初めての王国侵攻3
「衛兵、弁護人を拘束しろ! そいつは魔族が化けたものだ、抵抗するなら殺しても構わん!」
法廷の警備に当たる衛兵も、弁護人と王子を交互に見て二の足を踏む。見た目はただの中年男性でしかない相手を殺してでも拘束しろといわれたところで、即座には動けない。まして相手は高等裁判所で弁護人を務めるほどの――おそらく最低でも中級貴族だ。精神的に不安定と噂の第一王子の弁に従って、間違いが起きたとき真っ先に切り捨てられるのは自分たちだ。
「正確にいえば、“魔王が操っているもの”よ。拘束するのは結構だけど、殺すのは問題じゃない? 意識が乗っ取られたとはいえ、この身体は、あなたが買収した弁護人イルクト・ケーフェイ氏なんだから」
“王族専属弁護人”は屈託のない笑顔で王子を見詰め、傍聴席を指す。
「それよりも、いいのかしら? 王でもない単なる継承権者が王国刑法を勝手に枉げられるというなら、この国は法治国家ではないということになるんだけど」
「黙れ! 魔族風情が法治を語るか!」
「未だ信用も共感も築けない魔族と人間の間を繋ぐ物は、暴力か利害しかないのよ。そこで王国側に遵法精神がないと分かれば、利害を調整するための契約が成立しない。つまり……」
弁護人の皮を被った魔王は、そこで少しだけわたしに目を向けた。
「問題解決の手段は、暴力しか残らない」
「そんなもの最初からわかりきっていたことだ! 魔族は王国の敵、大陸を蝕む害虫だ! 皆殺しにする以外に人の生きる道などない!」
「それは個人の意見? それとも、王族としてのもの? もし王家の威光を背負っての発言なら……その責任は、あなただけに留まらなくなるのだけど」
「ぬかせッ!!」
コーウェルの合図で、原告側に近い傍聴席から飛び出した複数の男たちが真っ直ぐに弁護人へと向かう。剣を抜いて斬り掛かろうとした瞬間、弁護人の手が閃き肉を打つ音が響いた。
「悪手ね。司法の場で剣を抜くなんて、蛮族以下のケダモノじゃないの」
突進してきた男たちは足を止め、膝をついて剣を放り出すとガクガクと身悶えし始める。そこに来てようやく、衆目のなかで彼らが近衛の兵だとわかる。
――この反応は、何かの毒か? いや魔術か幻術……
「……馬鹿は物を考えないと思われてるけど、実際には違うのよね。馬鹿ほど物を考えるわ。驚くほど馬鹿なことを、驚くほどたくさん」
弁護人の背後でナイフを抜き、襲い掛かろうとする使用人風の男。近付く間も無く振り返りざまに張り飛ばされ、顔から床に倒れ込む。弁護人の動きは無駄なく洗練されたもので、冴えない肥満体の男とは思えない優雅さがあった。
「保身のために出来ることはもうないわよ。何かするほど、立場も状況もどんどん悪くなる。もういいでしょ、コーウェル第一王子。いい加減、諦めなさい」
弁護人の身を借りた魔王は、痛そうに掌を振る。まさかいまのは、ただの平手打ち、なのか?
「茶番劇は終わりよ。王族内での勢力争いならどうでもいいけど、これ以上、王国を掻き乱すつもりなら新魔王軍が介入することになるわよ」
「……は?」
思わず声が出た。魔王は怪訝そうにわたしを見る。
「介入? 何故だ。何を目的にだ。そんなことをして魔王領に何の利益がある!」
「あら」
「“あら”じゃない、何を不思議そうな顔をしている、当たり前だろうが、魔王は完全な部外者だ。王国の内紛には何の関係もなく、利害も絡まない。違うか!?」
「違うわよ、あなたとは互いに宣戦布告をした敵同士。あなたの物は、勝てばアタシの物。それを台無しにする無能とか、掠め取ろうとする馬鹿を、許すわけないじゃないの。ねえ?」
そういうと、弁護人は被告側弁護人席を出て、裁判長席の前を通過し、原告席に歩いて行く。法廷内は身動きひとつなく静まり返る。背が低く肥満した筈の弁護人の身体が、ひどく優雅な仕草で近付いてくるのを、待ち受けるコーウェルたち。既に抵抗する気力もないのか、固まったまま何の反応もない。
「新魔王軍の敵は、マーシャル王女殿下とその支配地域だけ。王国はまだアタシたちの敵じゃないのよ。それがどういう意味か、わかる?」
「……王国軍の全兵力と衝突する事態だけは避けたいとで、も゛ッ!?」
コーウェルの首がグルリと一回転して何か白い細片が吹っ飛び、わずかに遅れてパンと甲高い破裂音がした。完全に死んだかと思われた第一王子は、頬を赤く腫らし鼻血を噴いた顔で目を見開く。歯が、抜けているのが見えた。
衆人環視の場で、王位継承者を平手打ちか。ある意味、殺すよりひどい。
「わかってないわ、あなたやっぱり驚くほどの馬鹿ね。魔王領を統べる、魔王陛下様は、無恥で無能な無知蒙昧のあなたとその手下どもに、こういってるのよ」
「王女殿下を除いて、この国は“敵と呼ぶに値しない”」
いい残すと、魔王は原告席にクルリと背を向けた。わたしの前まで来ると優雅な儀式礼を見せる。だがそれは、軍の上級将校が同格の他国軍人に対して見せるものだ。
「では、御機嫌よう殿下。次は戦場で、お会いしましょう」
彼が笑顔で指を弾くと、弁護人の顔から一瞬で生気が消え、優雅さも失くした樽のような身体は震えながらよろめき始める。傍聴席に向かって棒立ちになったかと思うと、白目を剥いて昏倒した。




