第38話
張飛が劉備と再会を果たしてから、数日が経ったある日のこと…
「徐州より劉備を追い出すことはできたが、呂布と陳宮は残ってしまったようだな」
曹操は、悲願である徐州攻略に向けて、荀彧に話を持ちかけたのであった。
「はい。情報によれば、徐州の旧臣たちの後押しもあって、呂布が新しい太守になったようです」
「まあ、よい…劉備と呂布の協力体制が崩れ、呂布一人となったのであれば、駆虎呑狼の計も実施した甲斐があったと言うものだな」
曹操は、そう言うと、高らかに笑った。
「多少の計算違いはありましたが、徐州攻略へ一歩近づいたと思われます」
荀彧が、そう含みのある言動をすると、
「ほう…それは、まだ徐州攻略を始めるには、早いと言いたいのか」
彼はすぐに反応した。
「今回の一件で、短気な袁術は黙っておりますまい。必ずや復讐心と野心を剥き出しにして、徐州の制圧を企むことでしょう。それを利用して、彼らに潰し合いをさせ、弱ったところを我が軍が介入してはどうかと考えます」
「ふむ…なるほど」
曹操は、ニヤリと笑った。
「荀彧よ…お主の狙いは、始めから呂布だけでなく袁術も入っておったのだな」
「我々の真の大敵は北方の雄・袁紹でございます。呂布や袁術ごときお山の大将に時間を割いている暇はありませぬ」
それを聞いて彼は、小さく頷き、
「そうであったな…ならば、早急に要所へ密偵を張り巡らせ、機を見て動けるよう体制を整えておくとしよう」
あご鬚をなでた。
「しかし、呂布は天下に鳴り響く豪傑…そう容易く倒すことはできないと思われます。ゆえに、打てる手はすべて打っておく必要があります」
「ほう…どんな手がある?」
その問いかけに対して、荀彧はこう述べた。
「徐州には、陳登と言う異端児がおります。以前は、劉備の参謀を務めておりましたが、呂布が太守となって徐州の旧臣たちを重用し始めてからは、政治の舞台から疎遠となっております。内心は、面白くないことでしょう」
「なるほど…その陳登に内応させるよう仕向けるのだな」
「御意にございます…我らが攻め入った際に陳登が城の守将となるよう巧みに根回し、呂布たちが城を出て戦っている時に、それを乗っ取るよう密約を交わしてはどうかと考えております」
「面白い…すぐに手配いたせ」
曹操が、そう言うと、荀彧はそれを制して、さらに話を続けたのだった。
「殿…実は、もう一手打ちたいと考えております」
「それは、どのようなものだ」
「埋伏の毒を仕掛けたいと思います」
それを聞いた曹操は、眉をひそめた。
「呂布軍内に我が配下を忍ばせて、諜報活動をさせ、隙をついて奴の寝首をかこうと言うのだな」
「さすが、お察しがよろしいですね」
「一体、誰を忍ばせようと考えておるのだ?」
曹操がそう聞くと、荀彧は彼の耳元でスパイとなる者の名をあげた。
「なるほど…我が軍中において無名であるが、腕は相当たつ者だ。うまくいきそうだな」
彼は、そう言って、低く笑ったのだった。
それから間もなくして、呂布のもとに3人の剣客が現れたのだった。
「ほう…3人の剣客が、我が軍に士官を求めて参っただと?」
呂布は、それを聞いて大いに喜び、
「よし、すぐに会おう」
客間で待たせている3人の剣客と面会した。
「お主たちか…我が軍の士官を希望する者たちは」
呂布の言葉を受けて、
「はい。呂布様の武勇に憧れて、馳せ参じました。どうか、末席に加えて頂きたく存じます」
剣客の一人は、そう言って深く頭を下げた。
「名をなんと申す?」
呂布の問いかけに、3人の剣客たちは一人ずつ声をあげ、
「それがしは、候成と申します」
「俺は、魏続と申します」
「拙者は、宋憲と申します」
それを聞いた彼は、穏やかな顔をして笑った。
「わかった…では、我が軍中にて、しっかり働いてくれ。期待しておるぞ」
「ありがたき幸せ…」
こうして、候成、魏続、宋憲と名乗る3人の剣客が、新たに呂布軍へ加わったのであった。
その頃、寿春に本拠地をおく袁術は、呂布軍への雪辱戦を企てていた。ちなみに寿春は、徐州より南方に位置する土地で古来より南北交通の要衝として栄え、北には淮河が流れ、南には大別山脈が連なる場所である。
「紀霊よ…徐州軍は、昔からのよしみを無視して、我が領内へ攻め込んできた卑劣極まりない者たちだ。向こうに野心があるのであれば、我が軍も対抗して、あべこべに乗っ取るべきだと思うが、お前はどう思う」
