十五
「今日ってあの日だっけ?」
まわりに森しかいないのを確かめて、丸子が和彦に聞いた。
「そうですよ」
「そうか。ちょっとやりすぎかなあ。寝不足が解消しないんだよ」
「へへへ」
「ふふふ」
「ひひひ」
馬絹はある男を追っていた。馬絹の部署には様々な筋から情報がもたらされるのだが、その中にトランク職員が怪しい女と会っているというのが複数あった。その情報をもとに女を調べたところ、全く正体がつかめなかった。
そこで馬絹はトランク職員に直接当ることにしたのである。
夕方、トランクのオフィスに馬絹は高橋真之を訪ねた。
「な、なんの権限があって人のプライバシーを……」
高橋はうろたえた。
「何の権限かといえば、いわゆる国家権力というやつでして」
馬絹はしれっと言った。
「別に単なる一般人との浮気なら問題ないのです。あなた彼女の身元、知ってます?」
「大塚西女子大の学生と聞いている」
「調べましょうか?」
馬絹は電話で部下に調べるよう言った。
「高橋さんはトランクに在籍しているわけでして、あまり公にしてはいけない情報を知っておられる立場です。彼女に何か聞かれて喋ってしまってはいませんか?」
そう言われて高橋は青ざめた。思い当たるフシがありすぎた。
「彼女は……ドールについて興味があるようで、私にいろいろ話を聞きたがったように思います」
「ふむ。どこまで話しました?」
「ドールの開発の経緯から、今までの任務……地下訓練場の場所……」
「随分話しちゃいましたな。さぞ彼女は床上手とみた」
そう言われて高橋は幾分むっとした。
部下から電話で報告が返ってきた。
「大塚西女子大に田中茉莉という学生はおりません」
「田中茉莉というのが偽名なのかもしれない」
「まあ、それは彼女に会って確かめましょう。今度いつ彼女に会います?」
「……今夜です」
山本は血まみれの手で無線を掴むと報告した。
「び……尾行しているトラックの……撃たれました……渡辺さんは……はい、ダメです……現在地は……」
マユミや伊藤たちが帰り、地下訓練場には和彦と丸子と森しかいない。
「よし、みんな帰ったな?」
「そうみたいですね」
「じゃあ早速」
三人はそれぞれのロッカーから大きなバッグを取り出した。
そして丸子は四体のドールを格納庫から連れてきた。
「最近、これのために散財しすぎる気がしますよ」と和彦が言う。
「いいのだ。どうせ俺たちには貢ぐ女も面倒を見なければいけない家族もいないのだから」と森が言う。
「僕なんて、今回のとっておきのために、大枚はたきましたよ」と丸子が言う。
盗難トラックを追跡していた警官が銃撃されたという情報は、馬絹のもとにももたらされた。
「ぶっそうだね。こっちも忙しいのに」
馬絹は誰にともなく言って、情報端末を閉じた。その件について深く考えなかった。
馬絹にも、このトラック盗難事件と自分の担当している女スパイの事件が結びついているとは知りようがなかったのである。
盗難トラックは大通りを使うのを避けて、巧みに検問や監視カメラをかわしながら、東京に近づきつつあった。
地下訓練場では丸子は「どうです」と胸を張った。
高校の制服を着せられたノゾミが立っている。
「どうですって、何が?」
森が言った。森はヒカルに何かの服を着せている最中である。
「えっ。幻の大崎女子学院の制服ですよ!」
「有名なんですか、それ」と和彦が言った。和彦もハナエを着替えさせている。
「有名だよ! 大崎女子の制服は可愛すぎて、通学中の生徒を写真にとる不心得者が続出したんで、地味な制服にモデルチェンジしちゃったんだよ。これはそのチェンジする前の伝説の制服だよ!」
丸子は熱弁している。和彦と森はふーんといった感じだ。
「なんですか二人とも。分かってないなあ。森さんの方は今日は何です?」
「ふふふ。今日はメイドだ」
そう言った森の横に立っているヒカルはメイド服を着せられている……
トランク職員の高橋真之と、女スパイなのであろう田中茉莉はホテルのレストランで食事をした。
「高橋さん、元気なくない?」
「そうかな? はは……」
その様子を陰で見ている馬絹は、高橋がボロを出さなければいいが……と思った。
盗難トラックは東京に入った。
きっかけは、やはり和彦がドールに体操服やサッカーのユニフォームを着せたことだった。
和彦自身はほんの戯れでそれらの服をドールに着せたのだったが、丸子と森の気持ちに火がついてしまったのである。
