第6話
そして、数時間後…
おびただしい蹄の音が聞こえてきた。
「殿…前方から、土煙があがっておりますぞ」
高順は、指をさして、敵の襲来を周囲に知らせた。
「陛下…我らの中へ、お入りくだされ」
「うむ…」
献帝が、呂布に言われるがまま、手勢の中に身を潜めると、その集団は、土煙の中から、わっと出て来て、あっと言う間に呂布たちを取り囲んだのであった。
「おい、お前ら…命が欲しければ、そこの坊主と金目の物を置いて、さっさとここを立ち去りな」
そのセリフを聞いた呂布は、
「お前らごときの言うことなど、耳を貸す気にもならんな」
と、挑発した。
「俺たちは、黒山賊だ…ナメたら、死ぬぜ」
ちなみに、黒山賊とは、山賊や罪人、流れ者などが集まった盗賊団で、張燕と言う男が頭領を務めている。常山を本拠地として、その周辺に勢力を伸ばし、各地を荒らしまわっている野党だ。だが、彼らは、ただのザコであり、逆に黒山賊の名を借りて悪行を重ねているだけのヤクザ者の集団であった。
「ふっ…このバカタレどもが」
張遼が、そう発して、前へ出ようとすると、
「待て!」
呂布が彼を制し、
「俺一人で、十分だ!」
そう発して、黒山賊の集団へ踊り込んだ。そして、一方的に彼らを蹴散らしていったのだった。
「つ、強い…まさに、人中の呂布じゃ」
献帝は、その荒れ狂う姿に、思わずため息を漏らした。
「ひい…とてもかなわん」
および腰となったザコどもは、その修羅場を逃れようとした。と、その時、地平線の向こうから再び土煙が舞い、軍勢らしき姿が現れたのであった。
「おい、見ろよ…あれは、張燕様の本隊だぞ」
思わぬ味方の登場に、彼らは大きな声をあげた。それを耳にした呂布は、
「黒山賊の本隊だと」
こちらに向かってくる軍勢を、きっと見据えた。すると、
「おーい、こっちだ」
ザコたちは、一斉に味方のもとへと走り出したのであった。
「まずいですな…ここは、早々に避難しましょう」
「いや、待て」
そう言って、高順を制した呂布は、静かに彼らの様子を伺った。と、ふいに本隊へたどり着いた彼らは、どうしたことか、次々と斬り殺されていったのであった。
「むう…これは、一体」
それを見た張遼が首をかしげると、
「噂で聞く張燕は、なかなかの人傑だと聞いているからな」
呂布は、ニヤリと笑った。そして、処断を終えた黒山賊が、悠々とこちらへ向かって来ると、
「申し訳ありませぬ、陛下…知らぬこととは言え、先ほどは我々の部下がとんだ粗相をしました。これからは、きちんと教育を行き届かせますので、どうかお許しくだされ」
賊の長である張燕は、献帝に対して一礼をしたのだった。
「これ以後は、我が国に刃向わないと申すか」
「我らは、漢に対して刃向う気は毛頭ありませぬ…この国に巣食う悪い官僚たちと、日々戦っているのですから」
「そうか…ならば、今回のことは、水に流すとしよう」
「ありがとうございます」
彼は、再び深々と頭を下げると、
「実は、この近くに我らの支部があります。お詫びと言っては心苦しいですが、せめてもの償いをさせて頂けませぬか」
真摯な目で、献帝を見つめた。すると、彼は、
「左様か…ならば、一宿一飯の恩に授かるとしようかのう」
くったくのない笑顔を見せたのだった。
「なんと、心の広いお方だ…このお方は、必ず天下の名君となられるだろう」
その振る舞いに、呂布は、さらに忠誠心を深めたのであった。
そして、彼らの支部へたどり着いた献帝たちは、盛大な歓迎を受けたのだった。
「ははは…今宵は、ほんとに愉快でござる。我らが天子様と、天下の豪傑である呂布どのと酒を酌み交わせるのですから」
張燕は、機嫌良さそうに笑うと、
「このすばらしきもてなし…とてもうれしく思うぞ」
献帝は、快く返したのであった。すると、
「ところで、張燕どの…貴殿ほどの人物は、なかなかおらぬ。ここで、正式に漢の臣として仕えられてはどうなのか」
呂布は、率直に尋ねた。
「いや…それがしは、気性が荒いゆえ、宮廷仕えは向かん。それに、どうしても頭を下げたくない奴が都でのさばっているからな」
「大将軍様のことか」
「左様…我らは、その獅子身中の虫を打倒するまでは、今の生活を続けるつもりだ」
「そうか…」
それを聞いた献帝は、
「ならば、致し方あるまい…だが、無用に命を粗末にするでないぞ」
真剣な表情をした。その様子に、張燕は、
「陛下…」
と、こぼし、
「我らも彼のやり方に疑問を持っている…その時が来れば、朕の味方となってくれ」