袁術の話を聞いた紀霊は、大きく頷き、
「ごもっともでございます。先の戦いでは、とっさの判断で奴らの本拠地を急襲しようと無理したため、敗北を喫しました。だが、確実に順を追って攻略するのであれば、我が軍が徐州軍に負けるはずはございません。徐州攻略を実施するべきでしょう」
そう答えると、表情を引き締めた。
「よし…余の腹は決まった。雪辱戦も兼ねて徐州攻略を決行しよう」
と、袁術が話を締めくくった時、ふいに孫策と名乗る若武者が、その場に割って入ってきた。彼は、孫堅の長男で、彼が急死した後、袁術を頼って客将となっていたのだった。ちなみに、彼は、後に呉を建国する孫権の兄であり、その礎を築く人物である。
「袁術様…今度の徐州攻略戦は、それがしにお命じくだされ。見事に呂布の首級をあげてみせましょう」
それを聞いて、袁術は、
「おお…なんと心強い。さすが、名将・孫堅の息子じゃ」
笑顔を見せた。
「じゃが、今回は、総大将を紀霊とする。お主は、副将として、彼を補佐していただきたい」
「承知しました。活躍の場をいただき、感謝します」
孫策は、そう言って、深くお辞儀したのだった。
そして、数日後…
袁術軍は総大将を紀霊、副将を孫策として、徐州攻略に向けて出兵したのであった。
「孫策よ…今回は、まず奴らの出城となる沛城を攻略する。と、言うのも、最初から全兵力を動かすと多大な戦費が必要になるからだ。そこで、まずは敵の本拠地への攻撃の足固めをするため、徐州と沛国で兵が分散している隙をつき、少数の兵にて出城を奪う算段だ。その上で、寿春より増援部隊を呼び、満を持して徐州を攻略する…よろしいかな?」
紀霊は、成人したばかりの孫策に対して、丁寧に説明した。
「確かにおっしゃる通りですが、あまり時間をかけ過ぎては、また曹操軍に横槍を入れられるハメにはなりますまいか」
それを聞いた孫策が、おもむろに意見すると、
「沛城さえ落としてしまえば、我らはそこで守りを固めて、増援部隊との挟撃で曹操軍を殲滅することはできる…余計な心配をするな」
紀霊は、そう言って、大きく笑った。
「曹操は臨機応変の利く機敏な漢と聞く…沛を落とす前にやって来なければよいが…」
孫策は、思わず天を仰いだ。そして、一抹の不安を感じながらも、年の離れた大先輩の指示に従うことにしたのだった。
一方、沛城では古参の猛者である郝萌が守りを固めていた。袁術軍が領内へ攻め込んでくる情報を入手した彼は、援軍を要請するため、すぐに部下の王楷を本拠地である徐州へ遣わしたのであった。
「紀霊に孫策か…兵力は少ないとは言え、決して侮れない相手だ」
郝萌は、そう焦りを感じながら、大広間にて諸将たちと軍議を開いていた。と、その時、徐州へ使者として出向いていた王楷が急いで戻ってきたのであった。
「郝萌様…たった今、徐州より戻りました。あと少しで、張遼様と臧覇様が率いる援軍が駆けつけます」
「そうか…これで、なんとかなりそうだな」
その報告を聞いた郝萌は、静かに頷いた。すると、軍議に参加していた曹豹の息子の曹性と許耽の息子の許汜が、おもむろに声をあげた。
「郝萌様…我ら二名も汚された家名を拭うべく、全身全霊を尽くして、この城を死守致したく思います。我らの忠節と働きを、とくとご覧くだされ」
彼らは、裏切り行為を働いた父たちの汚名を晴らそうと、そう固く決意を示したのであった。それを聞いて、
「うむ。期待しているぞ」
郝萌は、その心強い仲間の声に、再び小さく頷いた。
「皆の者…援軍が来るまで、しっかりと守りを固めるぞ」
こうして、彼らは、袁術軍と臨戦体制に入ったのであった。
そして、沛城に到着した袁術軍は、すぐさま攻城戦を開始してきたのだった。
「ありったけの矢をお見舞いしてやれ」
城門の上で仁王立ちする郝萌の号令を受け、沛軍は一斉に城壁から矢を放った。その容赦ない攻撃に袁術軍は、次から次へと矢の餌食となっていった。
「怯むな。一気に攻め落とせ」
紀霊は大声をあげて、自軍を奮い立たせた。と、その時、彼のもとに斥候が現れ、良からぬことを報告したのだった。
「何っ…徐州より援軍がこちらに向かっているだと」
