第44話
そして、呂布の衣装を身にまとった成廉は、一軍を率いて城外へ出たのだった。
「さあ、俺の首を取りに全軍でかかって来い。曹操…」
彼は、そう発すると、下邳城を取り囲む曹操軍の一角に目掛けて、集中攻撃を開始したのであった。それに対し、
「殿…呂布自らが、我が軍へ攻撃を開始したそうです」
今回の戦で、曹操に同行していた夏侯淵が、部下から受けた報告を、すかさず彼へと伝えてきた。
「なんと、この大軍に対して、自ら討って出てきたのか」
それを聞いた曹操が、眉を吊り上げて大きく見開くと、
「まさか、この包囲網を突破して、逃げ失せようとしているのではありますまいか」
彼の横で控えていた夏侯惇が、少々焦りを感じながら、そう発した。
「ここまで来て、逃してたまるか」
曹操は、激高しながら幕舎を出て、攻撃を受けている味方の陣地を睨んだ。すると、その方角にいた味方の兵士たちが、次から次へとなぎ倒されていく光景を目の当たりにしたのだった。
「いかん…このままだと、本当に突破されてしまう」
夏侯淵が、その光景を見て顔色を変えると、
「ええい…全軍で、呂布を討ち取れ!」
曹操は、すぐに大号令を発した。だが、時はすでに遅く、その場所に配置されていた将兵たちは、無残にも全滅してしまったのだった。そして、
「さあ、このまま、さらに先へ進むぞ。敵の部隊全てを我らに引き付けるのだ」
成廉が、そう大声を発し、自軍をさらに城より遠くへと進ませようとすると、
「絶対に、逃がさん!」
曹操は、執念でその影武者が率いる軍勢に食らいつこうとした。そのため、曹操軍の陣形は、次第に長く連なる線状となり、長蛇の陣へと変化していったのであった。
「かかったな…曹操…」
陳宮は、頃合いを見計らって城門を開けさせ、一軍を率いて曹操軍の後方を狙った。すると、ふいを突かれた曹操軍は、たちまち大混乱を起こしたのだった。
「ぬう…計られた…」
曹操は、慌てて軍団の混乱を収束させようとしたが、大軍だけあって、そう簡単にはいかず、みるみるうちに多くの将兵を失っていった。
「よし…このまま、一気に曹操軍を壊滅させてやる」
成廉は、率いていた軍勢を引き返し、果敢に曹操軍へ突っ込んだ。そして、手当たり次第に敵兵を斬り刻んだため、ついには戦線を離脱する兵士まで現れるに至ったのだった。と、その荒れ狂う状況下で、勇猛果敢な楽進は、
「おのれ…この楽進が相手だ」
彼の姿を見つけるやいなや、決死の覚悟で突っ込んでいった。
「こしゃくな!」
こうして、成廉と楽進は、我が軍に勝利をもたらさんとばかりに意地とプライドを賭けて、激しく打ち合ったのだった。そして、打ち合うこと数十合に及んだが、次第に成廉は疲れ始め、じわりじわりと押されていった…と、その瞬間、
「とうあっ!」
楽進の鋭い突きが、成廉の胸を貫通し、
「がはあっ!」
彼は、断末魔をあげながら落馬して、息絶えてしまったのだった。
「やったぞ…この楽進が呂布を討ち取った!」
その勝利の雄叫びを聞いた曹操軍は、雰囲気を一変させ、活気を取り戻した。そして、呂布軍に対して、果敢に戦い始め、猛反撃してきたのである。そのため、今度は逆に、呂布軍の方が劣勢となっていった。しかし、その中で一人、巨漢の李封は、
「成廉の仇は、俺が討つ!」
怒り狂った鬼のように声を荒げて、楽進に襲いかかろうとした。ところが、
「させるか!」
その殺気立つ修羅に気付いた許褚が、持っていた大槍を振りかざし、それを投げてきたため、無残にも彼は串刺しにされ、大きな音を立てて大地へ倒れたのだった。そして、それをさらなる糧とした曹操軍は、さらに過激さを増して、次々と呂布軍の将兵を殺し尽くしていった。その最中で、昌豨は于禁との激しい斬り合いの末に討たれ、薛蘭は李典に斬り殺されたのであった。
「いかん…」
戦局がひっくり返り、劣勢となったことを悟った陳宮は、すぐさま全軍に引きあげの合図を発した。そのドラの音に、呂布軍の将兵は、続々と城内へと逃げ込み始め、
「三十六計、逃げるにしかずか」
魏越も馬首をひるがえして、城内へ戻ろうと試みた。しかし、それを見た夏侯淵が、
「そう簡単には、逃がさんぞ!」
躊躇することなく矢をつがえて、彼を狙撃したのであった。
「ごあ…」
