走った不敵な面構えに、獲物を噛み砕こうとでもいうのか、丈夫そうな太い顎。大型の肉食獣を思わせる風貌だが、見た目だけでいえば、まずまずの美形だった。
魔王領軍の重装歩兵、人虎族の首狩りバーンズ曹長に、少し似ている。
「帝国軍兵士を虐殺した化け物を、生かしておいたのは皇帝陛下の思し召しだ。温情と呼ぶには、あまりにも悪趣味ではあるがな」
何をいっているのかはわからないが、どうせ晒し者にしようという腹だろう。いまここから逃げるのは無理そうだ。わたしは静かに様子を伺いながら、自分の状態を確認する。
フードを奪われてはいるが、他に失ったものはない。そもそも武器など何も持っていないのだから、失うもの自体がないだけなのだが。
魔力を循環させて回復を図ろうとしたが、何の手応えもなかった。魔族対策なのか、牢には障壁を張り巡らしてあるようだ。考え方としては順当なものなので、特に驚きはしない。
「コロナ」
暗がりの隅で扉が開く。光が差し込んできて、周囲の状況がわかる。一辺が50尺(15m)ほどの石造りの部屋。窓のない室内は扉の両脇に黒い甲冑に長槍を持った重装歩兵が2名。
装備が海軍とは違う。陸兵か。
入ってきたのは、黒い修道服に黒のケープを纏った細身の女。黒の軽甲冑に大剣を背負った小柄な男。そして、黒の法衣に黒い木の杖を抱えた小太りの男。誰もが黒ずくめで、ひどく若い。
どういうわけか、彼らには新魔王陛下に似た違和感があった。
「聖女様に勇者様、それに賢者様まで。このような穢れた場所に何の御用です?」
「好きで来たんじゃない。女戦士が仕留めたケダモノの検分だ」
「魔王の女だと聞いたんでな」
「そこにいるのが、例の……?」
「はい。魔力は、ほとんど持っていません。魔圧も感じませんし、戦闘にも魔法は……少なくとも攻撃魔法は使われませんでした」
「それで、帝国軍兵士を何百も殺したのですか。信じられません」
「獣人などの下級魔族には良くあることですが、生得能力レベルの微弱魔力を身体強化に回しているようです。あんな見た目ですが、並みの人間よりは遥かに強い。油断はしないでください」
離れた場所でコソコソと話しているが、声は丸聞こえだ。
「連れてこい」
扉の脇にいた兵士たちが離れた場所から鎖を引き、わたしの入った檻を引き摺り始める。下には滑車が付いているようで、檻は呆気なく動かされ、どこかへと運ばれてゆく。
――ケダモノ、か。
上級魔族や中級魔族からも、そう呼ばれたことはある。下級魔族など全て獣人と同じくくり、という意味だが、人間が発する言葉の意味合いは恐らく少し違っている。畏怖と嫌悪の混じったそれは、人では到達出来ないところまで身体能力を高めた魔族全般を指しているのだ。
檻のなかで引き摺られたまま、わたしは薄暗い石造りの廊下に出る。両側に牢と思われる鉄扉が並んでいるが、閉ざされたままで人の気配はない。
見た目から判断するに、ここはまだ海上要塞のなかなのだろう。何層にいるのかは不明だが、これまでに見た覚えがない以上、登ってきた階層よりも上だ。
状況は悪化しているが、少なくとも魔王様には近付いている筈だ。
検分をするというが、兵士も“勇者”たちも、黙って歩き続けたまま振り返りもしない。
廊下の奥に、両開きの大きな扉がある。近付くと内側から開き、なかに広がる空間が目に入った。両脇の壁に並べられた油脂灯の明かりに照らされ、背を向けた修道服の集団が何かを囲んでいる。彼らは祈りか呪詛か、聞き覚えのない何か唸るような文言を繰り返していた。
「皇帝陛下」
修道服の集団に混じっていた、黒衣の男が振り返る。鍛え上げた身体に岩を削り出したような厳つい顔。口髯を蓄えた風貌は皇帝というよりも歴戦の将といった印象を受ける。
「残念ながら、外れです。こいつも、贄には向きません」
