九
ワゴン車の前部座席に丸子と森、中の席にマユミと和彦、そして後部座席にヒカルとサキコの二体のドールが収まった。
「連れてきちゃっていいの?」とマユミが和彦に聞いた。
「僕ら自身は弱っちいからね。護衛がいないと。谷口さんには許可を取ったよ」
そもそも現場に置いてきても、和彦がいなければドールは戦えないのである。
車が市役所のある旧渡海市から旧中井戸町に入ると、一面の田んぼの広がる美しい農村風景が広がった。どこまでも緑の絨毯が広がり、遠くの里山は新緑の緑が鮮やかだった。
「わあ、きれい」とマユミが言った。
車を停めて降りてみた。空気がうまい。きれいに掃除された用水路におたまじゃくしが泳いでいる。
「きれいなんだが……この美しさが、虐げられる嫁とか、村八分とか、頑なすぎる保守性とか、排他主義とか……そんなものによって保全されているのだとしたら、複雑な気分になる」
森が言った。
「まあ、一見きれいに見えますけど、農家に行ってみれば、庭の畑にはカラスが吊るされていたりするんですよ」
「丸子さん、なんですか、それ」とマユミが気味悪がる。
「カラスを捕まえて吊るしておくとね、他のカラスが警戒して寄ってこなくなるんだ。腐ってボロボロになったら、また他のカラスを捕まえて吊るしておくんだよ」
「なにそれ、こわい」
マユミは震え上がった。
再び車に乗り込み、丸子は自分の記憶を探りながら車を走らせた。カーナビによれば、この辺はかつて良く知った地域のはずだったが、丸子の記憶と今の町の様子とは大分違っているようだった。
「さすがに、いろいろ変わっていて分からないや」
「あれ、丸子くん、ガソリンないぞ」
「本当だ。ちょっと入れましょう。ちょうどそこにガソリンスタンドがあるぞ」
丸子はガソリンスタンドに車を入れると、
「ごめん、ちょっとトイレ」と言って事務所に駆け出した。
「俺も」「俺も」と森と和彦も走り出す。
「なによ、みんなで」
「ごめん寺田さん、ガソリン入れておいて」
「え? ちょっと! あたし、やったことないです」
「大丈夫、持ってるだけでいいんだから。満タンになったら勝手に止まるよ」と言いながら三人は無責任にトイレにいってしまった。
「もう!」
マユミはふくれた。
トイレから出た丸子は、ふと立ち止まった。ガソリンスタンドから道路を挟んだ向かいの農家に見覚えがあった。
「あれ……?」
振りかえってガソリンスタンドの看板を見た。
「平山商店」とある。
そのとき後ろから丸子は呼び止められた。
「すみません。丸子伸二さんじゃないだろか」
丸子は振り返って、声をかけたきたガソリンスタンドの従業員を見た。
「大海君……平山大海君だよね?」
「ああ、やっぱりそうじゃがった。何年ぶりじゃがね?」
ガソリンスタンドの向かいの農家が、子供の頃に付き合いのあった平山大海の家だと丸子が思い出した瞬間、その当の平山大海から声をかけられたのである。
「何年ぶりだろう。まわりの風景が変わっちゃって、びっくりだよ」
「そうじゃろね。なんたって、伸二くんの家がこんなになっちゃ、わからんでも仕方ない」
平山家の所有する借家群の一軒に丸子一家は住んでいた。その借家は、今はガソリンスタンドになっているこの場所にあったのである。
「古くなって借り手もいなくなったから、平らにしてガソリンスタンドにしたんじゃが。そんで俺が店長さんやってるわけ。おお、そうだ婆ちゃん呼んでくる。おおーい、婆ちゃん」
平山は向かいの家に駆けていった。
「丸子さん、友達ですか?」
「うん、こっちでは唯一、友達といってもいい子だった」
婆さんを連れてこられてもなあと丸子は思ったが、平山は母親を連れてきた。平山に子供が生まれて、平山の母親は「婆ちゃん」に昇格しているのである。
「あれえ、伸二くんじゃあ。おぴぺけだなあ」
おぴぺけ、とは中井戸の方言で懐かしいという意味である。
「ご無沙汰してます。おばさん」
「こんな、らじゃひぽなところに、何しに来たじゃが」
らじゃひぽ、とは中井戸の方言で辺鄙な田舎という意味である。
「ちょっと仕事で……」
「じゃあ、ゆっくりはできねのか。うちに上がってけと思ったんだけど。でも、あいにく海も農協に行ってていないしなあ。月末だから忙しいって言ってたよ。伸二くん、嫁は?」
「え、いや、まだ結婚していないです」
「あらあ、だめだよ。うちの大海なんて十九で嫁をとったよ。伸二くんも頑張らなきゃだめだじゃ」
先ほど丸子の話を聞いていた和彦たちには、この母親が息子に嫁がいることを誇っているらしいことが分かった。現に大海自身も誇らしげに見える。
「早く嫁をもらって、ご両親を楽させてやりなさい」
嫁が丸子の親と同居して家事一切をやることが前提の話になっている。
丸子の表情がだんだん曇ってきた。
「まあ、でもうちの嫁もダメだ。女の子ばかり二人も産んで」
何よりも跡継ぎの男子を産むことが嫁への至上命令なのである。
「おばさん、ありがとう。僕ら急がないといけないから……」
「ははん、伸二くん、あの市役所の事件で来たんじゃな。大海は嫁がいるから参加しなかったが、彼らは実に男らしい行動に出たじゃな」
それを聞いて丸子は耳を疑った。すぐさま、ここから離れたかった。
「じゃあ、行きます」
「ああ、じゃあ、これ持ってけ」
そういって大海の母親は丸子に巨大なきゅうりを何本か押し付けた。
和彦には丸子が今にも泣きそうに見えた。
そうして逃げるようにガソリンスタンドを後にした。
丸子は黙って運転していたが、途中で道路脇に車を止めると両手で顔を覆った。
そしてうめくように言った。
「あのおばさんは……あの、お米と胡桃のアイスの発案者だった人だよ」
皆、黙って丸子の話を聞いた。
「うちの母と一緒に、自分たちで商品開発して、自分たちで売ろうという独立心のあるおばさんだったはずなんだよ。それが、どうなってんだ? 何年か振りに会ったら、アイスの計画を踏みにじった姑と全く同じ典型的な中井戸のババアになっちゃってるじゃないか。なんで自分を苦しめた姑と同じように、自分の息子の嫁を悪く言うんだよ。何で悪い連鎖が断ち切れないんだよ。本当にわけがわからない! 中井戸の水や空気に毒でも入っていて、ずっと住んでるとその毒にやられてしまうんだとしか思えないよ……」
丸子は搾り出すように言った。
「中村くん……」
「え?」
「中村くんは偉いよ。ドールという尋常じゃない力を支配下に置いてるのに自制ができて…… もし僕がドールの主人だったら、こんな村、ドールに焼き尽くさせてるよ……だいたい、このきゅうりは何だよ。こんな育ちきったきゅうりなんて食えた代物じゃないよ!」
そう言って、丸子はきゅうりを車の窓から外へ投げ捨てた。
皆、丸子にかけるべき言葉を見失っていた。
そうして、皆、しばらく黙っていた。




