二十七
中澤の携帯が鳴った。中澤は席を外して電話に出た。しばらくして戻った中澤は、
「上は、連中にドールを引き渡すかわりに身代金の支払いで済ませられないかと言っている」と皆に言った。
「幾らまで出ると言ってるんですか」と馬絹が聞いた瞬間、電話が鳴った。
「もしもし、中澤です」
「どうだ考えたか?」
「あ、ああ……逆に提案なのだが、ドールではなく身代金と引き換えにできないだろうか」
中澤は歯切れ悪く言った。
「……幾ら用意できる?」
「……三千万だ」
「ふざけんな馬鹿野郎!」
山田の怒号が受話器から漏れて、和彦たちにも聞こえた。ヘッドフォンで中澤と山田のやりとりを聞いていた刑事の体がびくっとした。
「一機五十億もした高性能の人型兵器だっていうのは知ってるんだよ。それを三千万だって? おまえら人質の命が惜しくないらしいな」
「ま、まて。人質は傷つけないでくれ。もう一度、上とかけあってみる」
電話が切れた。
トランクのオフィスに沈黙が流れた。
「ずいぶん安いですねえ……」と和彦が呆れるように言った。
「これが日本政府の算出した寺田さんの命の値段ということですか。公僕の身ではありますが政府には幻滅しますね」と谷口が珍しく感情をはさんで自分の意見を言ったので、和彦も馬絹も内心「おや?」と思った。
「とにかく、もう少し出せないか、上に言う」
中澤は電話をかけるために、逃げるようにその場を離れた。一方、馬絹は部下から報告を受けた。
「最初の電話が世田谷区、次は豊島区、今のは新宿区から発信されております」
「ご苦労さん。山田は都内を車で移動しながら電話をかけてるね。本部に伝えておくか」
「検問にひっかかるほど、無用心なやつじゃないんでしょうけどね」と和彦が言った。
中澤が戻ってきた。
「五千万からスタートして、二億が限度だと」
「まるでペルシャ絨毯の取引ですね」と谷口が中澤を責めるように言う。
「私が決めているわけではない」
中澤と谷口がやりあっている中、和彦は少し考えて、
「中澤さん、一日だけ俺を見逃してくれませんか?」と言った。
「どういうことだ」
「中澤さんは、今までどおり山田と交渉して、丸一日ずるずる引き延ばしてください。その一方で、俺が中澤さんを裏切って、ドールを引き渡す方向で個人的に山田と交渉します」
「なんだって?」
「取引の場に山田をおびき出すために、まず、俺との取引が警察や政府に全く知られていないと山田に思い込ませます。そして、俺一人がその場に行くと山田に約束します」
「……」
「そうすれば警戒を緩めて、取引の場に出てきやすいと思うんです。で、その場で山田を捕まえられたら捕まえますが、なにより寺田さんを助けるのを優先します」
「どうやって? それに失敗したら……」
「寺田さんや俺が死ぬかも。でも、このまま交渉を続けても、山田は納得しないだろうから交渉は決裂、寺田さんは殺されちゃうんです」
中澤はこめかみを押さえて黙り込んだ。
「お願いします。一日でいいんです。失敗しても俺の独断でやったことで、中澤さんは知らなかったことにしてくれていいです。どっちにしろドールがやつらの手に渡っても、ドールは連中の命令は聞けないんですから、ドールがテロに加担することはないはずです」
それを聞いても中澤は渋った。沈黙が部屋を支配した。
谷口が口を開いた。
「中澤さん、中村さんの話に乗りましょう。場合によっては私に責任を負わせてください」
「谷口さん?」
和彦は目を丸くした。
次の電話がきた。
和彦は中澤に目で合図を送った。中澤はうなずいた。和彦が受話器をとった。
「もしもし?」
「誰だおまえは?」
「今、トイレやら煙草やらで、周りに誰もいないんです」
「どうなってんだよ、緊張感がないなあ。またかける」
「ちょっと待ってください」和彦は声を押し殺して言った。
「寺田さんを助けるために、僕は、あなたにロボットを引き渡したい」
「はあ?」
「後で僕の携帯にかけてください。番号は寺田さんの携帯をみれば分かります。僕は中村和彦です」
「考えておく」
電話が切れた。
引っ掛かってくれればいいが、と和彦は思った。おそらく山田はマユミに中村和彦とは何者か聞くだろう。
