二十八
再び携帯が鳴った。
「もしもし」
「取引の場所だが、明朝五時、埼玉スタジアムの前の広場に四体のドールを連れて、一人でこい」
「車で?」
「そりゃそうだろう。電車でくるつもりか」
山田が冗談はよせといったふうに言う。
「いや、それだったら、埼スタの前に行ったら誰もいなくて、電話で次は大宮公園に行けとか、場所を転々とさせるのはやめてくださいね。僕、車の運転は苦手なんですよ」
「なんだか情けないやつだなあ」
「それに、あんまり僕がうろちょろ走り回っていれば、検問に捕まると思います」
「いいだろう。念を押すが絶対に一人で来い。警察のようなやつを見かけたら、おまえの大事な人の命はないと思え」
電話が切れると、和彦は馬絹に連絡した。
「取引場所は埼玉スタジアムになりました。くれぐれも周辺に警官を配備しないようにお願いします」
電話を切ると、和彦は大きく息を吐いた。
「中村くん、大丈夫?」と丸子が心配そうに声をかけた。
「正直、きついですねえ」と和彦はヘラヘラと笑いながらも弱音を吐いた。丸子は、こんな和彦をみるのは初めてだった。
二月の朝五時であるから、まだ夜といってもいい暗さである。人気のない埼玉スタジアムの前の広場に、和彦はワゴン車で乗り入れた。
和彦は四体のドールを車から降ろし、山田を待った。本当に和彦一人なのか、山田は遠くから見ているはずである。和彦は自分の姿をよくみせるために周りに何もないところを選んで立った。
寒さが疲れ果てた身にこたえた。白い息を吐いて震えている和彦に対して、ドールは、いつも訓練のときに着ている半そでの軍服姿なので、和彦は見ているだけでも寒さを増して感じてしまう。
やがて二台のワゴン車が広場に入ってきて停まった。車から四人の男と、腕を掴まれたマユミが降りてきた。
「中村くん!」マユミは一言叫んだ。憔悴しているようすはあったが、暴力を受けたりした様子はなかった。
「寺田さん、もう大丈夫だよ」と和彦は言った。
「中村さんだな?」と一人の男が言った。こいつが山田かなと和彦は思った。
「そうです」
「約束どおりつれてきたな。ふん。朝霞フェスタで見たのは確かにこいつらだ」
そう言った山田と思わしき男は、片手でマユミの腕を掴み、もう片方の手で拳銃を握っている。後ろの三人は和彦に向けて拳銃を向けて立っている。
「こいつらは、もう俺の言うことを聞くのか?」と山田は言った。
「聞きますよ。試してみたらどうですか」
「ふん……おまえ、中村を軽くでいいから突き飛ばしてみろ」
山田が一体のドールに命じた。ドールはすぐには動かなかった。見ようによっては躊躇しているようにも見えた。
和彦が「言うことを聞け」と言うと、ドールは片手で和彦を突いた。和彦は後ろによろめいた。その無様さに男達は嘲笑した。マユミはやりきれない思いだった。
山田は自分の拳銃をドールに渡して「中村に銃を向けろ」と言った。
「やめて!」マユミが叫んだ。
ドールは動かない。
「どうした? 言うことが聞けないんじゃないのか、こいつは?」
「言うことに従うんだ」と和彦は言った。
ドールはゆっくりと拳銃を持つ手を上げ、和彦に向けた。
山田はすぐには撃てと言わず、黙っていた。
和彦の全身に脂汗が湧いた。ひざがガクガク震えた。
「僕を撃っても、寺田さんは解放してください。お願いします」
和彦は懇願した。
「だめだよ!」とマユミが叫んだ。
山田は黙っていた。
和彦は目を閉じた。
やがて「銃をおろせ」と山田が言った。ドールはそのまま銃を構えている。和彦が「もう降ろしていいんだってば」と言うとドールは銃を持つ手をおろした。
ドールの手から拳銃を取り戻すと、山田は「中村さん、あんたも一緒に来てもらおう」と言った。
「え!?」
「肝心なときにドールが使えないと困る。やはりドールについて詳しい人間を手元に置きたい」
「……わかった。一緒に行きます。そのかわり寺田さんを解放してください」
「それはダメだよ。この子はあんたに言うことを聞かせるために必要だからな」
山田は笑いながら言った。
「約束が違うじゃないですか」
「あんた、甘すぎるよ。おかげでこっちは丸儲けだ」
山田は笑った。他の男たちも大笑いした。
「わかった。いいですよ。その前に寺田さんをこっちによこしてください。殴られたりしていないか確かめます。もし酷い目にあってたのなら、僕はテコでも動きませんよ。この場で二人で死んでもいい」
和彦が言った。
「いいだろう。妙な真似はするなよ」
山田はマユミの腕を放した。マユミは和彦のもとに駆け寄ると「中村くん!」と叫んで抱きついた。和彦もマユミをしっかり抱きしめた。
男たちはニヤニヤしながらそれを眺めていた。
