正しい婚約破棄の仕方
なんか流行ってるらしいのでのっかってみました。
「突然のことでまことに申し訳ないが……そちらのご令嬢との婚約はなかったことにしてもらいたいのだ」
深々と頭を下げる金髪の若造の後頭部を見ながらエーレンベルグ侯爵はため息をついた。
「殿下。一時の気の迷いで婚約者を変えるなど為政者のすることではありません」
「良く考えた上での結論だ」
この若造――皇太子殿下がイエーガー侯爵家の令嬢と親しくしているのは知っている。
大方、惚れた女を正妃にでもしたくてごねているんだろう。
「侯爵家の令嬢ならば側妃にすることも出来ましょう」
「家格としては同格。ならば正妃にすることも出来ると思うが?」
やれやれ。
まったく物事が見えていない。
「殿下……我が娘シャルロッテは殿下の許嫁として十年の間努力してまいりました。それがヘレーネ様に出来るとお思いですか?」
「不可能ではない。ヘレーネとて侯爵家令嬢として教育を受けた身。今から教育を受ければどこに出しても恥ずかしくない王妃になろう」
そう。
ヘレーネ嬢はそこまで見込みのない令嬢ではない。
見た目も家格も教養も礼儀作法もシャルロッテに次ぐくらいである。
だからこそ、まずい。
元々エーレンベルク家に縁談が来たそもそもの目的はイエーガー家の力を削ぐためだったのだから。
「殿下。婚約と言いましても御身一人の事ではありませぬ。その決断に多くの者の将来がかかっていることをお忘れなきよう」
「…………それを言われると、弱い」
若造は皇太子殿下の顔に戻って苦笑した。
痩せても枯れても王族は伊達ではない、という事か。
「私はまだ若輩の身だ。父上や貴公には見えているものが見えていないこともあるだろう。一時の気の迷いで愚かな事をすることもあるだろう。――こうして諌めてもらえることをありがたく思っている」
「殿下。それでは――」
ああ、と殿下は懐から一通の手紙を取り出した。
「――本題に入ろう。お知恵をお借りしたいのだ」
* * *
ローレンツ男爵という男がいる。
伊達男の放蕩貴族で政治的才能も軍事的才能も一欠片もない遊び人。
領地を経営することすらできずに遊び歩いている底辺貴族。
しかし、芸術の神は彼を愛した。
歌劇を書けば大入り満員。詩歌を作れば世の女性たちを魅了する。楽器の腕は楽師顔負け。
果ては衣服や宝石のデザインまで。
最早彼の手によるものを身に着けずに社交界に出るなどあり得ないとすら言われている。
聞けばさる大国の女王も社交界の華高級娼婦も彼のデザインした衣服に身を包み、彼の作った歌劇を見るのがことのほかお気に入りとか。
それらの才は彼に巨万の富をもたらした。
その財はもはやエーレンベルグ家やイエーガー家、いやことによると王室すら凌ぐほどであるという。
「――そのローレンツ男爵がシャルロッテを嫁に欲しいと」
「ああ、父上も頭を悩ましている」
難しい――実に難しい問題である。
家格を考えればありえない組み合わせ。
しかし、男爵は財産家だ。
あの財をただ放蕩貴族の遊興に費やすにはあまりにも惜しい。
そして王妃になるよう教育されたシャルロッテなら――その財の正しい使い方を知っている。
「……これは噂なのだが、さる大国が男爵に亡命の誘いをかけたと」
「……ありうることでしょうな」
田舎だ小国だ辺境だなどと蔑まれてきた我が国を文化と流行の発信地に仕立て上げたのは男爵だ。
引き抜きたい国などいくらでもあろう。
「男爵はシャルロッテ殿を娶れるなら――王立劇場の専属になってもよいと言っているそうだ」
「なんと。あの士官嫌いがそのようなことを……」
それはすなわちこの国に仕えこの国で死んでも構わないということ。
あの風の吹くまま気の向くままの根無し草がそこまで言うとは。
「いかがだろうか」
「……ふむ」
難しい。まったくもって難しい。
何故ならシャルロッテを男爵に嫁がせればヘレーネ嬢が皇太子妃になるのは目に見えているからだ。
皇太子殿下の寵愛うんぬん以前に正妃たりえる令嬢などシャルロッテを除けばヘレーネ嬢しかいない。
イエーガー家の力を削ぐはずがイエーガー家に塩を送る羽目になってしまう。
かといって、もし断ってローレンツ男爵が国外に逃げるようなことがあれば。
エーレンベルグ家の威信は地に落ちる。
「……流石にここで返答することは出来ませぬな。一度陛下と話し合う必要があるかと」
「確と分かった。そのように伝えておこう」
* * *
馬車の中で中で皇太子は一人笑う。
これで良い。
あの芸術以外はからっきしな男爵にはシャルロッテのようなしっかりものの嫁が必要だろう。
後は愛しのヘレーネの王妃教育も水面下で進めてある。
公衆の面前での婚約破棄など馬鹿のすること。
物事は――密やかに進めてこそ意味がある。
――皇太子殿下とシャルロッテ嬢の婚約破棄並びにローレンツ男爵とシャルロッテ嬢の婚約が発表されたのはこの会合より一週間後の事だった。