喉を鋭く貫かれた魏越は、おびただしい血を吐き、
(ここで、俺は死ぬのか…)
瞬く間に全身の力が抜けていった。だが、
(だが、ただでは死なん…今こそ、虎紳を見習う時…)
無我夢中で馬首をひるがえし、捨て身の攻撃を仕掛けようと敵陣へ突撃したのだった。それを見て、
「ええい、射殺せ!」
夏候淵が、部下たちに矢を放たせると、たちまち彼はハリネズミのようになった…だが、それでも彼は、怯むことはなかった。すると、
「この死にぞこないが!」
夏候淵の愛弟子の一人で、秦宜の弟に当たる秦禄が大いにいきり立ち、死にもの狂いで向かってくる魏越へ襲いかかっていったのだった。
「遠慮なく、我が兄の仇を取らせてもらうぜ」
秦禄は、そう叫んで一太刀を魏越に食らわせようとした。ところが、彼は意識が朦朧とする刹那で、それをさっと交わすと、最期の力を振り絞って一撃を放った。その人知を超えた攻撃を交わすことができなかった秦禄は、勢いよく首を飛ばされ、帰らぬ人と化したのであった。
(これで一矢を報いることは、できたな…)
魏越は心の中で、そう言葉を残すと、馬から転げ落ちて絶命した。
「死兵となって、我が高弟を斬るとは…敵ながら、恐れ入った…」
大地に転がるハリネズミの死骸を見て、夏候淵は大きくため息を漏らしたのだった。
「このチャンスを逃すな。一気に城を攻め落とせ」
曹操は、そう大声を張り上げて、攻城戦への合図を発動した。
「曹操軍が押し寄せて来たぞ…矢を放て!」
「敵をこの城の中へ入れるな…皆殺しにしろ!」
城門の上で構えていた張遼と臧覇は、射撃隊に合図を送り、追撃してきた曹操軍に対して、矢の雨を浴びせた。すると、追いかけてきた曹操軍はたちまち蜂の巣状態となった。だが、そんな中、
「味方の屍を乗り超えてでも、城内へ潜り込むんだ…武功を立てて、褒美を我が物とするのだ!」
修羅鬼と化した曹操軍の兵士たちは、逃げる呂布軍へ必死に喰らいついていったのであった。
「こんな敵味方入り乱れた状態では、そっくりそのまま曹操軍まで城内へ入れてしまうことになる…そうなれば、この下邳城は落とされてしまう」
敗走する味方に混じりながら呂香姫は、そう危惧した。
「もはや我が最大の奥義・百華酔香の術しかあるまい…だが…」
と、その昔、師匠である玄光老仙に言われたことが脳裏をかすめ、ためらいの心が生じた…
(香姫よ…百華酔香の術は、我が仙術の中でも最大の秘術じゃが、桁外れの威力を誇るため、生体エネルギーを著しく消費する諸刃の剣であることを忘れてはならんぞ…生涯において三度使えば、自身の肉体が塵と化すことを心得ておけ…)
その蘇ってきた話に、
「ここで使えば、生涯において三度目…」
彼女は、生唾を飲み、
「脱獄の際に放った時、全身に大きな痛みが走り、そのダメージを肌身で感じている…今度は間違いなく、この世から私の存在が消し飛ぶであろう…」
ゆっくりと目を閉じたが、次の瞬間、呂布の顔が思い浮かんだ。
「義兄上…」
彼女は、涙を浮かべながらうわ言のように呟くと、
「この世でもっとも尊敬できる人が…最愛の人が…あの城の中にいる…私は、そのかけがえのない人を守りたい…」
かっと見開き、馬首を返して迫りくる曹操軍に向き直った。そして、
「義兄上様、ついにお別れの時が来ました…先立つ不孝をお許しください…」
右手の人差し指を天高く突き上げると、
「花たちよ…美しく咲き、儚く散るのです。私と共に…」
殺伐とした修羅場が、一瞬にして百花繚乱となり、その場に甘酸っぱい香りが、これでもかと言わんばかりに立ち込めた。すると、味方に混じって城門を目指していた敵兵たちは、ことごとく強烈な睡魔に襲われ、次々と倒れていったのだった。
「これで、我が軍は皆、無事に城へ戻れるであろう」
それを見届けながら呂香姫は、穏やかな表情で微笑み、
「さよなら…」
一滴の涙をこぼすと塵となって、その存在を消滅させたのであった。と、そこへ、
「くっ…先頭にいた者が、全て眠らされるとは…」
曹操が、残りの兵士たちを引き連れて駆けつけると、
「ぼやぼやするな、貴様ら…何が何でも城門を突破しろ!」
怒鳴り散らして、彼らを突撃させた。だが、時は既に遅く、
「よし…味方は、すべて帰還したな。すぐに、門を閉めろ」
