初めての忠臣
レイチェルちゃんは、笑うアタシを見てホッとしたのか部屋を出て階下へと誘う。執事か工廠長に会わせたいのだろうとは思うけど、それが少し引っかかる。
この状況で彼らは――彼らだけは、なぜ残ったのか。
レイチェルちゃんは質問されるのを恐れてるみたいに、ひと気のない暗い方へとズンズン進んでく。危害を加えられることはないだろうけど、ちょっと不安を感じないわけでもない。
ガラスが割られ木の板で塞がれた窓。荒らされた部屋。開け放たれたドアに刀傷が刻まれた大広間。血の臭いが漂う廊下。妙な染みの散らばる絨毯。死体こそ転がってはいないけど、まだ内乱の跡はくっきり残っていて、アタシの気持ちを萎えさせる。
でも目の前を歩く小さな背中はその猛威に耐え、唯一の希望として新たな王を探し出したのだ。この広い城内で最低限の清掃と整頓を済ませ、アタシを迎え入れた。それをレイチェルちゃんたちだけで行ったんだとしたら、どれだけの執念か。
その思いがアタシを縛る。
「……まおー?」
どこからか羽ばたく音がして、小さな黒い影がアタシにまとわりつく。気が抜けるような幼い声でアタシを呼ぶそれは、ちょっと人に似た顔立ちをした蝙蝠だった。
「そうみたいね。あなたは?」
「ぱっと」
「パット・ザ・バット。魔王様の使い魔です。あまりお役に立てないかとは思いますが……」
「ぱっと、つかえるよ! なんだってできるんだから! とんだり、かくれたり、いっぱいになったり、それにほら、あれだよ……いろんなもの、さがしたり!」
「諜報要員としては使えなくもないですが、戦闘能力は皆無で速度も生命力もさほどありません。酷なようですが、員数外とお考えください」
「これからがんばるもの! おっきなまおーも、ぼくまだせいちょーするって」
「パット! 先代魔王様のことはもう」
「まおーは! かえってくるって、いったもん!」
「パット!」
「れいちぇるのばーか!」
ふくれっ面の泣き顔でパットがどこかへ飛び去る。レイチェルはまた沈んだ顔になって、アタシに背を向けたまま先に進もうとする。
「すみません魔王様、後でいって聞かせますから」
「ねえレイチェルちゃん、それよりまず訊きたいことがあるんだけど」
背中がビクッて震える。苛めてる気分になるんで、それ止めて欲しいんだけど。
「アタシって、何か力あるの?」
戦争なんて映画でしか見たことないし、喧嘩なんか口喧嘩くらいしか経験がない。腕力も体力も殆どなくて、もちろん権謀術数なんてのも縁がなかった。それは生まれ変わったいまでも改善されてる気がしない。
「……私には、わかりかねます。執事にお訊きください。鑑定の能力を持っておりますので。こちらです」
目の前に現れた鉄扉を開かれ、饐えた臭いが溢れ出してくる。
左右に並んだ鉄格子は開かれ、石造りの牢に人影はない。その突き当たり、最深部に何かがいた。牢内の鉄格子に寄りかかるようにして、アタシに流し目をくれている物凄い美形。真っ暗な独房のなかで、そこだけスポットライトでも当たったみたいに照らされている。
漆黒のスーツに純白のシャツ。ダークグレーのベストに血の色のボウタイ。絵に描いたような執事だわ。リアルな執事なんて見たことないから詳しいディテールはどうなのか知らないけど。
すらりと伸びやかな肢体に慇懃かつ耽美系な物腰。なにこれ、すごい……けど、何かちょっと、こう……
「ああ、我が君。待ちかねたよ。さあ……」
囁く声が、遥かな距離を越えて届く。男なのか女なのか人間なのか魔物なのか、その生き物はほっそりとした指先を自分の首筋に当て、ゾッとするような笑みを浮かべる。
「いまこそ、ぼくの首を掻き斬ってほしい」