第4話
少帝の亡き後、董卓の陰謀により、陳留王・劉協は皇帝に即位した。そして、名を献帝とし、年号も初平と改めたのであった。
「しかし、いつまで洛陽に潜伏されるおつもりですか」
呂布につき従う高順は、そう問いかけた。丁原を殺害した董卓を恨んだ彼らは、洛陽でもホームレスたちがたむろをする集落に身をひそめていた。それは、路上生活をしながら、暗殺をする機会を探っていたからであった。ちなみに、赤兎馬は、とある民家に頼んで隠してある。
「わかりきったことを言うな。奴の首をはねるまでに決まっているだろう」
呂布は、干し肉をかじりながら、そう言った。
「しかし、大将軍ともあろう方が、そうそう街路に現れるとは思いませぬが」
「それゆえ、聞き込みもしながら待ち伏せをしているのであろう。奴を斬る機会など、道端だけではないはずだ」
高順は、その言葉を聞いて深くため息をついた。と、その時、武官らしき者が前方より現れ、彼らに近づいてきた。そして、
「よもや…呂布どのでは、ございませんか」
ふいに話しかけてきた。それに対して、高順は、
「何奴…」
そう叫んで刀に手をかけた。すると、その男は、
「待て、待て…決して、怪しい者ではござらん。拙者は、陛下より呂布どのを探して参るよう命じられた者です」
慌てて弁明した。
「陳留王様の使いの者か」
呂布が眉間にしわを寄せながら、そう聞くと、その使いの者は、
「今は、陳留王様ではなく献帝でございますが…それよりも、呂布どのに会うことができて光栄にございます。至急、陛下のもとまで来て頂けませぬか」
聞き返してきた。それに対して、彼は小さく頷いた。
「陛下のご命令であれば、いたしからぬこと」
こうして、呂布は、その武官に連れられて、宮廷へと向かったのであった。
宮廷に入るやいなや、呂布は献帝のいる奥の部屋に通された。
「おお…無事であったか、呂布よ。心配していたぞ」
献帝は、呂布の姿を見るや、急いで駆け寄った。
「陛下もお変わりないようで、安心を致しました」
彼は、そう述べて、頭を下げた。すると、献帝は悲しい顔をして、
「朕が狩りへ行こうとお前を誘ったばかりに、そちをこんな目に遭わせてしまった。とても心苦しくてならぬ」
彼をじっと見つめた。その澄んだ眼を見た呂布は、目の前で気丈に振る舞う、まだ幼き孤高の皇帝に強く惹かれる思いがした。そして、彼の置かれた境地を思い、ひどく心が痛んだのだった。
「何を申されます。陛下も兄上様を失い、さぞかしおつらかったのでしょう」
心中を察した呂布は、にこやかに、そう返した。すると、
「ありがとう…今日、君に会えたことを最高の幸運であったと思うぞ」
感謝の意を示した献帝は、ふいに背筋を伸ばして君主たる態度を取った。そして、
「今日、ここへお越し頂いたのには理由がある」
そう短く言葉を発した。その様子に、
「如何なされましたか」
彼が、問うと途端に献帝は思いつめた表情となり、
「朕は、兄上を殺したのは、董卓の仕業と思っている。奴は、兄上と丁原を殺し、権力の強化を図ろうとしたのじゃ」
滔々と自論を述べたのであった。それを聞いた呂布は大きく頷くと、彼の意見に賛同の意を示したのだった。
「恐らくそうでしょう。このまま、奴を好き勝手にさせてはなりますまい」
その発言に、献帝は、
「まったく、その通りじゃ」
と、相槌を打ち、
「奴の暴挙を止めねばならぬ」
断言した。そして、彼を再び見つめ直して、
「しかし、朕だけではどうにもならぬ」
と、言って、こう続けたのだった。
「呂布よ…朕の親衛隊長になってくれぬか」
「えっ…」
呂布は、思いがけない言葉に、声を詰まらせた。
「そちが、朕のボディーガードとなってくれれば、これほど心強いことはない。そして、共に奸賊・董卓を失脚させようじゃないか」
それを聞いた呂布は、心の底から何かがこみ上げてくるものを感じた。
