第29話
その時の話は、青州黄巾賊と一戦を交えるために、曹操と共に戦場の下見へ出かけた時までさかのぼる…
鮑信は、青州黄巾賊たちに取り囲まれた後、管亥と一騎打ちとなった。だが、その最中で、乗っていた馬が足の骨を折ったために彼は落馬し、取り押さえられたのであった。そして、彼らに捕まった鮑信は、縄で縛られたまま、軍中に引き出されたのだった。
「殺すなら、殺せ。漢に刃向う逆賊には、従えん」
彼は、毅然とした態度で青州黄巾賊に、そう言い放った。すると、その軍中から管亥が声を上げた。
「落馬さえしなければ、俺は貴殿に斬られていたかもしれん。その類まれなる武勇を、ここで終わらせるのはとても惜しい。それに、貴殿は武だけでなく学識もある方だ。学のない我々にとっては、まさに得難い才覚。何卒、我々の味方になって頂けないか」
彼の言葉に、鮑信は眉間にしわを寄せた。
「お主らの行いは、国家を混乱に陥れる所業。そのような悪事を手伝うわけにはいかぬ」
その発言に、管亥はこう言い返した。
「ならば、何故に国家は我々をお見捨てになったのだ。我々とて、戦が好きでこんなことをやっているのではない。国家が腐敗しなければ、我々は流民になることはなかったのだ」
「…!!!」
言葉を失う鮑信に彼は、さらに続けた。
「我々の軍は、見ての通り老若男女で構成されている混成部隊だ。家族みんなが兵となって戦っている。これが、どういう意味かわかるか」
「むむむ…」
腐敗した中央政府に対して、何もできなかった鮑信は自責の念にとらわれ、うめき声を発しながらうつむいた。
「我々は、生きるために戦っているのだ。自分の身を…自分たちの家族を、自分たちで守ろうとして、何が悪い」
その管亥の言葉に、彼は強く胸を打たれ、
「確かに、国家がかように疲弊したのは、我ら官人の責任だ。申し訳ない」
と、言って、
「ならば…やはり、俺を処刑してくれ。死んで、その罪を償いたい」
無念の表情を浮かべた。すると、管亥は首を振った。
「貴殿一人の責任でもないし、貴殿が死んだところで国は変わらぬ。本当に、国を思うなら、我らと共に戦ってくれないか」
その発言に、鮑信はため息をもらした。
「だめだ…俺は、国家に対して刃向うことはできん」
「そうか…」
すると、管亥はおもむろに彼に歩みより、縄を切ってほどいたのだった。
「何の真似だ?」
「貴殿を解放することにした。貴殿ならば、必ずこの国を良くしてくれると思ったからだ」
彼の意外な言葉に、鮑信はあっけにとられ、
「なんと言う者たちだ」
青州黄巾賊の顔ぶれをながめた。
「どうか、俺たちの生活を守ってください。いや、己の欲望のためでなく、天下万民の生きる道を示す、よき指導者になってくだされ。鮑信どの」
管亥は、そう言って、頭を下げた。彼らには、天下を取ろうとする野心はないし、自らの力で天下を動かす力もなかった。彼らは、最高の指導者であった張角亡き後、迷える自分たちを救ってくれる新たな賢君の出現を、ただ願っていただけなのである。
「お前たちの気持ちはよくわかった。だが、残念ながら、この国家を変えるほどの力は俺にはない。俺より優れた人傑は、この世にたくさんいるからだ」
現実主義者の鮑信は、そう言って静かに目を閉じた。そして、一呼吸を置いてから、再び見開いて続けたのだった。
「俺は、お前たちを尊敬する。お前たちがどこまで通用するのかを、この目で見てみたい気持ちで一杯なのだ。それゆえに、俺は、お前らの軍中に身を置き、お前たちの大義をしっかり見届けたいと思っている」
その答えを聞いた管亥は、少し考えてから、
「そうか…ならば仕方あるまい」
鮑信の目を見て、こう続けた。
「だが、何もやらないよそ者を、我が軍においておくわけにはいかん。そうでなくても食い扶持に困っているのだからな。まあ、俺の兄貴になってくれるなら話は別だが」
急な彼の申し出に、鮑信は小さく笑った。
「義兄弟か…よかろう。ならば、今日より、俺はお前たちの家族だ」
こうして、鮑信は管亥と義兄弟の契りを交わした。そして、彼は自軍に戻ることなく、青州黄巾賊の軍団の中で留まることになったのであった。
その後、青州黄巾賊は、曹操軍と戦うことになり、死闘を演じたのだった。始めは両軍ともに一進一退の攻防で、互角の戦いをしていたが、曹操の巧みな戦術によって、青州黄巾賊は次第に旗色が悪くなり、追い詰められていったのであった。
