二十五
前日の雪もあって、朝霞フェスタの人出は少なかった。
好都合だ、と伊藤は思った。会場の隅の目立たぬところにドールの展示コーナーがあり、突っ立った二体のドールが通りかかる客にただひたすらに手を振っている。傍らに立つ説明板には、開発中の人型ロボットであるが実用化にはまだまだ時間がかかる旨が書いてある。傍目にはとてもつまらない展示で、実際に足を止める客は殆どいない。
テレビ局も撮影してはいったが、ニュースで流すとしてもせいぜい一秒使われれば良いところだろう。
今日は伊藤一人で来ている。この祭りは土曜日と日曜日を使って行われるため、休みの和彦らをわざわざ出させなくても良いだろうと判断したのだった。
一般見物客を装って会場に入った極左ゲリラの山田孝太郎は、ドールの展示を遠目から見ていた。
アジトを襲撃した「子供みたいなやつ」のことは一瞬しか見ていなかったが、確かに、あんなような大きさだったような気がする。今は木偶人形のように手を振っているだけだが、あれはカモフラージュなのだろう。
山田の目的は、自分たちを襲ったのが展示されている軍のロボットだったのかどうかを確かめることではない。これについては、ほぼ間違いないと分かっている。山田はカメラを構えると、ドールの側にいる男を関係者とにらみ、写真を何枚も撮った。一方の伊藤は、自分が遠くから山田に撮られていたなどとは露程も知らなかった。
山田は隠れ家にしているアパートの部屋に帰ると、撮った写真を見ながら考えた。
そして一つのプランを思いついた。
それから数日後の夕方、マユミがタイムカードを押して退社しようとすると、伊藤が追いかけてきて「寺田さん、ちょっと付き合ってよ。ごちそうするから」と言った。
「ええ、いいですよ」とマユミは答えた。和彦は風邪で休んでいた。
伊藤はマユミを居酒屋に連れていった。
「ごめんね。もっと洒落た店の方が良かったよね」
「いえ、ぜんぜんいいんです」
実際マユミは、こんな居酒屋の方が肩肘張らなくて済むので気が楽である。
伊藤は、一人暮らしはどうだとか、当たり障りのない話をした。
「寺田さんはトランクで少し社会経験を積んだら転職するつもりだったんでしょ?」
「そんなことないですよ。あたし、伊藤さんに拾ってもらったっていう意識がありますから……どんな仕事も真面目にやってきたつもりです」
「それは知ってる。サボろうと思えばサボれる環境だったのに、することがなければ掃除をしたり、損紙を切ってメモ帳を作ったりしていたのは見ていたよ」
「でも中村くんが入ってきてから暫くは、転職しようかと思ってました。だって、本当に中村くんのことが嫌だったんですよ」
マユミが笑いながら言ったので、伊藤もつられて笑った。
「でも今は楽しいです。充実してる感じがします。たまに、ちょっと怖いこともあるけど」
伊藤はビールを飲んで、ふと真面目な顔になって言った。
「まさにそれなんだ。寺田さん、真面目に転職を考えないか? 行き先については寺田さんの希望を聞いて、そこへ入れるよう僕が責任もって尽力する」
「え?」
「怖いこともあるって言っただろう? それを懸念しているんだ。ドールについての仕事は、どんどんきな臭くなっている。この前だって、あの韓国のロボットがこっちのトラックを見つけて攻撃してきた可能性だってあった。国防省も警察も、身の安全を保障するとか言っていたが、ああいう場合に彼らは何の役にもたたないよ」
「……」
「命を落とすかもしれないという覚悟を持って職についている軍人ならともかく、寺田さんみたいな女の子が、そんな危険な目にあってはいけない」
だって中村くんだって軍人ではないけどやっている……と言おうと思ったが、無意味だった。和彦がいなければドールは戦えないのである。マユミとは立場が違う。
「寺田さんが、仕事のできる人間になって、他人に認められたいという向上心のある人だってことは分かる。それに中村くんと張り合おうとする気持ちも分かる。でも僕には寺田さんに、これ以上危険な目にあってほしくないし、僕には寺田さんを守るすべがないんだ」