和彦はマユミの顔を自分の胸に押し当てて視界をしっかり塞いだ。そして胸元に仕込んだ小さなマイクに向かって小声で言った。
「ハナエ、ノゾミ、ヒカル、撃て」
その瞬間、山田の後ろの三人が頭から血煙を吹き上げ、へなへなとその場に崩れ去った。
「!?」
山田は振りかえって驚愕した。その時、遠方で三発の銃声がしたのだが、それが一キロ以上も先から三人を狙撃したハナエとノゾミとヒカルの放ったものだとは、山田は思いもよらなかった。
「ナオコ、捕獲!」
和彦がドールに命じた。山田の隣にいたドールが、山田の拳銃を上から掴んで発射できないようにさせると同時に、腹に拳を叩き込んだ。
「うっ」とうめいて、山田が膝から崩れおちた。
「な、なに? どうしたの?」と言うマユミを和彦はそのまま引っ張って、車の助手席に乗せた。
「寺田さん、一つだけ答えて。こいつらの中に、リーダーの山田はいないよね?」
和彦は急きたてるように言った。
「う、うん。いない」
つまりは、そこに伸びている山田と思った男は影武者なのだった。和彦は始めから、用心深い山田がこの場にのこのこ姿を現すとは思っていなかった。
「わかった。多分、山田は遠くからこの一部始終を見てるんだろうな。よし、おまえたちも、そいつを連れて車に乗れ。死人は置いてけ。急げ!」
ドールが乗り込むと、和彦は車を急発進させた。運転しながら、後をつけられていないか、何度もバックミラーを見た。ドールたちは座席の下に隠してあった自動小銃を取り出し、いつでも応戦できるようにしていた。マユミはただ呆然としていた。
しばらく行くと和彦は電話をかけた。
「馬絹さん、無事片付けました。すみませんが死体が三体でました。回収しておいてください」
死人などと口にする和彦の横顔を見ながら、ふとマユミはこの男は和彦ではない別人なのではないかと思った。
電話が済むと、和彦は「山田が追ってくるかなと思ったけど、もう大丈夫かな」と言った。
「寺田さん、とにかく無事でよかったよ」
「え……うん。本当に中村くん一人できたの?」
「そうだよ」
あまりの現実感の乏しさに、マユミは夢の中にいるようだった。
マユミは振りかえってドールたちを見た。
「これは、ハナエたちじゃないの?」
「うん。寺田さんを助けるために、新しいドールを出してもらって、急いで最低限の訓練をさせたんだよ」
国防省は新しい四体のドールを使うのを渋った。それは和彦を主人とする設定が解除できなかった場合を危惧していたからだった。それに対し、和彦は、解除できなかったら一生トランクに在籍して、国防省の命令に従うと約束した。それで何とか許可を得たのである。
「ハナエたちは……?」
「すごく離れたところに森さんと一緒にいて、そこから……狙撃銃であいつらを撃たせた。来たのが四人でよかった。十人も来たらどうしようと思ってたんだ」
マユミは自分を助けるために和彦が三人の男を殺したことを知った。マユミは感謝したらよいのか謝ったらよいのか、和彦に何と言っていいものかわからなかった。
「そういえば、ドールは山田の影武者の言うことを聞いてたよね。本当にプログラムの変更をしたの?」……和彦に言いたいことは、そんなことではない。しかしマユミの口から出た言葉は、そんな場違いな質問だった。
「変更なんてできないよ。第一、ドールはあいつの言うことは聞いていないもん」
「え? だって……」
ドールは影武者の命令で和彦を突き飛ばし、銃を向けたはずだった。
「山田の影武者が命令したことに対して、いちいち俺が『言うとおりにしろ』とか『言うことを聞け』って言ったから、ドールはそれに従っただけだよ」
「あ……」
「へへへ。寺田さんも騙されたね」
和彦は笑った。
それを見てマユミは、ここにいるのは、やはりいつもの和彦だと思った。
車は埼玉県警についた。車から降りると警官なのか刑事なのか、マユミにはわからないが、とにかく大勢の人間が待ち構えていた。それを見てマユミは、自分が大事件の渦中にいたことを改めて知った。後日それを聞いて和彦は「そりゃそうだよ。寺田さんを人質にして、やつらは日本政府を相手に交渉していたんだから」と言った。
馬絹が来て「寺田さん、本当に無事でよかった」と目を潤ませながら言った。
谷口もいた。
「寺田さん、ご苦労様でした。大変だったでしょう。よく辛抱されましたね」と、マユミの手を取り背中をさすりながら言った。和彦もマユミも、谷口がこのような感情的な姿を見せたことに驚いたが、谷口がマユミのことを本気で心配していたことを理解した。マユミはそこで初めて安堵感が湧いてきて、ついに堰を切ったように泣き出した。




