イグノの叛乱
「ノーベル1から、チョッピング1/2 ノーベル1から、チョッピング|1/2 陛下、大丈夫ですか? オーバー!」
わたしは声を潜めて通信用の魔珠に声を掛ける。呼びかけるのも呼び掛けられるのも激しく抵抗がある識別信号は魔王様自ら決められたものだ。最初はエルケーニヒ0だったが、陛下ご自身ですら発音しにくいので止めた。
わたしのコールサインは、本名のイグノ―ベル・ヤゥンから取られたもので、正直にいえば、自分の名があまり好きではない。陛下が「あらイグノちゃん素晴らしいわピッタリよぉー」といたくお気に入りなので拒否し損ねたのだ。
さて。相変わらず魔珠からの返答はない。少し前まで怒鳴り声と戦闘音が聞こえていたが、いまは不自然なほどに静まり返っている。
もしかして魔王様が消音でも掛けたのだろうか。なにやら急に叫び出して城の裏木戸目掛けて駆けて行ったのはわかるが、何が起こったのかはわからない。尖塔にいる彼女の位置からは死角になって見えない。上空旋回中の極楽鳥も攻撃を終えて裏山の上にいるため角度が悪く裏木戸前の映像は拾えない。ゴーレムは、敵重装歩兵の波状攻撃に晒されているため監視どころではない。魔石に蓄積した魔力がゴリゴリ削られ残り稼働時間は三分強。あの子たちの巨体は機能停止したら良い的だ。叛乱軍ごときのために失うには惜しい。
もう一度呼びかけて返答がなかったら、自分の足で回収に行こうと覚悟を決める。
「陛……」
『にゃああぁーッ!?』
「ッ!!」
受信感度を上げていたせいで脳内に女性の悲鳴が響き渡り、思わず心臓が飛び上がる。
「ななな……なに? というか、誰!?」
『笑うのよ、バーンズちゃん。いい女はね、辛い時ほど、笑うものよ?』
女の悲鳴の後に聞こえてきたのは、陛下の優しげな声。
バーンズ?
聞き覚えはある。というか、古い知り合いだ。
獣人族の重装歩兵、キレた彼女の前では上級魔族ですら震え上がるという百戦錬磨の野獣、“首狩りバーンズ”。
先の攻防戦で戦死しているから、陛下は蘇生に成功したことになる。
それはめでたいことだが、彼女はあんな甲高い嬌声を上げるようなタイプだったか? もしかしたら蘇生によって性格に変化が現れたのだろうか。猪突猛進で三度の飯より戦好きという筋金入りの戦闘狂だったのに。武器は細身の長剣で攻撃もスピード型というのにもかかわらず原隊に重装歩兵部隊を選んだのは、単に最前線で最強の敵と真正面から対峙したいというだけの理由だ。
「軽装歩兵の連中、ちょっと頼りないし」
あんな女より頼り甲斐がある奴なんて、いたとしたら既に生き物じゃない。だが重装歩兵部隊は性に合ったらしく、バーンズは戦友には恵まれ上官から可愛がられ部下からも慕われる立派な軍人になった。彼女の人生にとって順風満帆といっても良かったのかもしれない。
男運を除けば。
女盛りを迎える頃になってもお目当ての男は現れず、ふて腐れた彼女は帝国軍との紛争が始まると嬉々として最前線に向かったまま帰らなくなり、そして……
……彼女が不在の魔王領で、内乱が起こったのだ。
『未来なら、アタシが見せてあげる』
魔王陛下の静かな声。バーンズが口ごもる気配が伝わってきて、わたしは少し切なくなる。嫉妬なんかじゃない。彼女の気持ちがわかってしまったからだ。
だったら何故、もっと早く来てくれなかったのかと。もちろん、それを魔王様にいったところでしょうがない話ではあるのだけれど。
「未来かあ……」
わたしは、隠れていた尖塔最上部の小部屋から這い出る。水平方向には尖塔の直径と同じくらいの面積があるが、高さは最大でも120センチ。狭いところはその半分もない。相当に小柄な者しか入れず、入ったところで身動き出来ない。
元は城を落とされかけたときに籠城側が逃げ込むための緊急避難経路。階下とは壁のなかのハシゴで繋がっていて、城壁内外に隠されたいくつかの脱出口から出入り出来る。
階下の様子を覗うと、埃と蜘蛛の巣にまみれた灰色のツナギ姿で、血の臭いに満ちた廊下に降り立つ。有翼族の降下部隊が折り重なるように倒れていた。顔を覆った非外気依存呼吸魔道具が息苦しいが、まだ外す訳にはいかない。有翼族はみんな、気化した神経毒を吸い込んだせいで苦悶の表情のまま泡を吹いて死んでいる。
ガスの残留時間は12分。階下は転送魔方陣で封鎖した。城内の人間が尖塔に入れるようになる頃には、ここは無害になっている。長距離狙撃用の魔導弩は小部屋に隠してきた。わたしが加担した証拠はない。
これで良かったんだ。
魔王様の見せてくれる未来は、きっと素晴らしいものになるだろうと思う。だからこそ、陛下のやり方じゃダメだ。反抗を許さないという強い姿勢と絶大な力を誇示しない限り、自我の強い上級魔族からは服従も忠誠も得られない。
陛下自身も、そのことを理解してはいるのだ。実力を示しながらも同族殺しを避けられないかと非殺傷兵器の開発まで依頼してきた。自分の抱いているのが甘ったれた理想論だと自覚しつつもなお、諦めきれない。あきらめようとしないのだ。
先王と同じだ。彼らの生きてきた国はきっと、ここよりも進んだ文明と進んだ思想を持った美しいところなのだろう。だが、その美しさを捨てられなければ、進む先は破滅でしかない。
もしかしたら魔王様を説得することは出来たかもしれない。わたしの作り上げた兵器と情報網とコネクションをもってすれば、敵味方どちらかの――あるいは両方の、考えを変えさせることも、妥協点を探ることも。脅迫を含めた交渉を行うことも、可能性としてはあった。
でもそれでは、魔王様が魔王様でなくなってしまう気がした。野山に咲く花をガラスで固めるような。天空を舞う猛禽を剥製にするような。それは最後の手段。出来れば、魔王様には御自分が思うままに理想を追って欲しかった。
だから、独断専行を決めたのだ。魔王様の意向を無視して。これも叛乱軍と変わらない、ある意味ではそれ以上の裏切りだってことはわかっている。処罰も断罪も甘んじて受ける。放逐されたとしても構わない。わたしは、わたしのやるべきことをやる。そう決めたのだ。
あの人の理想が、あの人を殺す前に。
「……いいわよ別に、いまさら少しくらい汚れたって、同じだもの」