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十四

 あくる日は訓練があったが、伊藤は所用で後から行くと言う。和彦とマユミは地下鉄で国立競技場へ向かった。

 地下鉄の車内で二人は吊革につかまり立っていた。マユミは黙り込んでいた。その表情からは何を考えているのか、和彦には伺えない。

 和彦は会話の糸口を見出そうとして言った。

「いい天気だね」

 ここは地下鉄の車内である。

「梅雨も空けたし」

 マユミは答えない。

「今年の夏は平年並みの暑さらしいよ」

「もう、いいかげんにしてよ!」

 マユミが耐えられなくなって爆発した。

「気持ち悪いよ。あたしの名前のことを聞きたいんでしょ?」

「ごめん、それは伊藤さんに聞いた」

「じゃあ、なに? それを聞いて、からかいたいの? 馬鹿にしたいの?」

 マユミの声が少々大きくなり、乗客の数人が二人の方を見た。

「違うよ。気にしてたみたいだから。伊藤さんも俺も、寺田さんが心配になるような変な 考えは持ってないって言いたかったんだよ」

 もちろんこれは和彦の正直な気持ちだったが、普段のこの男のふざけた態度から、和彦が馬鹿にしていないというのは、逆に、馬鹿にしていますと言っているように、マユミには聞こえてしまう。

「うそでしょ。こんな変な名前をつける人種なんて中村くんの周りにはいなくて、そんなのネットでしか見聞きしたことがなくて、きっと珍獣を見るような目であたしのことを馬鹿にして見てるに決まってるんだ。だいたい中村くんは育ちも良さそうだし」

