第8話
こうして、無吾たちの兵力を吸収した使節団は、意気揚々とチベット高原に入ったのであった。
「しかし、周囲には何もないし、見渡す限りの大平原だな…空に浮かぶ雲も、手を伸ばせば届きそうなぐらいに近いし、空気も澄んでいる。気分、爽快だぜ」
呂布は、そう言って、馬上にて大きく背伸びした。
「ただ、日差しが強いので、すぐに肌が真っ黒になりそうですな」
「お前は、そんな細かいことを気にするのかよ。それでも、武人か」
高順の冗談に張遼がつっこみを入れると、周りの者たちは、どっと笑った。チベット高原は、平均海抜4,000メートル以上で、多くの山峰の高さは7,000~8,000メートルに達し、「世界の屋根」と言われる世界最大級の大高原だ。北には崑崙山脈・阿爾金山脈・祁連山脈、南にはヒマラヤ山脈、西にはカラコルム山脈、そして、東は複数の山脈によって囲まれている。
さらに、このだだっ広い高原では、小規模な羌族たちが点在しており、幾度となく彼らと出くわすことになった。だが、その都度、迷解と無吾が話をつけてくれたため、使節団は無用な争いをすることなく、順調に前進していったのだった。中には、酒宴を開いて歓迎をしてくれる部族もあり、彼らは人の温かさを肌で感じながらダイナミックな自然を大いに満喫したのであった。
「出発をする当初は、どうなるやらと思っておりましたが、いざ来てみると、かように楽しいとは思いませなんだ」
「確かに、そうだな。こんなことなら、一生ふらふらと旅をして、悠久の日々を送っても良いかもしれん」
「ならば、ここに残って現地の者となったら、どうでしょうか」
「ははは…冗談に決まっているだろ。陛下が、首を長くして待っておられるのだ。そう言うわけにはいかん」
と、上機嫌で歩んでいると、
「ご覧なされ…正面にヒマラヤ山脈が見えてまいりましたぞ」
迷解は、呂布たちに声をかけ、
「あの高くそびえ立つ山こそ、エベレストにございます」
指を差したのだった。
「あれが、エベレストか」
それを聞いた呂布は、じっとその山を見つめた。その山は、積雪にて薄化粧をされ、壮麗にして威厳を放ち、他を寄せ付けない貫禄を持つ山であった。
「実は、あの山には、仙人がおると言われております」
「なんと…それは、さぞかし、高名なお方であろう。是非、お会いしたいものだ」
迷解の話を聞いた呂布は、そう口にした。
「殿…まさか、あの山に登ろうと考えているのでは、ありますまいか」
「あの山に住むことは、至極困難であろう…そこへ、わざわざ住むと言うのだから、よほどの御仁であるに違いない」
その言葉に、伏完は、
「お止めなされ、危険極まりないですぞ」
彼を諫めると、
「ならば、俺一人だけで行く…それならば、文句はあるまい」
と、返した。すると、
「殿、お一人だけで行かせるわけにはいきませぬ。ならば、拙者も同行させて頂きます」
高順は、表情を引き締め、
「と、言うことは、道案内も必要でしょう…それがしも連れていってくだされ」
迷解が、口角をあげた。そのやり取りを見て、
「やれやれ、仕方ありませぬな。ならば、我らは、ここで待機しておりましょう」
伏完がため息をつくと、
「すまぬな…早々に帰ってくるゆえ、少しばかり待っていてくれ」
呂布は、そう約束した。そして、
「張遼に、無吾どの…留守の間、彼らの護衛をたのむぞ」
「了解…」
テンポ良く張遼たちは、元気よく答えたのだった。
「よし、では参るか」
こうして、呂布は、高順と迷解の二人を連れて、世界最高峰のエベレストに臨んだのであった。
エベレストを登ることは容易なことではない…
年中雪で覆われた極寒の環境においては、凍傷はおろか凍死する危険性をはらみ、天候の変化も激しいため、雪崩等の事故に巻き込まれる可能性もある。また、標高の高さゆえに酸素が薄くなり、それが原因で脳神経に障害をきたすこともあるので、たとえ登りきっても無事に麓へ戻れる保証は全くないのだ。ゆえに、現代においても、その登頂成功率は3割程度だと言われている。
