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十二

 本来、行く店は和彦に決めさせるつもりだった。丸子や森のときはそうした。

 しかし和彦は「どこでもいいですよ。谷口さんに任せます」と言った。谷口は面倒くさいと思ったが、反面、それはそれで自分が主導権を握れると思った。そこで場違いな高級な店に連れ込んで和彦を萎縮させることにした。


 谷口は赤坂の高級なレストランに和彦を連れて行った。ところが店の前に来ると和彦が、「ああ、ここですか」と言ったので谷口は面食らった。

「この前、叔父さんと来たばかりです」

「そ、そうだったんですか」

 それどころか店員が和彦の顔を覚えていて「この前もいらっしゃいましたね」などと言うので、谷口の思惑は外れた。

 とにかく飲ませてしまおうと谷口は考え、酒は飲んだことがないという和彦の分までワインを頼んだ。

「あれっ、ワインって美味しいもんですねえ」

 飲んだ和彦が初心うぶなことを言うので、谷口は一瞬、母性本能をくすぐられかけた。強がってどんどん飲んでしまうような男の方が扱い易いのだが、と谷口は思った。とにかく飲ませて、この高級店で醜態でもさらしてくれればいい。

 しかし和彦はそういうミスはしなかった。計算しているのか天然なのか谷口には読めなかったのだが、和彦はもっぱら食べるのに専念した。

 谷口は和彦の食べる様子を見た。この店には場違いでありそうなこの男は、ナイフとフォークの使い方一つにしてもそつがなかった。一つ一つの動作が自然で嫌味がない。そもそも、この男はそれなりの家の出なのである。谷口はその点でもミスをした。

 

 会話も谷口の狙った方向には進まない。事前に調べたが、この男には弱みが見当たらなかった。

 仕方なく谷口は作戦を変更して、次にショットバーに和彦を連れていった。ここなら食べるより飲むことになる。ここで自分と同じペースで和彦に酒を飲ませばいい。なぜなら谷口は酒に関しては底なしだったのである。


 珍しそうにキョロキョロ店内を見渡す和彦に、

「こういうところは初めてですか?」と谷口は聞いた。

「うん、初めてです」と和彦はあまりに素直に答える。

 この男はそういうことを恥じたり背伸びをしたりしないので、扱いに困る。

「カクテルの名前を見ても何が何だかわからないなあ。谷口さん、何か選んでくださいよ」

 そうやって頼られると気分は悪くない。つい谷口は何それは何のお酒を何で割ったカクテルなんですよ、と和彦に親切に教えてやった。


「中村さん、寺田さんのことはどう思ってるんです?」

何杯か飲んだあと、谷口が和彦を揺さぶった。

「怒られないように必死ですよ」

「いや、そうじゃなくて」

 アホかこいつはと谷口は思った。

「いつも一緒にいるでしょう」

「ああ、寺田さんは形の上では僕の秘書ですからねえ」

 とぼけているようには見えない。素で言ってる。谷口はいらいらしてきた。若干酔ってきていたのだが谷口に自覚はなかった。

「いや、そうじゃなくて。中村さんも余程鈍感な人ですね」

「そうなんですよ。それでいろいろ得してます」

「ああ、もう違う。寺田さんはね、中村さんのことが好きなんですよ」

「えっ、そうなんですか。なんで分かるんです」

「そんなの誰が見ても分かりますっ。逆に何で中村さんが分かんないの」

 谷口は自分の口調が変わっているのに気付いていない。

「本当にそうかなあ。いつも怒られたり呆れられてるからなあ」

「うーん、君は飲みが足らない。もっと腹を割って話そう」

 谷口は和彦に強めの酒を注文した。

 和彦は谷口と同じペースで飲んでいた。しかしこの男は顔色一つ変わっていない。そんな馬鹿なと谷口は思ったが、だんだん小細工を弄するような正常さを失いつつあった。酔ってきていた。


「で、君は寺田さんのことをどう思ってるの?」

「怖いなあ谷口さん」

「いいから言いなさい」

「そうですね……」

 和彦はしばらく考えた。

「俺は寺田さんについて無関心ではないのは間違いないんです」

「うん、うん」

「でもそれが好きだからなのかは分からない。ただ寺田さんを可哀相には思ってました」

「ん、どういうこと?」

「俺にもよく分からないんですよ。それより谷口さんは……」

 和彦がそう言いかけたので、谷口は丸子や森のことをどう思うのか聞いてくるものだと思った。

 しかし予想外の質問を和彦は口にした。

「谷口さん、結婚して国防省を辞めちゃうらしいじゃないですか」



 谷口は狼狽した。国防省には申請してあるが、トランクの面々にはまだ話さないように中澤には言ってある。惜しんだり惜しまれたりするのは自分の柄ではなかった。直前に伝えってあっさりトランクから去る予定だったのである。

「な、な、なんでそれを知ってるの」

「僕の叔父さんは幕府の大目付で……」

「なに言ってんの。正直に言いなさいよ」

 和彦は、先日叔父と会ったときに、冗談で谷口が好きだと言ったときの話をした。

 そのとき叔父は、和彦にこう言ったのだった。

「あの子は駄目だよ。駄目駄目。あの子は結婚が決まってると聞いている。今時珍しいが寿退職するそうだ。」


「……というわけなんです」

「財務官僚は怖いなあ……そうなの。八月で辞めます」

「なんでですか。結婚しても続ければいいじゃないですか」

「彼が陸軍でね。九月に九州に移動になるの。それ以降も日本のあちこちを転々とするんで、ついてきて欲しいって言われてね」

 そう言って谷口は目を伏せた。

「仕事、やめたくないんじゃないですか?」

「うん。でも仕方ない。これがまだ付き合いたてで気持ちが熱い頃なら喜んでついていくんだけど、彼とは長いからなあ……。あの人はどうして私が喜んでついていくと思うんだろう。どうして私の仕事のことをちょっとも考えてくれないんだろう」

 和彦は谷口の事情は根掘り葉掘り聞かず「残念だなあ」とぽつりと言った。

「谷口さんが目を光らせてないと、俺ら、危険ですよ?」

「本当にそうだよ」

 谷口は寂しく笑った。そしてしばらく二人は黙り込んだ。

 そこへ店内のスピーカーから、歪みきったハモンドオルガンのグリッサンドから始まる曲の前奏が流れてきた。

 それを聴いた和彦が「あ、ディクディクだ」と言った。

「え!?」

 谷口が非常に驚いた顔をしたので、和彦も慌てた。

「あ、ああ、イ・ディク・ディクの何とかって曲なんです」

「Come una bambina」

「あ、それそれ。谷口さん、なんで知ってるの?」

「いや、私この曲大好きなんだけど。中村くんこそこんなマイナーな曲、何で知ってるの」

 イタリアのバンドの1970年代の曲である。谷口は今まで知っているという人間に直にお目にかかったことがなかったので、つい興奮した。

「父親が好きで、この手の音楽をコレクションしてたんですよ」

「へえー、私もだ。父親の影響。しかし、こんなの知ってるなんて、そうとうマニアックね」

「いや、メジャーなのも聴きますよ。PFMとか」

「そりゃプログレッシヴロックの世界じゃメジャーだけど、普通の人は知らないよ。王道のイギリスものは聴かないの? クリムゾンとか」

「もちろん聴きますよ。でも俺は変人だから80年代のディシプリンの頃が一番好きで」

「やだ、話が合うなあ。私もあの三部作が一番好きなんだよ。ちょっと、今夜はとことん語り合うよ」


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