「このままでは、彼らが壊滅する。何とか、彼らを救わなければ」
そう思い立った鮑信は、管亥へ曹操軍に投降することを勧めた。そして、自らが使者となって、曹操軍の軍中へ赴いたのであった。
「まさか、そなたが生きていたとは思わなんだ。何故、すぐに戻って来なかったのだ」
曹操の問いかけに、鮑信は、
「彼らは、暴虐の徒ではなく、生きるために戦う道を選んだ者たちです。そんな彼らの信ずる大義で、この国がひっくり返るところを見たかったからです」
思わぬ発言をしたため、彼はきょとんとした。
「何…と、言うことは、君は青州黄巾賊の一味になったというのか」
「如何にも」
鮑信は、毅然とした態度で、さらに続けた。
「曹操どの…彼らは、十分戦った。彼らの大義を、自軍に活用する気はございませぬか」
「青州黄巾賊が、我が軍に投降すると言うのか」
「彼らは、国家が良くなることを強く望んでおります。今の漢を立て直せるのは、曹操どのをおいて、他にはございますまい。故に、才気あふれる曹操どのに付き従って、国家のために働きたいと願っております」
「ふむ…」
曹操は、そう唸って、顎ひげをなでた。
「彼らの力量を生かすことは、曹操どのにとって有益なものだと思います。いかがでしょうか」
すると、彼は大きく頷き、
「うむ。君が、そう言うのであれば、考える余地はあるまい」
鮑信に握手を求めた。
「彼らの投降を認めよう。これからは、共に国家のために尽くそうではないか」
「ありがとうございます」
彼は、曹操の手を取って、そう感謝した。こうして、鮑信の働きかけにより、青州黄巾賊は曹操軍の軍門に降ったのであった。その後、曹操は、彼に対して、一平卒ではなく責任のある役職に就くよう強く勧めたが、彼はそれを固辞し、家族同然の青州兵たちと共に生きる道を選んだのである。
回想を終えた鮑信は、ふいに口を開いた。
「管亥よ…世間では、俺たち二人は、既に死んだことになっている。言わば、生きる屍状態だ」
そして、さらに続けた。
「しかし、俺はそれで良かったと思っている。それは、青州兵の一員として、家族として…終生において、青州兵と共にありたいためだ」
その言葉に、管亥は黙って頷き、
「わかっているさ…我ら兄弟は、常に先頭をきって戦う名もなき一兵卒として、大義のために生きようぞ」
小さく笑ったのだった。
「来たか…」
呂布は、目の前から土煙が上がって来る方向をじっと睨んだ。そして、土煙の中から曹操軍の先鋒部隊が姿を現すと、彼は大きく号令を出した。
「全軍、突撃!」
呂布軍は、躊躇することなく、一斉に曹操軍を目がけて斬り込んでいったのであった。すると、
「者ども、我ら青州兵の怖さを思い知らせてやれ」
管亥は、そう鼓舞すると先頭をきって、呂布軍の兵士たちをなぎ倒していった。そして、幾度となく転戦を繰り返した青州兵は、その強さを存分に発揮し、呂布軍の兵士たちを圧倒していったのだった。
「さすが、前評判のある者たちだ。だが、俺たちは陛下を守るため、負けるわけにはいかない」
呂布は、そう自分に言い聞かせると、単独で果敢に敵兵の中へ突っ込み、迫ってくる者たちを斬り捨てていった。この鬼神のごとく暴れまわる彼を見て、優勢に戦っていた青州兵たちは、次第に恐怖を感じていった。と、その時、鮑信が呂布を見つけて、大声を発したのだった。
「呂布よ…勝負だ」
彼は、そう言い放つと同時に、突きを繰り出した。すると、呂布は、
「出たな、この亡霊が…ここで、退治してやる」
それを難なくかわして、方天画戟を大きく振り下ろした。
「やれるものなら、やってみろ」
鮑信は、その攻撃を受け止めて、ニヤリと笑った。
「さすがだな」
「それは、こちらのセリフだ」
こうして、二人の一騎打ちは、さらに激しさを増していったのであった。
「むう…あそこで、兄貴と戦っているのは、まさしく呂布」
と、その時、管亥は、呂布と鮑信が戦っている光景を目の当たりにし、
「この管亥が、加勢するぜ」
一心不乱に彼らを目がけて駆け寄っていった。すると、
「そうはいくか」
管亥の目の前に、張遼が立ちふさがった。
「そこを、どけえ!」
「お前の相手は、俺がしてやる」
張遼は、管亥の放つ一撃を受け払って、睨みを利かせた。
「お、おのれ!」
こうして、張遼と管亥は、激しい斬り合いとなったのだった。と、その時、ふいに高順が声を上げた。