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初めての殲滅

 地面を揺るがす蹄の音が、刻一刻と大きくなる。思いつめた顔で剣を抜こうと身構える姫騎士と向き合ったアタシは、柄頭を指先で押し留めて静かに首を振る。


「何で武器を持ったままにしてもらったか、わかる?」

「油断させるためだろうが。遥かに上回る戦力で潰すのであれば、必要なのは包囲のための時間だけだからな」

「だったらシンプルなんだけど、あれ新魔王(ウチ)の戦力じゃないのよね。違うわよ。あなた方の武器を預からなかったのは、わかってもらうためよ。……そんな必要が、ないってことをね」

「?……??」


 横目で見ると家臣たちの剣や手槍はレイチェルちゃんが束ねて懐に抱えているが、あまりの事態に当人たちは武器どころではないようだ。

 城の窓からも裏門側からも、何事かとこちらを窺う王国軍兵士の姿が見える。武器を使おうとでもしたのか、にこやかなセバスチャンの一撃で(意識のみ)退場させられている者もいる。


「部下たちは、どうなる」

「どうにもなりませんよ。裏庭のお客様(・・・)たちには、執事のセバスチャンから、落ち着いてくださるようお願い(・・・)してあります。城内の方たちは、うちの工廠長が接待(・・)してますから、安全ですよ。さあ、姫を舞台の最前列にご招待いたします」

「……冗談、ではない」


 いよいよ近付いてくる轟音に言葉もなくしたまま身を強張らせる姫騎士。万もの大軍が立てる蹄の響きが地面を揺らし、嘶きと息遣いが巨大な渦になって城壁の外に霧を立ち上らせる。やがて開け放たれた城門からこちらに押し寄せてくる騎馬の軍勢が見えた。姫騎士の身体がわずかに震える。


「やはり、帝国軍……!」


 ひと気のない前庭を見て馬を止め警戒するが、すぐに脅威はないと判断したのか後続に合図を送る。

 騎乗のままズカズカと城内に踏み込んでくる汗臭い一団に、アタシは眉をひそめた。続々と増える敵兵たちが前庭の中央にいるアタシたちを幾重にも取り巻く。ほとんどが騎兵のため、蠢く黒い壁に包囲されたようになる。


「ええい、どけ! 前を空けんか!」


 その馬の壁を押しのけるようにして、誰かが前に出てくる。黒を基調にした帝国軍騎兵たちとは明らかに意匠が違う、金色の甲冑。悪趣味な房飾りに覆われ、自己顕示欲を示すわりに男の背筋は伸びていない。武人ではないのだ。

 きっと、あれがコーラル宰相だろう。アタシたちを見て、金甲冑の男は面頬を上げ嘲りを浮かべた顔を見せる。


「……ほう、これはこれは。誰かと思えば偽王(・・)ではないか?」


 臆病で神経質そうな忙しない身振りも、甲高くけたたましい笑い声も、取り巻きに向けて虚勢を張るような芝居がかった物言いも、いちいちアタシの神経を逆撫でる。第一この男とアタシは一面識もないのだ。

 身構えているレイチェルに指先で落ち着くように示し、カップを傾ける。


「あら、あなたがコーラル宰相? ……いえ、いまは、ただのコーラル、だったかしら。見ての通り、来客中なの。話し合う余地があるとは思えないんだけど、御用なら日を改めてくださらない?」

「……ふん、薄気味悪い男だ。こんな紛い物に王を名乗らせるとは、古い魔王領は滅びるべくして滅びるわけだな。最後の足掻きに、ティルモニアの名を騙る混じり物(・・・・)を引き込んだとは、笑わせてくれる」

「なにッ!?」

「それ以上の無礼は許さないわよ。死にたくなければ、早急に立ち去りなさい」


 コーラルは大声で笑う。必要以上に張り上げられたそれは、周囲の帝国軍将兵に聞かせるためのものでしかない。


「新たな魔王が即位するという馬鹿げた噂(・・・・)を聞いて嗤いに来たが、これは想像以上の惨めさだな。応接の間すら用意できんほど零落れたか。王冠はどこだ、偽王? 精強無比を誇る魔王軍の軍勢は? 王を守る鉄壁の衛兵隊は? 魔族の英知を集めた難攻不落の浮遊城は?」

「どれも、あなたたちが盗んだものじゃないの」

「人聞きの悪いことをいうな、偽王。この国のすべては魔王領の民と、彼らに支持された者の手にある。あるべきものは、あるべき場所へと戻る。間違いは、正さねばならぬのだ」