頭はさえているのに体がけだるかった。胃が変で食欲が湧かない。椅子に深くもたれ掛かりながら、和彦は山田からの電話を、かかってこい、かかってこいと念じた。
しばらくして和彦の携帯が鳴った。すぐさま通話ボタンを押した。
「はい、中村です」
「周りに誰もいないところへ行け」
「今、誰もいないところにいます。大丈夫です」
「よし。おまえは、さっき人質を助けてくれと喚いたやつだな? 寺田さんに確認したら知ってると言っていた。ロボットの研究員だってな」
「そうです」
和彦はマユミが必要以上のことを山田に伝えていないことを祈った。
「さっきの会話は録音されてたりしないのか?」
「僕が切りました」
「ふん。じゃあ続きを話せ」
「は、はい。日本政府は寺田さんを助けるのには、ドールを……これはロボットのことです……引き渡さない方針です。かわりに身代金をと言ってるけど、これは僕らから見ても安すぎる金額です」
「そうだな。政府は人命をなんだと思っているのだろうな」
山田は冷たく笑う。人命云々と言ってるおまえが伊藤を刺したのだろうと和彦は思ったが、おくびにも出さず、
「寺田さんは、僕にとって大事な人なんだ。なんとしてでも助けたい。だから僕は政府を裏切る。寺田さんを返してくれるならドールは引き渡します」
「ふん。話を続けろ」
「あなたは表向き、中澤と交渉し続けてください。その裏で僕個人と取引してほしい」
「おまえに何の権限があるんだ」
「裏を取っても構わないが、今のところドールは僕でないと動かせないんだ」
「なに? 中澤はそんなことは言ってなかったな。危うく騙されるところだった」
「ですから、それをあなたの言うことを聞くように、プログラムを変えて、引き渡します」
「……考えておく。また連絡する」電話が切れた。
和彦は目を閉じ深呼吸をした。周りに誰もいないというのは当然嘘で、馬絹も中澤も谷口も、このやり取りは聞いていた。
「裏を取ってもかまわない、に釣られてくれるといいんだけど」
和彦はぽつりと言った。
「どういうことですか」
「馬絹さん、もし連中が釣られれば、俺の話が本当かどうか小笠原議員のルートを使って調べてくると思うんですよ」
「なるほど。みどりちゃんのところには、ドールは中村くんしか動かせないという話を、それとなく流しておこう」
「ついでに日本政府はせいぜい五千万くらいしか出せなさそうだってガセネタを吹き込んでおいてください」
「山田が日本政府とではなく、中村くんと取引したくなるように誘導するわけだな」と中澤が言った。
「当りです」と和彦は目をごしごし擦りながら、かすれた声で言った。
山田と中澤の間で、上っ面の交渉が行われている一方、和彦は国立競技場の地下訓練場に来た。
「付け焼刃の訓練で大丈夫かな」
「ドールのポテンシャルは計り知れないからな。とにかく時間いっぱいまで精度を高めさせる」と森が言った。
そこへ和彦の電話が鳴った。
「もしもし中村です」
「俺だ。本当に政府は渋いな」
中澤から相変わらず低い金額を提示されているのである。
「でしょう? なので、こうして裏取引を持ちかけたわけです」
「わかっている。取引の時間と場所については検討中だが……ドールを何体連れてくるつもりだ?」
「四体全て」
「わかってるじゃないか。おまえは信用に足りそうだ」
ドールが何体いるのか、山田がマユミから聞き出しているであろうことを、和彦は想定していた。果たしてその通りだった。ここで和彦が二体と答えていたら、山田は和彦に欺かれたと騒ぎ立てただろう。仮に、未だ山田がドールを二体だけであると思っていたのなら、山田の要求以上の数を提示することで、山田の信用を得られると和彦は踏んだのだった。
「よし、時間と場所はあとで電話する」
「たとえドールを奪い去っても、稼動しなきゃただの人形ですからね。そういう意味では寺田さんを大切に扱ってくれないと困りますよ」
「俺を信用しろ」
電話が切れた。
「森さん、訓練を続けさせてください。俺はちょっと横になります」
「ああ、任せておいてくれ」
和彦は休憩室のソファで横になった。眠たかったが眠れなかった。それでも、ふと時計を見ると二時間近くたっていたので、少し眠ったようだった。