「ありがたき幸せにございます。是非、陛下のおそばに居させてください。命を賭けて陛下をお守りし、必ずや董卓の首をかき切ってみせましょう」
「おお、誠か…朕は、うれしくてたまらないぞ」
献帝は、思わず涙を流し、
「頼むぞ、呂布よ。お前だけが、頼りじゃ」
「ご期待に背かぬよう、尽力いたします」
彼の手を取って、笑顔を見せた。そして、
「そうじゃ…爺やをお前に紹介しよう。王允よ、参れ」
手を叩いて、部屋の外で待たせていた老人を招き入れたのであった。
「呂布様、お初にお目にかかります。司徒の王允にございます」
王允は、そう言って、お辞儀した。この老人は、献帝を幼い頃から孫のように可愛がっていた後漢の重鎮で、彼にとって、数少ない味方の一人だ。
「爺やは、朕が物心のついた時から面倒をみてくれた忠臣じゃ。何かあれば、爺やと相談するがよい」
「そうでしたか。拙者は、呂布と申す者…武骨者ではありますが、何卒よろしく頼みます」
呂布は、王允の手を取り、董卓の打倒を、改めて誓ったのであった。
翌日、献帝は、大広間に董卓大将軍以下重臣たちを呼び寄せた。
「まったく、この忙しい時に…一体、何が始まることやら」
董卓は、突拍子もない彼の号令に、思わず愚痴をこぼした。と、その時、献帝より一段下で静かに立っていた司徒の王允が、ふいに声を発した。
「皆の者、ご静粛に願う…このたびは、陛下より直々にお話がある。心して、お聞きくだされ」
ざわめく一同がぴたりと私語を止め、辺りが静まり返ると、献帝は、
「我が寵臣たちよ。お勤め、ご苦労である」
と、挨拶をして、こう続けた。
「今日、集まったのは他でもない。この度、朕の親衛隊に、新たな武芸者を加えることにしたので、紹介をしたいと思った次第じゃ」
「新たな武芸者だと」
董卓は、ふいに怪訝そうな顔をした。
「呂布よ…参れ」
献帝は、大きな声で、呂布を呼んだ。すると、彼は、ずかずかと大広間に入り、献帝の前で一礼をしてから向き直ったのだった。
「なっ…」
呂布の姿を見て、董卓は、思わず顔を引きつらせた。
「呂布にございます。この度は、陛下のお導きを受け、参上いたしました。今後とも、宜しくお願いします」
彼が、そう挨拶をして重臣たちに頭を下げると、王允も、
「呂布どの…そなたの武勇は、天下に鳴り響いている。陛下を宜しく頼みましたぞ」
と、言って、彼に頭を下げた。そして、献帝は、
「呂布には、親衛隊長を任せることにした。皆の者、宜しく頼むぞ」
そう宣言をして、董卓に視線を送ったのだった。
「ぬ…ぬう…」
それに対して、董卓は、はばかることなく、顔を歪めたのであった。
「おのれ、あのガキんちょめが…出過ぎた真似をするにもほどがあるわい」
屋敷に戻るやいなや、董卓は、酒を食らっていきり立った。
「まことにもって、遺憾にござりますな。帝に奉ってやった恩をあだで返すとは…陛下は、なんと節操のないお方じゃ」
李儒は、そう言って、ため息を漏らした。すると、
「かくなる上は、献帝も廃してしまうか」
彼はおもむろにつぶやいたが、すぐにそれはたしなめられた。
「恐れながら、献帝に代われる候補者はもうおりません。それに、コロコロと帝が代わるようなことが起きると殿の名誉に傷がつきますし、それこそ民衆の政治不信につながりましょう」
「むむう…確かに、そうだのう」
歯ぎしりする董卓に、李儒は、こう助言した。
「今回の一件は、いたしかたありません。機会を待って、事を起こすしかございますまい。それに、親衛隊ごときに殿が掌握する官軍を脅かすことはできないでしょう」
それを聞いた董卓は、
「わかった…新たな親衛隊長の任命の件は、目をつぶるとしよう。だが…」
と、含みを入れ、
「わしに逆らったことは、決して許さん」
目の色を変えた。
「わしの野望を邪魔する者はどうなるか…今に見ておれよ」
そして、持っていた酒杯を握りつぶして、それを辺りに投げ捨てたのであった。