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いつもと同じ毎日が続くはずだった…
「んー、いい天気」
寝室の窓を開け放ち、外の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
「おかあさん、おはよっ。今日も忙しくなりそうだよ」
窓際には柔らかく微笑む女性の写真が飾られている。
少しやつれてはいるけど、目元は私にそっくりで、言わなくても誰もが私の母であることを言い当てた。
過去形なのは、母はもう旅立っているから…
「あと少しでおかあさんが死んじゃってから1年だね…」
そっと指先で写真をなぞった。
「今年も会いにいくから」
しばらく写真を見ていたら、自然と瞳に滲むそれを慌てて手の甲で拭う。
寂しいけれど、会いたいけれど、涙し沈んでいる時間はとっくに終わりを迎えている。
なぜなら、今の私にはしなくてはいけない事が沢山あるから。
母が残してくれたこの薬屋さん。
決して大きくはないけれど、常連さんだって居る。
私の薬がよく効くと言ってくれる人達の為に、薬草を取りに行ったり、調合したりと毎日がとても忙しい。
お陰で、母が亡くなってからも淋しがって泣いてる暇なんてほとんどなかった。
その事に今ではとても感謝している。
母は手が不自由だった。
身の回りの事をする分には支障はないけれど、細かい作業は難しくて、薬をビンに詰め替える作業などは、まだ小さかった私が手伝っていた。
私が14歳の時、母は歩けなくなった。
きっかけは分からない。
朝起きたら、足が思うように動かせなくなっていた。
父と一緒に試行錯誤の毎日。
マッサージしたり、色々な薬も試したけれど効果はゼロ。
それでも諦めきれなくて、父は治療法を探しに家を後にした…
そのまま…いつになっても帰って来なかった。
毎日、父を恋しがっている私を見て、母は無理をして気丈に振舞っていたのだと思う。
不自由になった手足に鞭打って、家事をこなしていた。
弱音も吐かなければ、涙を見たこともない。
それに気付いた時、私は一人で母と店を支えると心に決めた。
母を教師に薬の知識を得、薬屋を営む傍ら、母の介助もした。
毎日が忙しくて、一日が終わるとへとへとだった。
自分の事なんて何も出来なかったけれど、母と過ごす毎日は知識や発見に溢れていて、とても楽しかった。
21歳の春。
母は永い旅路についた。
十六夜、今まで、ごめんね…
お母さん、とっても幸せだったよ…
ありがとう…
そう、言い残して。
パチッ
昔を思い出していた自分に喝を入れるために、両手で頬を叩いた。
沈んでる暇なんかないんだってば。
「えーと、今日は注文の薬を届けて、あと薬草も取りにいかないと…」
急いでかきこんだ朝食の後片付けや、届ける薬の準備をしていると、戸を強くノックする音がした。
開店時間にはまだ早い。
「はい。どちら様ですか?」
恐る恐るドアを開けると、2人の男性が立っていた。
「あのー、お店はまだ…」
「こちらは、綺羅さんの御宅ですね。」
私の言葉をさえぎり、1人の男性が話しはじめる。
「私は隣町の商人、暁様の秘書をしている者です。外でするお話でもありませんので、綺羅さんに御同行いただきたいのですが?」
「え…ちょっと待ってください。お話がみえません。」
有無を言わさぬ鋭い眼光に怯みながらも、言葉を続ける。
「母の綺羅は去年他界しました…どの様なご用件でしょうか?」
秘書と名乗った男性の目が、細められる。
「そうですか…ではあなたは娘さんにお間違いないですね?」
「えぇ。そうです。いったいどんなご用件なんですか?」
話が見えない事への苛立ちに、少し語尾が強くなるのも致し方ない。
「では、あなたに御同行していただきましょう。」
秘書はグッと身を乗り出した。距離を保つ様に、私は一歩下がる。
「お断りします。見ず知らずの方について行くほど、世間知らずではありません。」
「ここであまり大事にすると、貴方の為にならないと思いますが?」
秘書の視線の先には、騒ぎを聞きつけた近所の人達が出てきていた。穏やかなこの街には、朝から戸口での口論はとても珍しい。
「別にやましい事は何もありませんので、こちらで大丈夫です。」
「貴方にはなくても、貴方のお父様にはありますよ……多額の借金がね。」
その言葉を最後に、唖然とする私は、半ば強引に、彼らが乗ってきた馬車へと詰め込まれた。