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 五月も中ほどのある朝、マユミが地下訓練場に来ると、休憩室で和彦ら三人がソファーやベンチシートで眠っていた。

「またか」

 マユミは思った。

 伊藤もやってきて「彼らは、また泊まったの?」と言った。

 この三人は度々、徹夜して訓練場に泊り込むようになった。一体何をしているのか聞いたら、夜通しサッカーをしてるという。昼休みだけでは足りないのだそうである。

 本当に男ってしょうがないなあと思いながら、マユミは男たちを起しはじめた。

「起きてください。事件が起こってますよ!」

 マユミがテレビをつけた。和彦たちは寝ぼけ眼でそれを見た。

 

 この日の朝、おこめみらい市の市役所に二十数人の農家の男たちがなだれ込み、職員の制止を振り切って市長室に押し入った。幸い市長は席を外していて無事だったが、男たちは職員数人を人質にして、市長室のある市役所の最上階に立てこもった。

「しかし、『おこめみらい市』って、最悪のネーミングだねえ」と和彦が言った。

「合併で最近できたばかりの市だって言ってたよ」とマユミが言う。

 そのとき、まさにニュースでその話が流れた。

「……おこめみらい市は、旧渡海市と、旧中井戸町が合併して……」

「中井戸町って、どこかで聞いた記憶があるな」

「森さん……中井戸町は、この前話した僕が子供の頃に暮らしていた、あの町です」

 丸子が青ざめた顔で言った。



 案の定、馬絹から出動の要請がきた。

「今回こそ念のための出動であって、出番がないに越したことはないのです」

 馬絹は電話で言う。

 そもそも、おこめみらい市は東京から車で五時間はかかる。現場に向かっている途中に事件が動いて、解決してしまうかもしれない。

「まあ、ドライブがてら行くか」

 伊藤がぼやいた。


 トランクの偽装トラックが高速道路をひた走る。トラックの荷室の中で長距離移動するのは困難なので、和彦たちは、その後ろを走るワゴン車に乗っている。

「森さん、次のサービスエリアに寄ってください」

「中村くん、トイレか? さっきのパーキングエリアで済ませただろ」

「いや、次のサービスエリアのじゃがバターが、めちゃくちゃ美味いらしいんですよ」

「何言ってんの。ドライブしにきてるんじゃないんだよ」

 マユミが呆れる。

 移動の間にも、次々と情報が送られてきた。

「もともと旧中井戸町の住人は、おこめみらい市の高橋寛子市長の政策に不満があったようだな」

 情報端末の画面を見ながら伊藤が言うと、

「女性が上に立つということが、連中には我慢ならないことなんですよ」と丸子が吐き捨てるように言った。

「彼らは、人質解放のための条件として、自分たちの要求をのむよう言ってるな。ええと」

 伊藤は馬絹からもたらされたメールを見た。そして言う前からうんざりした。

「一、高橋寛子市長の辞任」

「さっきも言ったように女の下で働くのは嫌なのです」と丸子が言う。

「二、市役所の女子職員の解雇」

「女が働いているから、中井戸の独身の男に嫁のきてがないと思っているのです」

「三、市内のみらい女子大学の廃校」

「女に学問は必要ないと思っているのです」

「四、農業体験ツアーの再開……なんじゃこりゃ」

「農家に泊まって農業を体験してみませんかと言って、都会の女性の団体を中井戸に呼んで仕事を手伝わせるんですが、その実態は農家の嫁選びです。気に入った女の子がいたら口説くわけです。強姦して傷物にしておいて、うちに嫁ぐ他ないと、無理やり結婚を迫ったなんてこともありました」