「もったいなき、お言葉…お声を頂ければ、必ずや馳せ参じましょう」
誓いの意を述べたのだった。と、その時、
「大変だ、お頭…狼の群れが、こっちへ向かってくる」
小者たちの叫び声を聞いて、
「うろたえるな。狼など、早々に追っ払ってやるわい」
張燕は、立ち上がった。すると、
「まあ、張燕どの…ここは、拙者に任せてくだされ」
呂布が、それを制し、
「大切な客人に、そのようなことをさせるわけにはいきませぬ」
「酒の席の余興でござる。見ていてくだされ」
何も持たずに、スタスタと屋敷を出て行った。
「せめて、刀だけでもお持ちくだされ」
「お気遣いは無用…ただ、お気持ちだけは、ありがたく受け取りましょう」
呂布は、そう言って手を振ると、威風堂々と狼の群れに向き合った。それを見た狼たちは、表情を険しくさせ、唸り声を出して威嚇をしてきた。だが、
「畜生の分際で、俺に喧嘩を売るとは、いい度胸をしている」
彼は怯むことなく、くわっと彼らを睨み返したのであった。すると、その殺気立つオーラに、狼たちは恐怖を抱いて直立不動となり、挙句の果てには、きゃんきゃんと鳴き声をあげながら、クモの子を散らすように逃げていったのだった。
「なんと言う漢だ…威圧だけで、狼たちを追い散らすとは」
その光景に、張燕は、体全体に汗をほとばしらせたのであった。
そして、夜は明けた…
「道中の安全をお祈り致します」
惜しまれつつも張燕たちと別れた献帝らの一行は、中断していた旅を再開し、その日の昼前に、目的地である白馬寺にたどり着いたのであった。
「これが、白馬寺か」
呂布は、広大な敷地を持つ寺院を感慨深そうに眺めた。そこには、手入れの行き届いた美しい庭園が延々と広がり、その絵に溶け込むかのように小さな建造物が点々としていたのだった。ちなみに、現在の白馬寺は、改修工事が幾度も繰り返されており、シンボルとしてそびえ立つ斎雲塔と言う石塔などは、後年に建てられたものなので、この物語の時代では存在していない。
「我が寺へようこそ。どうぞ、中にお入りください」
その寺の住職は、そう言うと、快く献帝たちを招き入れた。そして、彼らは、煉瓦の塀に囲まれた清涼台と言う建物に通された。この建物は、天竺から来た2人の高僧が、仏典の漢訳に取り組む際に使用されている。一息をついた献帝は、その和尚に、
「四十二章経なるものを見せて頂けないでしょうか」
と、尋ねた。すると、彼はおもむろに献帝たちを招いて、清涼台をあとにしたのだった。そして、
「こちらが、その書物となります」
その書物が厳重に保管されている別の建屋に案内されると、
「これが、漢王朝で漢訳された最古の経典か」
献帝は、渡された四十二章経を手に取って、少し興奮気味に目を通した。すると、そこには、仏教の基本思想と倫理がとうとうと書き綴られていたのであった。
「むう…俺には、さっぱりわからん」
献帝の持つ経典を、ちらりと見た呂布が、そう発すると、
「いや、それ以前に、その文章が読めないだけだろ」
張遼につっ込まれ、その場は笑いの渦に包まれた。だが、その中で、
「今の荒れ果てた世を救うには」
献帝は、静かにそれを読み終えると、ゆっくりと目を閉じたのだった。そして、少し時を置いてから目を開け、
「四十二章経、いたく感動しました。拝見させて頂き、ありがとうございます」
和尚に話しかけると、
「最後に、仏堂にてお参りをさせてください」
と、言って、仏堂へ向かったのだった。
こうして、彼らは、住職に連れられて仏堂に入り、金人と相対した。金人は、穏やかな表情をしており、まるで、来る者に対して癒しを与えているようであった。
「さあ、どうぞ。お参りになってください」
その和尚の言葉に、
「あなたが、この経典の教えを説いた高名なお方ですか…数々のご高説を頂き、大変感謝致します」
金人を目の前にした献帝は、敬意を払って深く頭を下げた。
「なあ、和尚…俺の親父は、最近死んだのだが、ここでその祈りを捧げてもいいか」
呂布の問いかけに、和尚がにこりと頷くと、
「父上は無念の死を遂げられましたが、どうかお救いください」
彼は、金人の前で手を合わせて祈りを捧げたのだった。それを見た献帝は、
「そうであったな…ならば、朕も」
と、言って、
「我が兄を、どうかお頼みします…そして、天下万民が戦争なき太平の世で笑って暮らせますよう、お頼み申し上げます」
心の中で強く念じたのであった。