「感覚が薄れていく…まるで、この白銀の世界に溶け込みそうだ」
呂布たちは、荒れ狂う吹雪の中を、歯を食いしばりながら、一歩一歩前進していった。
「今日は、天気が悪い…ここは、引き返し、改めて挑戦をされては」
「ここまで来て、引き返せるか。いやなら、俺一人で行く」
呂布は、そう言うと、力強く一歩を踏みしめた。と、その時、ふいに視界が晴れ、前方に何かがあることに気付いた。
「殿…小屋がありますぞ」
「おお…あれこそ、仙人が住む家に違いない」
それを見つけた3人は、みるみるうちに生気を取り戻した。そして、
「よし、会いに行くぞ」
彼らは、小屋に向かって走ったのだった。
「こんな山奥まで、よう来られた。さあ、中へ入りなさい」
小屋にいた一人の老人は、快く彼らを招き入れた。
「あなたが、ここに住む仙人でござるか」
呂布の質問に、
「いかにも」
仙人は、短く答えた。そして、
「格好からすると、どこかの国の侍のようだが、何故にここへ参られたのじゃ」
と、問い、
「我らは、疫病に良く利く万能の薬を求めて、漢の国より来ました」
「なんと、それは大変な道のりだったでしょう」
「いや、現地の方たちは、とても温かく我らを受け入れてくれましたよ」
「ほっほ…そうじゃったか」
大きく笑った。
「噂では、この山の麓にあると伺っておりますが」
「うむ…この山の南側の麓を探してみなされ」
仙人は、そう言うと、
「しかし、万能薬の原材料は何であるかご存知なのか。麓に生えている草木など、五万とあるぞ。それに、薬の製法も」
と、尋ねた。
「それが、よくわかっておりませぬ…ゆえに、これぞと思う物を手当たり次第に持ち帰り、勘でも働かせて作ろうかと思っております」
それを聞いた仙人は、
「少し、そこで待たれよ」
奥の部屋へと行ってしまったのだった。そして、戻ってくるやいなや、
「これを、貴殿に差しあげましょう」
本のような物を彼に渡した。
「これは」
「万能薬に必要な材料と製法が書かれている。ご活用されよ」
思わず、呂布は目を丸くした。
「かような貴重な品を、頂いてもよろしいのですか」
「お主たちの澄んだ目を見て、真の義を持つ者だと感じたのじゃ。多くの人々のために、このような書物が役に立つと言うのであれば、これほど嬉しいことはない」
仙人は、再び大きく笑うと、
「ありがとうございます。この書物を国家の宝とし、必ずや多くの民のためになるよう使わせて頂きます」
呂布は、深々と頭を下げたのだった。
「良かったですな」
「うむ。これで、ここまで登って来た甲斐があったと言うものだ」
こうして、呂布たちは、万能薬について書かれた本を手に入れたのであった。
その後、張遼たちと合流した呂布率いる使節団は、チベット高原をあとにし、高低差の激しい山道を超えてカトマンズ渓谷を抜け、エベレストの南側へ回った。そこは、チベット高原とは対照的に蒸し暑く、ところ狭しと木が生い茂る密林地帯であった。
「くう…汗が止まらねえ」
張遼は、そう言いながら、水筒の水をガブガブと飲んだ。
「しかし、何か猛獣でも出てきそうな雰囲気だな」
呂布が、そうこぼした時、前方から原住民らしき者が走ってきたのだった。
「お助けくだされ、お侍様…ガネーシャ様が暴れております」
「ガネーシャ様!?」
原住民の話に、呂布は首をかしげた。ガネーシャとは、ヒンドゥー教の神の一人で、人間の体に象の頭を持つ。障害を取り除き、財産をもたらすと言われており、商業の神もしくは学問の神とされている。
「山菜を求めて、家族と共に来たのですが、その途中で娘が足をくじいてしまい、身動きが取れなくなりました。そこへ、ガネーシャ様が現れて」
