第39話
その翌日…
沛城より、王楷が停戦の使者として、袁術軍の陣営に向かったのだった。
「この期におよんでは、お主らも一度引き揚げてから、再起を計った方が得策だと思われますが…如何かな?」
彼の話を聞いて、紀霊は大きく唸り、
「むむ…ここまできて停戦とは…しかし、例え沛を取ったとしても、我が軍の3倍以上の兵力を持つ曹操軍が攻めてくれば、ひとたまりもない」
無念の思いで、その要求を飲むと、早々に本国へ退却したのであった。
王楷の報告を受けた郝萌たちは、再び軍議を開いて、対曹操軍の作戦を話し合うことにしたのだった。
「あとは、曹操軍だな。大軍ゆえ、城を盾にして攻撃を防ぐべきか」
苦悩の表情を浮かべながら、郝萌がそう発した時、張遼は真剣な眼差しで、こう述べた。
「この城では、あの大軍を防ぎきれますまい。ゆえに、拙者と臧覇で曹操軍に夜襲をかけようと思うだが…」
彼の意見を聞いた郝萌は、
「死ぬ気か。貴殿たち」
「我が軍のためならば、死など恐れぬ」
目を細めながら、小さく頷いた。
「わかった…貴殿たちの無事と健闘を祈るぞ」
こうして、張遼と臧覇の軍勢は、夜陰にまぎれて城外へ出ていったのであった。
一方、曹操軍は、沛城近辺の木の生い茂る丘に、身を潜めるかのように陣営をはっていた。そして、今回の沛攻略軍の総大将・曹仁は、幕舎にて曹洪ら諸将を招いて酒を酌み交わしていたのであった。
「しかし、我が従兄(曹操)はたいしたものだ。袁術がこのまま引き下がらず、徐州攻略に乗り出すことを、見事に的中させたのだからな」
曹洪は、そう言って、大きく笑った。
「ふっふっふ…両軍とも大いに潰し合うがいい…その方が、我らにどんどん有利に働くからな」
曹仁が続けて、そう発した時、ふいに陣中が騒がしくなった。
「何事だ」
幕舎に駆けつけてきた兵士に尋ねると、曹仁は自軍の陣営が敵によって襲撃されたことを知って、激高したのだった。
「うぬぬ…こしゃくな」
彼は、そう言って、きっと諸将を睨んだ。
「皆の者…一人残らず、敵を殲滅させるぞ」
こうして、曹仁の号令を受けた諸将は、一斉に幕舎を飛び出したのであった。
「火矢だ…もっと火矢を浴びせて焼き払ってしまえ」
張遼は、大声を張り上げて弓矢隊を叱咤した。そして、容赦無く曹操軍の陣営に火矢を放ち、次から次へと幕舎を焼き払っていった。
「皆の者…突撃だ!」
頃合いを見計らっていた臧覇はそう声を張り上げ、曹操軍へ突撃を開始したのだった。この不意打ちに、曹操軍の兵士たちは混乱を起こし、燃え盛る業火の中で右往左往と逃げ惑ったのであった。
「ええい、うろたえるな。敵を目の前にして、みっとも無い真似をするな」
曹操軍の諸将の一人である劉岱は、兵士たちに向かって怒声を発した。すると、それを聞いた臧覇は、劉岱に対して、こう挑発した。
「そこの将よ。ならば、貴様がかかってきな」
「下衆が…なめるな!」
劉岱は、そう言い放って大刀を大きく振りかぶり、臧覇に襲いかかっていった。
「甘いな…」
それに対して、臧覇は、そう呟くやいなや劉岱を真っ二つに斬っておとしたのであった。一方、張遼の方でも曹操軍の将・王忠と出くわし、因縁を付けられていた。
「俺に喧嘩を売るなんざ、百年早いぜ」
「言わせておけば、この田舎侍が!」
王忠は、そうタンカを切って果敢に襲いかかったが、容易に返り討ちを食らい、冷たい肉片と化していったのだった。
「おのれ…わしが、相手をしてやる」
「かかって来い…この山賊くずれが」
味方の二将を斬られて激怒した曹仁と曹洪は、殺気を発しながら張遼と臧覇に襲いかかった。
「相手にとって不足はない」
「良将なり…勝負だ!」
こうして、曹仁と張遼、曹洪と臧覇の一騎打ちが始まり、激しい打ち合いを繰り広げたのだった。しかし、数の上では圧倒的に多い曹操軍は、次第に混乱を収束させて規律を取り戻し、奇襲を仕掛けてきた敵に対して、猛反撃を始めたのであった。
