初めての領地奪還作戦3
「バーンズ曹長の重装歩兵部隊、敵森精族部隊を殲滅。友軍に損害は見受けられません」
「いまのところ順調ね」
魔王城の中央情報管制室で、アタシたちはイグノちゃんが開発した魔道具の地図を見ていた。叛乱軍を示す地図上の赤い光点が消え、バーンズちゃんたちの青い点が敵陣に近い南東方向で終結し始める。
彼らの準備が済み次第、火魔法による発光信号を送ってくることになっている。それを確認したら、“突入信号弾”の出番だ。
問題はその新兵器がどういうものかアタシがいまひとつ把握しきれていないところなのだが……殺傷能力はないというし、効果圏内に味方を置かないということは徹底させた。後は、イグノちゃんを信じるしかない。不安だけど。
「魔王陛下、発光信号確認! いつでも行けます」
「……“突入信号弾”投下!」
ああ、もう知らない!
◇ ◇
人狼族軽装歩兵部隊を率いるモル軍曹は、村から南に1哩(1.6キロ)離れた畑の端で待機していた。確かに、ここなら起伏と木々が遮蔽物になるし森精族の長弓も射程外だが、いざ突入の合図があればその距離を全力で駆け抜けることになる。
人狼族は平地での速力、特に直線でのそれには絶大の自信はあるものの、何もここまで離れなくても、というのが正直な感想だ。
人虎族の重装歩兵部隊はとっくに森に入っている筈だが、戦闘音どころか何の気配もない。森林に潜んでいる筈の森精族弓兵部隊がどうなっているのか、ここからでは見当も付かない。
敵陣方向を窺うモル軍曹に、同じく分隊指揮を命じられたハインズ伍長が近寄ってくる。
「軍曹、合図というのは何でしょうね」
「敵の目と耳を塞ぐって、いってたがな。何のことやら。ただ、嫌な予感はするんだよ」
「……え?」
「魔王陛下がいってたんだ。これだけ離れて待機するのは、俺たちの安全のためだって。あれは敵の攻撃のことかと思ってたんだけどな、もしかしたら、その……」
「“合図”の危険性を考慮した、とか?」
言葉を喪ったふたりの耳に、風を切るわずかな音が、空のどこかから聞こえてきた。
夜目が効く人虎族であれば、暗闇のなか森に向かって小さな何かが落下してゆくのが見えただろう。それは、いきなりだった。
森が、真昼のような光で膨れ上がったのだ。
「ぐ、軍曹!?」
「合図だ、行くぞハインズ! 突入! 突入! 突入!!」
部下たちを率いて遮蔽から飛び出し、森に向かって全力で突入する。わずかに遅れて甲高い爆音が耳に届く。1哩離れた場所でもそれは聴覚を麻痺させ、疾走を戸惑わせた。
「止まるな、行け! 行け!!」
畑の半分ほどを駆け抜けたところで、森の端から何かが次々によろめき出てくるのが見えた。亡霊のような、死霊術で操られた死体のような、無防備で緩慢で大儀そうな動き。
敵だ。小匠族の戦闘工兵。誰もが目を押さえ、呻き声や叫び声を上げながら、手にした大剣や大槌を振り回している。周囲には自軍の兵しかいないというのに、見当違いの方向に叩きつけては味方を傷付け、樹木に刺さって自らの動きを封じている。
「弓隊!」
「「「応ッ!」」」
森から出てきた小匠族が一斉射で崩れ落ちる。棒立ちに近い状態では彼ら自慢の重甲冑など意味を成さない。露出した首や頭部に矢を受け、呆気なく命を落とす。
人狼部隊の前衛が森に入り、同じようによろめき歩く小匠族を片手剣で次々と仕留めて行く。戦闘というにはあまりにも一方的で、殲滅というにも無抵抗すぎた。
「……ふざ、けるなッ! このクソ犬がッ! ケダモノどもが、俺たちをォ……げぶッ!?」
人狼族兵士が突進した勢いのまま、小匠族工兵の腹を蹴り上げる。怒りに任せた一撃は分厚い胸甲を凹ませ、相手は血反吐を振り撒きながら木に叩きつけられた。背骨がへし折れる鈍い音がして、小匠族は幹に巻き付くようにのけ反ったまま事切れた。
死体を一瞥した人狼族兵士は、汚いものにでも触れたかのように足を地面に擦り付けて走り去る。
上位にも下位にも属さない中級魔族、さらに固有の能力や天稟に恵まれた小匠族や森精族の方が、むしろ上級魔族よりも選民意識が強い。旧魔王軍では部族よりも階級が優先されていたので単にいけ好かない連中というだけで済んだが、その反動はしばしば民間人に向かった。一部の中級魔族は、下級魔族の民間人、特に獣人族に対して異常なほどの嫌がらせや虐待を行ったのだ。
村の住人たちが無事だといいが、とモル軍曹は早くも戦闘後の問題に意識を向ける。
「軍曹、危ない!」
一瞬の油断が、死を招くところだった。兵士の声に飛び退ると、直前までいた場所に巨大な鉄塊が叩きつけられる。土くれを飛び散らせながら跳ね上がったそれは、人間の腕ほどもある鎖につながった槌頭。宙を舞ったかと思うと水平に軌道を変え、天幕を吹き飛ばして人狼族兵士に襲いかかる。手探りで這いつくばっていた小匠族が引っ掛けられ、血飛沫とともに肉片に変わる。
「弓隊散開! 固まるな、負傷者は森の外へ!」
「キャンキャン吠えるな、犬っコロが!」
森の暗がりから姿を現したのは小匠族の指揮官、“隻眼”モラード。
過去の血統に混血でもあったのか、2メートル近い巨躯は並みの小匠族ではない。
モラードは自分の部下を手に掛けたことなど気にも留めず、魔族屈指の膂力で巨大な槌頭を縦横無尽に振り回し、薙ぎ払い、叩き潰す。
「ここまでコケにされて、逃がすわけ、ねえだろう……がッ!」
人狼族弓隊の放った矢が顔面に集中し、ひとつしかない眼に突き刺さる。脳まで穿たれたモラードは動きを止めてよろめき、振り回していた鎖に巻かれると、仰向けに倒れ込む。宙を舞っていた槌頭が鎖に引かれて軌道を変え、横たわるモラードの頭を叩き潰した。
「お見事」
穏やかな声が聞こえて、森の奥からバーンズ曹長が現れる。彼女も部下たちも重装歩兵とは思えないほどの身軽さで、折り重なった倒木をひょいひょいと踏み越えてくる。
「自分の振るった槌で頭を潰されるなんて、偏屈な小匠族にしては、なかなか粋な最期だな」
「曹長、森精族は」
「ああ、森に帰った」
どこか不満そうな口調に、モル軍曹は首を傾げて背後にいた彼女の部下を見る。タバサ伍長が苦笑しながら、こっそり耳打ちした。
「生前の上官、“寝返り”ウェイツに逃げられたのでご立腹なんです。どうやら襲撃前にまた敵前逃亡していたみたいで」
「タバサ、余計なこというんじゃない。あいつは、重装歩兵隊で始末をつけるべき問題だ。まったく、面倒事を引き延ばしやがって……」
バーンズ曹長は振り返ると、森の出口に向けて指を振る。
「さあ、とりあえずこの村の奴らに、挨拶しようじゃないか」