原住民が真っ青な顔で、そう言うと、
「案内して頂けるか」
呂布は、真剣な表情をした。すると、彼は、
「こちらです」
手招きをしながら、来た道を戻っていったのだった。
そして、彼の手引きで密林の奥へ踏み入ると、倒木が目立つ見晴らしの良い場所にたどり着いた。と、その時、巨大な生き物が、雄叫びを上げながら周辺の木々をなぎ倒していく光景を目の当たりにしたのだった。
「あそこにいるのが、ガネーシャ様です」
「おおっ!」
呂布は、思わず声を上げた。
「むう…あれは、もしかするとインド象と言う獣ではなかろうか。しかし、こんなに大きいとは」
「確かに、一軒の家屋ぐらいの大きさはあるな」
伏完の発言に、高順は、そうこぼした。彼らが見たのは、まぎれもなくインド象であった。しかし、原住民たちが、ガネーシャと呼んで恐れていたこの巨象は、他の象たちと比べて、けた違いの大きさを誇っていたのだった。
「あの奥には、家族がいます。どうか、お助けください」
「むう…しかし、あんな化け物と相手をしていたら、とても命の保証はないぞ」
無吾は、息を飲んで、そう発した。すると、
「おい、そこの野獣…何が悲しくて、かように暴れるのだ。この呂布が、成敗してくれる」
呂布が、そうタンカをきって、巨象の前へ躍り出た。
「ああ、なんと無茶な」
しりごみをする使節団をよそに、目の前に現れた侵入者を認識した巨象は、密林全体を揺るがさんばかりの雄叫びをあげ、彼に突進してきた。すると、呂布は、それをさっと交わし、方天画戟で反撃した。
「パオーン!!」
その攻撃に巨象は、怒りを露わにさせ、自慢の長い鼻を乱舞させてきた。だが、彼はそれを巧みに交わし、
「むう…あまり利いていないようだな」
苦笑いした。
「しかし、このままでは、本当にやられるな」
と、後ずさりをした瞬間、足が地面にめり込む感覚を覚え、
「この先は、湿地みたいになっているのか…まてよ」
彼の脳裏に何かが浮かんだ。すると、
「この畜生が、人間様をなめるなよ」
再び前進して、方天画戟で何度も打ちつけたのであった。それに怒り狂った巨象は、ためらうことなく、猛烈に突進したが、
「あらよっと!」
呂布は、それをひらりと交わした。そのため、巨象は、勢いよく湿地の罠に落ちてしまい、みるみるうちにその巨体を沈ませていったのだった。そして、その底なし沼で、激しくもがき、ところ構わず泥をまき散らしたが、とうとう自力では脱出できないぐらいまで引きずり込まれてしまったのであった。
「おお…殿が、ガネーシャをやっつけたぞ」
その光景に、使節団が大いに沸き立つと、彼は、着ていた衣服をはぎ取り、
「おい、お前ら…ロープを持って来てくれ」
体の9割を湿地にめり込ませた巨象の上に、ぱっと飛び乗った。
「ああ、何をなさいます」
「勝負はついたゆえ、引き上げてやろうと思ってな」
と、言うと、
「もう、悪さはしないと誓うな」
巨象に、そう声をかけた。
「ほんとに人が良すぎるんだから」
高順は、そう言いながら、呂布へ渡すと、
「助けてやるから、少し大人しくしていろよ」
そのロープを持ってぬかるみに飛び込み、それを巨象に巻き付けて、使節団全員で力を合わせて引き上げてやったのだった。
「何だか、大人しくなっちゃったな」
張遼が、そう呟くと、
「おい、ガネーシャよ。俺を背中の上に乗っけてくれないか」
巨象の鼻をなでながら、呂布はにこやかに笑った。すると、巨象は、まるでそれを理解したかのように、躊躇をすることなくその鼻で彼を包み込んだ。そして、そのまま、彼をゆっくりと背中の上へ運んだのであった。
「ははは…これは、また大層な馬ですな」
その光景に、張遼は、ゲラゲラと笑ったが、
「ありがとうな、ガネーシャ」
その感謝の言葉に、ガネーシャは雄叫びを上げて応えたのだった。