そうして彼らは、仕事の後に地下訓練場に残り、ドールに思い思いの服を着せ、それを見ながらニヤニヤするという変態的な集いをたびたび行ってきた。
「森さんは二次元派だからなあ。僕のリアル趣味とは噛み合わないんですよ」
「ふふふ……丸子くんは余程変態なんだなあ」
「いや、森さんに言われたくないですよ。だいたいこの前、森さん、アニメに出てくるキャラのセーラー服を着せてたでしょ。僕から言わせれば、セーラー服を女子高生のアイコンだと思っているというのがアナクロというか、現実から乖離していて許せないんですよ」
「何を言う。セーラー服はロマンじゃないか」
「そうです。ロマンなんです。ファンタジーです。御伽噺です。もうセーラー服の学校なんて殆どありませんよ。なのに未だにセーラー服をアイコンだと認識しているのは非現実的で、リアルタイムの女子高生を至上とするリアル嗜好の僕には全く合わないんです」
「もう、その辺が俺と丸子くんでは決定的に違うな。やはり女子の体操服はブルマがふさわしいと思うもの。俺は」
などという不毛な議論に二人が熱くなっている脇で、和彦はハナエにスペインのサッカーチームであるレアルマドリードのユニフォームを着せていた。
「中村くんは、それでいいのか?」……丸子が問う
「へ? 何がです」
「それで、心の底から萌えられるのかという話だよ」
「あー、別に俺はそういう目的とは、ちょっと違うなあ」
トラックは信濃町に入り、国立競技場まで到達した。
トラックの荷台が開けられ、中から自動小銃で武装した黒装束の男たち二十人が次々に降りた。男たちが降りた後、二匹の子牛のようなものが下ろされた。子牛と違うのは頭がなく、その場所から重機関銃の砲身が伸びていることだった。
高橋と茉莉は予約していたホテルの部屋に入った。
「ふふ……今日はどうするの? また制服着る?」
そこまで言って、茉莉はギクリとした。部屋の中に見知らぬ男がいるのである。そして背後のドアが閉まる直前、さらに別の男たちが部屋になだれ込んできて、茉莉の腕を掴んだ。
「な、なんですか! 高橋さん、助けて!」
「頼む、手荒にしないでくれ」
高橋が懇願した。
「田中茉莉さんだね。ちょっと話を聞かせてもらいたくてね……公安の者です」
自己紹介した馬絹の「公安」という単語を聞いて茉莉は一瞬顔を引きつらせたが、やがて諦めたような表情をした。その場の誰もが、その諦めの表情の意味を深く考えなかった。
「まあ、そこのソファーに座って」
馬絹は茉莉を座らせた。
「君が大塚西女子大の田中茉莉さんじゃないことは分かってる。本当の名前は何ってんだい?」
「……」
女は答えなかった。
「中村くん、君は分かってない。ちょっとユニフォームの上着だけ貸してごらん」
そう言って丸子は和彦からユニフォームを受け取ると、大崎女子学院の制服を着ているノゾミからジャケットを脱がせて、ユニフォームを着せた。
「そのチームのニット帽とマフラー持ってたでしょ。中村くんの私物の」
言われて和彦はそれらを持ってきた。丸子は受け取ると、それをノゾミに着せた。
「ほら見て」
ユニフォームの上着に、女子高のスカート、そしてニット帽にマフラー。何やら学校の帰りにそのままサッカー観戦にきた女子高生のようなものができあがった。
「え? これですか?」と興味なさそうに言った和彦だったが、見ているうちに何か湧き上がるものを感じた。
「やばい、これは可愛い」
「どうだい」
ユニフォームもマフラーもノゾミにはサイズが大きくてダブダブなのだが、それが一層の可愛さを引き出しているのである。
「ああー、これは萌える」
「これで中村くんも、こっちサイドの人間だ。ようこそ、中村くん」
それを聞いた森は、
「何を言う。それなら、そのユニフォームを、このメイド服の上に……」
「いやいや、それはないよ」
馬絹たちはパニックになっていた。茉莉が手……厳密に言えば、ブラウスの袖のボタンをだった……を口元に持っていった瞬間、激しく痙攣して卒倒したのである。
「しまった! 毒だ! 毒を飲んだ!」
ブラウスのボタンの中に仕込まれた毒を、女が噛み砕いたのだった。
「ああ、茉莉……」
本来ならその毒で今日殺される予定だった高橋が女にすがりついた。
「くそっ、何て失態だ」
しかし馬絹が犯した失態は、馬絹の想像以上のものだった。
これから行われる地下訓練場の襲撃を、未然に防ぐ機会を馬絹たちは完全に失ったのである。