臧覇の号令を受けた門番たちは、敵を中へ入れさせまいと、重く大きな城門の扉を必死になって閉めたのだった。
「ちっ…閉められたか。ここは、一度仕切りなおした方が良さそうだな」
曹操が、冷静に判断し、自軍に合図して兵を引きあげさせると、
「あと一歩というところで…まことに残念…」
陳宮は、城門の前で歯ぎしりをしたのであった。
その後、影武者の首を携えた楽進は、意気揚々と曹操のもとへ赴き、
「呂布の首をお持ち致しました」
「うむ…でかしたぞ。さすが、我が勇士だ」
お褒めの言葉を受けながら、それを彼の目の前に置いた。
「殿…存分に、ご確認くだされ」
「とりあえず、呂布がいなくなれば、しめたものだ。どれどれ…」
曹操は、そう言いながら、その首を確認した。しかし、それが呂布でないことを瞬時に見抜くと、
「むう…似ているが、これは呂布ではないぞ」
「えっ…」
それを聞いた楽進は、一気に色を失った。だが、曹操は、すぐに気持ちを切り替えて、
「まあ、良い…そちのおかげで、我が軍は壊滅を逃れたのだ。大義であった…」
彼をフォローしたのだった。
「しかし、影武者だったとは」
曹操は、その首をじっと眺めながら、心の中で何かが引っかかった。
「何故にわざわざ影武者などを使った。呂布自身が出てくれば、我が軍を完全に壊滅できたろうに…」
と、そこまで口にした時、ふいに彼の脳裏に何かがよぎり、
「もしや…呂布は、怪我か病かで、戦場に出られない状況となっているのではなかろうか」
思わずはっとした。その時、彼の目の前に、埋伏の毒となって、スパイ活動をしていた剣客の一人が、姿を現したのだった。
「殿…任務より、戻って参りました」
候成は、そう発すると、すぐに彼へ一礼した。
「おお…ちょうど良いところに、帰ってきたな」
曹操は、候成の姿を見るやいなや、
「一つ聞きたいのだが、呂布の身に何か変化はあったか?」
すぐに問いかけた。すると、彼は口角を上げて、こう述べた。
「さすがに、お察しがいいですね。実は、彼は目の病気を発し、まもなく失明する状態にあるようです。現段階でも、相当不自由になっている様子にございます」
「やはり、そうだったのか」
その報告を受けた曹操は、目を光らせてニヤリと笑った。と、その時、部下から報告を受けた夏侯淵が、おもむろに声を発した。
「殿…たった今、劉備どのが到着されたそうです」
「おお、やっと来たか…すぐに、ここへ連れて参れ」
彼は、すぐに部下へ命じて、劉備を幕舎へと導いたのだった。
「曹操どの…仰せのとおり、袁術を成敗して参りました」
別働隊として、領内に侵入してきた袁術軍を討伐した劉備は、関羽と張飛を従え、多数の兵士たちを引き連れて合流したのであった。
「おお、劉備どの…賊軍の討伐の件、大変ご苦労であった」
曹操が、彼をねぎらうと、
「お疲れのところ申し訳ないが、もうひと働きして欲しいと思う。期待しておるから、がんばってくれよ」
「はっ…有難き、お言葉…」
劉備は、深々と頭を下げた。
「ふっふっふ…これで、我が軍の勝利は決まったようなものだ」
こうして、曹操は、下邳城の総攻撃を決断したのであった。
そして、明朝…
曹操軍の怒涛の攻撃が始まった…
「皆の者、怯むな…呂布は、もはや戦闘不能の身だ。恐れるものは、何もないぞ」
曹操は、城壁の上から降り注ぐ矢の雨の中、味方に対して大声で激を飛ばしたのだった。
「殿…おかげんは、よろしいですか…」
この死闘の最中、高順は呂布の寝室にて、彼の病状を伺っていた。
「うむ…どうやら完全に見えなくなってしまったようだ」
呂布が、目を閉じたまま、そう話すと、
「無念でございます」
高順は、大いに嘆いた。
「案ずることはない…それよりも、今朝はやけに騒々しいな。ついに、曹操軍の総攻撃が始まったのか?」
呂布の問いかけに彼は、
「はい。しかしながら、我が軍とて負けてはいられませぬ。それがしも、今から城の守りへ参ろうと思っております」
心を落ち着けながら答えたが、
「わかった…ならば、俺もその戦場に連れて行ってくれ」
それを聞いて、ふいに血相を変えた。
「それはなりませぬ。殿は、ここで療養してくださいませ」
「皆が一生懸命戦っているのに、俺だけが病床に臥せっているわけにはいかん」