「くう、兵力に差がありすぎる」
「もはやここまでか…」
そして、決死の覚悟で臨んだ奇襲部隊は、周囲の炎に呑み込まれるかのように壊滅したのだった。だが、この奇襲攻撃によって、曹操軍は多くの将兵を失うばかりか、兵糧を焼き尽くされてしまったため、曹仁は一か八かの大勝負に出なければならなくなったのであった。
その夜、徐州城にて呂香姫は、ふと目を覚ました。そして、呼吸を乱しながら、
「あの日以来、毎日の如く我が身を重く感じる…」
そう呟いた。許昌での脱獄劇にて追手を巻くため、花の香気を吸わせて深い眠りに誘う仙術・百華酔香の術を唱えてからと言うもの、彼女は慢性的な倦怠感と疼痛に悩まされ続けていたのだった。
「百華酔香の術を、甘く見過ぎていたわ。やはり、師匠のおっしゃる通り、肉体への負担は尋常では無い…」
彼女は、そう口にして乱れた呼吸を整えると、静かに視線を窓の外へ向けた。そして、
「今宵は、なんとも綺麗な星空ね」
満天の星空に見とれると、静かに窓の方へ歩み寄った。すると、そこから見える美しい光景の中に、あるものを見つけたのであった。
「夜空に、義勇の志士たちの宿星が輝いている」
彼女は、そうこぼすと、子どもの頃に教わった玄光老仙の言葉をふいに思い出した…
「香姫よ…あそこに浮かぶ星たちは、国家の難を救おうと立ち上がった義勇の志士たちを示している。あの星たちが輝いている限り、この国は決して滅びることはないであろう」
玄光老仙が指を差して、そう話すと、
「師匠よ…身寄りのない私にとって、国難を救う志士の出現は望むところ…その者たちについて、もっと詳しくお聞きかせくださいませ」
それに興味を抱いた呂香姫は、大きな黒眼を輝かせながら問い返した。
「うむ。我が星占術では、こう出ている…あの星たちの中央にて雄々しく輝く星こそ、彼らを束ねる比類なき豪傑であると…名は、呂布、字を奉先と申す」
「呂布…奉先…」
その名を聞くと、少女は、無意識に小さく復唱した。そして、
「そして、その横で輝く星は、彼を補佐し、この集団の頭脳を司る知謀の士じゃ…名は、陳宮、字は公台。さらに、その周囲を取り囲む8つの星たちが、集団の要となる八建の将たちとなる…その8人の名は、高順、張遼、臧覇、郝萌、成廉、魏越、薛蘭、李封である」
話が終わると、
「とても頼もしゅう感じますわ。是非一度、彼らに会ってみたいですね」
満足そうにニコリと微笑んだ。だが、
「彼らと接触することは、まかりならん…それは、我らが世俗を捨てた隠者の身であるがゆえの掟と思え」
仙人は、そう言って厳しい眼差しを向けた。すると、幼い彼女は、すぐにぷんぷんと怒り出し、公然と抗議を始めたのだった。それ聞きながら、
(この娘は、わしが死んだ後、彼らの一員となることだろう…)
彼は、再び視線を義勇の志士たちに向けた。そして、
(彼らの周囲には、さらに多くの協力者たちの星が鏤められている…その中に、香姫の宿星も混じっておるからのう…)
悲しい顔をしたが、
(じゃが…それが、この娘の意思であるならば、むしろ応援してあげるべきかもしれん…)
と、言い聞かせて静かに頷くと、
「ちょっと、聞いているのですか…お師匠様!」
視線を少女に戻し、
「まあ、そう怖い顔をするな。まだ、お前は幼いのだから、そんなに急くことは無い…もっと大きくなった時に、自らの意思で、その答えを出してみなさい」
顔を真っ赤に染めながら、必死に訴えてくる彼女を暖かい目で見つめたのであった…
「お師匠様…私は、この星たちと共に大義を尽くさんと、懸命にがんばっております。どうか、お許しください」
懐かしき思い出から戻ってきた呂香姫は、そう口にすると、再び焦点を宿星たちに合わせ、じっと目を凝らした。
「義勇の志士たちの輝きに、全く衰えはない…如何に、曹操軍が強大であろうと、我らの大義は、そう簡単には潰えぬ。だから、もっと精進しなければ…」