「そう、そこだけは同感ね。間違いは、正さなければいけない。だから、そうしたの。情報を流して、馬鹿な売国奴を誘き寄せた。他国の賓客の前で、真実の裁きを行うために」

「何を馬鹿なことを! 武器のひとつも身につけずに万の敵と対峙するほどの力があるとでもいうのか!?」

「あるわけないでしょ、そんなもん」


 アタシは笑いながら、姫騎士の家臣たちが並ぶもうひとつのティーテーブルを見た。彼らは蒼白になって前を向き硬直したまま身じろぎひとつしない。反応のしようもないのだろうけど、この状況ではその方が助かる。

アタシが立ち上がると、レイチェルちゃんが椅子を覆っていた白い掛布を取り去る。

半壊した椅子が現れ、コーラルの表情が強張るのが見えた。背もたれ部分がないため、元の姿を知らない者には素性を想像するのは難しい。古くて汚くてあちこち傷だらけで、座面には赤黒い染みが残っていた。


「……そ、れは」

「訊くまでもないでしょう? あなたたちが壊した、アタシの椅子(・・・・・・)よ」


 それが意味するものが何なのか理解したようでコーラルの顔にどす黒い感情が浮かぶ。頭脳がフル回転しているのがわかる。


アタシは壊れた椅子に座ると、敵軍と対峙する。騎兵相手だとこちらは2メートル近くも低い位置にあり、格好付かないことこの上ない。落ち着いた仕草で足を組んだアタシを見て、帝国軍の将兵が密かに囁き始めた。説明を求める目配せから、視線がコーラルに集まる。


「教えてあげましょうか。ここはいま、玉座の間なの。あなたたちは、そこに踏み込んだ、招かれざる客」

「き、詭弁だ! そんな下らん屁理屈など通るはずが……」

「ないと、本当にそう思う? 覿面の死、って……聞いたことあるわよね?」

「愚物が、このわたしがそのような威嚇で怯むとでも思っているのか! ここに入ってからどれだけ時間が経ったと思っている! 臣も軍も民も、お前を王とは認めない。これは城そのものさえ、お前を認めていない証拠だ!」


 コーラルは部下たちに怯えを見せないように、必死で虚勢を張る。抜いた剣の先が震えている。目が泳ぎ始める。どうやってこの場から逃げるか考えているのだろう。聞いた限り、その程度の男だ。


「玉座の間に入れるのは賓客、王族、王の認めた家臣だけ。あなたは……あなたたち(・・・・・)は、そのうちのどれだというのかしらね?」


 アタシは視線で貧弱な反逆者を射抜く。笑みを浮かべた唇で、男の臓腑を鷲づかみにする。指を振るたび、青褪めたコーラルの視線がそれを追って泳ぐ。すがり付けば何か救いが見出せるとでもいうように。


「魔珠による公告は公布後二十四時間で効果を発揮する、だったわよね。何時に公布したかは、残念ながら覚えてないわ。でも確か……日が陰る頃(・・・・・)、だったかしら」


 山岳部にある魔王城は日照時間が短い。日は山陰に隠れ始めているが、まだ夕刻には時間がある。コーラルの動揺が収まり始める。突き付けられた死の覚悟が、逃げ道を塞がれた絶望が、ようやくコーラルの肝を座らせた。


「いますぐ兵を退くなら、死なずに済むかもしれないけど。間もなくここは、家臣と賓客以外誰も踏み込めぬ聖域になるわ」


 決断の時。日暮れというのは方便で、城内の兵を退去させられるだけの時間を与えたつもりだったけど、どう取るかはこの男次第だ。


「おい、何をしている、この偽王を殺せ! 呪いがあろうとなかろうと、こいつが死ねば無効だ!」


 コーラルと帝国軍の騎兵たちが周囲から一斉に剣や槍を突きかけてくる。アタシは首を傾け、指を鳴らす。穂先や剣先は空を切り、代わりに強烈な違和感が男たちを貫く。震えながら見上げた顔に、まだ日の光が当たっている。


「……がッ! ふざけるな、日没には……まだッ!」

「嘘よ。もうとっくに有効だった。呪いは、王の合図(・・・・)を、待っていただけ。……残念ね、曲がりなりにも一度は宰相を務めた人間なら、もう少し利口かと思ってたわ」

「あがががが……ッ、そんなッ、よせ、止めろぉ……ッ!?」


「ああ、姫様。先に謝っておきます。これから少し、お見苦しいところをお見せすることになるわ」

「……今更だ、馬鹿者が」


 前庭を埋め尽くしていた数千もの人馬が一斉に震え、声にならない悲鳴を上げる。恐怖と痛みと憎しみに歪んだ顔でコーラルが天を見上げ、祈りに似た仕草を見せる。

 噴き上げた鮮血に、視界が赤く染まった。

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