あとがき
しかし、呂布と言う人物は、つくづく破天荒な人生を送った男だと思います。正史では、最初は田舎の太守である養父・丁原に仕え、董卓の誘いに乗って彼を殺すと、今度は董卓を養父と仰いで都仕えを始めています。だが、そこで王允から誘いを受けると、今度は董卓を殺して彼と共に政権を樹立しました。ここまでは、トントン拍子で出世していった彼でしたが、董卓の残党によって政権を簒奪され、都落ちすると、袁術、張楊、袁紹と有力な諸侯を渡り歩いては追い出されるという悲惨な境遇を繰り返すことになります。その後、張邈・陳宮らと手を組んで曹操と血戦を繰り広げ、戦いに敗れると、劉備のもとに身を寄せることになりました。だが、彼は、助けの手を差し伸べてくれた劉備に対しても反旗を翻して本拠地を奪い、ついに一国一城の主となっています。その後、彼は再び曹操と争って敗れ、とうとう縛り首となり、その生涯を終えることになりました。
確かに、その行いは決して肯定できるものではありませんが、当時の無秩序で、盛衰の激しい弱肉強食の時代においては、一君に全うして仕えることは極めて難しく、己の立志と生き抜くための手段として、そうせざるを得なかったようにも思えます。また、そう言った世の中なのですから、普通ならば、コロコロと主君を変える以前に、あっさりと殺される確率の方が高くはないでしょうか。そう考えると、まさに彼は時代に翻弄されたピエロだと言えるのかもしれません。
だが、彼のように、徹底した反骨精神をもってダイナミックに人生を全うした人間は数少ないことでしょう。彼は、天下を乱す害悪な存在だったかもしれませんが、そのたった一人の男が、縦横無尽に暴れまわったことで中国という広大な舞台が動き、新たな時代へと遷移していったようにも感じます。丁原を斬って董卓に仕えなければ、董卓の政権樹立は無かった可能性があるため、それ故に、反董卓連合軍の結成による曹操の台頭が無くなったかもしれません。また、董卓を斬らなければ、彼の悪政が続き、暗黒時代へと突入していった可能性が強いでしょう。さらに、劉備を徐州太守の座から引きずり下ろさなければ、そのまま太守として君臨するでしょうから、徐州攻略を企む曹操の餌食となり、そこで殺されるか、若しくは曹操の忠臣となってしまうことで、三国鼎立の時代がやって来なかったかもしれません。
一人の行動が歴史をも動かし、如何なる閉ざされた道をも切り開くことができる…それを、彼は実証してくれたように思えます。
最後になりましたが、こうして連載を続けることができたのも皆様の温かいご声援があったからだと感じております。
この場を借りしまして、慎んでお礼を申し上げます。
ご愛読をして頂き、ありがとうございました。