「なんだそれは。犯罪じゃないか」と森が憤る。

「警察だって身内なのだから、事件になりようがありません。法よりも昔からのしきたりが優先する世界ですよ、中井戸は」

 丸子の言葉から激しい嫌悪が滲み出ている。

「そこだけ江戸時代で時間が止まっているみたいですね」と、ため息をつきながら谷口も言う。

「その他、子供手当ての増額、老人バス無料券、旧中井戸地区に総合病院の建設、鉄道の続伸……」

「なんだか最後の方は適当に思いつくまま並べた感じですねえ」

 和彦が苦笑しながら言った。

「総合病院なら旧渡海町側にあるのに。連中は人が持ってるものは自分も欲しがるからな……」

「こんなデタラメな要求、実際に通ると思ってるのかな」

「寺田さんの言うとおり、場当たり的というか、後のことを何も考えてないように思えるね。なんだか不自然だ」

 伊藤はそう言って情報端末を閉じた。



 おこめみらい市についたトランク一行は、事件現場の市役所に近い小学校の校庭に車を停めた。校庭には何台もの警察車両が停まっている。

「おこめみらい市の警察署じゃなくて、ここが対策本部なんですか?」と伊藤は出迎えた馬絹に聞いた。

「まあ、ここの方が現場に近いですからな。それに、おこめみらい市の警察がね、どうも非協力的なんですよ」

「ああ、なるほど」

 伊藤は先ほどの丸子の話を思い出した。

 馬絹は伊藤とともにトランクの偽装トラックの荷室に乗り込み、

「やあ皆さん、遠路わざわざご苦労様です」と挨拶した。

「さっきまで、ある人に話を聞いていましてね……二週間前、中井戸の名士で津山という人の息子が東京からふらっと帰ってきたんだそうです。それで、独身の男を集めて、農村の独身男性がいかに不遇か、女性の社会進出は害悪であり、農村に嫁のきてがないのはそのせいであるとか吹聴したんだそうです」

「ほう」

「そういう集まりが何度か行われたそうなんですが、さっき話を聞いたその男は乗り気になれなくて、途中から参加しなくなったと言うんですね。その男の言うことには『津山さんのせがれ』は最初にちょこっと挨拶するだけで、もっぱらアジったのは同行している『先生』と呼ばれる人物とのことなんですよ」

「先生?」

「で、津山のせがれが、その先生の名前をぽろっと口にしたのを、彼は聞いていたんです……その先生の名前、何だと思います?」

「え?」

「我々の知ってる人物なのか?」

 農村復古原理主義とも言うべき、そんな時代錯誤な思想の持ち主に誰も心当たりはなかった。

「あー、山田孝太郎でしょ」

 和彦が言った。皆が驚いて和彦の方を見た。


「そうなんです。なんで分かったんですか」

「いや、なんとなく」

 和彦はヘラヘラ笑っている。

「山田は極左だろう。革新なのだから、思想は間逆のはずだ」

 伊藤が言った。

「伊藤さんのおっしゃることはもっともなのですが、実際に山田だったのです。我々が彼に山田のモンタージュ写真を見せたら、まさにこの男だったと」

 逮捕された山田の手下や伊藤とマユミの協力で、山田のモンタージュ写真が作られていた。数日後に山田は指名手配される予定だった。

「地元の信頼厚い津山のそのせがれをダシに使って、山田が農家の独身男たちをけしかけたわけか」

「だったら……」マユミが言った。

「なおさら、そんな出口のない立てこもりをする意味が分からないです。農家の男の人たちの要求が叶えられたとして、山田になんの得があるんですか」


 事件は膠着している。警察と農家の男たちは一晩睨みあった。トランクのメンバーは市内のビジネスホテルに泊まった。

 明くる日も事件は動かない。動けないのである。立てこもった男たちの親たちが、警察の前に立って盾になっていた。

「息子たちの主張は正しい!……なんて言ってるわけですよ。もう馬鹿らしくて嫌になる」

 馬絹がぼやいた。

 それを聞いているのかいないのか、和彦が、

「俺ら、ちょっと車で町を見てきていいですか? 何か動きがあったら、飛んで戻りますから」と言った。

「え……まぁ、いいですけど」


 馬絹のところから戻ってきた和彦を見て、

「頼んでくれてありがとう中村くん。どういうわけか、ちょっと中井戸を見てみたくなって」と丸子が言った。憎んでも憎みきれない町であったのに、そんな気持ちになったのが丸子は自分でも不思議だった。


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