紀霊は、きっと徐州の方角を見た。すると、その方角から徐々に砂煙が大きく舞い上がってきたのであった。
「よし、間に合った。我が領土を侵す不逞な輩に鉄拳をお見舞いしてやるぜ」
「さあ、この勢いに乗って突撃だ」
張遼と臧覇の援軍は、ためらうことなく袁術軍へ突っ込んでいった。そして、彼らは大いに暴れまわって、袁術軍を引っ掻き回したのであった。
「おのれ…誰か、俺と勝負しろ」
孫策は、両軍の激しい白兵戦の中を単騎で駆けながら、大声を発した。
「威勢のいい小僧だ。俺が相手になってやる」
張遼は、そう言って、彼をめがけて馬を走らせていった。すると、彼は、父親ゆずりの二刀流の構えを取って応戦してきた。
「我が名は、孫堅の子・孫策…孫家代々に伝わる二刀流の舞いをとくと味わえ」
「相手にとって不足はない」
張遼は、孫策に近づくやいなや鋭い突きを食らわせた。だが、
「なんのこれしき!」
彼は、刀をクロスさせて、その攻撃を難なく受け止めた。そして、その攻撃を払いのけると同時に、片方の刀で反撃した。
「おっと…」
張遼は、払いのけられた大刀を手前に引いて、その攻撃を受け止めた…と、その瞬間、
「うりゃあ!」
「うっ…」
孫策のもう片方の刀が襲いかかったのであった。だが、彼は巧みにその連続攻撃を払い除けると、
「これが、孫家二刀流の演舞か…恐れ入ったぜ」
冷や汗をかきながらも不敵に笑みを見せた。こうして、張遼と孫策の一騎打ちは、次第に激しさを増していったのであった。
その頃、臧覇はさらに深く戦場の中へ斬り込み、紀霊と死闘を繰り広げていた。
「さすが、袁術軍きっての猛将・紀霊だ…だが、お前の命運もここまでと思え」
「ぬかせ…山賊の大将ごときに遅れを取る俺だと思うなよ」
二人の勝負は熾烈を極め、共に一歩も引くことは無かった。と、そのさまを見て、勇気づけられた郝萌は、全身に血をたぎらせて、
「皆の者…我が援軍のがんばりを無駄にするな。我らも城を出て、大暴れしてやるぞ」
そう言い放つと、城門を開けさせて、自ら先陣を切って斬り込んでいったのだった。すると、
「むう…そこにいるのは、敵将・郝萌…この陳蘭が相手だ」
「抜け駆けはさせんぞ…この雷博が首級をあげてやる」
袁術軍の武将である陳蘭と雷博は、一斉に彼へ襲いかかった。だが、
「しゃらくさい。まとめて相手してやる」
彼は、そう言うと、二人の敵将を相手に互角の戦いを演じたのだった。
「拙者たちも、存分に暴れさせてもらうぞ」
曹性と許汜も、彼に続けと言わんばかりに、次々と将兵を討ち取っていった。そして、呂布軍の将兵らは、鬼神のごとく立ち回り、戦の経験に乏しい敵軍を、徐々に圧倒していったのであった。
「くうっ…城からも撃って出てきたか…くやしいが、ここは一時引き上げた方がいいかもしれんな」
紀霊は、巧みに臧覇の攻撃をかわしながら、そう算段し、自軍に向かって引き上げの号令を発した。
「退却の合図か…勝負は、また後日…」
孫策は、そう言って舌打ちし、その場から立ち去っていった。
「すばらしい青年となったものだ。きっと、父・孫堅も天国で喜ばれていることだろう」
張遼は、小さく笑って、消え行く若き獅子を見つめたのであった。
沛城へ戻った郝萌は、援軍としてやってきた張遼と臧覇に対して、深く礼を述べた。
「遠路よりご苦労さまです。御仁たちが来れば、百人力ですぞ」
その言葉に、張遼は大きく笑ってから、こう答えた。
「戦いはこれからですぞ。早速、今後の打ち合せを行いましょう」
こうして、郝萌たちはすぐさま軍議を開いて、話し合いを始めた。と、その時、一人の斥候が現れて、驚くべきことを報告したのだった。
「何だと…曹操軍もこの沛へ向かってきているだと」
その報告に諸将たちは、騒然となった。
「曹操め…我らが潰し合いをした後で、漁夫の利を得ようとの腹だな。なんと陰険な奴だ」
張遼は、そう言って、歯軋りした。
「しかし、曹操軍と袁術軍を同時に相手するのは、あまりにも無謀すぎる。何か手はないだろうか」
臧覇が、そう言うと、王楷は、おもむろに口を開いて、こう答えた。
「私が、袁術軍の陣営へ参り、停戦を提案しましょう。向こうとて、曹操の大軍と争って利はありますまい」
それを聞いた郝萌は、渋い顔をしながら、ため息をつき、
「それしかなさそうだな」
力なくそう発したのだった。