と、そう自分に言い聞かせた刹那、八建の将たちの星の一つが、キラリと大きな輝きを見せた。そして、
「えっ…」
彼女が、そう小さくこぼすやいなや、それは流れ星となって地平線の向こうへと消えていったのであった。すると、彼女は、途端に顔を青白くさせ、
「あの星は、郝萌様の宿星…」
口に手を当てながら息を飲み、
「そんな…」
体を震わせた。それは、志ある者たちで結束し、栄光を築き上げた呂布軍団の終焉が訪れたことを暗示させるものであったからだった…
そして、次の日…
曹操軍による沛城への総攻撃が始まった。
「決して、張遼たちのがんばりを無駄にしてはならん…最後の最後まで戦いぬくぞ」
郝萌は、城門の上に立って、そう大声を発した。そして、弓矢隊を叱咤して、おびただしい矢を向かってくる曹操軍へ撃ちこんだのであった。すると、その攻撃に曹操軍の兵士たちは、思わず立ち往生したのだった。
「前へ進め…さがる者は、この俺が許さん」
曹仁は、そう声を張り上げて、兵士たちに捨て身の攻撃をするよう命じた。なぜなら、この城を奪わない限り、彼らは食事にありつけないからだ。だが、その無謀な命令に対して、部下の王垕は大声をあげて訴えてきた。
「いくらなんでも無茶です。このままでは、城を落とす前に全滅してしまいます」
「この臆病者め!」
曹仁は、そう言い放つと、問答無用と言わんばかりに、王垕の首を跳ね飛ばした。
「もはや我らが生き残るためには、この城を落とす以外にない。それができなければ、死以外にないと思え」
そう断言をすると、彼は、悪鬼のような顔をして兵士たちを睨みつけた。すると、兵士たちは、自らの思考回路を止め、腹をくくったかのように前進を始めたのであった。
「沛の攻略は、徐州平定のための布石…我が軍の繁栄のために、死力を尽くせ」
曹仁は、そう言い放つと、城門の破壊を目的とした丸太部隊に合図を送った。
「かかれ!」
曹洪の号令のもと、縄でくくりつけられた丸太を携えた二組の騎馬兵らが、城門に向かって突進し、その丸太を城門へぶつけた。
「さあ、どんどんお見舞いしてやれ」
こうして、矢の雨の中、曹操軍の丸太が次から次へと城門を攻撃していった。すると、城門は、徐々に変形し始めたのだった。
「城門を攻撃する丸太部隊を狙って、攻撃しろ」
郝萌は、そう指示を発して、丸太を持った騎馬兵たちを射殺していった。
「丸太部隊を援護しろ。手薄なところから、城壁をよじ登れ」
曹仁がそう発すると、曹操軍の兵士たちは矢の攻撃にも怯まず、城壁を登り始めたのだった。
「打ち落とせ。城に一歩も近づけるな」
こうして、郝萌は、残った少ない兵を必死に駆使して、城を守り抜こうとした。しかし、圧倒的な数を誇る曹操軍の前に、その努力は報われることはなかった。それは、曹操軍の丸太部隊の執念に近い攻撃によって、城門を破壊されたからである。
「曹仁…ついに、城門が開いたぞ」
「よし…一気に、城内へ侵入しろ」
曹仁の号令を受けた曹操軍は、雪崩のごとく城の中へと侵入し、次から次へと城兵を斬り刻んでいった。その最中で、王楷は蔡陽と名乗る武将の槍の餌食となり、曹性は車冑に斬られ、許汜は呂虔に討ち取られたのだった。
「殿…申し訳ございません…」
郝萌は、そう言うと、自らの首をかき斬って城門の上から飛び降り、全身の骨を粉々に砕いたのであった。
その頃、呂布は、曹操軍も大軍を率いて沛城に向かっている情報を手にしたため、自ら兵を率いて現地へ向かっていた。すると、目の前から矢傷を負った二人の武者が、必死に馬を走らせて近づいてきたのであった。
「あれは、張遼に臧覇ではないか」
呂布は、急いで彼らを迎えると、
「恥をしのんで、戦局の報告に参りました」
臧覇は、大粒の涙を流した。
「無念でございます…曹操軍によって沛城は落ち、郝萌は自決し、諸将らは討ち死にしてしまいました」
「なんと、郝萌らが…一足遅かったか…」
その報告を聞いた呂布は、無念の表情を浮かべて、天を仰いだのだった。