「だろうな。まともな頭を持った魔力持ちは造反に回った。あんな愚物を慕うのは、役立たずの出来損ないばかりだ」
嫌な予感がした。強烈に嫌な予感が。床から一段高くなった祭壇のような場所に、楕円形の卵に似たものが転がされている。そのなかに蹲るのは、ひどく小さな人影。
違う。
あれは、わたしの魔王ではない。
かつて魔王領を統べ、軍を率いて戦場を駆け回っていた逞しい巨漢が、あんな小さなものに、収まる訳がない。
絶対に、違う。
「……陛、下」
だが、声が漏れる。勝手に、身体が動く。あそこにいるのが、求めていたものなのだと、わたしは理解してしまう。奴らは……
「何を、した」
「……ッ!?」
「貴様ら、わたしの陛下に、何をしたッ!!」
「おい止めろ、動き出したぞ!」
「ちッ! 凍結霧!」
皇帝の声に“賢者”が動く。
杖が振られると視界が白く染まり、伸ばした手が凍りつき始める。戒めを解こうと鉄格子をつかんだ指が鉄の表面に張り付いて凍る。
「うぉおおおおおおおおォ……ッ!」
張り付いた右手をそのままに、動きもしない左腕を振り回して、わたしは檻を蹴り付ける。
衝撃を与えるたび周囲に自律起動の魔法陣が浮かび、制圧雷撃が降り注ぐが、知ったことではない。
“賢者”は氷槍を、“勇者”は大剣を、“女戦士”は兵士から奪った槍を鉄格子の隙間から突き掛けてくる。
「やあッ!」
檻のなかは狭いだけに、刺突が通る位置は限られている。軌道とタイミングを読めば対処は出来る。氷槍は格子の魔法陣に弾かれて砕け散り、大剣の腹を殴ってへし曲げると引き抜けなくなった“勇者”は罵りながら距離を取る。横から突いてきた女戦士の槍を掴んで引き込み、手を離して身構えたところを石突きで弾き飛ばす。
「げふッ!」
「こ、こいつ……ッ!」
あまりの手応えのなさに戸惑う。これまでに直接ぶつかったのは女戦士だけだ。そのときは強力な武器と強烈な打撃力で倒されはしたが、いま見ると判断能力や攻撃能力はひどく拙い。
さっきから“聖女”も何かしきりに魔法を使っているようだが、光っているだけで効果は感じない。
「この魔物、聖霊魔法が効きません!」
――何だ魔物って。誰のことだ。
考えるのは後にして、わたしは陛下の奪還に動き出す。相手が弱かろうと拙かろうと、狭い檻に閉じ込められたままでは、水に落とされただけで死んでしまう。
「“剣は、我が心に”」
既定の文言を鍵として、魔導拘束具、“魔導コルセット”が弾け飛ぶ。
胸と腹を締め上げていた拘束とともに、魔力の枷が解かれる。わずかに循環させていた魔力だけでは身体強化程度しか使えなかったが、それももう終わりだ。
それは同時に、最後に残っていた新魔王領との紐帯が切れたことにもなる。大きなものを喪失したともいえるし、身軽になったともいえる。彼らとの思い出は、この戦いには重荷だったから。
それが、わたしを守るためだったとしても。
砕けていた腕が軋みを上げて再生する。朦朧としていた意識が鮮明になり、感覚器が明敏化されて室内外に潜む敵の気配までもが明らかになる。
檻を思い切り蹴り飛ばすと、鉄格子がバラバラに弾け飛んで壁や天井に突き刺さった。何人かの兵や修道服の男たちが巻き込まれ、腹や頭に鉄片を生やした姿で崩れ落ちる。
わたしのなかに流れる魔人族の血が持つ固有能力。
身体能力強化と神経の反応速度を限界まで引き上げる、魔導狂化。
魔導コルセットは装着時にそれを抑圧することで、解放時の反動を大きく向上させる。
イグノーベル工廠長の言葉が、脳裏に蘇る。
「覚えといて。いくら強大な力を得ても、使うのは最大で5分までが限度」
「それを越えると?」
「……帰れなくなるわ」
檻から這い出たわたしは立ち上がり、震える“聖女”たちを見て笑う。
問題ない。
いまのわたしにはもう、帰る場所など必要ないのだから。