その心意気に、高順は強く心を打たれると、少し考えてから、
「ならば、大広間にて玉座より、戦局の動向を伺いながら、ご指示をお出しくだされ。殿は、我が軍の軍神…その存在こそが、我が軍を大いに奮い立たせるでしょう」
そう話した。
「わかった…では、大広間まで連れて行ってくれ」
こうして、呂布は高順に誘導してもらいながら、大広間へ向かったのであった。
「さあ、大広間に着きましたぞ」
高順は、そう言って、呂布を玉座に座らせた。
「ありがとう。高順…」
「では、拙者は戦場へ向かいます」
彼が一礼して、玉座から離れようとした時、おもむろに呂布が、彼にこう話しかけてきたのだった。
「しかし、俺たちは…今まで、たくさんの修羅場をくぐり抜けてきたものだな…」
呂布の言葉に、高順はピタリと立ち止まり、彼に振り返った。
「俺みたいな武芸しか能のない大馬鹿野郎に、お前は最後の最後まで付き従ってくれた。お前には、本当に世話になったと思っている。心から感謝するぞ」
「急に何を言われますか」
高順は、急に目頭が熱くなった。
「拙者こそ、殿にお礼を言わなければなりません。こんな充実した人生を送れたのは、殿のおかげですから…」
彼は、穏やかな顔をして感謝の意を述べると、
「殿と一緒に人生を歩むことができ、感無量にございます。本当に、本当にありがとうございました」
再び一礼し、表情を引き締めた。そして、
「それでは、ごめん!」
そう言い放つと、覚悟を腹の中に仕舞い込み、勢いよく大広間から走り去ったのだった。
その頃、曹操軍は、城門を打ち破ろうと、幾度となく丸太攻撃を繰り返していた。
「ええい…次の丸太は、まだ用意できぬか」
曹操が、少し苛立ちながら、丸太の催促をすると、
「殿…たった今、次の丸太の準備が整いましたぞ」
大きな丸太を綱でくくり付けた騎馬兵たちが、土煙を上げながらやって来る姿を見て、夏侯惇は、そう吠えた。
「かかれ!」
曹操の怒号のもと、丸太部隊は怒涛の如く、城門へ突撃した。そして、度重なる攻撃によって変形した城門に、渾身の一撃をぶつけたのだった。すると、その大きな丸太はそれを貫いて、ついに破壊してしまったのであった。
「城門が開いたぞ…全軍、突撃だ!」
夏侯惇は、そう大声を発しながら、先陣を切って城内へ突入した。と、そこへ、高順が目の前に立ちはだかったのであった。
「これより先へは、通させん!」
「おお…お主は、我が左目を奪った高順…ならば、まずはお前から血祭にあげてくれる」
こうして、高順と夏侯惇の一騎打ちが始まった。
「うりゃあ!」
「せいや!」
高順と夏侯惇の打ち合いは数百合に達し、まさに死闘であった。
「お前ほどの豪傑…我が殿に仕えれば、さらなる功績が望めたであろう」
「ぬかせ…そっくりそのまま、その妄言を返させてもらうぞ」
敵将の言動にもろともせず、彼はこれぞと言わんばかりに鋭い攻撃を、容赦なく繰り出していった。しかし、左目を奪われた夏侯惇の気迫が彼を上回り、とうとう高順は強敵の突きを、深く腹に食らってしまったのだった。
「ぐ、ぐふっ…」
彼は、血がしたたり落ちる腹を押さえながらよろめいた。
(俺もここまでか…)
その瞬間、呂布と共に歩んで来た長き道のりが、彼の目の前で走馬灯のように駆け巡っていった。
(丁原様亡き後、良し悪しを問わず、殿と共に途方もない旅を歩んだものだ…もはや、思い残すことは微塵もない…)
すると、高順は目の前の敵将に対して不敵な笑みで返し、堂々と居直って見せた。そして、
「殿…先に地獄へ行って、待っておりますぞ…」
そう言い残すと、夏侯惇の止めの一撃を食らい、絶命したのだった。
「かつて、これほどまでの漢を見たことはない…」
一寸も満たない差によって勝利の女神に導かれた彼は、大きく息を切らしながら、その亡骸に目をを移した。すると、その目に映った光景に、思わず共すべき感情が芽生えた。何故なら、高順の死に顔からは、苦しみや悲しみの表情が全くなかったからだ…命果てるまで、最後まで戦い抜いた彼が、自身の人生に悔いはないと言わんばかりに、満足そうな顔をしていたからだ…
「高順と言ったな。惜しい漢をなくした…」
夏侯惇は、そう言って目を閉じ、静かに一礼した。