伊藤の言っていることはもっともだし、決して悪い話ではない。しかしマユミには受け入れがたかった。その一番の理由の正体にマユミは気付いてなかったが、とにかくトランクから離れてしまうのは嫌だった。
「少し考えさせて頂いてもいいでしょうか」とだけマユミは答えた。
店を出ると二人は駅に向かって歩いた。
「前に中村くんが、伊藤さんはどこかの省庁を定年退職した後にトランクに天下っているわけだから、ああ見えても六十歳は越えているはずだって言ってたんですけど」
「ぶっ」
「そうは見えないんですよね。伊藤さんってお幾つなんですか?」
「ひどいなあ。僕はまだ五十だよ」伊藤は苦笑いしながら言った。
「そうだったんですか」
「僕は国防省時代に、各国合同のドールの模擬戦に立ち会ったんだよ。あれがドールとの出会いだった」
「へえー」
「その後、ドールの使い道をどうするかという話になって、ドールがトランク預かりになると聞いて、国防省を辞めてトランクに移ったんだよ。ずっとドールに関わりたくてね」
「それじゃあ、丸子さんにも負けず劣らずのドール愛者じゃないですか」
「ま、そういうことに……」
そのとき、伊藤は後ろから人にぶつかられた。酔っ払いがよろめいてぶつかったのだろうと思ったが、ぶつかられた背中の痛みが、徐々に焼けつくようなものにかわっていった。
「伊藤さん?」
「や、だいじょう……」
伊藤はがくっと膝をついた。背に手をまわしてみると、何かが突き立っているのがわかった。ナイフだなと伊藤は思った。
「伊藤さん!」
マユミが叫び声をあげた。そのときマユミの背後に車が停まり、降りてきた男たちがマユミの口を塞ぎ、羽交い絞めにした。そして、あっというまに車に連れ込んだ。
しまった、と伊藤は思った。こういうこともありうると思っていながら、油断があった。
伊藤の背後から男が伊藤を冷たい目で見下ろしながら傍らを通り過ぎ、マユミが押し込まれた車の方に歩いていった。
誰だ、見たこともないやつだ……それよりもマユミを助けなければと思ったが、体も動かず声も出なかった。周りに人はいる。飲みにいくのか、飲み終わったのか、仕事帰りのサラリーマンたち。しかし彼らは目前で起こったことが信じられないのか、誰もその場を動かずに、阿房のような顔をして、ただ伊藤のことを見ている。
あまりに非現実的なことが起こると、案外、人間なんてこうして固まってしまうものなのかもしれないと伊藤は思った。
マユミを乗せた車は悠然と走り去った。せめてナンバープレートだけでも見ればよかった。とにかく今はしなくてはいけないことを考えなければ……と思うが、伊藤の思考はわき道にそれて行った。
このまま死んでしまうと、妻や両親に申し訳ない。せめて子供がいれば、仮に自分が死んでも、すでに命のバトンタッチは済んでいるという意味では、妻にも両親にも多少の慰めになったのかもしれない。ならば若い時分に子供を作ることについて、真剣に考えておけばよかった。
あの時、妻から不妊治療の話を持ちかけられたが、仕事も乗っていたし、妻と自分二人の生活が心地よかったので、子供ができないのならばそれはそれで構わないと思い、承諾しなかった。
しかし自分も歳をとり、両親は更に歳をとっていくと、そのまま自分たちが朽ち果てこの世から消え去っていくことが惜しく、焦燥感を感じることもあった。
そうなってみてから、子供を作るということは自分の不老不死願望の投影かもしれないと思うようになった。若い頃ならそれはエゴだと一笑に付していたかもしれないが、妻や両親が老いた現在、彼らのエゴをかなえてやっても良かったのではないかと思う。
「いろいろ失敗したなあ」と伊藤は声にならない声でつぶやいた。
ようやく周りが騒がしくなり、誰かが「救急車!」などと叫んでいる。伊藤は、とにかくマユミだけでも無事に済めばいいのだが、と思った。根拠はないが和彦ならなんとかしてくれるような気もした。
そうして伊藤の視界は暗闇に落ち、眠るように意識が遠のいていった。