 興奮してマユミの日本語が少々あやしくなった。

 今や、二人の方を見ている乗客は二人や三人ではなくなっていた。

「そんなことないよ」

「うそ!」

 和彦はしばらく黙った後、

「……寺田さんは面倒くさい人だなあ」と言った。

「なによ!」

「寺田さんの扱いは、生まれて二十三年間童貞を貫き続けている俺には手に余る!」

 和彦が大声で言った。

 乗客のほぼ全員が和彦とマユミの方を見た。

「……」

 丁度、電車が駅についた。マユミは逃げるように電車から飛び出し、和彦も続いた。


 ホームに二人を残して列車が去った。

「もう、なんなの一体」

 マユミはあまりの馬鹿馬鹿しさに調子が狂って、先ほどまでの怒りが一時的に吹き飛んでいた。

「俺には寺田さんを馬鹿にするような気持ちなんて本当にないし、不憫に思うような思い上がった気持ちも、ないんだよ」

 和彦は静かに、真面目に言った。

「もういいよ、なんかどうでもよくなった」

 和彦の態度が思いのほか真面目であったし、馬鹿にされるような心配もなくなったので、マユミは落ち着いた。

 ばれてしまえば、もう後はどうでもよかった。



 二人は国立競技場の地下についた。

 丸子がドールと待っていた。なんとドールが一体増えて、三体になっている。

「お疲れ様です。ふふ。なんか一体増えてますけど?」とマユミは言った。

「今日から一体増やして、三体で訓練しろって」

「最終的には十二体全部訓練するのかな」

「どうだろう」

「訓練して本当にモノになるなら、残りも訓練することになるでしょう」

 後ろから来た国防省の谷口が言った。

「とりあえず、中村さんにはこの新しい一体のプロテクトの解除を、つまり名前をつけて頂きます」

「うん、わかった。よし、おまえは『ヒカル』」



 いつものように、訓練の間の昼休みに、隣接する休憩所で皆で仕出しの弁当を食べた。

「正直な話をすると」と丸子が言った。

「ドールをずっと整備してきた自分からすると、あいつらが中村くんを主人と認めて、言われたことを素直にこなして、日々成長してるというのは、滅茶苦茶羨ましいよ」

 谷口以外は笑っている。丸子は続けて言う。

「ああ、なんで僕があいつらに名前をつけなかったんだろう。やっぱり照れがあったんだろうな。全部打ち明けてしまうと僕、あいつらが可愛くてしかたないんだよ」

「ずいぶん正直にぶちまけちゃいましたね丸子さん」マユミが笑いながら言った。

「女性陣には気持ち悪がられちゃうかなあ。だから、なおさら何の照れもなしにやってのけた中村くんは、すごいなって思うんだよ」

「そんなに褒められると照れますなあ」

 教官の森は静かに微笑みながら聞いている。それでもマユミは、森が唐突に「ふざけんなー!」と怒鳴りそうな気がしてしょうがない。

 谷口は興味なさそうに聞いている。丸子の懸念どおりのことが起こっているのだろう。


 帰りの道中、車内でマユミが「中村くんはドールの名前、何を参考にしてるの?」と聞いた。

 「秘密だよ」

 和彦は言った。

「真面目な、それでいて少し古風な名前をつけるよね」

「そうかな?」

 和彦はこの話題が、行きの電車であった寺田の名前についての話に回帰しそうだと懸念した。

案の定マユミは「私もまともな名前をつけてもらいたかったよ」と言った。


「私の住んでる所は、そういうキラキラしていたり、読めないような難しい漢字を使った名前の子供ばかりだったんだよ。マユミだったり、ミキだったりと名乗ったりしたけど、それは自分の名前が嫌だとかではなくて、あくまでニックネーム感覚で。だから地元にいた小学校から高校までは、全然気にしたことがなかったんだ」

「うん」

「大学に入ってからだな、気がついたの。こんな名前、底辺にいる人間の名前なんだってこと。名前の他にも、あたしの地元の常識は、普通の社会常識とは違っていたんだよ」

 和彦はマユミに一方的に喋らせ、聞き役に徹した。

「信じられる? 最も突飛な名前のついた子が、一番偉いわけ。そんな感覚なんだよ、大人も子供も。名前が突飛であれば突飛であるほど偉いわけ」

「正直な話、そんなの寺田さんが言うように、テレビの向こうの話だと思ってた」

「そうなんだろうね。逆に、挨拶をしましょうとか、マナーを良くしましょうといったような、普通の社会常識とはこういうものだというのがテレビから流れてきても、私が育った所では、そんな社会常識こそ自分達には関係のないテレビの向こうの世界の話だと思ってるわけ。自分達に取り入れて、自分達を向上させようとか思わないの」

「俺は世の中のことに詳しいわけじゃないけど、未だに田舎の一部では、両親同居でお嫁さんの立場が低くて奴隷のように扱われるという話を聞いたときに、これだけいろんな情報源から、今日日そんなことは止めるべきだという新しい価値観が入ってくるはずなのに、それでも田舎というのは全く変わらないということに疑問を感じたことがある。それと同じなんだろうなあ。テレビの向こう側の都会の話なのであって、自分達には関係ないって思ってるんだろう」

 いつになく和彦が真面目に言った。

「地元から少し離れた大学に入って、地元以外の人と接してみて、私の育ったところはおかしいと気付いて、もう、あそこから抜け出したいと思うようになったんだ。地理的な話の他、あの人達の価値観とか、そういうものから離れたくて。あたし、お金がたまったら地元と全然違うところで一人暮らししようと思ってるんだ」

「いいんじゃないかな。それに……寺田さんか気にするんだったら、家裁に申請して名前も変えちゃえばいいと思うよ」

「え?」

「親からもらった名前を変えていいのかという考えもあるけど、俺ごときに名前を知られることに怯えるような……寺田さんをそんな不幸にする名前なら、変えちゃってもいいと思うんだよ」

 和彦は静かに言った。

 名前を変えることについては、マユミも漠然と考えていたが、そのために具体的にどうしたら良いかなど調べたことがなかった。あくまで漠然と夢想するだけだった。

「考えてみようかな」とマユミはつぶやいた。そして窓の外のトンネルの暗闇を見つめた。


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